最初の連絡が入ったのは、作戦開始からしばらく経った頃だった。
俺は防衛区画で装備の確認をしていた。現地へ出た部隊に何かあれば、帰還後すぐに動けるようにしておく必要がある。
通信端末が鳴り、近くにいたオペレーターが画面を確認した。
「チェルノボーグ潜入班からです。目標を確保。ドクターの生存を確認しています」
周囲の空気が僅かに緩んだ。
俺も息を吐く。
「状態は?」
「生命反応に大きな問題はありません。ただ……記憶に重度の障害がある可能性が高いとのことです」
「記憶?」
「はい。自分のことも、ロドスのことも、ほとんど覚えていないそうです」
その言葉だけ、頭へ入ってくるまで時間がかかった。
「……全部?」
「詳しい状態は帰還後に検査することになると思います。現地もかなり混乱しているようなので」
「そっか」
それ以上聞いても、今は答えが増えない。
生きていたし、目も覚ました。
まずはそれでいいはずなのに、何も覚えていないという一文だけが妙に胸へ引っかかった。
最後にまともに話した頃のドクターがおかしいことには、気づいていた。
だから俺は聞いた。
大丈夫なのか、と。
ドクターは大丈夫だと答え、俺はそれを信じた。
その後に何が起きたのかを知った今でも、信じたこと自体が間違いだったとは思いたくない。
ただ、あの言葉の先まで聞いていたら何か変わったのだろうかと、考えることはある。
答えはない。
視線を上げると、少し離れたところにテレジアがいた。
こちらを見ている。
記憶を失ったドクターについて、テレジアは何も言わなかった。
俺も聞かなかった。
「セラスティア」
別のオペレーターに呼ばれる。
「何?」
「第三防衛区画の確認をお願いします。帰還部隊の受け入れ準備も始めるそうです」
「ああ。今行く」
考えるのは、帰ってきてからでいい。
今の俺には、ここでやることがある。
◇
その後、チェルノボーグから届く状況は急速に悪くなった。
レユニオンによる暴動に、市内各地での戦闘。そして天災。
救出班はドクターを確保したあと、そのまま都市からの離脱へ移っていた。民間人を救助しながら何度もレユニオンと交戦し、最初は届いていた通信も時間が経つにつれて途切れるようになった。
『――南側経路、使用不能。別経路へ移る』
雑音混じりの通信が途中で切れる。
次に届いたのは負傷者の報告で、その次は合流地点の変更だった。
俺は防衛区画と医療区画を何度も往復した。負傷者が帰ってきた瞬間に運び込めるよう空いているベッドを確認し、医療品を運び、格納区画から医療区画までの経路を空ける。
俺が向こうにいれば、何か変えられたかもしれない。
そんな考えが浮かばなかったと言えば嘘になる。
けれど、そのたびに目の前を見る。
ここにも人がいる。
ここにも、俺がやることがある。
「セラスティア」
医療品の箱を持ち上げたところで、テレジアに呼ばれた。
「何?」
「それ、さっきから何箱目?」
「三箱目」
「一人で全部運ぶつもりなの?」
「俺が持った方が早いから」
「そういうところは変わらないのね」
「何が?」
テレジアは答えず、小さく笑った。
またそれか。
箱を運び終えたところで、通信室の方から声が飛んだ。
「帰還部隊から通信!」
その場にいた全員が振り返る。
「状況は?」
「都市外縁から離脱。現在、合流地点へ移動中です」
「負傷者は?」
「複数。ただしアーミヤさん、ドーベルマン教官、ニアールさん、ドクターの生存は確認されています」
胸の奥が軽くなる。
帰ってくる。
「Aceは?」
気づけば、口から出ていた。
通信担当の手が止まる。
「……現時点で、帰還部隊との合流は確認できていません」
「Scoutは?」
「Scout隊とも通信が途絶したままです」
さっきまで軽くなっていた胸が沈んだ。
朝、Aceと話した。
ドクターを頼むと言った。
Scoutとは目が合って、互いに手を上げただけだった。
またあとで会うと、当然のように思っていた。
「まだ決まったわけではないわ」
隣からテレジアの声がした。
