ロドスへ帰還してから6日目の午後、ケルシーから呼び出しがあった。
いつもの診察なら医療区画へ来るように言われるはずだが、指定されたのは人の出入りが少ない研究区画だった。廊下の案内表示を確かめながら歩いていると、隣のテレジアが俺の顔を覗き込んでくる。
「何か心当たりはあるの?」
「昨日の検査結果なら、まだ怒られるようなことはしてないぞ。訓練だって見てただけだし」
「ふふ。私、怒られるのかなんて聞いていないわよ」
「……癖になってるんだよ。ケルシーに呼ばれると、まず何かやったか考えるの」
テレジアは楽しそうに笑った。昨日、Wと久しぶりに落ち着いて話せたこともあって、今朝は少し気分が軽かった。そのせいで余計なことまで喋っている気がするが、誰もいない廊下なら構わないだろう。
扉の前に立つと、内側から声がした。
「入れ」
見慣れた声に返事をして扉を開ける。中にはケルシーのほかに、アーミヤとアスカロンがいた。机の上にはいくつかの端末が並び、壁際には折り畳まれた衝立が用意されている。
「……何だ、会議か?」
「通常の会議ではない。座れ、セラスティア」
ケルシーが示した椅子へ腰を下ろす。アーミヤは挨拶しながら小さく手を振り、アスカロンは壁際から1度だけ頷いた。2人とも、これから何をするのか知っている顔だった。
「アーミヤ、体調はもういいのか?」
「はい。長い時間は駄目だと言われていますけど、今日はケルシー先生の許可をいただいています。セラスティアさんこそ、肩の具合はどうですか?」
「ちゃんと治ってきてるよ。昨日も診てもらった」
「ならいいんですけど……あまり無理はしないでくださいね」
「それは俺よりアーミヤに言いたいな」
アーミヤが少しだけ頬を膨らませたところで、ケルシーが端末を閉じた。俺たちは揃ってそちらを見る。テレジアも俺の隣へ来たが、当然、ほかの3人には姿が見えない。
「今日集まってもらったのは、以前から報告を受けている現象について、改めて確認するためだ」
「……テレジアのことか?」
「ああ。アスカロンから聞き取った、当時の2人しか知らない会話についても記録は残してある。だが、過去の記憶に基づく証言だけでは判断できない部分が多い」
アスカロンが腕を組み、静かに口を開いた。
「私にとっては、あの会話を知っていたことにも十分意味がある。だが、お前が当時知らなかったと証明するのは難しい。ケルシーが慎重になる理由も分かる」
「ああ。俺だって、どうして見えてるのか説明できないからな」
「それで、今日はどうするんですか?」
アーミヤが尋ねると、ケルシーは机の端に置かれた小型端末を指した。
「現在のセラスティアが知り得ない情報を、彼の視界から完全に外した状態で提示する。見えていると主張する存在が、その情報を読み取り、彼へ伝えられるかを確かめたい。無論、これだけで正体や仕組みまで確定するわけではない」
「なるほど。俺の知らない昔話じゃなくて、今ここで作ったものを当てるってことか」
「そうだ。だが、始める前に確認しておくことがある」
ケルシーの視線が、俺のすぐ横へ移った。
「テレジア。君はこの話を聞いているか?」
少し驚いた。ケルシーが何も見えない場所に向かって話すことは、これまでほとんどなかったからだ。隣を見ると、テレジアも同じように驚いた顔をしていた。
「……ええ、聞いているわ」
「聞こえてるって」
「そうか。私たちがこの検証を行うことに、君自身は同意するか?拒むのであれば中止する。セラスティアに同意を求めるだけでは不十分だからな」
テレジアは机の上を見つめて、少し考え込んだ。
「……構わないわ。ただ、セラスティアに無理をさせるようなことは、しないでほしいの」
「ああ。それは俺からも頼む」
「まだ何もさせていないだろう。今日の検証は危険を伴わない。……それとセラスティア、彼女の返事は君の言葉を挟まずに、先に伝えろ」
