夏雪草が帰る場所   作:Bestmeever

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第4話 もう一つの理由

訓練場へ着いた時には、当然のように訓練は始まっていた。

 

「遅い!」

 

そして、到着した瞬間に怒られた。

 

肩で息をしながら、訓練場の中央を見る。

 

アスカロンは訓練用の武器を握り、不満を隠そうともせずこちらを睨んでいた。その周囲にはいくつもの標的が並び、ほとんどに攻撃した跡が残っている。

 

どうやら俺が来るまで、一人でずっと続けていたらしい。

 

「悪かった。ケルシーの話が思ったより長くて」

 

「昨日も来なかった!」

 

「それも悪かったって」

 

「昨日と今日で二回」

 

「数えなくていいだろ……」

 

アスカロンは頬を膨らませる。

 

「ちゃんと来るって言ったのに」

 

「だから来ただろ。遅れたけど」

 

「遅刻は遅刻」

 

「……はい」

 

こういうところだけ妙に厳しい。

 

しかも昨日のことまで忘れてくれる気配がない。

 

「次は忘れないで」

 

「忘れないよ」

 

たぶん。

 

そう思った瞬間、アスカロンの目が細くなる。

 

「今、また忘れそうって思った?」

 

「思ってない」

 

「嘘」

 

即答だった。

 

本当に勘がいい。

 

しばらく俺を睨んでいたアスカロンは、やがて何かを決めたように武器を構えた。

 

「じゃあ、その代わり今日は戦って」

 

嫌な予感がする。

 

「俺、昨日も戦ってきたんだけど」

 

「知ってる。でも昨日の分もあるから、今日は見るだけじゃ駄目」

 

「訓練って借金みたいに貯まるのか?」

 

「貯まる!」

 

初めて聞いた。

 

だが、本人がそう言い張るのなら仕方ない。

 

近くに置いてあった訓練用の剣を手に取る。

 

「分かった。ただし、熱くなりすぎるなよ。怪我するような攻撃もなし。それと――」

 

「分かってるから早く!」

 

「……本当に分かってる?」

 

「早く!」

 

元気だな。

 

俺が剣を構えると、アスカロンの表情が変わった。

 

さっきまでの子供らしい顔が消える。

 

視線が俺の剣、足、肩へ動く。

 

切り替えは速い。

 

「いつでもいいぞ」

 

「……うん」

 

次の瞬間、アスカロンの姿が消えた。

 

正確には、消えたように見えた。

 

気配を薄くしながら俺の視界から外れ、足音もほとんど残さず位置を変える。

 

前に見た時より上手くなっている。

 

俺はその場から動かない。

 

右。

 

違う。

 

後ろでもない。

 

ほんの僅かに、空気が揺れる。

 

「そこだろ」

 

振り向きながら剣を上げる。

 

訓練用の武器同士がぶつかり、乾いた音が響いた。

 

「むぅ……!」

 

「惜しかったな。前より気配が薄くなってる」

 

褒めたつもりだったのだが、アスカロンは納得していない。

 

「なんで分かったの!?」

 

「勘」

 

「またそれ!」

 

「本当にそれしか言いようがないんだよ」

 

アスカロンが不満そうに飛び退く。

 

「テレシスも同じこと言う!ちゃんと教えて!」

 

「教えられるなら教えてるよ」

 

本当に感覚でしかない。

 

殺気。

 

空気の流れ。

 

小さな音。

 

相手の目線。

 

長く戦っているうちに、そういったものを一つずつ考えなくても身体が拾うようになった。

 

全部まとめて「勘」と言うしかない。

 

「じゃあ、もう一回!」

 

「休まないのか?」

 

「今度は当てる!」

 

もうこちらの話を聞いていない。

 

仕方なく剣を構え直した。

 

今度は正面。

 

アスカロンが一気に距離を詰め、下から武器を振り上げる。

 

受ける。

 

すぐ横薙ぎへ切り替える。

 

それも止める。

 

小さな身体を生かし、俺の周囲を回りながら次々と攻撃してくる。

 

悪くない。

 

ただ、一つだけ気になった。

 

「踏み込みすぎ」

 

「え?」

 

半歩避け、その足を引っかける。

 

勢いを止められなかったアスカロンの身体が前へ傾く。

 

転ぶ寸前で腕を掴んだ。

 

「ほら。相手に避けられたら今みたいになる」

 

「でも、踏み込まないと届かない」

 

「届かなくてもいいんだよ。一回で決めなきゃいけない理由なんてない。危ないと思ったら一度離れろ。生きてれば、次がある」

 

アスカロンを立たせる。

 

少女はすぐには武器を構えず、少し考えていた。

 

「テレシスは、もっと前に出ろって言った」

 

「それも間違ってない」

 

「でもセラスティアは離れろって言った」

 

「戦ってる相手も状況も毎回違うからな。いつでも同じ答えになる方がおかしいんだ」

 

ますます難しそうな顔になる。

 

まあ、子供に言うには少し分かりづらいか。

 

「テレシスは、多分『勝つための戦い方』を教えてるんだろ」

 

「セラスティアは?」

 

少し考える。

 

俺が教えられるものなんて、それほど立派なものではない。

 

長く戦って、生き残って。

 

気がつけば覚えていただけだ。

 

「俺は……死なないやり方かな」

 

「勝つのと違うの?」

 

「似てるけど、同じじゃない」

 

勝たなければならない時もある。

 

逃げた方がいい時もある。

 

誰かを守るなら、自分が勝つことより、そいつを生かす方を優先しなければならないこともある。

 

「戦ってると、予定通りにならないことなんていくらでもある。一つのやり方だけ覚えない方がいいよ」

 

アスカロンは俺の言葉をしばらく考えたあと、強く頷いた。

 

