夏雪草が帰る場所   作:Bestmeever

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第21話 ただいま

瓦礫が動き始める。

 

完全に退かす必要はなく、人が通れるだけの隙間ができればいい。

 

「もう少し!」

 

声に合わせて腕へ力を込めると、壁だったものが軋みながら持ち上がった。

 

「今!」

 

救助班が隙間へ入っていく。

 

一人、二人と奥へ消えていき、すぐに声が返ってきた。

 

「いたぞ!」

 

「負傷者から運べ!」

 

今度は中から人が出てくる。

 

頭から血を流した男や、足を引きずる女、泣いている子供を抱えた老人が次々と隙間を抜けてきた。

 

最初に聞いていた二十七人だけではなさそうだった。まだ奥にいる。

 

「こっち!」

 

救助班の一人が担架を広げる。

 

俺は瓦礫を支えたまま、中から出てくる人を数えていた。

 

十人、十五人と増えていき、二十人を越えた辺りで腕に痺れが出始める。

 

「まだ?」

 

「まだいる!」

 

奥から返事が来た。

 

なら、離せない。

 

「早く!」

 

次に出てきたのは、顔中を埃で汚した子供だった。

 

二十四人目。

 

俺の横を通る時、心配そうにこちらを見る。

 

「お兄ちゃん、それ重くないの?」

 

「ちょっとだけ」

 

嘘をついた。

 

「でも大丈夫。先行って」

 

「うん」

 

子供が走っていくのを見届けてから、もう一度腕へ力を込める。

 

まだ持つ。

 

「固定できる!」

 

救助班の一人が隙間へ支柱を噛ませる。

 

何度か揺らして崩れないことを確認してから、ようやく俺も手を離した。

 

腕に残った痺れを振り払い、そのまま地下へ入る。

 

◇

 

最初の瓦礫を抜けたところで、別の問題が見つかった。

 

地下通路の奥でもう一か所、崩落している。

 

「完全に塞がってるのか?」

 

「いや。横に隙間がある。ただ、負傷者を通せる広さじゃない」

 

救助班の男が答える。

 

「何人残ってる?」

 

「確認できたのは二十七人」

 

さっきまでよりは減ったが、それでも多い。

 

「武装集団は?」

 

通信員を見る。

 

「さっきの報告から移動速度が上がってる。二十五分くらいだ」

 

「船には?」

 

「連絡してる」

 

「返事は?」

 

通信員が通信機へ目を落とした。

 

「まだない」

 

眉を寄せる。

 

「もう一回」

 

「やってる」

 

すぐに周波数を合わせる。

 

『こちら南側救助班。ランドシップ、応答願います』

 

雑音しか返ってこない。

 

『こちら南側救助班。応答願います』

 

やはり返事はなかった。

 

「通信障害?」

 

「分からない。前線側とは繋がる」

 

繋がらないのはランドシップだけだった。

 

胸の奥に何かが引っかかったが、今は目の前にまだ二十七人いる。

 

「続けよう」

 

「いいのか?」

 

「連絡は続けて。俺は中行く」

 

返事を待たず、狭い隙間へ身体を滑り込ませた。

 

◇

 

地下は暗かった。

 

照明はほとんど死んでいて、救助班が持ってきた灯りだけが壁を照らしている。

 

少し進んだところで声を掛ける。

 

「誰かいる?」

 

「ここ!」

 

すぐに返事があった。

 

声のする方へ向かうと、通路の奥に二十四人が集まっていた。子供もいるし、怪我人もいる。

 

一人の男が壁にもたれたまま、こちらを見る。

 

「救助……?」

 

「そう。歩ける?」

 

「俺は。でも、こいつが」

 

隣では、若い女が横になっていた。

 

脚の上に柱が落ちている。

 

「どれくらい?」

 

「分からない。ずっとこのままだ」

 

しゃがんで柱を見る。

 

