夏雪草が帰る場所   作:Bestmeever

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第28話 助けたかった

AceとScoutが、もう戻らないと分かったのは、チェルノボーグからの帰還後だった。

 

最初は、まだ連絡がないだけだと思っていた。Aceはアーミヤたちを逃がすために残り、Scoutも部隊ごと通信が途絶えている。その時点で分かっていたのはそれだけだったから、俺は待った。

 

格納区画へ行くたびに、大きな盾が戻ってくるんじゃないかと思った。通信室の前を通れば、Scout隊から今さら連絡が入るんじゃないかと端末を見た。

 

でも、来なかった。

 

あとから届いた報告で、ようやく終わった。

 

Aceも。

 

Scoutも。

 

もう帰ってこない。

 

分かってしまえば、何かが大きく変わると思っていた。

 

実際には、そんなに分かりやすくは変わらなかった。

 

廊下を歩けば、向こうからAceが大きな盾を担いで来るような気がする。作戦室の近くを通れば、Scoutが壁際に立って、こちらへ軽く手を上げるような気もした。

 

朝にはいた。Aceとは話して、ドクターとアーミヤを頼むと言った。あいつはいつもの調子で返した。

 

Scoutとは言葉すら交わしていない。

 

目が合って、互いに手を上げただけだった。

 

また帰ってきた時に話せばいいと思っていたから。

 

「……ちゃんと、言っとけばよかったかな」

 

口にしてから、自分でも何を言いたかったのか分からなかった。

 

いってらっしゃい。

 

気をつけろ。

 

帰ってこい。

 

何でもいい。

 

最後になると知っていれば、もう少しくらい何か言ったのかもしれない。

 

隣を歩いていたテレジアがこちらを見る。

 

「そうかもしれないわね」

 

慰めるような声ではなかった。

 

ただ、否定もしなかった。

 

それでよかった。

 

「でも、最後になると分かっていたら、きっと誰に対してもそう思うのでしょうね」

 

少し考える。

 

「……それもそうか」

 

「AceもScoutも、あなたが何も思っていなかったとは考えないと思うわ」

 

「本人たちに聞けないけどな」

 

「ええ」

 

テレジアの声が僅かに柔らかくなる。

 

「だから、残った側は勝手に考えるしかないのかもしれないわね」

 

「それ結構困るな」

 

「ふふ。そうね」

 

二年前にも、大勢を失った。

 

テレジアも。

 

今度はAceとScout。

 

長く生きているからといって、こういうことに慣れるわけではないらしい。

 

「慣れたくないな」

 

「私も、慣れてほしくはないわ」

 

「お前が言うと重いんだけど」

 

「そう?」

 

「そうだよ」

 

テレジアが少しだけ笑った。

 

たぶん、慣れなくていい。

 

AceもScoutも、ちゃんとここにいた。

 

それを忘れなければいい。

 

そして、ロドスは止まらない。

 

チェルノボーグから戻って数日後、俺たちは龍門へ向かった。

 

新しい仕事が始まる。

 

ロドスだけで完結していた任務とは違う。龍門近衛局と情報を共有し、相手の指揮系統を意識しながら動く必要がある。

 

正直、面倒だった。

 

「顔に出ていますよ」

 

隣を歩いていたアーミヤに言われる。

 

「何が?」

 

「面倒だな、って」

 

「よく分かったな」

 

「長い付き合いですから」

 

少し得意そうだった。

 

その後ろでは、テレジアが楽しそうに笑っている。

 

「私にも分かったわ」

 

周囲に人がいる。

 

当然返事はできない。

 

代わりに一瞬だけ後ろを見る。

 

テレジアは、何がおかしいのかまだ笑っていた。

 

二人から同時に笑われている気がして、少し納得がいかなかった。

 

それでも、こうして普通に話せる時間があることを、以前より少しだけ大事に思うようになった。

 

龍門での最初の大きな仕事は、ミーシャという一人の少女を探すことだった。彼女はチェルノボーグから逃げてきたウルサス人の感染者で、龍門近衛局だけでなく、レユニオンまでその行方を追っている。

 

一人の少女を、いくつもの勢力が探している。

 

それだけで、面倒事なのは十分分かった。

 

◇

 

「セラスティア」

 

