瓦礫が動き始める。
完全に退かす必要はなく、人が通れるだけの隙間ができればいい。
「もう少し!」
声に合わせて腕へ力を込めると、壁だったものが軋みながら持ち上がった。
「今!」
救助班が隙間へ入っていく。
一人、二人と奥へ消えていき、すぐに声が返ってきた。
「いたぞ!」
「負傷者から運べ!」
今度は中から人が出てくる。
頭から血を流した男や、足を引きずる女、泣いている子供を抱えた老人が次々と隙間を抜けてきた。
最初に聞いていた二十七人だけではなさそうだった。まだ奥にいる。
「こっち!」
救助班の一人が担架を広げる。
俺は瓦礫を支えたまま、中から出てくる人を数えていた。
十人、十五人と増えていき、二十人を越えた辺りで腕に痺れが出始める。
「まだ?」
「まだいる!」
奥から返事が来た。
なら、離せない。
「早く!」
次に出てきたのは、顔中を埃で汚した子供だった。
二十四人目。
俺の横を通る時、心配そうにこちらを見る。
「お兄ちゃん、それ重くないの?」
「ちょっとだけ」
嘘をついた。
「でも大丈夫。先行って」
「うん」
子供が走っていくのを見届けてから、もう一度腕へ力を込める。
まだ持つ。
「固定できる!」
救助班の一人が隙間へ支柱を噛ませる。
何度か揺らして崩れないことを確認してから、ようやく俺も手を離した。
腕に残った痺れを振り払い、そのまま地下へ入る。
◇
最初の瓦礫を抜けたところで、別の問題が見つかった。
地下通路の奥でもう一か所、崩落している。
「完全に塞がってるのか?」
「いや。横に隙間がある。ただ、負傷者を通せる広さじゃない」
救助班の男が答える。
「何人残ってる?」
「確認できたのは二十七人」
さっきまでよりは減ったが、それでも多い。
「武装集団は?」
通信員を見る。
「さっきの報告から移動速度が上がってる。二十五分くらいだ」
「船には?」
「連絡してる」
「返事は?」
通信員が通信機へ目を落とした。
「まだない」
眉を寄せる。
「もう一回」
「やってる」
すぐに周波数を合わせる。
『こちら南側救助班。ランドシップ、応答願います』
雑音しか返ってこない。
『こちら南側救助班。応答願います』
やはり返事はなかった。
「通信障害?」
「分からない。前線側とは繋がる」
繋がらないのはランドシップだけだった。
胸の奥に何かが引っかかったが、今は目の前にまだ二十七人いる。
「続けよう」
「いいのか?」
「連絡は続けて。俺は中行く」
返事を待たず、狭い隙間へ身体を滑り込ませた。
◇
地下は暗かった。
照明はほとんど死んでいて、救助班が持ってきた灯りだけが壁を照らしている。
少し進んだところで声を掛ける。
「誰かいる?」
「ここ!」
すぐに返事があった。
声のする方へ向かうと、通路の奥に二十四人が集まっていた。子供もいるし、怪我人もいる。
一人の男が壁にもたれたまま、こちらを見る。
「救助……?」
「そう。歩ける?」
「俺は。でも、こいつが」
隣では、若い女が横になっていた。
脚の上に柱が落ちている。
「どれくらい?」
「分からない。ずっとこのままだ」
しゃがんで柱を見る。
持ち上げることはできる。ただ、適当に動かせば脚を余計に傷つける。
「救助班!」
呼ぶと、すぐに一人入ってきた。
「これ、俺が持ち上げる。抜ける?」
「待ってくれ。固定する」
道具を取り出している間に、奥から別の声が聞こえた。
「まだ向こうにもいる!」
振り返る。
「何人?」
「三人!子供が二人!」
「場所は?」
「突き当たりを右!」
救助班を見る。
「こっち任せていい?」
「ああ。ただ、お前が上げないとこれは動かせない」
「じゃあ先にこれ」
柱へ手を掛ける。
「合図して」
「待て……よし!」
持ち上げる。
腕だけでは足りず、背中まで使って重さを支える。
「今!」
女の身体が引き抜かれ、悲鳴が上がった。
「大丈夫!骨は――後で診る!とにかく外へ!」
担架へ乗せられるのを確認してから柱を下ろし、息を吐く。
周囲では、残っていた避難民が救助班に誘導され、順に出口側へ移っていた。
「セラスティア」
通信員が隙間から顔を出した。
「武装集団、十五分」
「船は?」
一瞬、答えが遅れた。
「繋がらない」
さっき覚えた違和感が、急に重くなった。
「ドクターは?」