持ち上げることはできる。ただ、適当に動かせば脚を余計に傷つける。

 

「救助班!」

 

呼ぶと、すぐに一人入ってきた。

 

「これ、俺が持ち上げる。抜ける?」

 

「待ってくれ。固定する」

 

道具を取り出している間に、奥から別の声が聞こえた。

 

「まだ向こうにもいる!」

 

振り返る。

 

「何人?」

 

「三人!子供が二人!」

 

「場所は?」

 

「突き当たりを右!」

 

救助班を見る。

 

「こっち任せていい?」

 

「ああ。ただ、お前が上げないとこれは動かせない」

 

「じゃあ先にこれ」

 

柱へ手を掛ける。

 

「合図して」

 

「待て……よし!」

 

持ち上げる。

 

腕だけでは足りず、背中まで使って重さを支える。

 

「今!」

 

女の身体が引き抜かれ、悲鳴が上がった。

 

「大丈夫!骨は――後で診る!とにかく外へ!」

 

担架へ乗せられるのを確認してから柱を下ろし、息を吐く。

 

周囲では、残っていた避難民が救助班に誘導され、順に出口側へ移っていた。

 

「セラスティア」

 

通信員が隙間から顔を出した。

 

「武装集団、十五分」

 

「船は?」

 

一瞬、答えが遅れた。

 

「繋がらない」

 

さっき覚えた違和感が、急に重くなった。

 

「ドクターは?」

 

「駄目だ。テレジア殿下の個別回線も応答なし」

 

その言葉で身体が止まった。

 

「……もう一回やって」

 

「分かった」

 

奥にはまだ三人残っている。

 

俺はすぐに走り出した。

 

◇

 

一人目はすぐ見つかった。

 

腕を怪我している男だったが、歩くことはできる。

 

「出口分かる?」

 

「ああ」

 

「じゃあ行って。途中に救助班いるから」

 

「子供が二人――」

 

「俺が行く」

 

さらに奥へ進む。

 

「おーい!」

 

返事がない。

 

嫌な感じがした。

 

「聞こえる!?」

 

少しして、小さな声が返ってきた。

 

「……ここ」

 

右手の瓦礫の向こうをしゃがんで覗くと、男の子と女の子がいた。兄妹だろうか。

 

女の子は泣いていて、男の子が前に立って庇っている。

 

「迎えに来たよ」

 

二人の顔が上がる。

 

「出られる?」

 

男の子が首を振った。

 

前には大きな梁が落ちている。その下に隙間があり、子供なら通れそうだった。

 

「足」

 

女の子が言った。

 

見ると、砕けた石材に片足が挟まっている。

 

「痛い?」

 

頷く。

 

「ちょっと待って」

 

石材へ手を掛けたところで、歌が聞こえた。

 

思わず手が止まる。

 

「……?」

 

どこから聞こえてくるのかも分からないほど遠い。それなのに、その声だけは妙にはっきりと耳へ届いた。

 

低く長い声が、幾つも重なっている。

 

言葉のすべてを聞き取れたわけじゃない。

 

それでも、誰かを弔うための哀歌だと分かった。

 

背筋を冷たいものが走る。

 

さっきから繋がらないランドシップと、応答しない個別回線が頭をよぎった。

 

「セラスティアさん?」

 

男の子の声が遠く聞こえる。

 

考えたくなかった。

 

さっきまでテレジアはそこにいて、いつものように笑っていた。そんなはずがない。

 

「……テレジア?」

 

理屈より先に、名前が口から零れた。

 

帰ったら、また「ただいま」と言うつもりだった。

 

あいつだって、「おかえりなさい」と返してくれるはずだった。

 

そう思おうとしても、胸の奥に広がった嫌な予感は消えなかった。

 

『こちら南側救助班!セラスティア、聞こえるか!』

 

通信機が鳴り、反射的に取る。

 

「聞こえてる!」

 

