午前中の話し合いが終わってから、そう時間は経っていなかった。
俺はランドシップの出入口近くに立ち、次々と運び出されていく荷物を眺めていた。
食料に薬品、それから毛布。
近隣の集落へ届ける物資らしく、バベルの人間たちが慣れた手つきで車両へ積み込んでいる。
「……思ったより多いな」
「冬が近いもの。食料だけでは足りないわ」
隣から聞こえた声に振り向く。
テレジアは積み上げられた荷物へ目を向けながら、いつもの穏やかな表情を浮かべていた。
薬の入った箱がいくつも運ばれていくのを見て、俺は周囲を見回す。
「護衛、この人数で足りるのか?」
「物資を届けに行くのよ。戦いに行くわけではないわ」
「最近、この辺りで武装した連中が出るって聞いたぞ」
「ええ。だから警戒は必要ね」
さらりと言って、テレジアはこちらを見る。
「それに、あなたも来てくれるのでしょう?」
「……まあな」
「なら、心強いわ」
楽しそうに微笑まれて、小さく息を吐く。
昨日の時点で俺がついていくと言ったことを、しっかり覚えているらしい。
「最初からそれを当てにしてなかったか?」
「あら。あなたが来ると言ったのは自分からだったと思うけれど?」
「そうだけどさ」
言い返せない。
テレジアは満足そうに笑うと、最後の荷物が積み込まれる様子へ視線を戻した。
やがて準備が終わり、俺たちはランドシップを出発した。
◇
目的地までは、それほど遠くない。
それでも今のカズデルで、安全と言い切れる道はほとんど存在しなかった。
護衛たちは周囲へ警戒を向け、荷物を運ぶ者たちも必要以上に隊列から離れないよう進んでいる。
そんな中でも、テレジアは普段と変わらなかった。
荷物を運ぶ者へ声をかけ、同行する兵士を労い、時折遠くへ視線を向ける。
その横顔が妙に楽しそうに見えて、俺はしばらく隣から眺めていた。
「こういう仕事、好きなんだな」
「あら。分かる?」
「顔を見ればな」
テレジアは少しだけ考えてから、素直に頷いた。
「ええ。好きなのだと思うわ。こうして誰かに会いに行けることが」
「会いに?」
「戦うためではなく、その人たちが明日も暮らしていけるように何かを持っていく。そういう理由で誰かのところへ向かえるのは、嬉しいことだと思わない?」
食料を運ぶ。
薬を渡す。
俺からすれば、やっていることはそれだけだ。
けれど、テレジアは昔から、その先を見る。
今日を生き延びることだけではなく、明日をどう生きるのかまで。
「相変わらずだな」
「何が?」
「いや。何でもない」
俺が首を振ると、テレジアは不思議そうにしながらも、それ以上は聞かなかった。
代わりに、少しだけ俺との距離を詰めて歩く。
そのまま並んで進んでいるうちに、目的の集落が見えてきた。
◇
外から見ただけでも、決して豊かな場所ではないことは分かった。
簡素な建物が並び、その多くには何度も補修した跡が残っている。
俺たちの姿を見つけた住民たちは、最初こそ警戒していた。
当然だ。
この土地では、見知らぬ武装集団が物資を積んで現れたからといって、それが善意によるものだとは限らない。
だが、テレジアが前へ出て一人一人へ言葉をかけ始めると、張り詰めていた空気は少しずつ変わっていった。
食料が足りない。
薬が不足している。
近くの道で、見慣れない武装集団を見かけた。
子供が数日前から熱を出している。
テレジアはどんな話も途中で遮らなかった。
老人でも子供でも変わらない。
相手と目線を合わせ、その人が話し終えるまで待つ。
「……相変わらずだな」
少し離れたところから、その姿を眺める。
王だとか、魔王だとか。
そんな肩書きを考えるより先に、テレジアは一人の相手として話を聞く。
昔から、あいつはそうだった。
だから人が集まるのだろう。
「お兄ちゃん」
不意に、下から声がした。
見ると、小さなサルカズの子供がこちらを見上げている。
