翌日の夕方、端末に新しい通知が届いた。
差出人はメカニストだった。次の謎解きに使う盤面ができたので、時間のある時に確認してほしいという内容で、末尾にはロゴスがすでに最短手順を三つ考えているらしい、と書き添えられていた。昨日あれほど騒いだというのに、二人とも随分と元気なものだ。
『明日なら時間がある。ロゴスには、今度こそ呪文を使わないように言っておいてくれ』
そう返して端末を伏せると、机の向こうで本を読んでいたテレジアが顔を上げた。
「また謎解きのお誘い?」
「ああ。新しいのができたらしい。明日、少し付き合ってくるよ」
「ふふ。昨日はあんなに大変そうだったのに、楽しみにしているのね」
「まあな。前回はロゴスに最短手順を見つけられたのがちょっと悔しかったし、メカニストがどんな仕掛けを作ったのかも気になる。……そういうお前は、今日はずっとその本を読んでるな」
「あなたが机に置いてくれたもの。続きが気になっていたのよ」
彼女が読んでいる本は、少し前から二人で読み進めている小説だった。紙をめくることのできないテレジアのため、俺は彼女が読みやすいように本を立てておいた。仕事をしている間にも時々ページを替えていたが、さっきからは自分の報告書に気を取られ、ずいぶん待たせてしまったらしい。
「悪い。次、めくるか?」
「ええ、お願い。……でも、先にあなたの仕事を終わらせてしまっていいのよ?」
「もう終わったよ。残りは明日でも間に合うし、今日はここまでにする」
端末を閉じ、机の上の資料を揃えた。以前なら、手の空いた時間には次の仕事を探していた気がする。けれど、こうして本を読んだり、誰かとくだらない勝負をしたりする時間も、今は自分から欲しいと思えるようになっていた。テレジアはそんな俺の様子を見て、満足そうに微笑んでいる。彼女に言われて休むようになったのは確かだが、最近はもう、何かを注意される前に自分で決めることが増えた。その変化を、彼女が誰より喜んでくれていることも知っている。
「……なあ、テレジア」
「なあに?」
「このあと、少し外の景色でも見に行かないか。展望通路の方、今なら人も少ないと思うんだ」
テレジアが瞬きをした。いつもは俺の予定に合わせてついてきてくれるので、改めて誘うのは妙に照れくさい。別に珍しい場所へ行くわけでもないのに、返事を待つ間だけ落ち着かなかった。
「……あなたから誘ってくれるの?」
「そんなに珍しいか?」
「いいえ。ただ、少し嬉しかったの。せっかくだから、その本の続きは帰ってからにしましょうか」
「分かった。じゃあ、行こう」
本に栞を挟み、閉じてから立ち上がった。テレジアは俺が上着を取るのを待ち、いつものように扉のそばへ向かう。並んで廊下に出ると、彼女は何か言いたそうに俺を見上げたが、結局小さく笑っただけだった。
◇
展望通路は、居住区画の端に設けられた細長い場所だった。
窓の向こうには荒野が広がり、遠くの山並みが夕日に染まっている。ロドスが進むにつれて岩の影がゆっくり後ろへ流れていくが、外の景色に見入っていると船が動いていることを忘れそうになる。時折、足元から伝わる小さな振動だけが、ここがロドスの艦内なのだと思い出させた。
「今日はよく晴れているわね」
「そうだな。朝は曇ってたけど、この時間になって雲が切れてきたみたいだ」
窓際に据えられた長椅子の近くまで来ると、テレジアが足を止めた。俺もそこに腰を下ろし、彼女が隣へ座るのを待つ。椅子に重なるように腰を下ろした姿は、相変わらず不思議な光景だったが、今では何も言わずに見ていられる。
「……昔も、こうして外を眺めることがあったわね」
「バベルの時か?あの頃は大体、会議が終わるのを待ってた気がするけど」
「ふふ。そうだったかしら。あなたが先に来ていて、私があとから見つけることもあったでしょう?」
