夏雪草が帰る場所   作:Bestmeever

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ストックがあるうちに作り置きしておきたいですね


第3話 ここにいる理由

翌朝。

 

目を覚ました俺は、身体を起こして軽く肩を回した。

 

痛むところはない。

 

昨日はテレジアに随分心配されたが、本当に怪我ひとつしていなかった。あの程度で怪我をしていたら、昔の俺に笑われそうだ。

 

ベッドから降りたところで、扉が叩かれた。

 

「セラスティア、起きているか?」

 

「起きてる」

 

返事をして扉を開けると、そこに立っていたのはバベルの兵士だった。

 

「ケルシー先生がお呼びだ。時間がある時に執務室へ来てほしいと」

 

「ケルシーが?」

 

思い当たるのは昨日の任務くらいだ。

 

帰還した時にも、あいつは『少し、認識を改める必要がありそうだ』なんて妙なことを言っていた。

 

結局、何の認識なのかは教えてもらっていない。

 

「分かった。ありがとう」

 

兵士と別れ、身支度を済ませて部屋を出る。

 

廊下ではすでに多くの人間が行き交っていた。ここへ来たばかりの頃は知らない顔ばかりだったが、最近では向こうから声をかけられることも増えている。

 

「おはようございます、セラスティアさん。昨日はお疲れさまでした」

 

「おはよう。……もう昨日の話、広まってるのか?」

 

「そりゃ広まりますよ」

 

兵士は笑いながら去っていった。

 

昨日のあれに、そこまで話題になるようなことがあっただろうか。

 

首を傾げながらケルシーの執務室まで歩き、扉を軽く叩く。

 

「入れ」

 

「失礼するぞ」

 

扉を開けると、机に向かっていたケルシーが顔を上げた。

 

そして、その向かい側にはもう一人。

 

「おはよう、セラスティア」

 

「……テレジア?」

 

「あら。私がいてはいけないの?」

 

「そういう意味じゃないけど」

 

てっきりケルシーと二人で話すものだと思っていた。

 

テレジアは俺の反応が面白かったのか、口元に小さな笑みを浮かべている。

 

「座れ、セラスティア」

 

「ああ」

 

言われるまま椅子に座る。

 

正面にケルシー。隣にテレジア。

 

なんだこの状況。

 

「それで、昨日の話か?」

 

「それも含まれている。まずは任務についてだ」

 

ケルシーが机の上で手を組む。

 

「護衛部隊から報告を受けた。敵の接近を最初に察知し、護衛対象を守りながら戦線を維持したのがお前だ。住民に重傷者はなく、こちらの被害も軽傷者が数名で済んでいる」

 

「大げさだな。見えたから対処しただけだぞ」

 

「矢を二度迎撃したことも含めてか?」

 

「飛んできたんだから落とすだろ」

 

ケルシーが黙った。

 

隣から小さな笑い声が聞こえる。

 

「何だよ」

 

「いいえ。あなたらしいと思っただけよ」

 

テレジアは楽しそうに微笑んでいる。

 

ケルシーはそんな俺たちを一瞥すると、小さく息を吐いた。

 

「お前にとっては普通なのだろう。だが、バベルの人間にとってはそうではない」

 

「そうなのか?」

 

「そうだ」

 

即答された。

 

そこまで言われると、俺の方がおかしいみたいじゃないか。

 

「昨日の働きだけで判断したわけではない。これまでのお前の行動についても確認した。戦闘経験、状況判断、護衛能力。そのいずれも高水準だ。戦力として、単なる同行者のまま扱い続ける理由はない」

 

「人を戦力扱いするなよ」

 

「戦力評価の話をしている」

 

「分かってるけどさ」

 

思わず苦笑する。

 

ケルシーらしいと言えば、ケルシーらしい。

 

「そこで本題だ」

 

ケルシーの目がまっすぐ俺へ向けられた。

 

「セラスティア。正式にバベルへ加入する気はないか?」

 

「……俺が?」

 

「他に誰がいる」

 

思わず隣を見る。

 

テレジアは何も言わなかった。

 

ただ、静かに俺を見ている。

 

「いや、でも俺はもうここにいるだろ」

 

「滞在しているだけだ。現在のお前は、あくまでテレジアと行動を共にしている協力者に近い。指揮系統にも正式には組み込まれていない」

 

言われてみれば、昨日もそうだった。

 

テレジアが任務へ行くから、俺もついていった。

 

それだけだ。

 

「正式に所属すれば、お前個人に任務を依頼できる。護衛だけではなく、偵察や戦闘任務を任せることも可能になる」

 

「なるほどな」

 

話は分かった。

 

けれど、俺にとって重要なのはそこではない。

 

「入ったら、俺がテレジアについていくのは何か変わるのか?」

 

「今まで通りで構わない。ただし、お前自身に別の任務を任せる可能性はある」

 

「テレジアの護衛が必要なら?」

 

「状況によるが、お前を優先的に配置することもできる」

 

「なら、別にいいぞ」

 

ケルシーが僅かに眉を動かした。

 