作戦開始前、携帯端末に表示された地図を見ていると、ドクターから名前を呼ばれた。

 

顔を上げる。

 

チェルノボーグから帰還して以来、何度か話してはいる。

 

それでも、昔のような距離ではない。

 

話す必要があれば話す。

 

任務なら指示も受ける。

 

食堂で見かけても、わざわざ隣へ座るほどではない。

 

今はそれくらいだった。

 

ドクターが地図の一点を示す。

 

「君には東側を頼みたい」

 

「捜索じゃなくて?」

 

「ああ。アーミヤたちがミーシャを探している間、周辺住民の避難経路を確保してほしい。敵対的な感染者も確認されている」

 

表示を拡大する。

 

細い路地と入り組んだ建物が続き、人が逃げるには面倒な場所だった。

 

「俺をアーミヤのところに置かなくていい?」

 

「必要になれば呼ぶ」

 

「それまでは?」

 

「そちらにいる人たちを頼みたい」

 

昔のドクターなら、同じ配置にしただろうか。それとも、違う場所へ俺を置いただろうか。

 

考えかけて、やめる。

 

目の前にいるのは今のドクターだ。

 

そして、言われた配置には理由がある。

 

「分かった」

 

端末を閉じる。

 

ドクターが少しだけ俺を見る。

 

「何だよ」

 

「もっと理由を聞かれると思っていた」

 

「聞いたじゃん」

 

「そうだな」

 

そこで会話は終わった。

 

作戦室を出て、人が途切れたところでテレジアが口を開く。

 

「随分素直だったわね」

 

「何が?」

 

「ドクターの指示」

 

「納得できたから」

 

「そう」

 

「昔の俺ならもっと言ってた?」

 

「昔のあなたなら、アーミヤのところへ行きたいと言ったでしょうね」

 

否定できない。

 

「今だって行きたいよ」

 

「でも、行かない」

 

「向こうが足りてるならな」

 

テレジアは嬉しそうに笑った。

 

昔のドクターだったら、理由を聞く前に動いていた時期もあった。

 

だからといって、今のドクターに同じ信用を最初から渡すつもりはない。

 

ただ、納得できるなら動く。

 

今はそれでいい。

 

◇

 

ミーシャが見つかったという報告が入ったのは、それからしばらくしてだった。

 

俺は避難中の住民を別の通りへ誘導していた。

 

戦闘はあったが、大きなものではない。

 

最後の一人を安全な区画へ送り届けたところで端末が鳴る。

 

『対象を確保しました』

 

アーミヤの声だった。

 

「怪我は?」

 

『私たちは大丈夫です。ミーシャさんも少し疲れていますけど、大きな怪我はありません』

 

「そっか」

 

声が少し明るい。

 

上手く話せたらしい。

 

『セラスティアさんは?』

 

「こっちも終わった」

 

『では、合流できますか?』

 

「分かった」

 

指定された場所へ向かう。

 

合流した時、アーミヤたちの近くに白い髪の少女――ミーシャがいた。警戒しているのが遠目でも分かった。

 

ロドスの人間から少し距離を取り、周囲を何度も確認している。

 

無理もない。チェルノボーグから逃げて知らない土地へ来たうえ、今度は龍門近衛局とロドスとレユニオンに探されている。こんな状況で誰を信じればいいのかなんて、俺でも困る。

 

「セラスティアさん」

 

アーミヤがこちらに気づく。

 

ミーシャも俺を見る。

 

さらに警戒された。

 

「そんなに怖い?」

 

「セラスティアさん、初対面ですよ」

 

「だから聞いたんだけど」

 

アーミヤが小さく息を吐く。

 

「こちらはセラスティアさんです。ロドスのオペレーターで……」

 

少し考える。

 

「とても強い方です」

 

「結局それなんだ」

 

「事実でしょう?」

 

否定はしない。

 

横を見ると、テレジアがミーシャをじっと見ている。

 

「疲れているわね」

 

小さな声。

 

「そりゃそうだろ」

 

危うく普通に返しかけて、口を閉じる。

 

アーミヤが不思議そうにこちらを見る。

 

「どうしました?」

 

「何でもない」

 

誤魔化す。

 

ミーシャが俺たちを交互に見る。

 