『ランドシップとの通信が完全に落ちた!それと敵影が見えた、もう来るぞ!』

 

「何分!?」

 

『五分もない!』

 

目の前には、瓦礫に足を挟まれた女の子がいる。

 

泣きながら、俺を見ていた。

 

今すぐ戻りたい。

 

ほんの一瞬、そんな考えが頭を埋めた。

 

「お兄ちゃん」

 

女の子が震える声で言う。

 

「行っちゃうの?」

 

テレジアのところへ戻らないと。

 

そう思った時、『あなたを必要としている人たちがいるのでしょう?』という声が蘇った。

 

俺は、助けてくると答えた。

 

目の前には、まだ助けを待っている子供がいる。

 

「行かないよ」

 

女の子を見る。

 

「一緒に出る」

 

石材へ両手を掛けた。

 

「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢できる?」

 

「……うん」

 

「偉い」

 

力を入れると、石材が動いた。

 

できた隙間を見て、男の子へ言う。

 

「今。足抜いて」

 

「分かった!」

 

女の子が悲鳴を上げる。

 

それでも、足は抜けた。

 

石材を下ろし、すぐに抱き上げる。

 

「歩ける?」

 

「……無理」

 

「じゃあ俺が運ぶ」

 

男の子を見る。

 

「服掴んで。絶対離れるな」

 

「うん!」

 

走る。

 

哀歌はまだ聞こえていた。

 

聞きたくなくても、耳から離れなかった。

 

◇

 

地上へ出た瞬間、銃声が聞こえた。

 

「敵だ!」

 

救助班が叫ぶ。

 

建物の向こうに人影が見える。

 

「全員出た!?」

 

「確認中!」

 

「早く!」

 

女の子を担架へ渡し、男の子も一緒に行かせる。

 

剣を拾って抜いた。

 

武装した奴が二人、角から出てくる。

 

こちらを見るなり、武器を構えた。

 

「邪魔」

 

踏み込み、一人目の武器を弾いて柄で身体を打つ。

 

二人目の攻撃を避け、そのまま斬る。

 

倒れたのを確認するより先に、次の人影が見えた。

 

時間が惜しい。

 

一人ずつ相手をしている場合じゃない。

 

「救助班!撤収して!」

 

「お前は!?」

 

「後ろ行く!」

 

「分かった!」

 

車両が動き始める。

 

俺は最後尾へ回り、追ってくる奴だけを止めた。

 

一人倒せば次が来る。

 

それでも剣を振るい、救助した人たちが離れるまで一人も通さない。

 

最後の一人が退いても追わなかった。今はその必要がない。

 

振り返ると、車両はもう遠くなっていた。

 

「……全員?」

 

通信機を取る。

 

『全員確認した!五十一人!生存者全員乗ってる!』

 

その報告を聞いて、ようやく息を吐く。

 

『セラスティア、こっちへ――』

 

「先行って」

 

『何?』

 

「船に戻る」

 

少し間が空いた。

 

『でも――』

 

「全員出たんだろ?」

 

『ああ』

 

「なら大丈夫」

 

通信を切り、走り出した。

 

◇

 

来た時より、ずっと速く走った。

 

息も脚も悲鳴を上げていたが、今はどうでもよかった。

 

いつの間にか哀歌は聞こえなくなっていた。

 

それが余計に怖い。

 

通信機を取る。

 

「ランドシップ、応答して」

 

雑音しか返ってこない。

 

「こちらセラスティア。誰でもいい、返事して」

 

何度呼びかけても、応答はなかった。

 

春の風が冷たい。

 

朝と同じはずなのに、何も同じには感じられなかった。

 

「テレジア」

 

個別回線を開く。

 

「聞こえてる?」

 

返事はない。

 

「今戻ってる」

 

誰も聞いていないかもしれない。それでも言葉が止まらなかった。

 

「だから、返事してよ」

 

◇

 