「どうした?」
「あのお姉ちゃんの仲間?」
「あのお姉ちゃん?」
子供が指を差した先には、ちょうど住民と話しているテレジアがいた。
仲間。
言われて、少しだけ考える。
俺はまだ正式にバベルへ入っているわけではない。
テレジアについてきて、ここにいるだけだ。
もっとも、子供相手にそんな説明をしても仕方ない。
「まあ、そんなところだ」
「じゃあ、お兄ちゃんも強い?」
「どうだろうな」
曖昧に返すと、子供が首を傾げた。
「弱いの?」
「それはちょっと傷つくな」
思わず笑うと、子供もつられて笑った。
頭を軽く撫でてやる。
その時、何となく視線を感じて顔を上げると、少し離れた場所にいるテレジアと目が合った。
何故か嬉しそうに微笑んでいる。
何なんだ。
そう思った、その時だった。
風に混じって、小さな金属音がした。
続いて、複数の足が土を踏む音。
さっきまでとは空気が違う。
俺は子供の肩へ手を置く。
「中に入ってろ」
「え?」
「早く」
声の調子が変わったことに気づいたのか、子供は素直に建物へ走っていった。
「全員、建物の中へ!」
俺の声に、周囲にいたバベルの兵士たちが振り返る。
「何か――」
「来る!」
言い終えるより早く、集落の外から矢が飛んできた。
剣を抜く。
乾いた音とともに、刃で矢を弾き落とした。
一瞬遅れて、周囲から悲鳴が上がる。
「敵襲!」
「住民を中へ!物資は後でいい、人を優先しろ!」
護衛たちがすぐに動き始める。
俺は周囲を確認し、そのままテレジアの前へ出た。
視線だけが交わる。
昔から何度も繰り返してきたことだ。
俺が前に立つ。
テレジアは、その後ろにいる。
それだけで互いに何をすればいいかは分かる。
「無理はしないで」
「それ、俺に言ってる?」
「他に誰がいるの?」
「なら大丈夫だよ」
剣を構える。
集落の外から、武装した男たちが姿を現した。
十数人。
略奪が目的なのか、それとも別の理由があるのか。
今はどうでもいい。
俺の後ろにはテレジアがいる。
そのさらに後ろには、逃げ遅れた住民たちがいる。
なら、やることは決まっていた。
敵が走ってくる。
俺も地面を蹴った。
最初の刃を受け流し、その勢いのまま懐へ入る。
柄で腹を打てば、一人目が身体を折るようにして崩れた。
右から突き出された槍を半歩ずれて避ける。その柄を掴んで強く引けば、相手の体勢が崩れた。
足を払って倒す。
振り返るより早く、今度は背後から短剣が伸びてきた。
刃を受け、相手の手首を弾く。
考えるより先に身体が動く。
長く戦っていれば、嫌でも身につく。
どこに立てばいいのか。
誰を先に止めれば、後ろにいる人間へ刃が届かないのか。
一対一で敵を倒すことより、そういう戦い方の方が俺には馴染んでいた。
大柄な男が斧を振り下ろしてくる。
剣で受けた瞬間、腕へ重さが伝わった。
だが、それだけだ。
力の向きを横へ逸らし、空いた足元へ刃を走らせる。
男が呻きながら膝をついた。
その向こう。
弓を構える男が見えた。
向けられた矢の先を追う。
「――チッ」
テレジア。
弦が放たれる。
考える前に足が動いていた。
テレジアとの間へ滑り込み、飛んできた矢を剣で叩き落とす。
「セラスティア」
「怪我は?」
「私は大丈夫よ。それより、あなた――」
「ならいい」
弓へ二本目の矢を番えようとしている男との距離を一気に詰める。
剣の腹で腕を打ちつけると、弓が地面へ落ちた。
それで、ほとんど終わりだった。
残った敵もバベルの兵士たちによって次々に制圧されていく。
何人かは逃げ出したが、追う必要はない。
住民も物資もここにある。
俺たちが守るべきものは、最初からこっちだ。
「……終わったな」
息を吐き、剣についた血を払う。
鞘へ戻そうとしたところで、後ろから名前を呼ばれた。
「セラスティア」
振り返る。
テレジアが、俺をじっと見ていた。
