夏雪草が帰る場所   作:Bestmeever

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第14話 3人分

アーミヤがバベルへ来てから、少し経った。

 

最初の頃は廊下ですれ違うたびに丁寧に頭を下げられていたが、最近は少し変わってきた。

 

「セラスティアさん!」

 

今日も遠くから名前を呼ばれる。

 

振り返ると、アーミヤがこちらへ走ってきていた。

 

手には一冊のノート。

 

何となく。

 

嫌な予感がする。

 

「どうした?」

 

「お願いがあるんです」

 

「俺に?」

 

「はい!」

 

随分と力強い。

 

「何?」

 

「少し、勉強を見てもらえませんか?」

 

「……俺が?」

 

思わず聞き返した。

 

アーミヤが頷く。

 

「ケルシー先生から課題をいただいたんですけど、少し分からないところがあって」

 

「ケルシーは?」

 

「お仕事中です」

 

「テレジアは?」

 

「テレジアさんもお仕事です」

 

「ドクター」

 

「ケルシー先生と一緒です」

 

綺麗に逃げ道を塞がれた。

 

アーミヤが俺を見上げる。

 

「駄目ですか?」

 

「駄目ではないけど」

 

ノートを見る。

 

何をやらされるのか。

 

その方が問題だった。

 

◇

 

「……これ、子供にやらせる課題?」

 

机の上に広げられた紙を見ながら聞く。

 

簡単な船内図。

 

いくつか印が付いている。

 

居住区。

 

医療区画。

 

倉庫。

 

それぞれの地点を通り、最後に出発地点へ戻る。

 

条件に合う経路を考えろ。

 

そんな内容だった。

 

「ケルシー先生は、地図を見る練習だって言ってました」

 

「まあ、それなら」

 

できなくはない。

 

椅子を引き、アーミヤの隣へ座る。

 

「どこが分からない?」

 

「ここです」

 

指を差す。

 

「医療区画から倉庫へ行くなら、この道が一番近いと思うんです」

 

「ああ」

 

「でも、答えだとこっちになっていて」

 

別の道。

 

距離だけなら少し遠い。

 

「なるほど」

 

「どうしてですか?」

 

「こっちの方が安全だからじゃない?」

 

アーミヤが首を傾げる。

 

「安全?」

 

「この通路、狭いだろ」

 

地図を指す。

 

「もし何かあった時、逃げにくい。荷物を持ってたらもっと面倒だ」

 

「でも、船の中ですよ?」

 

「船の中でも何か起きるかもしれない」

 

「例えば?」

 

「敵が入ってきたとか」

 

「敵……」

 

「火事とか」

 

「火事」

 

「通路が崩れたとか」

 

アーミヤの顔がだんだん真剣になる。

 

「あと、待ち伏せされてた場合は――」

 

「待ち伏せ?」

 

「こっちなら角が少ないから、先を確認しやすい。向こうは二回曲がるし、曲がった先が見えないだろ」

 

ノートへ線を引く。

 

「だから俺なら、まずここを確認して――」

 

「セラスティア」

 

声がした。

 

振り返る。

 

いつの間にか。

 

扉のところにテレジアが立っていた。

 

「おかえり」

 

「ええ。ただいま」

 

テレジアは俺たちのところまで歩いてくる。

 

机の上を見る。

 

地図。

 

ノート。

 

俺が書き足した矢印。

 

丸。

 

注意書き。

 

「……何をしているの?」

 

「勉強」

 

「そうです!」

 

アーミヤも頷く。

 

テレジアがノートを手に取った。

 

「遮蔽物」

 

読み上げる。

 

次。

 

「退路を二つ確保」

 

もう一つ。

 

「相手より高い場所を取る」

 

顔を上げる。

 

「セラスティア」

 

「何?」

 

「アーミヤは何の勉強をしていたの?」

 

「地図の見方」

 

「戦場の地図ではないでしょう?」

 

「でも覚えておいて損はないよ」

 

「それはそうかもしれないけれど」

 

テレジアが困ったように笑う。

 

アーミヤは自分のノートを覗き込んだ。

 

「これは書かなくてもいいんですか?」

 

「今は書かなくていいと思うわ」

 

「……そうなんですね」

 

少し残念そうだ。

 

「消さなくていいよ」

 

俺が言う。

 

「いつか使うかもしれないし」

 

「使う日が来ない方がいいのだけれど」

 

「それはそう」

 

テレジアが俺の隣へ椅子を持ってくる。

 

「それで、本当の問題は?」

 

「ここです」

 

アーミヤがすぐに地図を指した。

 

「医療区画から倉庫まで、この道を通る理由が分からなくて」

 

「これは――」

 

テレジアが地図を見る。

 

少し考える。

 

「たぶん、搬送用の通路だからだと思うわ」

 

「搬送用?」

 

