昼過ぎの廊下を歩いていると、端末に短い連絡が入った。
『時間があるなら第四整備室まで来てくれ。メカニストが困っている』
差出人はミザリーだった。何か大きな故障でも起きたのだろうかと考え、添付された作業番号を確かめたが、緊急度の欄は空白になっている。昨日の研修で使った機材について問い合わせでもあったのかと思いながら、俺は進路を変えた。
「お仕事かしら?」
隣を歩くテレジアが尋ねてきた。
「さあ。ミザリーから呼ばれたんだけど、何の用なのか書いてないんだよな。メカニストが困ってるって」
「まあ。だったら、急いで行ってあげなくちゃ」
「ああ。ただ、あの二人が揃ってるなら、俺が行っても役に立てるか怪しいけど」
そう言うと、テレジアは少し首を傾げた。何か言いたそうだったが、俺が整備室のある角を曲がったところで、向こうから聞こえた声に遮られる。
「だから、これ以上その画面に呪文をかけるのはやめてくれ。頼むから!」
……少なくとも、機械が爆発したわけではなさそうだった。
◇
第四整備室の扉は開いていた。中では作業台の上に小さな端末が置かれ、その周囲をメカニストとロゴスが囲んでいる。部屋の隅にはミザリーがいて、こちらに気づくと静かに片手を上げた。
「来たか、セラスティア」
「来たけど……何だ、この状況。故障でもしたのか?」
「それを確認しているところだ。まあ、見れば分かる」
ミザリーは作業台の方へ顎を向けた。メカニストの前には工具が並び、その横でロゴスがいつもの落ち着いた顔をしている。画面には図形がいくつか浮かんでいたが、指で触れても動かないらしい。
「おお、セラスティア。よいところへ来たな」
先にこちらへ声をかけたのはロゴスだった。
「我らは今、ある問題の解法を巡って意見を異にしておる。うぬにも聞いてもらいたい」
「いや、まず端末を見てくれ。ロゴス、その説明じゃ私が負け惜しみを言ってるだけみたいだろ」
メカニストが眉間を揉みながら言った。どうやら深刻な故障ではないようだが、何の問題なのかはまだ分からない。
「……順番に説明してくれ。そもそも何をしてたんだ?」
「謎解きゲームだ。休憩時間にみんなで遊べるよう、試作品を作っていた。図形の組み合わせを見て、決められた手順で出口を開けるだけの単純なものだよ」
メカニストは画面を指した。青い四角と赤い三角が並んだ盤面の端には、小さな扉の絵がある。訓練用の端末に比べればずっと単純な作りで、暇つぶしにはちょうどよさそうだった。
「ところがロゴスに試してもらったら、開始から三分も経たずに画面が止まった」
「解法を試した結果だ」
「設計した手順にない操作を試した結果だろ」
「規則のあるものには、常に別の読み方が存在する。盤面に示された条件を解いたうえで、我は呪文による操作を試みたまでよ」
「だから、そういう操作をするなら先に言ってくれ!」
メカニストが工具を置いて振り返る。ロゴスは悪びれた様子もなく画面を見つめていたが、口元にはかすかな笑みがあった。
「……つまり、ゲームの画面にアーツをかけたのか。普通はそんなことしないだろ」
「普通の操作だけでは、仕組みを十分に理解したとは言えぬからな」
「それは理屈としては分かるけどさ……」
俺が困ってメカニストを見たところで、ミザリーが小さく笑った。
「これで事情は分かっただろう。呼んだのは、どちらの言い分も聞ける奴が必要だったからだ」
「俺が仲裁役なのか?」
「今のところ、そういうことになっている」
随分と曖昧な説明だった。俺は作業台に近づき、表示が止まっている端末を覗き込んだ。
◇
画面を再起動すると、盤面はすぐに元へ戻った。
故障というより、一時的に操作を受けつけなくなっただけらしい。メカニストは内部の記録を確かめ、何かの処理が通常とは違う順番で呼び出されたと言っていたが、俺には細かな仕組みまでは分からなかった。
「ハードの方は無事だね。安全装置も正常だし、これなら試作を続けられる」
メカニストが端末を閉じて工具を片づける。
「それはよかった。じゃあ、俺は帰ってもいいか?」