「……分かった。テレジアは同意するって。ただ、俺に無理をさせないでくれって言ってる」
ケルシーは1度だけ頷き、端末へ記録を入れた。その横で、アスカロンがわずかに息を吐いた。アーミヤはテレジアのいる場所へ顔を向け、安心したように笑っている。
「ありがとうございます、テレジアさん。……私も、今日はお手伝いさせてください」
「ええ。ありがとう、アーミヤ」
俺がその返事を伝えると、アーミヤの表情が少し柔らかくなった。
◇
準備に使ったのは、机の上の端末と、背の高い衝立だけだった。
衝立は俺の座る位置から画面が見えないように置かれ、その向こう側だけに小型端末の表示面が向けられている。アスカロンが別の通路から確認したところ、反射して見える場所もなかったらしい。ケルシーは俺に席を動かさないよう告げると、説明を続けた。
「端末には、数字と図形を無作為に組み合わせた画像を表示する。表示内容は検証が終わるまで、私にもアスカロンにもアーミヤにも分からない。機器が自動で記録し、終了後に照合する」
「それなら、俺が知ってたって言いようがないな」
「ああ。ただし、手順を見聞きすることで答えが推測できるようでは困る。表示の切り替えは自動だ。君は、見えたというものを順番に答えてくれ」
「俺が直接見るんじゃないんだけどな」
「分かっている。だからこそ、君が伝える相手にも確認を取った」
確かにそうだ。俺が衝立の向こうを覗いては意味がない。けれど、テレジアならそこへ移動できる。物に触れられない彼女にとって、画面を見るだけなら何の問題もなかった。
「それじゃ、行ってみるわね」
テレジアは軽く手を振り、衝立の横を回っていった。俺には何も見えなくなったので、手元の紙と筆記具へ視線を落とす。紙へ書くのは俺の役目らしい。
「準備はいいか?」
ケルシーに頷くと、机の向こうで短い電子音が鳴った。しばらくして、衝立の裏から声がした。
「……青い四角が2つ。その下に、左へ傾いた細い線が1本あるわ。右端の数字は7、3、9ね」
「青い四角が2つ、左に傾いた線が1本、数字は7、3、9……」
復唱しながら紙へ書きつける。妙に細かい。もっと簡単な図形が出るものだと思っていたが、ケルシーが用意したのだから、簡単に推測できないようにしてあるのだろう。
「次へ進める」
ケルシーが言った。数秒後、また電子音が鳴る。
「今度は赤い丸が1つと、その下に小さな緑色の三角が3つ。数字は……ええと、4、0、2、6かしら」
「赤い丸1つ、緑の三角3つ、4、0、2、6……。お前、数字に強かったっけ?」
「失礼ね。あなたよりは間違えないと思うわ」
「……俺も別に弱くないんだけど」
「セラスティア。検証に関係のない会話はあとにしろ」
ケルシーに注意され、アーミヤが口元を押さえた。笑いを堪えているらしい。向こうにいるテレジアも楽しそうだったので、俺は黙って続きを待った。
3度目の表示では、テレジアが少し長く黙り込んだ。
「……あら、これ、ちょっと分かりづらいわね」
「どうした?」
「線が重なっているの。上から見たら鳥のようにも見えるけれど……待ってね。右下の小さな数字は1、8。……いいえ、8ではなく3だわ」
俺は言われたとおり書き留めた。途中で訂正したことも、そのまま記録しておく。ようやくテレジアが衝立の横から戻ってきた頃には、アーミヤがこちらの紙へ興味深そうな視線を向けていた。
「終わりましたか?」
「うん。テレジアは戻ってきたよ」
「なら照合する」
ケルシーが端末を操作すると、壁の表示板に3つの画像が並んだ。俺は自分の書いた紙と見比べた。最初の画像には、青い四角が2つ。左へ傾いた線が1本と、7、3、9の数字があった。2枚目も、赤い丸と緑色の三角の数まで一致している。3枚目は、線が複雑に重なった図形で、右下の数字は1と3だった。
「……全部、合ってるな」
アーミヤが机へ身を乗り出しかけ、慌てて姿勢を戻した。