「ああ」
分かっている。
戻っていない。
通信がない。
今分かっているのは、それだけだ。
その先を勝手に決めるな。
二年前から、嫌というほど覚えた。
「帰還までは?」
「このままなら一時間以内です」
「分かった」
朝、自分で決めた。
帰ってくる奴らを、ここで待つ。
なら、今はそれをやる。
◇
格納区画の扉が開くと、医療班が一斉に動き出した。
最初の車両が止まり、負傷したオペレーターが次々と降ろされる。自分で歩ける者もいれば、肩を借りている者もいる。担架も続いた。
「重傷者から!」
「こっちへ!」
「もう一人来る!」
飛び交う声の中へ入り、俺も担架を受け取る。
「状態は?」
「腹部に負傷!止血は済んでいます!」
「分かった」
医療班へ引き渡し、格納区画へ戻った。
次の車両が入ってくる。
扉が開いたところで、見慣れた長い耳が目に入った。
「アーミヤ」
名前を呼ぶと、アーミヤがこちらを見る。
服は汚れ、頬には細かな傷があった。それでも、自分の足で立っている。
「セラスティアさん……」
朝、この子は言った。
行ってきます、と。
だから、返す言葉は決まっていた。
「おかえり」
アーミヤの目が大きくなり、それから疲れた顔で小さく笑った。
「……はい。ただいま戻りました」
ちゃんと帰ってきた。
約束通りに。
安心した直後、無意識にその後ろを見る。
ニアール。
ドーベルマン。
他のオペレーターたち。
けれど、あの大きな盾が見えない。
「Aceは?」
アーミヤの表情から笑みが消えた。
短い沈黙だけで、聞かなければよかったと思いそうになる。
それでも、聞いた。
「Aceさんは……私たちを逃がすために残りました」
「残った?」
「強い敵が追ってきていました。このままでは、みんな逃げられないからって……時間を稼ぐと」
アーミヤの声が僅かに震える。
朝のAceを思い出した。
お前らが帰ってきた時に船がなかったら困るだろ、と言った俺に、あいつは笑って「それもそうだ」と返した。
「連絡は?」
アーミヤが首を振る。
「まだ、ありません」
「そうか」
それ以上、言葉が出なかった。
大丈夫だとは言えない。
Aceなら戻ってくるとも言えなかった。
「Scoutさんたちも、まだ……」
「うん。分かってる」
アーミヤが何か言おうとしたので、その前に止めた。
「今は帰ってきた奴らを先に診てもらおう。お前も」
「私は大丈夫です」
その言葉に、胸が引っかかった。
大丈夫。
昔のドクターもそう言った。
だからといって、これから誰かが大丈夫と言うたびに疑ってかかるつもりはない。
ただ、本人がそう言ったから終わりにするのも、もう違う気がした。
「それは医療部に診てもらってから言って」
「でも……」
「朝、帰ってこいって言っただろ。帰ってきたなら、ちゃんと診てもらう。それまでが今日の任務」
アーミヤは迷ったあと、頷いた。
「……分かりました」
ドーベルマンが近づいてくる。
「私が連れていこう」
「ああ。頼む」
「お前は?」
「もう少しここにいる」
まだ全員降りきっていないし、負傷者もいる。
車両へ視線を戻そうとした時だった。
「あ、セラスティアさん」
アーミヤが振り返る。
「何?」
「ドクターも……帰ってきました」
報告では知っている。
それでも、その言葉を直接聞くと身体が僅かに強張った。
車両を見る。
ちょうど一人の人物が、ニアールに続いて降りてくるところだった。
見慣れた姿。
二年以上前まで、この船で何度も見た人。
ドクター。
いくつもの記憶が一度に浮かぶ。
地図を前に長い時間動かなかった背中。
俺が指示から外れても、理由があると思ったと言ってくれたこと。
アーミヤを挟んで、くだらない話をした時間。
そして、最後の頃の姿。
その後に何があったのかは、ケルシーから聞いた。
ドクターが選んだこと。
その選択が、バベルの崩壊とテレジアの死に繋がったこと。
テレジアからも話を聞いた。
最後の頃のドクターが、何の迷いもなく俺たちを捨てたわけではないことも知っている。