「……ああ、そういえば。仕事が早く終わった日は、よくあそこで時間を潰してたな」
当時のバベルでは、落ち着いて座っていられる場所もそう多くなかった。作戦の準備や物資の運搬で廊下を行き来する人が絶えず、休憩室にも誰かしらいた。だから俺は、窓の外がよく見える通路に立ち寄ることが多かったのだ。ただ、結局はそこでもテレジアと一緒にいた。彼女が仕事の合間に俺を見つけ、何を見ているのかと尋ねてくる。特別な話をした記憶はほとんどないが、一緒にいた時間の長さだけは、今もよく覚えていた。
「お前、忙しいのにわざわざ来てくれてたよな」
「いつもというわけではないわ。少し休みたくなった時に、あなたがいるのを見つけると嬉しかったの。あなたはあまり自分から休もうとしなかったから、私の方からお茶に誘うこともあったでしょう?」
「あったな。ケルシーに見つかって、二人とも仕事に戻れって言われたこともある」
その時のことを思い出したのか、テレジアが声を立てて笑った。俺もつられて笑いながら窓へ目を向ける。外に広がる大地はバベルの頃とは違っていても、隣から聞こえる笑い声はよく知っているものだった。
「……今は、私から誘わなくても休むようになったわね」
「ああ。たまには誰かと遊ぶのもいいし、仕事のない日は普通に休みたい。前よりやりたいことが増えたんだと思う」
「ロスモンティスたちとの研修も、楽しそうだったものね」
「うん。あれはまたやりたいよ。メカニストの謎解きもそうだけど、自分から次を楽しみにできるのって、結構いいもんだな」
そう言ってから、彼女の方を見た。テレジアは窓の外ではなく、こちらを見ていた。俺が気づくと穏やかに微笑んだものの、なぜかすぐには顔を戻さなかった。
「……何だよ。変なこと言ったか?」
「いいえ。あなたがそんなふうに話してくれるのが、嬉しいだけよ」
彼女の言葉は、このところ何度も聞いている気がした。チェルノボーグから帰ってきて、自分のやりたい仕事をケルシーへ伝えた時も、ブレイズたちと過ごした日の帰り道でも、テレジアは同じように喜んでいた。俺にとっては小さな変化でも、彼女にはずっと待ち望んでいたことだったのだろう。
「……そうか。じゃあ、今日は誘ってよかったな」
「ええ。とても」
少しだけ照れくさくなって、俺は窓へ目を戻した。夕日は山並みへ沈みかけ、通路の照明がゆっくり明るくなり始めている。もう少しすると、外の景色よりも窓に映った自分の方がよく見えるようになるはずだった。そのガラスには今、俺の姿しか映っていない。テレジアは確かに隣に座っていて、声も聞こえる。それでも窓に二人の姿が並ぶことはないし、長椅子の上にある彼女の手を取ることもできなかった。こうして過ごす時間が好きだからこそ、何でもない瞬間にそのことを思い出す。
「……セラスティア?」
呼ばれて顔を向けると、テレジアが少し心配そうにこちらを見ていた。俺が黙り込んでいたからだろう。彼女は何かを尋ねる前に、俺が話し始めるのを待ってくれていた。
「いや。何でもないって言おうとしたんだけどさ」
「ええ」
「……ちょっと、聞いてほしいことがある。ここへ誘ったのも、それを話したかったからなんだ」
自分で言って、ようやく逃げ道がなくなった気がした。とはいえ、誰かに急かされたわけでも、今夜中に言わなければいけない理由があるわけでもない。俺が話したいと思い、テレジアにも聞いてほしいと願ったから、ここにいる。
テレジアは身体をこちらへ向けた。いつもの穏やかな表情だったが、膝の上に重ねた両手がわずかに動く。俺は一度だけ息を吐き、昔のことから話すことにした。
「バベルにいた頃、俺さ、お前のことばっかり考えてたんだよ」
「あら。今になって、そんなことを言うの?」
「笑うなって。……いや、笑われても仕方ないけど。あの頃の俺は、お前が何をするか決めたら、それについていくのが当たり前だと思ってた。次にどこへ行きたいとか、何をしたいとか、自分のことはあんまり考えてなかったんだ」