「待ってくれ。せっかく来たんだ。君にも試してもらいたい」
「え?」
「一回だけでいい。普通に遊んでくれれば、それで十分だから」
その言葉を聞いたロゴスが、すぐに顔を上げた。
「では、我も改めて参加しよう。今度は同じ条件で競えば、互いの主張に決着がつく」
「その『同じ条件』にアーツは含まれないからね」
「承知した」
あまりにあっさりした返事だったので、メカニストは念を押すようにロゴスを見た。彼は目を逸らすこともなく頷いている。今度は大丈夫そうだと判断したのか、メカニストは空いた椅子を二つ引き寄せた。
「……俺、まだ何の勝負をするか決めてないんだけど」
「うぬの参加を歓迎するぞ、セラスティア」
「今のところ、拒否権はなさそうね」
隣でテレジアが楽しそうに言った。俺がそちらを見ると、彼女は作業台の空いた場所を覗き込みながら、興味深そうに盤面を眺めている。二人には声が聞こえないのだから、もちろん何も気づかない。
「……一回だけな」
そう告げて椅子へ座ると、ミザリーがようやく壁から離れた。
「それなら、俺は見物していよう」
「最初からそのつもりだっただろ」
「よく分かったな」
ミザリーは否定せず、作業台の端に置かれていた飲み物を手に取った。
◇
ゲーム自体は単純だった。
盤面には四つの通路があり、それぞれに色の違う扉がついている。いくつかの目印を動かし、対応する扉を開ければ出口へ辿り着ける。ただし、使える操作は決められた回数だけで、途中で手順を間違えると最初からやり直しになるらしい。ロゴスは説明を聞き終える前から盤面を眺め、すでにいくつかの動かし方を考えているようだった。
「端末の表示を見れば、仕掛けは複雑ではない。だが、手順の順序に注意が要るな」
「そういうこと。今回は、見えているものだけで解けるようにしてある」
メカニストが少し得意げに言った。
「セラスティア、先にやってみる?」
「いや、せっかくだからロゴスのを見てからにする。どんな間違いをするか気になるし」
「我が誤ることを前提にするとは、なかなか手厳しい」
「そりゃ、さっき端末を止めた人だからな」
ミザリーが声を立てずに笑い、メカニストも肩を震わせた。ロゴスは何か言い返すかと思ったが、盤面へ目を落とし、すぐに一手目を動かし始めた。最初の二つの目印は、迷いなく正しい場所へ収まった。ところが三つ目を動かした瞬間、開いていたはずの扉が一つ閉じる。ロゴスが指を止めたところで、メカニストが指を一本立てた。
「はい、残念。そこは引っかかると思ってた」
「……ふむ。先の動作が、別の通路にも作用していたか」
「ちゃんと表示は出てたよ。ほら、ここの小さな矢印」
「見落としていた。もう一度挑ませてもらおう」
「一回ずつ交代だよ。次はセラスティア」
ロゴスは不服そうな顔をしたわけではなかった。ただ、椅子から立ち上がる時にも、まだ盤面から目を離していなかった。
「……よほど悔しかったのね」
テレジアが小さく笑う。俺も少し笑いそうになったが、ロゴスと目が合ったので咳払いで誤魔化した。
「では、うぬの手並みを拝見しよう」
「そんなに期待しないでくれよ。俺、こういうの得意じゃないぞ」
「不得手だと分かっていて挑むのも、悪いことではあるまい」
「そういう話じゃないんだけどな」
俺は椅子を入れ替わり、盤面を初期状態へ戻した。
最初の操作はロゴスがやったのと同じだった。手順自体は見えていたし、あの矢印を踏まないようにする必要も分かっている。ただ、二手目へ進む前に、扉の色が隣同士で入れ替わることに気づいた。
「あれ、これって目印を動かすたびに扉の順番も変わるのか?」
「そう。そこがちょっとした仕掛け」
メカニストは楽しそうに答えた。俺はしばらく考えたあと、端末の隅にある説明を開く。さっき流し読みした一行が、今度は引っかかった。
『開いた扉は、その色が変わっても開いたままになる』
「……なるほど。じゃあ、色じゃなくて場所で覚えればいいのか」
「ん?」
ロゴスが少し身を乗り出した。