「駄目だ。テレジア殿下の個別回線も応答なし」
その言葉で身体が止まった。
「……もう一回やって」
「分かった」
奥にはまだ三人残っている。
俺はすぐに走り出した。
◇
一人目はすぐ見つかった。
腕を怪我している男だったが、歩くことはできる。
「出口分かる?」
「ああ」
「じゃあ行って。途中に救助班いるから」
「子供が二人――」
「俺が行く」
さらに奥へ進む。
「おーい!」
返事がない。
嫌な感じがした。
「聞こえる!?」
少しして、小さな声が返ってきた。
「……ここ」
右手の瓦礫の向こうをしゃがんで覗くと、男の子と女の子がいた。兄妹だろうか。
女の子は泣いていて、男の子が前に立って庇っている。
「迎えに来たよ」
二人の顔が上がる。
「出られる?」
男の子が首を振った。
前には大きな梁が落ちている。その下に隙間があり、子供なら通れそうだった。
「足」
女の子が言った。
見ると、砕けた石材に片足が挟まっている。
「痛い?」
頷く。
「ちょっと待って」
石材へ手を掛けたところで、歌が聞こえた。
思わず手が止まる。
「……?」
どこから聞こえてくるのかも分からないほど遠い。それなのに、その声だけは妙にはっきりと耳へ届いた。
低く長い声が、幾つも重なっている。
言葉のすべてを聞き取れたわけじゃない。
それでも、誰かを弔うための哀歌だと分かった。
背筋を冷たいものが走る。
さっきから繋がらないランドシップと、応答しない個別回線が頭をよぎった。
「セラスティアさん?」
男の子の声が遠く聞こえる。
考えたくなかった。
さっきまでテレジアはそこにいて、いつものように笑っていた。そんなはずがない。
「……テレジア?」
理屈より先に、名前が口から零れた。
帰ったら、また「ただいま」と言うつもりだった。
あいつだって、「おかえりなさい」と返してくれるはずだった。
そう思おうとしても、胸の奥に広がった嫌な予感は消えなかった。
『こちら南側救助班!セラスティア、聞こえるか!』
通信機が鳴り、反射的に取る。
「聞こえてる!」
『ランドシップとの通信が完全に落ちた!それと敵影が見えた、もう来るぞ!』
「何分!?」
『五分もない!』
目の前には、瓦礫に足を挟まれた女の子がいる。
泣きながら、俺を見ていた。
今すぐ戻りたい。
ほんの一瞬、そんな考えが頭を埋めた。
「お兄ちゃん」
女の子が震える声で言う。
「行っちゃうの?」
テレジアのところへ戻らないと。
そう思った時、『あなたを必要としている人たちがいるのでしょう?』という声が蘇った。
俺は、助けてくると答えた。
目の前には、まだ助けを待っている子供がいる。
「行かないよ」
女の子を見る。
「一緒に出る」
石材へ両手を掛けた。
「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢できる?」
「……うん」
「偉い」
力を入れると、石材が動いた。
できた隙間を見て、男の子へ言う。
「今。足抜いて」
「分かった!」
女の子が悲鳴を上げる。
それでも、足は抜けた。
石材を下ろし、すぐに抱き上げる。
「歩ける?」
「……無理」
「じゃあ俺が運ぶ」
男の子を見る。
「服掴んで。絶対離れるな」
「うん!」
走る。
哀歌はまだ聞こえていた。
聞きたくなくても、耳から離れなかった。
◇
地上へ出た瞬間、銃声が聞こえた。
「敵だ!」
救助班が叫ぶ。
建物の向こうに人影が見える。
「全員出た!?」
「確認中!」
「早く!」
女の子を担架へ渡し、男の子も一緒に行かせる。
剣を拾って抜いた。
武装した奴が二人、角から出てくる。
こちらを見るなり、武器を構えた。
「邪魔」
踏み込み、一人目の武器を弾いて柄で身体を打つ。
二人目の攻撃を避け、そのまま斬る。
倒れたのを確認するより先に、次の人影が見えた。
時間が惜しい。
一人ずつ相手をしている場合じゃない。
「救助班!撤収して!」
「お前は!?」
「後ろ行く!」
「分かった!」
車両が動き始める。
俺は最後尾へ回り、追ってくる奴だけを止めた。
一人倒せば次が来る。
それでも剣を振るい、救助した人たちが離れるまで一人も通さない。
最後の一人が退いても追わなかった。今はその必要がない。
振り返ると、車両はもう遠くなっていた。