彼女は笑うのをやめ、静かに頷いた。
「……ええ。知っていたわ」
「だろうな。今思うと、随分心配かけてたと思う。俺はお前と一緒にいられれば、それでいいって本気で思ってたから」
「私も、あなたがそばにいてくれることに甘えていたのよ。あの頃、あなたが私を頼ってくれるのは嬉しかったから」
少し驚いて顔を上げた。テレジアは目を逸らさずに続ける。
「もっと自分のことを考えてほしいと思っていたのに、その一方で、あなたが私の隣にいてくれることを当たり前のように喜んでいたの。……ずるかったでしょう?」
「そんなふうに思ったことはないよ。俺が勝手についていってたんだから」
「ふふ。そこは昔から変わらないわね。自分のことになると、すぐに私を庇うんだから」
からかうように言われ、返す言葉に困った。彼女も同じように自分の気持ちを抱えていたのなら、俺が一方的に支えられていたと思うのは違うのかもしれない。そんな当たり前のことを、今になって知った気がする。
「……昔、お前と夏雪草を探しに行こうって話したの、覚えてるか?」
「もちろん。あなたが『二人で』って言ってくれた日のことでしょう?」
「覚えてるんだな」
「忘れるはずがないわ。あの日は私にとって、とても大切な日だったのよ」
俺は、あの時の彼女の顔を思い出そうとした。嬉しそうに笑っていたことは覚えている。けれど、その笑顔が何を意味していたのか、当時の俺には分かっていなかった。
「……あの日、お前に言われただろ。今度は忘れないでね、って」
「ええ。言ったわね」
「何を忘れるなって言われたのか、あの時は分からなかった。でも、今なら少し分かる気がする」
テレジアの指先が膝の上で重なった。何か答えようとして口を開きかけたものの、彼女はそのまま言葉を飲み込む。さっきまでの微笑みには、少し緊張したような色が混じっていた。
俺の方も、随分遠回りしてしまった気がする。言おうと思っていたことは、もっと簡単なはずだった。それなのに、昔の思い出や今の自分のことを話していると、あれも伝えたい、これも聞いてほしいという気持ちが次々に浮かんでくる。
「……俺、ロドスにいたいってケルシーに話しただろ。お前も聞いてたと思うけど」
「ええ。覚えているわ」
「アーミヤやアスカロンたちがいるからっていうのは、本当だよ。ほかにも大事な人が増えたし、やってみたい仕事もある。……これからもここで生きていきたいって、ちゃんと自分で思ってる」
テレジアは黙って頷いた。
「その上でさ。俺は、やっぱりお前と一緒にいる時間が好きなんだ。仕事の話をしたり、本を読んだり、どうでもいいことで笑ったり。何か面白いことがあったら、真っ先にお前に聞いてほしくなる」
言葉にすると、胸の奥にあったものが少しずつ形になっていくのが分かった。彼女がいなければ何もできなかった頃とは違う。今日は誰と会うか、明日は何をするか、自分で決めたその先に、テレジアにもいてほしいと思っている。
「お前が俺のことを心配してくれるのも嬉しいけど、それだけじゃないんだよ。俺だって、お前が何を考えてるのか知りたいし、嬉しいことがあったなら聞かせてほしい。……お前自身の話を、もっと聞きたいんだ」
テレジアが息を呑んだ。彼女は俺を見つめたまま、何も言わなかった。静かな通路には船の駆動音だけが響き、窓の外では夕日の最後の光が山の向こうへ消えかけている。俺はもう一度、彼女の目を見た。
「昔からずっと好きだった。今も好きだ。……テレジア、俺と付き合ってほしい」
言い終えてから、心臓の音がやけに大きく聞こえた。
ここまで話しておいて、返事が怖くないわけではなかった。テレジアとは長い間一緒にいたし、これからだって隣にいてくれるのかもしれない。けれど、今までと違う名前を二人の関係につけたいと願ったのは俺で、その気持ちを彼女がどう受け止めるのかは、聞いてみなければ分からなかった。