だからこそ、余計に分からなかった。
目の前のドクターが顔を上げる。
目が合った。
何も起こらない。
懐かしむ様子も、気まずそうにする様子も、何かを恐れる様子もない。
ただ、知らない相手を見る目だった。
本当に俺を覚えていない。
胸の中で何かが動く。
怒りなのか、寂しさなのか、それとも少しだけ安心しているのか。
自分でも分からなかった。
テレジアは隣にいたが、ドクターの記憶については何も言わない。
医療班がドクターを連れていく。
俺の前を通った時も、こちらを一度見ただけだった。
呼び止めなかった。
どうして大丈夫だなんて言った。
どうして何も話してくれなかった。
今の相手へそう聞いたところで、答えられるはずがない。
それくらいは分かった。
◇
負傷者の受け入れが一段落した頃には、身体の方もかなり重くなっていた。
医療区画の外にある壁際の椅子へ腰を下ろす。
「お疲れ様」
正面にテレジアが立った。
「戦ってもないのに疲れた」
「あなた、ずっと走り回っていたでしょう?」
「怪我人運んでただけだよ」
「必要なことをしていたのなら、それでいいのではなくて?」
朝にも似たようなことを言われた気がする。
壁へ頭を預ける。
「AceもScoutも戻ってない」
「ええ」
「朝はいたのにな」
「ええ」
テレジアは何も付け加えない。
きっと戻ってくるとも、もう駄目だとも言わない。
今は、それでよかった。
しばらく黙ってから、口を開く。
「ドクターも帰ってきた」
「ええ」
返ってきたのは、それだけだった。
「変な感じだ」
「どういう?」
「分からない」
素直に答える。
本人を見たら、もっと怒ると思っていた。
ケルシーから真相を聞いた時は、何度も考えた。
どうして。
俺たちを信じていたんじゃなかったのか。
テレジアを信じていたんじゃなかったのか。
けれど、最後の頃のドクターを思い出すと、それだけで割り切ることもできない。
「俺、ちゃんと聞いたんだよな」
「ええ」
「大丈夫なのかって。何をそんなに急いでるのかって」
覚えている。
ドクターも、ただ誤魔化したわけではなかった。
焦っていたことを認め、自分のやっていることが分からなくなったわけではないと説明して、次からは自分自身も計算に入れると約束した。
だから俺は信じた。
「お前に信じるのかって聞かれて、俺、すぐ頷いたよな」
「覚えているわ」
「今でも、あの時信じたこと自体が間違いだったとは思いたくない」
少し変な言い方かもしれない。
それでも、そう思っている。
疑う理由を探していたわけじゃない。
心配だったから聞いた。
答えてくれたから信じた。
「ただ、大丈夫って言われたその先に、まだ何かあったんだよな」
俺には言えなかった何か。
言わなかった何か。
あるいは、本人にも整理できていなかった何か。
「そこまで聞けてたら、何か変わったのかな」
テレジアはすぐには答えなかった。
「分からないわ」
「お前でも?」
「ええ」
穏やかな声だった。
「今の私たちは、その後に何が起きたのかを知っているもの。結果を知った今の自分で、あの時の自分を考えれば、いくらでも別の選択を思いつけてしまうでしょう?」
「……そうかもな」
「あなたは気づいていた。心配して、聞いた。そして、ドクターが答えたから信じた」
そこでテレジアは言葉を切る。
「それは、何もしなかったこととは違うわ」
「うん」
分かっている。
それでも、もう一度同じことがあったら、今度はもう一歩踏み込むと思う。
大丈夫と言われた時に、本当に大丈夫なのかと聞き返すだけではなく、何が大丈夫なのか、何なら俺にできるのか。
そこまで聞く。
俺があの日から持っていくべきものは、それくらいでいい。
◇
「セラスティアさん」
声に顔を上げる。
アーミヤが医療区画から出てきた。頬には小さな処置跡がある。
「診てもらった?」
「はい。大きな怪我はありませんでした」
「ならよし」
アーミヤが隣へ腰を下ろす。
疲れてはいるが、さっきより顔色はよかった。
「ドクターは?」