「ええ。距離は少し長くても、荷物を運ぶならこちらの方が通りやすいの」

 

「……」

 

俺も地図を見る。

 

言われてみれば。

 

道幅が違う。

 

「そういうことか」

 

「セラスティアも分かってなかったの?」

 

「安全な道を選ぶ問題かと思った」

 

「それで待ち伏せの話までしたのね」

 

「結果的に勉強にはなっただろ」

 

「なりました!」

 

アーミヤが元気よく答える。

 

テレジアが笑う。

 

「アーミヤがそう言うなら、いいことにしましょうか」

 

何となく。

 

助かった気がした。

 

◇

 

それからしばらく。

 

三人で机を囲んだ。

 

俺が分かるところは俺が教える。

 

分からないところはテレジアが教える。

 

時々。

 

二人とも分からない。

 

「これは?」

 

アーミヤが問題を指す。

 

俺とテレジアが同時に覗き込む。

 

しばらく。

 

誰も答えなかった。

 

「……ケルシーに聞こう」

 

「そうね」

 

意見が一致した。

 

「お二人でも分からないことがあるんですね」

 

アーミヤが少し驚いている。

 

「あるよ」

 

「たくさんあるわ」

 

テレジアが答える。

 

「大人になれば何でも分かるようになるわけではないのよ」

 

「そうなんですか?」

 

「むしろ、分からないことが増えるかもしれないわね」

 

「増えるんですか?」

 

「知らないことを知るから」

 

アーミヤは少し難しそうな顔をした。

 

俺は隣からノートを見る。

 

「今はこの問題だけ分かればいいんじゃない?」

 

「セラスティアはすぐそうやって後回しにするわね」

 

「全部一気に考えたら疲れるだろ」

 

「それも間違ってはいないけれど」

 

「じゃあいいじゃん」

 

「よくはないわ」

 

アーミヤが笑う。

 

「セラスティアさん」

 

「何?」

 

「ここも教えてください」

 

「どれ?」

 

◇

 

「終わりました!」

 

アーミヤが鉛筆を置いた。

 

ノートを見る。

 

一応。

 

全部埋まっている。

 

途中に俺が書いた余計な戦術知識も残っているが。

 

まあいいだろう。

 

「お疲れさま」

 

テレジアが言う。

 

「ありがとうございます!」

 

アーミヤが嬉しそうに笑う。

 

それから。

 

何かに気づいたようにテレジアを見る。

 

「テレジアさん」

 

「なあに?」

 

「今日はもうお仕事、終わったんですか?」

 

「あと少しだけ残っているわ」

 

「まだあるんですか?」

 

「ええ」

 

俺もテレジアを見る。

 

「今日、朝から仕事してたんだろ。昼はちゃんと食べた?」

 

「ちゃんと休んだわ」

 

「休んだかじゃなくて、食べたか聞いてるんだけど」

 

一瞬。

 

テレジアが黙った。

 

分かりやすい。

 

「……テレジアさん」

 

アーミヤまで声を低くする。

 

「何か食べないと駄目です」

 

「アーミヤまで」

 

「ケルシー先生も言ってました。忙しい時ほど、ちゃんと食べないといけないって」

 

「ケルシーが?」

 

「はい」

 

妙なところで効いてくる。

 

「じゃあ食べよう」

 

俺も立ち上がる。

 

「セラスティアまで?」

 

「二対一」

 

「そういう決め方なの?」

 

「多数決」

 

「まだアーミヤは賛成するとは言っていないでしょう?」

 

アーミヤが小さく手を上げた。

 

「私も賛成です」

 

「ほら」

 

テレジアが俺たちを交互に見る。

 

それから。

 

諦めたように笑った。

 

「分かったわ」

 

勝った。

 

◇

 

食堂へ行ったら。

 

ちょうど人が少ない時間だった。

 

残っていた料理をいくつか受け取る。

 

俺は皿を持って戻る。

 

机に置く。

 

一つ。

 

二つ。

 

三つ。

 

「……」

 

置いてから。

 

気づいた。

 

「どうしたの?」

 

テレジアが聞く。

 

「いや」

 

何となく。

 

皿を見る。

 

三人分。

 

別に。

 

おかしなことではない。

 

三人いるんだから。

 

三人分持ってくるのは当たり前だ。

 

「何でもない」

 

席に座る。

 

アーミヤが俺の向かい。

 

テレジアが隣。

 

「いただきます」

 

アーミヤが言う。

 

「いただきます」

 

テレジアも続く。

 

俺も少し遅れて。

 

「いただきます」

 

食べ始める。

 

少しして。

 

アーミヤがこちらを見る。

 

「セラスティアさん」

 

「何?」

 

「さっきの道なんですけど」

 

「道?」

 

「待ち伏せされていたら、高い場所を取るって」

 