俺は右端の扉を先に開け、そのあと目印を一つずつ移動させた。最後の二手で色が入れ替わり、少し迷ったものの、先に開けた扉はそのまま残っている。最後の目印を押し込むと、画面に小さな音が鳴り、通路の先に出口が現れた。
「……お、開いた」
「おお!」
声を上げたのはメカニストだった。メカニストは画面の記録を確認すると、俺を見て嬉しそうに頷いた。
「その解き方、正解だよ。最短ではないけど、ちゃんとルールを使ってる」
「最短じゃないのか。まあ、時間制限がないならいいだろ」
「うん。こういうのは、別の方法が見つかるのが面白いんだ」
すると、隣にいたロゴスが端末の表示をじっと見つめたまま言った。
「最後の一手を先に処理すれば、三手を省けるやもしれぬ。……我も試してよいか?」
「もちろん。ただし、この端末に直接呪文をかけるのは勘弁してくれ。音声操作用のモジュールを用意するから、その時に試してもらおう」
「何度も言われずとも心得ておる」
その返事を聞いて、ミザリーがようやく口を開いた。
「まだ心配なら、端末の横に『アーツ禁止』と貼っておけばいい」
「……本当に貼ろうかな」
「それなら、少なくとも我の名は書かぬよう願いたい」
「書かなきゃ伝わらない相手がいるんじゃないか?」
俺がそう言うと、ロゴスは少しだけ眉を上げ、やがて静かに笑った。
◇
何度か順番を変えながら遊んでいるうちに、いつの間にか一時間近く経っていた。
ロゴスは三度目の挑戦で最短手順を見つけ、メカニストは嬉しそうにその記録を保存している。今度は別の盤面を作ると言い始めたので、俺はひとまず休憩するよう勧めた。すると、ミザリーが用意していた飲み物を机の上に並べ、空いている椅子をもう一つ寄せてきた。
「これでようやく一息つけるな」
「休憩しようと声をかけたのに、結局ずっと遊んでただろ」
「それが休憩になる連中もいる」
ミザリーはそう言いながら、紙のカップを俺に差し出した。中身は温かい茶だった。飲み物を持てないテレジアを見て、ついもう一つ受け取ろうとしかけたが、そこで手を止める。
「どうした?」
「……いや、何でもない。ありがとな」
ミザリーは特に気にした様子もなく、作業台の空いた場所へ腰を下ろした。部屋の奥ではメカニストが端末の記録を整理し、ロゴスがその画面を覗き込んでいる。二人とも話し始めると止まらないらしく、たまに同じところで笑っていた。
「……あの二人、いつもあんな感じなのか?」
「仕事の話をしていたはずなのに、いつの間にか遊びの話になっていることは多いな。片方だけなら大人しくしているのに、二人揃うと何かが始まる」
「よく分かるよ。今日だって、俺は何か壊れたのかと思って来たんだから」
「ああ。そう書いた方が来ると思った」
「……最初から分かってて呼んだのか?」
「まったく困っていないわけでもなかった。あのままではメカニストが端末を分解し、ロゴスが呪文で直そうとしていただろうからな」
「それは止めた方がいいな……」
俺が頷くと、ミザリーは小さく笑った。
そんな話をしていると、部屋の向こうでメカニストがこちらへ手を振った。
「セラスティア、もう一回やらない?今度は二人で協力して解くやつを用意できそうなんだ」
「いや、今日はもう十分遊んだだろ。そもそも仕事はいいのか?」
「ちゃんと終わらせたよ。これは空いた時間の研究なんだって」
「遊びと研究の境目が分からなくなってきたな」
「境目など、必ずしも要るものではない」
ロゴスが真面目な顔で言った。
「術も技術も、好奇心に支えられて進むことがある。たとえ失敗しても、そこから得るものはあるものよ」
「その通り。ただ、壊れた端末を直すのは私なんだから、次からは先に言ってくれよ」
「……それは承知した」
ロゴスが少し間を置いて答えたので、俺たちは顔を見合わせて笑った。
◇
夕方が近づくと、ミザリーは別の部署から呼び出しを受け、先に部屋を出ていった。
メカニストも端末を片づけ、翌日の作業予定を確認している。手伝えることがないか尋ねたところ、簡単な片づけだけで十分だと言われたので、俺は椅子を元の場所へ戻した。