ほんの少しだけ、さっきより表情から力が抜けた気がした。

 

「セラスティア」

 

俺から名乗る。

 

ミーシャは少し迷ったあと、小さな声で名乗った。

 

「……ミーシャ」

 

「うん。聞いてる」

 

それ以上、何も聞かなかった。

 

俺が聞くことではない。

 

近くに水が置いてある。

 

一本取って、差し出す。

 

「いる?」

 

ミーシャが水を見る。

 

それから俺を見る。

 

「……大丈夫なの?」

 

「水?」

 

「……何か入ってたり」

 

「入ってないよ」

 

隣からアーミヤが口を挟む。

 

「セラスティアさん、その答え方だと余計に怪しく聞こえます」

 

「じゃあアーミヤが先に飲む?」

 

「どうして私が毒見する流れになるんですか?」

 

「毒入ってないから大丈夫」

 

「それなら毒見いらないじゃないですか」

 

後ろでテレジアが笑っている。

 

「昔から、こういうところは変わらないのね」

 

返事はできない。

 

ミーシャも少しだけ困った顔になった。

 

でも、やがて水を受け取る。

 

「……ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

ほんの少し、警戒が薄れた。

 

それで十分だと思った。

 

ミーシャが水を飲む姿を、テレジアはしばらく見ていた。

 

「まだ若いのに」

 

声は小さい。

 

「一人でここまで来たのね」

 

その言葉には返事をしなかった。

 

ただ、俺も同じ少女を見ていた。

 

◇

 

長くは続かなかった。

 

ミーシャはロドスの手から離れた。

 

龍門近衛局と行動していたところを、レユニオンに奪われた。

 

最初に聞いた時、俺はまだ別の区画にいた。

 

『対象が拉致されました』

 

通信から聞こえた声に足を止める。

 

「誰に?」

 

『現在確認中です。敵はサルカズと思われる女性一名を中心に――』

 

「一人?」

 

『はい。ただ、龍門近衛局の増援も足止めされています』

 

妙な引っかかりがあった。

 

白い髪のサルカズ。それも一人で龍門近衛局を止めるほどの相手。

 

でも、そんな条件に当てはまる奴なんて他にもいるかもしれない。

 

「映像は?」

 

『現場記録を回収中です』

 

「分かった。来たら見せて」

 

通信を切る。

 

「気になる?」

 

隣からテレジアが聞く。

 

「ちょっと」

 

「心当たりが?」

 

「……まだ分からない」

 

「そう」

 

「お前は?」

 

「私も同じよ」

 

テレジアは少し考えるように目を細める。

 

「でも、一人であそこまで派手に動くサルカズと言われると、思い当たる子がいないわけではないわね」

 

「やっぱり?」

 

「ええ。でも、決めつけるのはまだ早いでしょう?」

 

「俺もそう思ってた」

 

「なら、映像を待ちましょう」

 

分からないまま決めつけない。

 

二人でそう決めて、映像を待つことにした。

 

◇

 

その日の夜、回収された映像を見た。

 

画質はよくなく、距離も遠い。煙も重なっていたが、それでも十分だった。

 

白い髪。

 

角。

 

笑う時の立ち方。

 

爆発の中を歩く姿。

 

画面を止める。

 

「……W?」

 

名前が口から漏れた。

 

見間違えるはずがない。

 

バベルにいた。テレジアの死後、「あんたなら守れると思ってた」と俺に言った女だ。

 

画面を見つめたまま、声が漏れた。

 

「何であいつがレユニオンにいるんだよ」

 

テレジアも止めた映像を見つめていた。

 

いつもの穏やかな表情ではない。

 

「……私にも分からないわ」

 

「お前も?」

 

「ええ。あの子がバベルを離れてから、私は今のWが何をしてきたのか知らないもの」

 

そうだった。

 

俺に見えるテレジアは、何でも知っているわけではない。

 

テレジアが画面の中のWを見る。

 

「でも、Wが理由もなく誰かの下につくとは思えないわ」

 

「俺も」

 

「昔から、忠誠心だけで動くような子ではなかったでしょう?」

 

「テレジアには結構忠実だったけどな」

 

「それは……」

 

少し困ったように笑う。

 

「嬉しいけれど、そういう意味ではなくて」

 

「分かってる」

 