テレジアの手が止まる。

 

「アーミヤ」

 

「はい?」

 

「その話は食事が終わってからにしましょう」

 

「どうしてですか?」

 

「セラスティアがまた余計なことまで教えるから」

 

「余計じゃないよ」

 

「食事中に敵襲の話をする必要はないでしょう?」

 

「いつ来るか分からないだろ」

 

「今は来ていないわ」

 

「来たら俺が守るよ」

 

言ってから。

 

少し考える。

 

「だから今聞いてもいいんじゃない?」

 

「どうしてそうなるの?」

 

アーミヤが吹き出した。

 

「何?」

 

「いえ」

 

口元を押さえる。

 

「お二人、いつもこんな感じなんですね」

 

俺とテレジアが目を合わせる。

 

「こんな感じ?」

 

「どんな感じかしら?」

 

同時に聞く。

 

アーミヤがまた笑った。

 

「何でもありません」

 

さっき俺がよく使う答えを。

 

そのまま返された。

 

「それ俺の真似?」

 

「違います」

 

「絶対そうだろ」

 

「違います」

 

楽しそうだから。

 

まあいいか。

 

◇

 

食事を終える頃には。

 

アーミヤの声が少しずつ小さくなっていた。

 

「眠い?」

 

聞く。

 

「眠くないです」

 

「目閉じてるけど」

 

「閉じてません……」

 

閉じている。

 

テレジアが笑う。

 

「今日は色々覚えたものね」

 

「まだ……大丈夫です」

 

アーミヤはそう言いながら。

 

こくり。

 

頭が落ちる。

 

また上がる。

 

少しして。

 

また落ちる。

 

「寝た方がいいよ」

 

「まだ……」

 

返事も最後まで続かなかった。

 

机へ伏せそうになったところで、身体を支える。

 

完全に眠っていた。

 

「早いな」

 

「疲れていたのね」

 

テレジアが立ち上がる。

 

「私が連れていくわ」

 

「俺がやる」

 

「起こしてしまわない?」

 

前にも。

 

同じことを言われた気がする。

 

「今度は大丈夫」

 

そっと抱き上げる。

 

軽い。

 

アーミヤは少しだけ身体を動かしたが。

 

目は開けなかった。

 

その代わり。

 

俺の服を小さく掴む。

 

「……起きてる?」

 

返事はない。

 

寝ているらしい。

 

「思っていたより様になっているわね」

 

隣からテレジアが言う。

 

「何が?」

 

「抱っこ」

 

「子供扱いするなよ」

 

「アーミヤを抱いているのはあなたでしょう?」

 

「俺のこと」

 

「分かっているわ」

 

楽しそうに笑われた。

 

二人で廊下を歩く。

 

途中ですれ違った人間が。

 

アーミヤを抱えている俺を見て。

 

テレジアを見て。

 

何となく笑った。

 

「何?」

 

聞いても。

 

「いや、何でもない」

 

と返された。

 

最近。

 

この答えばかり聞いている気がする。

 

◇

 

アーミヤの部屋へ着く。

 

ベッドへ寝かせる。

 

服を掴んでいた指を、一本ずつ外す。

 

布団をかける。

 

テレジアがその横に座った。

 

「おやすみなさい、アーミヤ」

 

髪を優しく撫でる。

 

その声が聞こえたのか。

 

アーミヤが少しだけ動いた。

 

「……おやすみ……なさい……」

 

小さな声。

 

「テレジアさん……」

 

「ええ」

 

少し間があって。

 

「セラスティアさんも……」

 

呼ばれた。

 

「おやすみ」

 

返す。

 

それで安心したのか。

 

今度こそ。

 

静かになった。

 

部屋を出る。

 

扉を閉める。

 

廊下には。

 

俺とテレジアだけが残った。

 

「すっかり懐かれたわね」

 

「そうかな」

 

「最初はあなたの顔を見て怖がっていたのに」

 

「それ忘れてくれない?」

 

「可愛かったもの」

 

「俺は傷ついたんだけど」

 

テレジアが笑う。

 

歩き出す。

 

少しして。

 

俺は気づいた。

 

「テレジア」

 

「なあに?」

 

「仕事」

 

足が止まる。

 

「あと少し残ってるって言ってただろ」

 

「……覚えていたのね」

 

「忘れると思った?」

 

「少しだけ」

 

「行くぞ」

 

「今から?」

 

「終わらせたら帰れるだろ」

 

「手伝ってくれるの?」

 

「できることなら」

 

テレジアが俺を見る。

 

柔らかく笑った。

 

「ありがとう」

 

「別に」

 

並んで歩き出す。

 

さっきまで。

 

三人だった。

 

今は二人。

 

明日になれば。

 

また廊下のどこかから。

 

「セラスティアさん」

 

と呼ばれるのだろう。

 

そんな気がした。

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