「じゃあ両方覚える!」

 

「それが一番だな」

 

迷いがない。

 

こういうところは素直だ。

 

「じゃあ、もう一回!」

 

「少しくらい休ませてくれない?」

 

「昨日休んだ!」

 

「昨日は任務だったんだけど……」

 

「早く!」

 

結局、それから何度付き合わされたか分からない。

 

正面。

 

右。

 

背後。

 

姿を隠してからの奇襲。

 

繰り返すたびに動きが少しずつ変わっていく。

 

さっき教えたことも、すぐに試している。

 

飲み込みはかなり速い。

 

「もう一回!」

 

「まだやるのか?元気すぎるだろ」

 

「セラスティアがおじさんなだけ」

 

「誰がおじさんだ」

 

「セラスティア」

 

「……よし。次は少し本気でやるか」

 

「大人げない!」

 

そう言いながら笑っている。

 

俺もつられて笑った。

 

「来い」

 

「今度こそ!」

 

アスカロンが正面から走ってくる。

 

そう見えた瞬間、進行方向が横へ流れた。

 

一度俺の視界へ自分から入り、そこから死角へ回り込む。

 

さっきまでとは違う。

 

俺が剣を下げるより僅かに早く、アスカロンの武器が動いた。

 

避けた。

 

――つもりだった。

 

布が擦れる。

 

見ると、服の端に小さな切れ目が入っている。

 

アスカロンも止まり、自分の武器と俺の服を交互に見た。

 

「……当たった?」

 

「服だけな」

 

一瞬。

 

アスカロンの顔が一気に明るくなる。

 

「当たった!」

 

「だから服だけだって」

 

「当たったのは当たった!」

 

「はいはい」

 

「やった!一本!」

 

「一本ではない」

 

「一本!」

 

「掠っただけ」

 

「一本!」

 

無理だ。

 

これ以上何を言っても聞きそうにない。

 

俺は笑いながらアスカロンの頭に手を置いた。

 

「まあ、でも強くなったな」

 

「……!」

 

分かりやすいくらい表情が明るくなる。

 

何度か頭を撫でる。

 

「ただし、まだ俺の勝ち」

 

「次はちゃんと当てる!」

 

「頑張れ」

 

「次は避けないで!」

 

「それじゃ訓練にならないだろ」

 

「じゃあ避けても当てる!」

 

「それでこそだ」

 

頭から手を離そうとすると、アスカロンが少しだけこちらを見上げた。

 

何か言いたそうだ。

 

視線が俺の手へ向いている。

 

なるほど。

 

「もう少し撫でる?」

 

「……別に」

 

「じゃあ終わり」

 

「待って!」

 

「どっちだよ」

 

思わず笑う。

 

もう一度頭へ手を置くと、今度は何も言わなかった。

 

「随分と楽しそうね」

 

聞き慣れた声に振り返る。

 

訓練場の入口に、テレジアが立っていた。

 

「いつからいた?」

 

「さて。いつからかしら」

 

「またそれか」

 

アスカロンはそんな俺たちを無視して、嬉しそうにテレジアのところへ駆けていった。

 

「テレジア!見てた!?当てた!」

 

「ええ。ちゃんと見ていたわ。すごいわね、アスカロン」

 

「服だけだぞ」

 

「当てた!」

 

「……もういいよ」

 

二対一だ。

 

完全に俺の負けだった。

 

アスカロンはそのまま、まだ練習すると言って標的の方へ走っていく。

 

俺とテレジアは並んでその姿を眺めた。

 

「……元気だな」

 

「ええ。あなたとの訓練を、本当に楽しみにしているのよ」

 

「そうなのか?」

 

「気づいていなかったの?」

 

「訓練そのものが好きなんだと思ってた」

 

テレジアは、呆れたような、それでもどこか楽しそうな笑みを浮かべる。

 

「あなたはもう少し、人の気持ちを考えてみてもいいかもしれないわね」

 

「なんで俺が怒られてるんだよ」

 

「怒ってはいないわ。それに、いい師匠だと思っているのよ?」

 

「俺は師匠じゃないって。ちゃんと教えてるのはテレシスだろ」

 

「兄さんとは違うものを、あなたから教わっているのかもしれないわ」

 

違うもの。

 

何だろう。

 

自分では分からない。

 

「本人が楽しそうなら、それでいいけど」

 

「ええ。それでいいと思うわ」

 

◇

 

訓練場を離れ、テレジアと廊下を歩く。

 

しばらくしてから、テレジアが思い出したようにこちらを見る。

 

「そういえば、正式にバベルへ入って最初の日だったわね。どうだった?」

 

どう、と言われても困る。

 

朝からケルシーに長い説明をされた。

 

アスカロンとの約束を忘れかけて走った。

 

着いたら怒られ、その後はずっと訓練に付き合わされた。

 

「いつも通りじゃないか?」

 

「そう?」

 

「ああ。まあ……アスカロンの訓練を見るのも、別に嫌いじゃないし」

 

本当に何気なく言っただけだった。

 

けれど、テレジアが足を止める。

 

「どうした?」

 

「……いいえ」

 

俺を見て、少しだけ嬉しそうに笑った。

 

「そう。それならよかったわ」

 

「何が?」

 

「それは秘密」

 

「またかよ」

 

結局、理由は教えてくれなかった。

 

俺もそれ以上は聞かなかった。

 

バベルへ入った理由なんて、今でも変わらない。

 

テレジアがいるから、俺もいる。

 

それだけだ。

 

ただ。

 

明日もアスカロンとの訓練があることを。

 

それを少し楽しみにしている自分がいることを。

 

この時の俺はまだ、「ここにいる理由」の一つに数えてすらいなかった。

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