視線が腕から肩、足元へと順番に動いていく。
「怪我はしてないよ」
「まだ何も聞いていないわ」
「その顔見れば分かる」
そう言いながら、両腕を軽く広げて見せる。
「ほら。どこも斬られてないし、矢にも当たってない」
テレジアはすぐには答えず、本当に傷がないか確かめるように俺を見る。
「あなたはそう言って、後になってから怪我が見つかることがあるでしょう?」
「昔の話だろ」
「長い付き合いだからこそ、あなたの『大丈夫』をそのまま信用しない方がいいと学んだのよ」
「信用ないな」
「実績の問題よ」
困ったように返される。
それでも、傷がないと分かったらしい。
ようやくテレジアの表情から力が抜けた。
「お兄ちゃん!」
今度は別の方向から声が飛んできた。
先ほどの子供が、建物の入口から顔を覗かせている。
「まだ危ないかもしれないから、中にいろ」
「でも、お兄ちゃんやっぱり強かった!」
目を輝かせている。
どう返したものかと頭を掻いていると、隣でテレジアが楽しそうに笑った。
「よかったわね」
「何が?」
「弱くないって分かってもらえて」
「……そこ覚えてたのかよ」
近くにいた兵士まで吹き出した。
忘れてほしかった。
◇
負傷者の手当てと周辺の確認を終えた頃には、予定よりかなり時間が経っていた。
幸い、住民に大きな被害はない。
こちらにも軽傷者が数人出ただけで済んだ。
帰り道。
少し前までの騒ぎが嘘のように、辺りは静かだった。
俺が荷物を運ぶ車両の横を歩いていると、隣のテレジアがこちらを見る。
「今日はありがとう、セラスティア」
「何だよ、急に」
「急ではないわ。ちゃんと言っておきたかったの」
「お前の前に立つのなんて、いつものことだろ」
そう返すと、テレジアは少しだけ目を細めた。
「ええ。だからこそよ」
また、よく分からないことを言う。
けれど、その顔を見れば問い返しても答えてくれない気がした。
俺はそれ以上聞かなかった。
しばらくして前を歩いていた兵士から声が上がり、テレジアがそちらへ向かう。
その背中を眺めながら、ふと集落でのことを思い出した。
あの子供。
住民たち。
一緒に戦ったバベルの兵士たち。
普段なら、テレジアさえ無事ならそれで終わりだと思っていたはずだ。
今日は全員が無事に帰れそうだ。
それを確認すると、少しだけ肩の力が抜けた。
◇
ランドシップへ戻る頃には、外はかなり暗くなっていた。
テレジアたちと別れ、自分の部屋へ戻ろうとしたところで、後ろから声が飛んでくる。
「セラスティア」
テレジアではない。
振り返ると、ケルシーが立っていた。
「今日の任務について報告を受けた」
「早いな」
「報告を受けることも私の役目だ。襲撃を最初に察知したのはお前だったそうだな」
「たまたまだよ」
「十数名を相手に戦線を維持しながら住民を守り、飛来した矢を二度迎撃した。それも偶然か?」
「……大げさだな」
思わず苦笑する。
俺からすれば、見えたものへ対処しただけだ。
ケルシーは返事をせず、しばらくこちらを見ていた。
昨日までとは少し違う目だった。
「何だよ」
「いや」
ケルシーが一度だけ目を細める。
「お前について、少し認識を改める必要がありそうだと思っただけだ」
「何の認識?」
「それはまた話す。今日は休め」
「おい、待てよ」
呼び止める間もなく、ケルシーは歩いていった。
何だったんだ。
首を傾げていると、すぐ近くから小さな笑い声が聞こえた。
「……テレジア」
いつの間に戻ってきたのか、テレジアがそこに立っていた。
「私は何も言っていないわよ?」
「絶対何か知ってるだろ」
「さて、どうかしら」
「またそれかよ」
問い詰めても、たぶん答えない。
諦めて歩き出すと、テレジアも自然に隣へ並んだ。
ケルシーが何の認識を改めるつもりなのか。
俺にはさっぱり分からない。
ただ。
隣を歩くテレジアだけが、何故か少し嬉しそうに見えた。