Wがレユニオンを心から信じて、レユニオンのためだけに戦っている。

 

そんな姿は、どうしても想像できない。

 

「何か目的があるのか」

 

「そうかもしれないわ」

 

「お前なら何だと思う?」

 

「分からない」

 

すぐに返ってきた。

 

「でも、あの子は自分が大切だと思ったものについて、とても頑固だから」

 

「知ってる」

 

だから、テレジアが死んだあと、あんな顔で俺を見た。

 

「あの日から、まともに話してないんだよな」

 

「ええ」

 

「俺も避けてたけど」

 

「Wも、でしょうね」

 

「何でお前がそこまで分かるんだよ」

 

「二人とも分かりやすかったもの」

 

「嘘だろ」

 

「本当よ?」

 

テレジアが小さく笑う。

 

「追う?」

 

その問いに画面から目を離す。

 

追いたい。

 

話したいことがある。

 

いや、話したいのかどうかすら分からない。

 

あの日から、俺とWの間に残ったものは何一つ片付いていない。

 

でも今追いかけたところで、Wが何をしているのかも、どこへ向かったのかも分からない。

 

何より、今追っているのは別の相手だ。

 

「今はいい」

 

端末を閉じる。

 

「ミーシャが先だ」

 

テレジアは俺を見て、穏やかに笑った。

 

「それでいいと思っただけ」

 

自分でも、迷わずミーシャを優先できたことが少し意外だった。

 

Wのことは気になる。

 

でも、今追っているのはあいつではない。

 

◇

 

ミーシャには弟がいた。アレックス――レユニオンでスカルシュレッダーと呼ばれている男だった。

 

その事実を知った頃には、ロドスと龍門近衛局はすでにレユニオンの追跡へ入っていた。

 

俺も出た。

 

ただし、アーミヤやドクターとは別の場所だった。

 

「弟さん、生きていたのね」

 

移動しながらテレジアが言う。

 

「ああ」

 

「ミーシャは嬉しかったでしょうね」

 

「たぶんな」

 

「でも、その弟がレユニオンにいる」

 

「……ああ」

 

それだけで、簡単に連れて帰れる話ではなくなった。

 

「家族が見つかったから良かった、では終わらないわね」

 

「テラでそんな綺麗に終わる方が珍しいだろ」

 

言ってから、嫌な言い方だったと思う。

 

でも、テレジアは怒らなかった。

 

「そうね」

 

少し寂しそうに、それだけ答えた。

 

ドクターから通信が入る。

 

『北側から増援が入っている』

 

「確認した」

 

『君にはそちらを止めてほしい』

 

「何人?」

 

『正確には不明だ。ただ、このまま通せば本隊が挟まれる』

 

地図を見る。

 

「アーミヤたちは?」

 

『前進している』

 

「ミーシャは?」

 

『まだ確保できていない』

 

向こうへ行きたい気持ちはあった。

 

それでも、北側から来る敵を放っておけば、本隊が挟まれて別の誰かが危なくなる。

 

「分かった。こっちは止める」

 

『頼む』

 

通信が切れた。

 

武器を抜く。

 

ミーシャのことは気になる。

 

けれど、今の俺がやるべきことはこっちだ。

 

前を見る。

 

「じゃあ行ってくる」

 

「ええ」

 

テレジアがいつものように言う。

 

「いってらっしゃい、セラスティア」

 

一瞬だけ、昔の記憶が重なった。

 

でも、今はその言葉を怖いとは思わなかった。

 

「ああ」

 

駆け出した。

 

◇

 

最初のスカルシュレッダーが倒れたことを知ったのは、そのあとだった。

 

戦闘中に入った報告は短かった。

 

スカルシュレッダーがドクターへ接近。

 

自爆も辞さない攻撃。

 

アーミヤが阻止。

 

敵指揮官、重傷。

 

それだけだった。

 

全部が終わってから合流する。

 

先に見えたのはドクター。

 

無事だった。

 

次にアーミヤ。

 

動いていない。

 

その少し先に、一人の男が倒れている。

 

近くではレユニオンが撤退を始めていた。

 

「アーミヤ」

 

呼ぶ。

 

肩が小さく動いた。

 

こちらを見る。

 

顔色が悪い。

 

「怪我は?」

 