「本当です……。ケルシー先生、表示する内容は、誰も知らなかったんですよね?」
「ああ。入力した答えも表示記録も残っている。ここで内容を予測できるような規則性は設けていない」
アスカロンは何も言わず、表示板を見つめていた。ケルシーは少し長く記録を確認してから、俺に向き直った。
「もう1度だけ、条件を変えて実施したい。表示時間を短くする」
「分かった。テレジア、どうする?」
「ええ。構わないわ」
検証はそのあとも続いた。表示内容を見せられるたびに俺は紙へ書き、終わればケルシーが結果を照らし合わせる。1度、数字の最後の1桁を聞き間違えてしまったが、テレジアが「違うわ、5よ」と言い直したので訂正した。そういうやり取りまで記録されるのは少し恥ずかしかったが、結果は変わらなかった。
最後の画像の照合が終わった時、ケルシーは端末を伏せた。
「……なるほど」
その声には、普段よりわずかに重みがあった。
「何か分かったのか?」
「少なくとも、君が過去に得た記憶を再現しているだけ、という説明は通らなくなった。今この場所で生成された情報を、君の知らない経路から受け取っていることになる」
「じゃあ……」
「これだけで死者の魂の存在まで証明できるわけではない。まだ調べるべきことはある。だが、私が君に説明してきた可能性のうち、いくつかは見直さなければならないだろう」
ケルシーは俺の隣に視線を向けた。
「……テレジア。君は本当に、そこにいるのだな」
今度は、俺が口を挟むより先にテレジアが返事をした。
「……ええ、ケルシー。ずっと、ここにいたわ」
「いるって。……ずっと、ここにいたってさ」
ケルシーは小さく目を伏せた。そのまましばらく動かなかったので、何か続けた方がいいのか迷ったが、隣のテレジアが静かに首を振った。俺たちは、ケルシーが再び顔を上げるまで待った。
「……そうか」
それだけ言うと、彼女は椅子へ座り直した。普段と変わらない動作だったが、端末へ伸ばしかけた手が1度だけ止まったのを、俺は見ていた。
◇
検証が終わっても、すぐには解散にならなかった。
ケルシーは表示記録を保存し、外部からの閲覧を制限すると、改めて机に両手を置いた。アーミヤは少し興奮した様子で資料を眺めていたが、その隣のアスカロンは考え込んだままだった。
「アスカロン」
名前を呼ぶと、彼女は顔を上げた。
「……何だ」
「前にも確かめてくれたけど、今日のはどうだった?」
「私には、やはり何も見えなかった。だが、今のお前には知りようのない情報が伝わっていた。それは私にも分かる」
アスカロンはそれから、俺の隣へ顔を向けた。何もない空間へ「殿下」と呼びかけた時と同じ仕草だったが、今度は静かに言葉を続ける。
「……殿下。あの夜の話を覚えていてくださったこと、私は忘れていません。今日の結果を見て、ようやく……自分が何を信じたかったのか、分かった気がします」
テレジアはアスカロンを見つめた。
「私も、あなたと話せて嬉しかったわ。あの時も、今もよ」
「……そう言ってる」
できるだけそのまま伝えると、アスカロンは目を閉じた。
「……そうか。なら、もう1つだけ伝えてくれ」
彼女は少しだけ言葉を探した。
「前に言われたことは、まだ上手くできていません。何も命じられなければ何をしたいのか、今でもすぐには答えられませんが……休む日くらいは、作ろうと思っています」
テレジアが目を丸くした。次いで、その口元に嬉しそうな笑みが広がっていく。
「……ふふ。そう。だったら、今度はゆっくりお話ししましょうね。任務のこと以外にも、聞きたいことがあるの」
伝え終わると、アスカロンが小さく頷いた。彼女の顔に大きな変化はなかったが、肩に入っていた力は少しだけ抜けたように見えた。
「……今日、私もここに来られてよかったです」
今度はアーミヤだった。膝の上で手を握り、テレジアがいるはずの場所を見つめている。
