夏雪草が帰る場所   作:Bestmeever

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第9話 同じ場所を見ていた

朝から、テレジアの部屋には大きな地図が広げられていた。

 

机の上だけでは足りず、端の一部は床へ垂れている。

 

赤や黒の印がいくつも書き込まれ、その横には軍事委員会から届いたらしい資料が積まれていた。

 

俺は少し離れた椅子に座り、その様子を眺めている。

 

地図を挟んで向かい合っているのは、テレジアとテレシスだ。

 

「この一帯で目撃された部隊は、少なくとも三度進路を変えている」

 

テレシスが地図の上を指でなぞる。

 

「偶然迷い込んだ連中ではない。こちらの動きを探っている可能性が高い」

 

テレジアは手元の資料へ目を落とした。

 

「まだ村を襲ったわけでも、こちらへ攻撃を仕掛けてきたわけでもないのでしょう?」

 

「何かが起きてからでは遅い」

 

テレシスの返事は早かった。

 

「こちらの戦力や補給路を確認しているのなら、次に何をするかは考えるまでもない」

 

「だから先に攻撃するの?」

 

「必要ならな」

 

部屋の空気が少しだけ変わった。

 

怒鳴り声が上がったわけでもない。

 

二人とも普段と変わらない声で話している。

 

それなのに、俺は妙に居心地が悪かった。

 

テレジアが地図へ視線を戻す。

 

「まだ相手の目的は分かっていないわ」

 

「分からないから待つのか?」

 

「確かめたいと言っているの」

 

「その間に敵が準備を終える可能性は?」

 

「あるでしょうね」

 

テレジアは否定しなかった。

 

その答えに、テレシスが眉を寄せる。

 

「なら――」

 

「でも、こちらから武器を向ける理由にはならないわ」

 

静かな声だった。

 

テレシスの言葉が止まる。

 

テレジアは地図の上に置いていた手をゆっくりと引いた。

 

「警戒することには賛成よ。護衛を増やすことも、補給路を変えることも必要だと思う」

 

「なら何が違う」

 

「最初に剣を抜くかどうか」

 

二人の視線がぶつかる。

 

「私たちは、戦う力を持たなくてはいけない。誰かを守るためにも、それは必要よ」

 

テレジアは一度言葉を切った。

 

「でも、力を持つことと、それを最初に振るうことは同じではないわ」

 

テレシスはしばらく何も言わなかった。

 

やがて、小さく息を吐く。

 

「……理想だけで国は守れん」

 

「ええ」

 

テレジアは穏やかに頷いた。

 

「だから、理想だけで守ろうとは思っていないわ」

 

「そう聞こえるがな」

 

「兄さんにはそう見えるのね」

 

その言葉に、テレシスの眉がわずかに動いた。

 

昔から、この二人が意見を違える場面は何度も見てきた。

 

食料の使い道。

 

兵の配置。

 

誰を助けるのか。

 

何を優先するのか。

 

そのたびに言い合って、最後にはどちらかが折れるか、別の方法を探していた。

 

今日もそうなる。

 

何となく、俺はそう思っていた。

 

「セラスティア」

 

突然名前を呼ばれ、顔を上げる。

 

テレシスがこちらを見ていた。

 

「お前はどう思う」

 

「俺?」

 

「他に誰がいる」

 

思わずテレジアを見る。

 

テレジアは何も言わず、俺の答えを待っている。

 

困った。

 

こういう時くらい、助け舟を出してくれてもいいと思う。

 

「相手が本当に攻めてくるなら、放っておくのはまずいだろ」

 

「ああ」

 

「でも、何をしに来たのか分からないなら、いきなり斬りかかるのも違うんじゃないか」

 

テレシスの目が少し細くなる。

 

「つまり?」

 

「先に見てくればいいだろ」

 

二人が黙った。

 

「……何だよ」

 

「いや」

 

テレシスが地図へ視線を戻す。

 

「随分単純な答えだと思ってな」

 

「悪かったな」

 

「だが」

 

テレシスは赤い印の一つを指先で軽く叩いた。

 

「間違ってはいない」

 

今度はテレジアを見る。

 

「偵察を出す」

 

「ええ」

 

「ただし、相手がこちらへの攻撃準備をしていると確認できた場合は、こちらも即座に動く」

 

テレジアは少し考えてから頷いた。

 

「それなら異論はないわ」

 

決まったらしい。

 

俺は小さく息を吐いた。

 

知らないうちに肩へ力が入っていた。

 

テレシスが資料をまとめ始める。

 

「人選はこちらで決める」

 

「お願いするわ」

 

「お前の方でも、周辺の集落には注意を促しておけ」

 

「ええ。補給物資も少し増やしておくわね」

 

さっきまでの空気が嘘のように、二人は次の話へ移っていく。

 

俺はそれを見ながら首を傾げた。

 

これなら、いつもと変わらない。

 

そう思った。

 

少なくとも、その時は。

 

◇

 

話し合いが終わり、テレシスが部屋を出ていく。

 

扉が閉まってから、テレジアは地図を畳み始めた。

 

俺も手を伸ばし、反対側を持つ。

 

「珍しかったな」

 

「何が?」

 

「テレシスとあそこまで言い合うの」

 

テレジアの手がほんの少し止まった。

 

「そうかしら」

 

「そうだろ。いつもならもう少し早くどっちかが折れてた」

 

「今日はどちらも折れなかったものね」

 

そう言って、テレジアは小さく笑った。

 

けれど、その笑顔はいつもより少しだけ薄く見えた。

 

「心配なのか?」

 

「兄さんのこと?」

 

「ああ」

 

テレジアはすぐには答えなかった。

 

畳み終えた地図の端を揃え、それを机の隅へ置く。

 

「兄さんは、カズデルを守りたいのよ」

 

「それは分かる」

 

「私も同じ」

 

それも分かっている。

 

テレシスが兵を増やすのも。

 

テレジアが薬や食料を配るのも。

 

方法が違うだけで、二人が守ろうとしているものは同じだ。

 

少なくとも、今まではそう見えていた。

 

「だったら大丈夫じゃないか?」

 

俺がそう言うと、テレジアは少しだけ目を伏せた。

 

「そうね」

 

その返事が、妙に耳に残った。

 

「意見が違うことと、話ができないことは同じではないわ」

 

テレジアはそう続ける。

 

「今日だって、最後には話がまとまったでしょう?」

 

「まあな」

 

「だから、大丈夫よ」

 

今度は俺へ向けて笑う。

 

いつもの笑顔だった。

 

俺もそれ以上は何も聞かなかった。

 

◇

 

部屋を出る前に、何となく机の上へ目を向ける。

 

さっきまで二人が見ていた地図が置かれていた。

 

同じ地図を見ていた。

 

同じカズデルの話をしていた。

 

それなのに。

 

二人がその先に見ていたものは、本当に同じだったのだろうか。

 

その答えは、まだ分からなかった。

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