「……ありません」

 

「ドクターは?」

 

「大丈夫です」

 

その返事を聞いてから、倒れている男を見る。

 

説明されなくても、何が起きたのかは分かった。

 

「私が」

 

アーミヤの声が震える。

 

「ドクターを守らないとって……それで」

 

言葉が続かない。

 

俺は何も言わず待った。

 

「後悔はしていません」

 

ようやく出てきた言葉だった。

 

「ドクターを守ったことは、後悔してません。でも……」

 

アーミヤが手を強く握る。

 

「他に何かできたんじゃないかって」

 

大丈夫。

 

仕方なかった。

 

正しいことをした。

 

言おうと思えば言える。

 

でも、俺はその場にいなかった。

 

その瞬間を見ていない。

 

何より、今のアーミヤが欲しいのが、その答えなのか分からない。

 

「分からない」

 

そう答えた。

 

アーミヤが俺を見る。

 

「俺、その時ここにいなかったから」

 

「……はい」

 

「だから、正しかったとか間違ってたとか、俺が勝手に決めるのは違うと思う」

 

アーミヤは俯く。

 

その肩へ手を置き、少しだけ力を入れる。

 

「でも、ドクターを守りたかったことまで、否定しなくていいんじゃない?」

 

長い沈黙のあと、アーミヤが小さく頷いた。

 

「……はい」

 

それ以上は言わなかった。

 

ここはまだ戦場だ。

 

泣く場所でも、答えを出す場所でもない。

 

少し離れたところで、テレジアが倒れたスカルシュレッダーを静かに見ていた。

 

やがて俺の近くまで来る。

 

「アーミヤ、大丈夫かしら」

 

小さな声だった。

 

「分からない」

 

「そうね」

 

アーミヤを見る。

 

「今すぐ大丈夫にならなくてもいいのでしょうね」

 

「……うん」

 

「少し前のあなたなら、すぐに何とかしようとしていたかもしれないわ」

 

「慰めれば楽になると思ってたからな」

 

「今は?」

 

「分からないなら、分からないまま横にいるしかないだろ」

 

テレジアが柔らかく笑う。

 

「それも、十分だと思うわ」

 

返事はしなかった。

 

ただ、アーミヤの肩から手は離さなかった。

 

◇

 

翌日、俺は一つの報告を聞いた。

 

Wが、また現れた。

 

あいつはロドスと龍門近衛局の前へ姿を見せた。

 

そして、その後もレユニオン側に残っている。

 

画面越しに見ただけではない。

 

もう間違いなかった。

 

「本当に何してるんだよ」

 

端末を見ながら呟く。

 

「さあ」

 

テレジアも横から画面を見る。

 

「でも、元気そうではあるわね」

 

「見るところそこ?」

 

「大事でしょう?」

 

「まあ……死んでるよりはいいけど」

 

「ええ」

 

安心してしまった自分がいる。

 

関係が壊れたままでも、生きているならいつか話す機会はある。

 

「会ったら何を言うの?」

 

テレジアが聞く。

 

「分からない」

 

「怒る?」

 

「たぶん向こうが先に怒る」

 

「そうかもしれないわね」

 

「止めてよ」

 

「私には触れられないもの」

 

「そういう問題?」

 

テレジアが楽しそうに笑う。

 

「……殴られるかも」

 

「あなたが?」

 

「俺が」

 

「それくらいは受けてもいいのではなくて?」

 

「ひどくない?」

 

「冗談よ」

 

絶対半分くらい本気だ。

 

端末を閉じる。

 

「まあいいよ」

 

「ええ」

 

「会った時に聞く」

 

何でレユニオンにいるのか。

 

何をしているのか。

 

あの日から、俺のことをどう思っているのか。

 

聞きたいことは多い。

 

でも、今じゃない。

 

「その時は、ちゃんと話せるといいわね」

 

テレジアが言う。

 

「……努力する」

 

「ふふ。十分よ」

 

◇

 

その後、ミーシャが再び現れた。

 

最初に報告を聞いた時、何を言っているのか分からなかった。

 

「スカルシュレッダー?」

 

確認する。

 

『はい』

 

通信担当が答える。

 

『レユニオン部隊を率いています。ただ……識別結果が』

 

「何?」

 