「前にお話を聞いた時は、セラスティアさんの言葉を信じることしかできませんでした。でも今日は、ケルシー先生もアスカロンさんも、同じ結果を見ています。……それが嬉しいんです」
「ええ。私もよ、アーミヤ」
「テレジアも、嬉しいって」
そう伝えると、アーミヤは小さく頷いた。テレジアの姿は相変わらず見えないはずなのに、今は彼女が立っている辺りへ、ためらわずに顔を向けている。
ケルシーは端末をもう1度開いた。
「……では、今後の扱いについて話そう」
俺たちは改めて姿勢を正した。
「今日の結果は、研究記録として保管する。だが、外部へ公表するつもりはない。少なくとも、現時点ではな。セラスティアと、彼が見ている存在の安全が最優先だ」
「安全って、俺の方は分かるけど……テレジアも?」
「正体の分からない現象があると分かれば、利用しようとする者が出てくる。たとえ誰かに触れられなくても、情報を得ることができるのなら、それだけで危険を招く。今のロドスには、余計な注目を集める余裕はない」
アスカロンが頷いた。
「記録の閲覧範囲は絞るべきだ。もし外部から何か探られたとしても、検査の目的が分からないようにしておく」
「私も、誰かに聞かれても勝手には話しません」
アーミヤの言葉を聞き、ケルシーは短く頷いた。テレジアはその話を黙って聞いていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……昔と同じように、みんなに気を遣わせてしまうわね」
「気を遣うのは当たり前だろ。守るためっていうか……大事な人なんだからさ」
思わず口にしてから、3人がこちらを見ていることに気づいた。テレジアは少し驚いた顔をしたあと、柔らかく笑った。
「……ありがとう、セラスティア」
「……どういたしまして」
アーミヤが何か言いたそうにしていたが、ケルシーが話を続けたので、それ以上聞かれずに済んだ。
「押し花については、以前の検査結果と今日の記録を照合する。前に話したとおり、ケースから取り出さず、非破壊の範囲で進める」
「……じゃあ、あの時の話が本格的に動き出すんだな」
「ああ。今日分かったのは、未知の経路で情報が伝わっているという事実だけだ。彼女の存在が何に支えられ、どういう条件で今の状態を保っているのかは分からない。まずは、今ある記録から調べる」
俺は上着の内側に手を入れ、小さな保護ケースへ触れた。夏雪草の押し花は、今もそこにある。テレジアと再会したあの日から、何度も確かめてきたものだった。
「……テレジアはどう思う?」
「ええ。私も知りたいわ。自分のことなのに、分からないことばかりだもの」
「テレジアも調べてほしいって」
ケルシーは頷き、検証記録の一覧を開いた。今度は押し花を検査するかどうかではなく、何から調べるべきかを考えているようだった。
「1つ確認しておきたい」
アスカロンが口を開く。
「この研究で、殿下が私たちにも見えるようになる可能性はあるのか?」
ケルシーはすぐには答えなかった。
「現時点では分からない。そもそも、何が起きているのかを定義するところから始めなければならない。期待を持たせるようなことは言えないな」
「……そうか」
アスカロンはそれだけ言って頷いた。アーミヤも、少し残念そうにしながら黙っている。
「けどさ」
俺は2人を見る。
「今だって話せるだろ。俺が間に入る手間はあるけど、聞きたいことがあるなら伝えるよ。テレジアも、きっと喜ぶと思う」
「……そうですね」
アーミヤが微笑み、アスカロンも1度だけ頷いた。隣のテレジアは何も言わず、ただ嬉しそうに3人を見ていた。
◇
話し合いが終わった時には、廊下の照明が夕方の設定に切り替わっていた。
ケルシーは最後まで記録を確認していたが、アーミヤの体調を気遣って先に戻るように指示した。アスカロンもS.W\.E.E.P.の仕事が残っているらしく、資料の取扱いについて短く確認すると、部屋を出ていった。俺は押し花の入ったケースを上着へ戻し、ようやく椅子から立ち上がった。隣にいるテレジアを見れば、彼女もまた、ケルシーの方を見つめている。