「セラスティア」
作業台の横にいたロゴスが、不意に声をかけてきた。
「うぬが我らの遊びに付き合うとは、いささか意外であった」
「俺だってたまには遊ぶよ。そもそも、今日は修理か何かだと思って来たんだけどな」
「うむ。そう聞いておる。だが、途中で帰ることもできたはずだ」
その言葉に、俺は椅子の背へ手を置いたまま考えた。確かに、端末が動くようになった時点で帰ってもよかった。特に急ぎの仕事もなかったし、休むなら自分の部屋でもよかった。それでもここに残ったのは、ゲームが面白かったのと、三人の話をもう少し聞きたかったからだ。
「……まあ、楽しかったからな。次に面白そうなの作ったら、また呼んでくれよ」
「なるほど」
ロゴスが静かに頷いた。
「ならば、次は我からも問題を用意しておこう。うぬに解かせてみたいものがある」
「ちょっと待て。ロゴスの問題って、普通に読める文字で書いてあるんだろうな?」
「心配するな。少なくとも、解くために呪文を使う必要はない」
「それ、問題自体には呪文が書いてあるって意味じゃないよな?」
メカニストが横から笑い出した。ロゴスは答えず、意味ありげな表情のまま端末の電源が落ちるのを眺めている。
「……あんまり難しいのは勘弁してくれよ」
「難問でなければ、挑む甲斐もなかろう」
俺は諦めて肩をすくめた。近くにいたテレジアが、またくすくすと笑っている。
「ふふ。すっかり仲良しね」
「……そうかな」
思わず小さく返すと、ロゴスがこちらへ目を向けた。
「何か言ったか?」
「いや。次はもう少し簡単な問題にしてくれって話」
「ふむ。それについては善処しよう」
何となく信用できない返事だったが、もう一度念を押すのも野暮な気がした。
◇
整備区画を出た頃には、廊下の照明が夕方の設定へ切り替わっていた。
テレジアは俺の隣を歩きながら、先ほどまでのやり取りを思い出しているのか、時折小さく笑っている。あの部屋で彼女にしか聞こえない話を何度かしてしまったが、あの三人なら深く気にしないだろう。
「……あの端末の説明の一行、よく気づいたわね」
「たまたまだよ。最初に流し読みしたのが、あとで引っかかっただけだ」
「ふふ。でも、見つけたのはあなたでしょう?ロゴスも身を乗り出していたもの」
「あいつ、顔には出さなかっただろ」
「身を乗り出したのは、出ていたのと同じことよ」
「……それは言えてるな」
二人で笑いながら通路を曲がる。向こうでは医療区画の職員たちが行き交い、どこかの部屋からは食器を片づける音が聞こえてきた。いつものロドスの夕方だった。
「次は呼んでくれって言っていたわね。今度はこちらから行くの?」
「そうだな。ロゴスには難問を出されそうだけど」
「その時は、私も一緒に考えていいかしら?」
「もちろん。……ただし、俺には分からない答えを先に見つけても、すぐには教えないでくれよ」
「まあ。どうして?」
「自分で解いてみたいからさ。せっかくなら、少しは勝負になりたいだろ」
テレジアは目を丸くし、それから楽しそうに微笑んだ。
「……ええ。では、隣で応援しているわね」
「ああ。それで頼む」
少し歩いたところで、端末がまた鳴った。差出人はメカニストで、短い文章と試作品の画像が一枚添えられている。
『次の問題ができたら知らせるよ。今度はロゴスに先に触らせないから、安心してくれ』
それを読んでいると、続けて別の通知が入った。
『我にも送ってほしいものだな。――ロゴス』
「……何だよ、もう次の話してるのか」
思わず笑ってしまった。テレジアがどうしたのかと覗き込んできたので、画面を見せるように傾ける。彼女が読んでいるのを待ってから、俺は二人へ短く返事を送った。
『次は最初から呼んでくれ。俺も参加するから』
送信の表示が消えたところで、テレジアが嬉しそうに笑った。
「ふふ。楽しみが増えたわね」
「うん」
今度は、呼び出されるのを待つだけじゃなくてもいいかもしれない。そう思いながら端末をしまい、俺は彼女と並んで部屋へ向かった。