ランドシップが見えた瞬間、何かがおかしいと分かった。

 

静かすぎる。

 

外側の警備設備は動いておらず、警報も鳴っていない。

 

なのに、地面には人が倒れていた。

 

「……何だよ」

 

近づくと、黒い服を着た知らない奴が倒れていた。

 

そのすぐ隣には、見覚えのあるバベルの制服を着た人間が血を流している。

 

「おい」

 

返事がない。

 

入口へ走ると、扉は開いていた。

 

中へ飛び込む。

 

「誰か!」

 

声だけが廊下を抜けていった。

 

少し先にも、その向こうにも人が倒れている。

 

黒い服とバベルの制服が入り混じっていた。

 

ここで戦ったことだけは分かる。

 

それなのに、どうして警報が鳴らなかった。

 

「何で……」

 

通信機を見る。

 

反応しない。

 

テレジアのところへ行く。

 

それだけを考えて、曲がり角を抜け、階段を上がり、何百回も歩いた廊下を走る。

 

今日の昼にも通ったはずなのに、ひどく遠く感じた。

 

「テレジア!」

 

「アーミヤ!」

 

途中、壁に付いた血が目に入った。

 

足が止まりかけても、そのまま走る。

 

部屋の近くまで来ると、血の匂いがした。

 

扉は開いている。

 

中にいたのはケルシーだった。

 

床に膝をついている。

 

「ケルシー!」

 

声を上げると、ケルシーが振り向いた。

 

その顔を見た瞬間、胸の奥が冷えた。

 

いつものケルシーの顔じゃない。

 

それ以上は考えたくなかった。

 

「テレジアは?」

 

ケルシーの口が動く。

 

すぐには声が出なかった。

 

「どこ?」

 

もう一度聞く。

 

ケルシーの視線が、ゆっくりと部屋の奥へ向いた。

 

俺もそちらを見る。

 

最初に目に入ったのは白だった。

 

テレジアの服と、その周りに広がる赤。

 

そこに、テレジアがいた。

 

血の中に横たわり、その腕の中にはアーミヤがいる。

 

テレジアは小さな身体を抱きしめたまま、最後まで守るように腕を回していた。

 

二人の姿だけを見れば、ただ寄り添っているようにも見える。

 

俺が戻ってきた時には、もう何もかも終わったあとだったように感じた。

 

少し離れた場所にはドクターもいた。

 

けれど、こちらを見ない。

 

呼びかける声もない。

 

何かを全部失くしてしまったみたいに、ただそこにいた。

 

近くには、黒い服を着た奴らが何人も倒れている。

 

ここで襲撃があったことだけは分かる。

 

それでも、目の前の光景を頭が受け入れなかった。

 

「テレジア」

 

返事はない。

 

一歩ずつ近づく。

 

ケルシーは何も言わず、止めもしなかった。

 

テレジアのそばへしゃがむ。

 

アーミヤの髪に触れるように置かれたテレジアの手へ、そっと指を伸ばす。

 

まだ温かい。

 

それなのに、もう呼んでも答えてくれないなんて、どうしても信じられなかった。

 

「テレジア」

 

もう一度呼んでも、何も変わらなかった。

 

「……何だよ」

 

指に触れたまま、動けない。

 

ここを出る時に襟を直してくれた手。

 

その指が肩に残っていた感触まで、まだ覚えている。

 

ついさっきのことなのに。

 

「俺……全員助けたよ」

 

喉が詰まり、一度息を吸う。

 

「ちゃんと、全員」

 

五十一人。

 

あの子たちも、負傷者も、誰一人置いてこなかった。

 

助けてくる。

 

そう言って、俺はここを出た。

 

帰ってきた時に言う言葉も、決まっていた。

 

俺はちゃんと、ここへ帰ってきた。

 

テレジアの指先に触れたまま、握り返してくれるのを待つように、あの日約束した言葉を口にした。

 

「ただいま」

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