テレジアは何も言わなかった。ほんの少し目を見開き、俺の顔を見つめている。聞こえなかったのかと思いかけた時、彼女の唇がかすかに動いた。けれど、そこから声は出てこなかった。
「……テレジア?」
ようやく名前を呼ぶと、彼女ははっとしたように両手を持ち上げた。その手が口元を覆い、俺から見えるのは大きく揺れた瞳だけになる。次の瞬間、目尻に溜まった涙が頬を伝った。
泣いている。
そう気づいた俺が立ち上がりかけると、テレジアは小さく首を横に振った。口元を両手で覆ったまま、笑おうとしているのが分かる。涙は止まらないのに、その目は今まで見たことがないくらい嬉しそうだった。
「……ごめん。急にこんなこと言って、困らせたか?」
「……違うの」
ようやく聞こえた声は、ひどく震えていた。テレジアは一度目を閉じ、涙をこらえようとしたらしいが、少しも上手くいかなかった。両手を下ろすと、そのまま自分でも困ったように笑う。
「ごめんなさい。こんな顔を見せるつもりじゃなかったのに……とても、嬉しくて」
「……嬉しい?」
「ええ。ずっと、あなたに伝えたかったことがあるの。だけど、私が言えば、あなたは私を喜ばせるために頷いてしまうんじゃないかと思っていたわ」
テレジアは頬を伝う涙をそのままにして続けた。落ち着こうとするたびに小さく息が震え、それでも今度は目を逸らさない。俺も彼女の言葉を遮らずに待った。
「あなたが自分のやりたいことを見つけて、たくさんの人と笑うようになって……その姿を見ているだけで、胸がいっぱいだったの。私の隣にいなくても、あなたはちゃんと楽しく過ごせるのだと分かって、安心したのよ」
「……うん」
「それでも今日、あなたの方から誘ってくれて、私と一緒にいるのが好きだと言ってくれたでしょう?私が言ってほしいからではなくて、あなたがそう思ってくれたことが……どうしようもなく、嬉しいの」
テレジアはそこで少しだけ俯いた。頬に残った涙の跡を見て、俺は彼女に何かしてやりたいと思った。手を伸ばしかけたが、今は触れられないことを思い出し、膝の上で指を握る。
「……あのさ。返事、急がなくてもいいからな」
「まあ。そこまで言わせておいて、待たせるつもりなの?」
涙の残る顔でそんなことを言うものだから、思わず口を閉じた。テレジアはようやくいつものように微笑み、椅子に座ったまま身体をこちらへ向ける。
「……私もよ、セラスティア。私も、あなたが好き。昔から、ずっと好きだったわ」
彼女は言葉を区切り、少し照れたように目を伏せた。普段なら穏やかに笑って何でも受け止めてくれる人が、今は俺と同じように返事を待っている。そのことが、何だか信じられなかった。
「あなたと一緒にいる時間が好きだったの。昔も、今も。それは、私が誰かに頼られる立場だったからではなくて……セラスティア、あなた自身と一緒にいたかったからよ」
「……そっか」
声が少し掠れた。嬉しい時に何と言えばいいのか、こういう時ほど分からなくなる。けれど、黙ったままでは彼女を不安にさせてしまいそうで、俺は自分でも呆れるくらい素直な言葉を口にした。
「……よかった。ずっと、俺だけがそんなこと考えてるのかと思ってた」
「ふふ。そうだったのね。私も、あなたが気づいてくれないのだと思っていたわ」
「……言ってくれればよかったのに」
「あなたこそ。あの時、私が何を忘れないでと言ったのか、ちゃんと聞いてくれたらよかったのよ」
「聞いただろ。お前が秘密にしたんじゃないか」
「そうだったかしら?」
とぼける声に、思わず笑った。彼女も笑っていたが、しばらくすると目元をそっと押さえ、まだ涙が出ることに少し驚いている。笑っても泣いても、彼女の声がここにあることが、今はひどくありがたかった。