「……それで決めるのか?」

 

「他に何があるんだ?」

 

「お前自身がバベルへ所属する話をしている」

 

「だから、俺が入るって決めただろ?」

 

「……そうか」

 

何か言いたそうな顔をされたが、ケルシーはそれ以上続けなかった。

 

隣のテレジアも黙っている。

 

二人して何なんだ。

 

「では、加入の意思があるものとして話を進める。ただし、必要事項の説明が残っている」

 

「まだあるのか?」

 

「当然だ」

 

そこからが長かった。

 

指揮系統に任務の手順、単独行動や情報の取り扱い。それから負傷した場合の報告義務。

 

最後に、勝手に任務内容を変更してはいけないこと。

 

なぜかそこだけは、俺を見ながら念を押された。

 

「理解したか?」

 

「だいたい」

 

「だいたいでは困る」

 

「じゃあ理解した」

 

「今の間は何だ」

 

「気のせいだ」

 

ケルシーの目が細くなる。

 

助けを求めて横を見ると、テレジアは助けてくれそうにない。それどころか、楽しそうにこちらを見ていた。

 

「テレジア」

 

「頑張って、セラスティア」

 

「他人事だと思って」

 

「大切なことよ?」

 

「分かってるけどさ」

 

結局、説明はそれからもしばらく続いた。

 

ようやく解放された頃には、朝食の時間をかなり過ぎていた。

 

「疲れた……」

 

執務室を出た俺は、廊下の壁にもたれる。

 

「昨日戦った時より疲れてない?」

 

隣に出てきたテレジアが笑った。

 

「戦ってる方がまだ気楽だったかもしれない」

 

「ケルシーに聞かれたら、もう一度説明されるわよ」

 

「やめてくれ」

 

「ふふ」

 

テレジアが俺の隣に並び、そのまま二人で歩き出す。

 

しばらくは何も言わなかった。

 

けれど、少し歩いたところでテレジアの足がわずかに遅くなる。

 

「セラスティア」

 

「ん?」

 

「一つだけ、聞いてもいい?」

 

声の調子が少し違った。

 

さっきまでの笑みは残っているのに、俺を見る目は真剣だった。

 

「あなたは、自分でバベルにいたいと思ったの?」

 

「自分で?」

 

「ええ。私がここにいるからではなくて、あなた自身が」

 

言われて、少し考える。

 

けれど答えはすぐに出た。

 

「お前がここにいるから、俺もいる。それじゃ駄目なのか?」

 

テレジアはすぐには答えなかった。

 

困らせるようなことを言った覚えはない。

 

俺にとっては、昔から当たり前のことだった。

 

テレジアが進むなら、その隣を歩く。

 

危険な場所へ行くなら、俺も行く。

 

それでいい。

 

それ以外の理由なんて、考えたこともなかった。

 

「駄目ではないわ」

 

やがてテレジアが口を開いた。

 

「あなたが私と一緒にいてくれることは嬉しいもの。ずっと昔から、そう思っているわ」

 

「なら――」

 

「でもね」

 

穏やかな声だった。

 

それでも、その一言に遮られて俺は口を閉じる。

 

「いつか、私がいるからではなくて、あなた自身が『ここにいたい』と思える場所になったら……私はもっと嬉しい」

 

「……難しいこと言うなよ」

 

「そうかしら?」

 

「そうだよ」

 

俺には違いがよく分からなかった。

 

テレジアがいる。

 

だから俺もここにいる。

 

俺にとって、その二つはほとんど同じことだった。

 

「なら、今はそれでいいわ」

 

テレジアはそれ以上何も言わず、いつもの柔らかな笑みに戻った。

 

「おめでとう、セラスティア」

 

「何が?」

 

「今日から正式に仲間でしょう?」

 

「ああ、そういうことか」

 

正式に。

 

そう言われても、あまり実感はなかった。

 

昨日までと何かが大きく変わったわけでもない。目の前にはいつもの廊下があって、隣には昔から見慣れたテレジアがいる。

 

「じゃあ、改めてよろしくな」

 

「ええ。こちらこそ」

 

俺たちは顔を見合わせて笑った。

 

その時だった。

 

「あ」

 

「どうしたの?」

 

昨日のことを思い出した。

 

「……訓練」

 

「ええ」

 

「今日だったよな?」

 

「昨日、あなた自身が『明日はちゃんと見る』と言っていたわね」

 

テレジアはにこやかに笑っている。

 

嫌な予感がした。

 

「今から行けば――」

 

「もう始まっている頃かしら」

 

「……」

 

「セラスティア?」

 

「行ってくる!」

 

走り出す。

 

後ろからテレジアの笑い声が聞こえた。

 

「廊下は走らない方がいいわよ」

 

「今だけ許してくれ!」

 

返事をしながら角を曲がる。

 

正式にバベルへ入った最初の日。

 

何かが大きく変わったような実感は、まだなかった。

 

テレジアがいる。

 

だから俺もここにいる。

 

それを自分で選んだ生き方だと、俺は疑いもしなかった。

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