聞くと、アーミヤの表情が僅かに明るくなる。
「検査は終わりました。今のところ、身体に大きな問題はないそうです」
「記憶以外は?」
「はい」
やっぱり、本当に記憶だけがない。
「セラスティアさん」
「何?」
「ドクターに、会いますか?」
すぐには答えられなかった。
会いたくないわけではない。
以前なら、目を覚ましたと聞けばもっと早く会いに行っていたと思う。
今は、その一歩目が重い。
「ドクター、自分のことを知りたがっているんです」
アーミヤが続ける。
「ロドスのことも、昔のことも。まだ何も分からないから」
「俺のことは?」
「少し話しました」
「何て?」
「昔から一緒にいる人で、とても強くて……私の大切な人です」
「最後いる?」
「必要です」
即答された。
そこまで迷わなくてもいいだろ。
「あと、ドクターとも昔から一緒に戦っていたって」
それも間違っていない。
「分かった。会うよ」
立ち上がると、アーミヤも続いた。
「私も行きます」
「場所だけ教えてくれればいいけど」
「一緒に行きます」
いつもより少し強い口調だった。
理由は聞かなかった。
アーミヤも心配なのだろう。
俺が何を言うのか。
ドクターがどう受け取るのか。
それなら、いてもらった方がいい。
◇
部屋へ入ると、ドクターは椅子に座っていた。
こちらを見る。
さっきと同じ、知らない相手を知ろうとする目だった。
「ドクター」
アーミヤが隣へ立つ。
「先ほど話した、セラスティアさんです」
ドクターがこちらを見る。
「セラスティア」
名前を確認するように呼ばれた。
昔は何度も聞いた声なのに、今の一回だけは違って聞こえる。
「ああ。合ってる」
「さっき、格納区画にもいたな」
「いたよ」
「君も救出部隊に?」
「いや。俺は船に残ってた」
「そうか」
そこで会話が止まった。
昔なら、こんな沈黙を気にしたことはない。
今は少し難しい。
椅子を一つ引き、向かいではなく斜めの位置へ座る。
テレジアは離れたところに立った。
「私は」
ドクターが先に口を開く。
「君のことも覚えていないらしい」
「みたいだな」
「すまない」
「何で謝るんだ?」
反射的に返すと、ドクターが黙る。
「以前の私を知っている人に、その人のことを覚えていないと言うなら、謝るべきかと思った」
「少なくとも、記憶がないことについては謝らなくていいよ」
言ってから、少し回りくどかったかと思う。
けれど、別にお前は何も悪くない、とまで言い切ることはできなかった。
ドクターは何か引っかかったようだったが、追及しない。
「分かった」
少し間が空く。
「私たちは、どういう関係だった?」
来ると思っていた質問だった。
それでも、すぐには答えられない。
一緒に戦った。
くだらない話もした。
何度も指示を受けた。
信用していた。
心配もした。
最後には、俺の知らないところで壊れた。
全部を一言にするなら。
「戦友だった」
口から出た。
過去形だった。
ドクターも気づいたかもしれない。
「戦友」
「ああ」
「仲は良かった?」
「悪くはなかったよ」
「ずいぶん曖昧だな」
「記憶ないのに細かいな」
「自分のことだから気になる」
「まあ、それもそうか」
思わず息が抜ける。
こういう返しは、昔のドクターにもあった気がした。
「俺は、お前のこと信用してたよ」
正直に言う。
過去形なのは変えなかった。
「最後の頃は心配してたけど」
ドクターの視線が変わる。
「私を?」
「ああ」
「何かあったのか?」
「かなり疲れてた。眠ってないし、飯もまともに食わないし、変な無茶もしてた」
「……なるほど」
「だから、大丈夫なのかって聞いた」
ドクターが黙る。
「私は?」
「大丈夫だって言ったよ。あの時の俺は、それで信じた」
「今は?」
聞かれて、少し考える。
昔の言葉を今も信じているのか。
それとも、今のドクターを信用しているのか。
たぶん後者だ。
「まだ分からない」
そのまま答えた。
アーミヤがこちらを見る。
「でも、最初から疑うつもりもない」
ドクターの目を見る。