少しの沈黙。

 

『ミーシャです』

 

言葉が出なかった。

 

弟が死んだ。

 

そのあと、今度は姉があいつの仮面を被った。

 

最初に会った時、水を渡すと毒が入っているのかと疑われた。それでもアーミヤと話しているうちに、少しずつ警戒を解いてくれた。

 

その少女が、今、レユニオンの先頭にいる。

 

「……ミーシャ」

 

テレジアが名前を呼ぶ。

 

「弟さんのあとを継いだのね」

 

「ああ」

 

「アーミヤには、辛いでしょうね」

 

「たぶん」

 

「あなたも?」

 

少し考える。

 

「俺は一回会っただけだから」

 

「それでも?」

 

あの水を受け取った時の顔が浮かぶ。

 

「……嫌ではあるよ」

 

「ええ」

 

テレジアはそれ以上聞かなかった。俺は端末へ問いかけた。

 

「アーミヤは?」

 

『すでに現地へ向かっています』

 

「俺も行く」

 

武器を取る。

 

その直後、ドクターから通信が入った。

 

『セラスティア』

 

「今行く」

 

『待ってくれ』

 

足が止まる。

 

「何?」

 

『西側からレユニオンの別働隊が回り込んでいる』

 

表示された地図を見る。

 

アーミヤたちとは逆方向。

 

「そっちは他に回せない?」

 

『難しい』

 

「俺がミーシャのところへ行けば」

 

そこまで言って、止まる。

 

俺が行けば、殺さずに止められるかもしれない。武器を壊して、身体を押さえて、連れ帰る。たぶん、俺ならできる。

 

『セラスティア』

 

ドクターの声。

 

「……分かってる」

 

目を閉じる。

 

一人を救いに行けば、その間に別の誰かが死ぬかもしれない。

 

強いから全部できる。

 

そんなことはない。

 

身体は一つしかない。

 

「西だな」

 

『ああ』

 

「行く」

 

『頼む』

 

通信が切れる。

 

しばらく動けずにいた。

 

テレジアが隣へ来る。

 

「ミーシャのところへ行きたかった?」

 

「ああ。俺なら止められるかもしれない」

 

口にすると、余計に嫌になる。

 

テレジアが静かに言う。

 

「でも、あなたが今向かう場所にも、あなたでなければ守れない人がいるのでしょう?」

 

「……そうだな」

 

「なら」

 

それ以上は言わなかった。

 

俺も要らなかった。

 

「行ってくる」

 

「ええ」

 

テレジアは今度も、同じ言葉で送り出した。

 

「いってらっしゃい」

 

走り出す。

 

胸の奥に、嫌なものが残ったまま。

 

◇

 

西側の戦闘が終わった頃、本隊からの通信も止んだ。俺も本隊のもとへ戻ったが、途中で誰にも聞かなくても何となく分かってしまった。

 

空気が違った。

 

現場へ着くと、龍門近衛局とロドスの人員、その間にいる負傷者たちが目に入った。誰も勝った顔をしていない。

 

アーミヤがいた。

 

立っている。

 

その視線の先。

 

地面に、一つの仮面が落ちていた。

 

足が止まる。

 

「……ミーシャは?」

 

アーミヤは答えなかった。

 

必要なかった。

 

終わった。

 

それだけ分かった。

 

テレジアも仮面を見る。

 

「……そう」

 

小さな声だった。

 

悲しそうだった。

 

でも、それ以上は何も言わない。

 

今、一番何かを言うべき相手は俺たちではない。

 

近づく。

 

アーミヤの目が赤い。

 

「帰ろう」

 

言った。

 

アーミヤがこちらを見る。

 

「……はい」

 

でも、動かない。

 

急かさなかった。

 

テレジアも黙って待つ。

 

少しして、アーミヤが自分から一歩を踏み出した。

 

俺は隣を歩く。

 

ドクターもいる。

 

少し後ろにはテレジア。

 

昔の並びに、少しだけ似ていた。

 

でも、何も同じではなかった。

 

◇

 

その夜、部屋の扉が叩かれた。

 

「どうぞ」

 

入ってきたのはアーミヤだった。

 

もう制服ではない。

 

それでも、疲れた顔をしている。

 

「まだ起きてたんですね」

 