「……それで、テレジア。さっきの返事なんだけど」
「もう伝えたつもりだったけれど?」
「好きだっていうのは聞いた。……俺と付き合ってくれるのか、ちゃんと聞きたい」
彼女は驚いたように俺を見て、それから頬を赤らめて笑った。涙を流していた時とは違う、どこか恥ずかしそうな表情だった。
「……ええ。喜んで。私でよければ、あなたの恋人にしてください」
「……ありがとう」
「ふふ。お礼を言うのは、私の方かもしれないわね」
二人で顔を見合わせたまま、しばらく笑っていた。窓の向こうから夕日が消え、通路には夜間照明の柔らかな光が落ちている。周囲に誰もいないことは分かっていたが、それでも少しだけ声を抑えたくなるような、不思議な気恥ずかしさがあった。
◇
落ち着いてからも、俺たちはすぐには部屋へ戻らなかった。
テレジアは長椅子の上で膝を揃え、時折こちらを見ては微笑んでいる。俺も何か話そうとするたびに、さっき自分が言ったことを思い出してしまい、うまく言葉を選べなかった。長年の付き合いなのに、こんなふうに落ち着かなくなることがあるとは思わなかった。
「……ねえ、セラスティア」
「ん?」
「さっきから、ずいぶん静かね。いつもなら何かしら言ってくれるのに」
「今はちょっと、何を話しても変なこと言いそうでさ」
「まあ。それなら、私も気をつけなくてはいけないかしら」
「お前は普通に喋ってくれよ。二人して黙ったら、さすがに気まずいだろ」
「ふふ。あなたとなら、黙って景色を眺めているのも好きよ」
それはそうかもしれない。昔から何も話さずに過ごす時間はあったし、今日だってここへ来るまで、いつもどおりの会話をしていた。変わったのは、俺たちが互いの気持ちを知ったことくらいだ。ただ、その「くらい」が思っていたより大きかった。
「……なあ。もう一回、名前呼んでもいいか?」
「私の名前?ふふ、何度でもどうぞ」
「……テレジア」
「ええ、セラスティア」
呼んで、返事をもらっただけだった。それなのに、どうしてこんなに嬉しいのか分からない。テレジアも俺の顔を見て笑っているので、同じようなことを考えているのかもしれなかった。
「……ところで、あなた。明日はメカニストたちと遊ぶ約束をしていたでしょう?」
「ああ。午後から行くつもりだよ。何か用事があるのか?」
「いいえ。ただ、今のあなたなら、少しからかわれてしまうかもしれないと思ったの」
「……何でだよ」
「さっきから、とても嬉しそうな顔をしているもの」
「それはお前もだろ」
「そうね。私も、とても嬉しいわ」
何のためらいもなく答えられ、俺の方が黙ってしまった。テレジアはそれが面白かったらしく、少し得意げに笑っている。昔からこういう時だけは、どうにも彼女に勝てない。
「……帰るか。そろそろ夕食の時間だし」
「ええ。あの本の続きも気になるわね」
「そうだった。せっかくだし、今日は最後まで読もうか」
「ふふ。あなたが途中で眠らなければ、ね」
「今日は寝ないって。続きは明日でも間に合うから、今夜はゆっくりできるし」
椅子から立ち上がり、扉の方へ歩き出した。テレジアも隣に並ぶ。触れ合うことはできなくても、歩く速さを合わせるのは昔から得意だった。途中、彼女が少しだけ前へ出てから、こちらを振り返った。
「……ねえ、セラスティア」
「どうした?」
「今日のこと、私、きっと何度も思い出すと思うわ」
「……俺もだよ」
そう答えると、テレジアは嬉しそうに頷き、また隣へ戻ってきた。廊下の先には食堂へ向かう人の姿が見え、遠くで誰かが友人を呼んでいる。いつもどおりの一日の終わりだった。けれど、さっき彼女に伝えた言葉を思い出すたびに、胸の奥が少し温かくなる。
俺が選んだ場所へ、俺の足で帰っていく。隣には、昔から好きだった人がいる。今はその人も、俺のことを好きだと言ってくれた。