「昔のお前がやったことは、俺が覚えてる。なくなったことにはできない。ただ、それを何も覚えてない今のお前に全部ぶつけても仕方ないと思ってる」
アーミヤの表情が僅かに固くなる。
「昔の私は、何をした?」
まっすぐだった。
言うべきか迷う。
けれど、今ここで俺から全部を話すことではない。
「いろいろ」
「それだけか?」
「ああ。今は」
「話したくない?」
「違う」
首を振る。
「俺一人から全部聞く話じゃないと思ってる」
俺から見たドクターと、ケルシーから見たドクター。アーミヤが覚えている姿も、テレジアが知っている姿も、きっと少しずつ違う。
「知りたいなら、いつか話すよ。俺が知ってることは」
「分かった」
それ以上、ドクターは追ってこなかった。
今は、それでいい。
「何か、私に聞きたいことは?」
逆に聞かれる。
昔のドクターになら、聞きたいことはいくらでもある。
あの日、大丈夫だと言った時、本当は何を考えていた。
何を抱えていた。
どうして言えなかった。
そのあと何を選んだ。
どうして、そうした。
何度でも聞ける。
でも、目の前のドクターは一つも答えを持っていない。
「一個だけ」
「何だ?」
「腹減ってる?」
アーミヤが目を丸くした。
ドクターも間を置く。
「……少し」
「じゃあ、あとで何か食べた方がいいよ」
「セラスティアさん」
アーミヤが思わずというように名前を呼ぶ。
「何?」
「もっと……他に聞きたいことがあるんじゃないですか?」
「あるよ」
すぐ答える。
アーミヤが黙った。
「でも、今のドクターに聞いても答えられないだろ」
口にして、自分でもその言葉が引っかかった。
今のドクター。
昔のドクターとは違う。
だからといって、完全に別人だと決めるつもりもない。
同じ身体で、同じ声で、まだ残っているものだってあるのかもしれない。
それでも、今は目の前にいるこいつを見ればいい。
「昔のことは、知りたくなったら聞いて」
ドクターを見る。
「俺から見たお前の話ならできる」
「良い話だけか?」
「まさか」
思わず笑う。
「面倒くさい奴だったって話からする」
「本人の前で言うのか?」
「前から言ってたよ」
「それは覚えていない」
「だろうな」
今度は自然に返せた。
アーミヤの表情も緩む。
「そういえば、最初に会った時も名前の話したな」
「最初?」
「ああ。誰だって聞いたら、お前はドクターって答えた」
「今と同じだな」
「名前はって聞いたら、今はそれでいいって」
「では、本当に変わっていない」
「自分で言う?」
「他に呼び方がない」
笑った。
昔のドクターとは違う。
それでも、妙なところだけは変わっていない。
そのことが、さっきより怖くなかった。
「ドクター」
呼ぶ。
向こうがこちらを見る。
昔と同じところに戻ることはできない。
俺は覚えていて、ドクターは覚えていない。
起きたことも消えない。
なら、無理に戻る必要もない。
「改めて。セラスティア。戦闘と護衛が仕事。お前が眠ってる間にエリートオペレーターになった」
「エリートオペレーター」
「ああ」
「強い?」
「それなりには」
「それなりでは困るな」
即答だった。
思わず目を細める。
「そういうところは似てるよ」
「以前の私に?」
「ああ」
それ以上は言わなかった。
昔みたいに肩を叩くことも、握手をすることもしない。まだ、そこまで近い関係ではない。
「はじめまして、ドクター」
アーミヤが僅かに目を見開いた。
ドクターも驚いたようだった。
少し間を置いて、静かな声が返ってくる。
「ああ」
「はじめまして、セラスティア」
胸の奥が痛んだ。
それでも、悪くないと思った。
あの時、俺はドクターの「大丈夫」を信じた。
なら今度は、一つの言葉だけで全部を分かったつもりにならずに、目の前にいるこいつを見ていけばいい。
また信用できるようになるのか。
もう一度、戦友と呼べる日が来るのか。
その答えは、まだ分からない。
テレジアを見る。
彼女は何も言わず、俺たちを見ていた。
俺も、その表情の意味を聞かなかった。