「まだ寝る時間じゃないだろ」

 

「そうですね」

 

笑みを浮かべたが、すぐに消えた。

 

テレジアがアーミヤを見る。

 

「来たわね」

 

返事はしない。

 

アーミヤがいるから。

 

でも、たぶん俺も同じことを思っていた。

 

「どうした?」

 

アーミヤが少し迷う。

 

「……少しだけ、ここにいてもいいですか?」

 

「いいよ」

 

すぐ答えた。

 

テレジアも続ける。

 

「もちろんよ」

 

胸の奥がふっと温かくなる。

 

アーミヤが椅子へ向かおうとする。

 

「そっち?」

 

「え?」

 

ベッドの隣を軽く叩く。

 

「座れば?」

 

一瞬迷ってから、アーミヤが隣へ腰を下ろした。

 

昔より大きくなった。

 

バベルにいた頃とは違う。

 

ロドスの前に立って、人を動かして、誰かの命について決めるようになった。

 

それでも、こうして俺の部屋へ来る時くらい、ずっとリーダーでいる必要はない。

 

「大きくなったわね」

 

テレジアが呟く。

 

たぶん、何度見てもそう思うのだろう。

 

「セラスティアさん」

 

「うん」

 

アーミヤは膝の上で手を握る。

 

「私、ミーシャさんを助けたかったんです」

 

「うん」

 

「最初は、全然信じてもらえなくて。でも、少しずつ話してくれて……」

 

知っている。

 

「私たちは、あなたを助けたいって言いました」

 

「うん」

 

声が震える。

 

「なのに、何もできませんでした」

 

違う、と言いかけた。アーミヤはミーシャを探して、守ろうとして、何度も追いかけた。ドクターを守り、最後までミーシャと話そうともしていた。何もしていないわけじゃない。

 

テレジアも、何か言いたそうにしている。

 

でも、口を開かなかった。

 

たぶん、俺と同じことを考えたのだと思う。

 

全部言ってしまえば、今のアーミヤの気持ちを否定することになる。

 

「助けたかったんだな」

 

それだけ言う。

 

「……はい」

 

返事は小さかった。

 

手を伸ばす。

 

アーミヤの頭へ置く。

 

耳の間を避けて、ゆっくり髪を撫でる。

 

アーミヤの身体が僅かに固まった。

 

「セラスティアさん」

 

「何?」

 

「子供扱いしてませんか?」

 

「してる」

 

「……してるんですか」

 

「今くらいいいだろ」

 

また撫でる。

 

「外じゃロドスのリーダーなんだから。俺の部屋まで持ってこなくていいよ」

 

アーミヤは何も言わなかった。

 

ただ、こちらへ身体を寄せる。

 

それを見て、テレジアが柔らかく笑った。

 

「昔と同じね」

 

小さく呟く。

 

アーミヤが幼かった頃、不安そうにしていると俺かテレジアのところへ来た。

 

今は、もう何でも俺たちに任せる子供ではない。

 

自分で考えて、自分で選ぶ。

 

だからといって、甘えてはいけない理由にはならない。

 

「頑張ったわね、アーミヤ」

 

テレジアの声がする。

 

「よく頑張ったわ」

 

アーミヤの目から、一滴だけ涙が落ちた。

 

その瞬間、テレジアが反射的に手を伸ばす。

 

アーミヤの頭へ。

 

俺の手のすぐ近くへ。

 

けれど、指先は髪をすり抜けた。

 

テレジアの表情が曇る。

 

「……まだ、触れられないのね」

 

本当に小さな声だった。

 

「昔なら」

 

テレジアが寂しそうに笑う。

 

「私のところにも来てくれたのに」

 

ほかに人はいない。

 

アーミヤはこちらへ顔を預けたまま、目を伏せている。

 

俺は小さな声で返した。

 

「今も来てるようなもんだろ」

 

テレジアが俺を見る。

 

「ええ」

 

それから、もう一度アーミヤを見る。

 

「そうね」

 

その顔が穏やかになった。

 

俺は何も言わず、代わりにもう一度アーミヤの頭を撫でた。

 

「セラスティアさん」

 

「何?」

 

「ロドスがしていることって」

 

声が小さい。

 

「本当に正しいんでしょうか」

 

手を止めない。

 