「……全員?」
通信機を取る。
『全員確認した!五十一人!生存者全員乗ってる!』
その報告を聞いて、ようやく息を吐く。
『セラスティア、こっちへ――』
「先行って」
『何?』
「船に戻る」
少し間が空いた。
『でも――』
「全員出たんだろ?」
『ああ』
「なら大丈夫」
通信を切り、走り出した。
◇
来た時より、ずっと速く走った。
息も脚も悲鳴を上げていたが、今はどうでもよかった。
いつの間にか哀歌は聞こえなくなっていた。
それが余計に怖い。
通信機を取る。
「ランドシップ、応答して」
雑音しか返ってこない。
「こちらセラスティア。誰でもいい、返事して」
何度呼びかけても、応答はなかった。
春の風が冷たい。
朝と同じはずなのに、何も同じには感じられなかった。
「テレジア」
個別回線を開く。
「聞こえてる?」
返事はない。
「今戻ってる」
誰も聞いていないかもしれない。それでも言葉が止まらなかった。
「だから、返事してよ」
◇
ランドシップが見えた瞬間、何かがおかしいと分かった。
静かすぎる。
外側の警備設備は動いておらず、警報も鳴っていない。
なのに、地面には人が倒れていた。
「……何だよ」
近づくと、黒い服を着た知らない奴が倒れていた。
そのすぐ隣には、見覚えのあるバベルの制服を着た人間が血を流している。
「おい」
返事がない。
入口へ走ると、扉は開いていた。
中へ飛び込む。
「誰か!」
声だけが廊下を抜けていった。
少し先にも、その向こうにも人が倒れている。
黒い服とバベルの制服が入り混じっていた。
ここで戦ったことだけは分かる。
それなのに、どうして警報が鳴らなかった。
「何で……」
通信機を見る。
反応しない。
テレジアのところへ行く。
それだけを考えて、曲がり角を抜け、階段を上がり、何百回も歩いた廊下を走る。
今日の昼にも通ったはずなのに、ひどく遠く感じた。
「テレジア!」
「アーミヤ!」
途中、壁に付いた血が目に入った。
足が止まりかけても、そのまま走る。
部屋の近くまで来ると、血の匂いがした。
扉は開いている。
中にいたのはケルシーだった。
床に膝をついている。
「ケルシー!」
声を上げると、ケルシーが振り向いた。
その顔を見た瞬間、胸の奥が冷えた。
いつものケルシーの顔じゃない。
それ以上は考えたくなかった。
「テレジアは?」
ケルシーの口が動く。
すぐには声が出なかった。
「どこ?」
もう一度聞く。
ケルシーの視線が、ゆっくりと部屋の奥へ向いた。
俺もそちらを見る。
最初に目に入ったのは白だった。
テレジアの服と、その周りに広がる赤。
そこに、テレジアがいた。
血の中に横たわり、その腕の中にはアーミヤがいる。
テレジアは小さな身体を抱きしめたまま、最後まで守るように腕を回していた。
二人の姿だけを見れば、ただ寄り添っているようにも見える。
俺が戻ってきた時には、もう何もかも終わったあとだったように感じた。
少し離れた場所にはドクターもいた。
けれど、こちらを見ない。
呼びかける声もない。
何かを全部失くしてしまったみたいに、ただそこにいた。
近くには、黒い服を着た奴らが何人も倒れている。
ここで襲撃があったことだけは分かる。
それでも、目の前の光景を頭が受け入れなかった。
「テレジア」
返事はない。
一歩ずつ近づく。
ケルシーは何も言わず、止めもしなかった。
テレジアのそばへしゃがむ。
アーミヤの髪に触れるように置かれたテレジアの手へ、そっと指を伸ばす。
まだ温かい。
それなのに、もう呼んでも答えてくれないなんて、どうしても信じられなかった。
「テレジア」
もう一度呼んでも、何も変わらなかった。
「……何だよ」
指に触れたまま、動けない。
ここを出る時に襟を直してくれた手。
その指が肩に残っていた感触まで、まだ覚えている。
ついさっきのことなのに。
「俺……全員助けたよ」
喉が詰まり、一度息を吸う。
「ちゃんと、全員」
五十一人。
あの子たちも、負傷者も、誰一人置いてこなかった。
助けてくる。
そう言って、俺はここを出た。
帰ってきた時に言う言葉も、決まっていた。
俺はちゃんと、ここへ帰ってきた。
テレジアの指先に触れたまま、握り返してくれるのを待つように、あの日約束した言葉を口にした。
「ただいま」