「……なあ、ケルシー」
「何だ」
「今日は、ありがとう。ずっと分からなかったことが、少しだけ分かった気がする」
「まだ、何も解明していない」
「そうだけどさ。……俺が見てるものを、お前も本当にいるって思ってくれたんだろ?」
ケルシーは端末から顔を上げた。いつもなら、答えるより先に言葉の正確さを指摘されそうな質問だった。けれど今日は、すぐに否定されなかった。
「……私は、君が嘘をついているとは思っていなかった。ただ、君が何を見ているのかを確かめる方法がなかった。それは今も同じだ」
「うん」
「だが、少なくとも、君1人の記憶が作り出した幻だけでは説明できない。あそこにいると君が言う存在が、何らかの意思を持っていると考える根拠は得られた」
彼女はそこで言葉を止め、俺の隣へ目を向ける。
「テレジア。君が今どのような状態にあっても、勝手に結論をつけるつもりはない。君が今ここにいるのなら、私はそれを知りたい」
テレジアは静かに微笑んだ。
「……ええ。ありがとう、ケルシー」
「ありがとうって。……俺からも」
ケルシーは小さく頷いた。もうそれ以上、何も言うつもりはないらしい。俺は扉へ向かいかけたが、テレジアがまだ動かないことに気づいて足を止めた。
「……どうした?」
「少しだけ、いいかしら?」
「誰に?」
「ケルシーに。……あの人に、1つだけ伝えてほしいの」
テレジアは机の向こうにいるケルシーへ顔を向けた。
「ずっと、ありがとう。あの日から今まで、アーミヤのことも、セラスティアのことも、ロドスのみんなのことも、見守ってくれて」
言葉を聞き終えてから、俺は少し迷った。思っていたよりも長くて、しかも、ケルシーがどんな顔をするのか分からなかったからだ。テレジアがこちらを見て頷くので、結局、そのまま伝えた。
ケルシーは黙って聞いていた。端末を閉じる手が止まり、いつもならすぐに返ってくるはずの言葉がなかなか聞こえない。ようやく彼女は椅子の背へ身体を預け、目を伏せた。
「……礼を言われるようなことは、していない」
「そう言うと思ったわ」
「今、そう言うと思ったって」
ケルシーは小さく息を吐いた。
「……相変わらずだな、君は」
その声は普段よりもずっと静かだった。テレジアが楽しそうに笑い、俺もつられて笑う。少し前なら、ケルシーが何も見えない場所に向かってこんなふうに話すなんて、想像もできなかった。
部屋を出ると、通路には夕方の明かりが灯っていた。
「……ケルシーがあんなふうに話しかけるなんて、思わなかったな」
「ええ。私も驚いたわ。……あなたのおかげね」
「俺は言われたことを書いて、伝えただけだよ。むしろ今日、大変だったのはケルシーの方だろ」
「ふふ。そうね。……でも、あなたがずっと私のことを話してくれたから、あの人も確かめようと思ってくれたのでしょう?」
「……どうだろうな」
俺は上着の内側にある保護ケースへ手を当てた。今朝と何も変わらない感触だった。中の花が何なのか、どうしてテレジアと繋がっているのか、今日もまだ分からない。ただ、見えない相手へ自分の言葉で話しかけてくれた人が、ケルシーを含めて3人になった。テレジアはそのすべてに答えていたし、俺は頼まれた返事を伝えた。たったそれだけのことが、何だか嬉しかった。
「……帰るか」
「ええ。そろそろ夕食の時間でしょう?」
「そうだな。今日は何にしようかな」
「ふふ。あなた、さっきまであんなに緊張していたのに」
「腹は減るだろ、普通に」
テレジアは声を立てて笑った。俺も少し笑いながら、食堂へ向かう道を選ぶ。夕方の廊下には、いつもどおり人の足音が響いていた。
隣にいるのは、今日も俺にしか見えない人だった。けれど、彼女に向かって自分の言葉で話しかけてくれる人が、また1人増えた。