すぐには答えなかった。

 

二百年近く生きても、戦場をいくつ見ても、そんなことは分からない。

 

「分からない」

 

正直に言う。

 

アーミヤが顔を上げる。

 

「セラスティアさんでも?」

 

「ああ」

 

横からテレジアの声がする。

 

「私にも分からないわ」

 

その言葉が少しだけ嬉しかった。

 

俺だけではない。

 

かつて多くのサルカズを導いたテレジアだって、全部の答えを持っているわけではない。

 

「……そうですか」

 

アーミヤが呟く。

 

ゆっくり撫でる。

 

「でも、ミーシャを助けたいと思ったことまで、間違いだったことにしなくていいんじゃない?」

 

アーミヤは黙る。

 

「救えなかったことと、救いたかったことは別だよ」

 

「ええ」

 

テレジアも静かに頷く。

 

「その気持ちまで否定してしまったら、きっと次に手を伸ばすことまで怖くなってしまうもの」

 

俺はテレジアを見る。

 

「……それ、アーミヤに言えたらいいのにな」

 

小さく言う。

 

テレジアが少し困ったように笑う。

 

「そうね」

 

「何か言いました?」

 

アーミヤが顔を上げる。

 

「いや、独り言」

 

「最近、多いですよね」

 

少しだけ心臓が跳ねる。

 

「そう?」

 

アーミヤはしばらくこちらを見ていたが、それ以上は追及しなかった。

 

でも、何となく前よりこちらをよく見ている気がした。

 

テレジアも気づいたらしい。

 

「……そろそろ、隠すのも難しいかもしれないわね」

 

返事はしない。

 

今はまだ。

 

「何が正しかったのかは、俺には決められない」

 

アーミヤへ戻る。

 

「アーミヤの代わりに、これからどうするかを決めることもできない」

 

「……はい」

 

アーミヤを見る。

 

「でも、決めるまで隣にいることくらいならできるよ」

 

目が少しだけ見開かれる。

 

横でテレジアが微笑む。

 

「私もよ、アーミヤ」

 

それでも、確かにここにいる。

 

アーミヤはまた顔を伏せた。

 

「……ずるいです」

 

「何が?」

 

「そういうこと言うの」

 

「駄目だった?」

 

「駄目じゃないです」

 

声が少しだけ泣いていた。

 

「だから、ずるいです」

 

よく分からない。

 

でも、怒ってはいないらしい。

 

「今日はもう仕事やめたら?」

 

「報告書が残っています」

 

「明日」

 

「ケルシー先生に怒られます」

 

「俺が止めたって言えば?」

 

「セラスティアさんも一緒に怒られますよ」

 

「それは嫌だな」

 

「じゃあ駄目です」

 

「私も怒られるのかしら」

 

テレジアが楽しそうに言う。

 

思わず口元が緩む。

 

「どうしたんですか?」

 

「何でもない」

 

「またですか?」

 

「また」

 

アーミヤが少しだけ呆れた顔をする。

 

でも、その顔にはさっきまでより力が戻っていた。

 

隣では、テレジアも笑っている。

 

それでも、今ここには三人いる。

 

しばらくして、アーミヤがふと顔を上げた。

 

俺ではなく、俺の少し横を見る。

 

さっき俺が何度も視線を向けた場所。

 

そこにはテレジアがいる。

 

「……セラスティアさん」

 

「何?」

 

何かを聞こうとしたように見えた。

 

テレジアもアーミヤを見る。

 

一瞬、部屋が静かになる。

 

「……いえ」

 

アーミヤは少し迷ってから首を振った。

 

「何でもありません」

 

「そう?」

 

「はい」

 

また少しだけ身体を寄せてくる。

 

俺は何も聞かなかった。

 

テレジアも。

 

「今は、それでいいわ」

 

小さく言っただけだった。

 

そのまま、もう一度アーミヤの頭を撫でる。

 

テレジアは触れられない代わりに、そのすぐ隣へ座るように腰を下ろした。

 

その夜、俺たちは答えを出さなかった。

 

ミーシャを救えなかった理由も。

 

ロドスが正しいのかも。

 

アーミヤがこれから何を選ぶのかも。

 

ただ、助けたかったという気持ちだけは、なかったことにしなかった。

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