夏雪草が帰る場所   作:Bestmeever

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段落が変になってたので修正しました


第5話 それ以外に

正式にバベルへ加わってから、何日かが経った。

 

何か大きく変わるのかと思っていたが、俺の生活はそれほど変わっていない。

 

テレジアのそばにいて、必要なら任務へ出る。

 

戻ればアスカロンの訓練に付き合う。

 

時々ケルシーに呼び出されて、話の半分も理解できないまま長い説明を聞く。

 

違うところがあるとすれば――。

 

「セラスティア、ちょうどよかった。これを倉庫まで頼めないか?」

 

廊下を歩いていた俺は、バベルの兵士に呼び止められた。

 

当然のように箱を差し出される。

 

中身は医療品らしい。

 

「なんで俺が?」

 

「手が空いているだろう?」

 

「俺、正式に入ったばっかりなんだけど」

 

「だから頼んでいる」

 

「新人って普通、もう少し優しく扱われない?」

 

「今も十分優しく頼んでいるつもりだが」

 

「そういう意味じゃないんだよな……」

 

断る理由もないので、結局受け取った。

 

最近、こういうことが増えた。

 

以前なら俺に用がある人間など、ほとんどテレジアくらいだった。

 

今は違う。

 

荷物を運んでくれ。

 

訓練を見てほしい。

 

任務の相談がある。

 

ケルシーが呼んでいる。

 

テレジアはどこだ。

 

最後のだけは前からだった気もする。

 

箱を抱え直し、倉庫へ向かう。

 

途中ですれ違う人間からも自然に声をかけられる。

 

名前を覚えられるのは早かった。

 

俺が何か特別なことをしたというより、以前から「テレジアの隣にいる奴」として知られていたらしい。

 

「セラスティア!」

 

聞き慣れた声が廊下に響く。

 

振り返ると、アスカロンがこちらへ走ってきた。

 

「走ると危ないぞ」

 

「今日、訓練!」

 

「分かってるよ。この荷物を倉庫に置いたら行くから」

 

アスカロンは俺ではなく、腕に抱えた箱を疑うように見る。

 

「忘れない?」

 

「前に一回忘れただけだろ」

 

「一回じゃない」

 

「……今日は忘れないって」

 

それでもしばらく疑うように俺を見ていたが、最後には納得したらしい。

 

「じゃあ待ってる!」

 

来た時と同じ勢いで走っていく。

 

「だから走るなって!」

 

「分かった!」

 

絶対分かっていない。

 

小さく息を吐いたところで、すぐ後ろから低い声が聞こえた。

 

「随分と懐かれたものだな」

 

「うわっ」

 

振り返る。

 

「……テレシスか。急に後ろから声かけるなよ」

 

「お前が気づかなかっただけだ」

 

テレシスは俺の文句を無視して、アスカロンが消えた廊下の先を見る。

 

「訓練か」

 

「ああ。最近よく付き合わされてる」

 

「付き合わされている、か」

 

妙なところを拾われた。

 

「本人がやりたがるんだから仕方ないだろ」

 

「そうか」

 

短く答えたあと、何故か俺をじっと見る。

 

この兄妹は時々こういうところが似ている。

 

何を考えているか分からないまま、こちらを見る。

 

「何?」

 

「少し時間はあるか」

 

「これを倉庫へ置いてからなら」

 

「ならば来い。話がある」

 

嫌な予感がした。

 

「俺、何かした?」

 

「心当たりがあるのか?」

 

「ないけど」

 

「なら問題ない」

 

そう言ってさっさと歩き始める。

 

相変わらず説明が足りない。

 

「……兄妹だなぁ」

 

「何か言ったか?」

 

「何も」

 

聞こえてるじゃないか。

 

◇

 

荷物を倉庫へ届けたあと、テレシスについていく。

 

連れてこられたのは、普段あまり使われていない部屋だった。

 

机と椅子があるだけ。

 

特に変わったものはない。

 

テレシスは椅子にも座らず、腕を組んでこちらを見る。

 

「バベルに正式に加わったそうだな」

 

「今さらその話?」

 

「確認だ。理由を聞いておきたい」

 

「理由?」

 

「お前がバベルへ加わった理由だ」

 

何を聞かれているのか分からない。

 

そんなものは最初から決まっている。

 

「テレジアがいるから」

 

答える。

 

考える必要すらなかった。

 

だが、テレシスはすぐに何も言わなかった。

 

「……やはりか」

 

「何だよ」

 

「では聞くが、テレジアがバベルを離れると言えば、お前はどうする?」

 

「俺も行く」

 

「戦いをやめ、別の場所で生きると言えば?」

 

「一緒に行くよ」

 

「お前自身に別の役目があったとしてもか」

 

「必要なら終わらせてから追いかける」

 

何を当たり前のことばかり聞いているんだ。

 

そう思っていると、テレシスはさらに続けた。

 

「彼女がお前についてくるなと言った場合は?」

 

「理由を聞く」

 

「それでも来るなと言われれば?」

 

「……さっきから何が言いたいんだ?」

 

少し苛立ってきた。

 

テレシスはそこで初めて質問を止めた。

 

しばらく黙ったあと、静かに言う。

 

「テレジア以外に、お前がここにいる理由は何だ」

 

思ってもいなかった問いだった。

 

「そんなもの、必要なのか?」

 

「必要かどうかは聞いていない。あるのか、と聞いている」

 

答えようとして、言葉が止まる。

 

バベルへ入ったのはテレジアがいるからだ。

 

任務へ出るのも、ここで暮らしているのも、全部その延長だと思っていた。

 

「……ないな」

 

「そうか」

 

「だから何だよ。わざわざ呼び出して、それを確認したかったのか?」

 

「ならば聞き方を変えよう」

 

テレシスの目が、まっすぐ俺へ向けられる。

 

「お前は、自分が何をしたいのか考えたことがあるか?」

 

今度は答えられる。

 

「テレジアのそばにいたい」

 

「それはテレジアとの関係の話だ。彼女と関係のないところで、お前自身が望むものは?」

 

また言葉が止まった。

 

何だ、この質問。

 

「戦うことが好きなのか」

 

「別に」

 

「バベルの理念そのものに、お前自身が共感しているのか」

 

「テレジアがやろうとしていることは応援してるよ」

 

「お前自身は?」

 

「同じようなもんだろ」

 

「違う」

 

短く言い切られ、眉を寄せる。

 

テレシスの表情は変わらない。

 

「テレジアが望むから、お前も望む。テレジアが進むから、お前も進む。お前は長い間、それを当然のこととしてきた」

 

「悪いのか?」

 

「悪いとは言っていない」

 

「じゃあ何なんだよ」

 

「危ういと言っている」

 

思わず言葉に詰まる。

 

少し腹が立った。

 

「俺の何が危うい?」

 

「お前自身が、どこにもいない」

 

「……俺は俺だろ」

 

「ならば答えられるはずだ」

 

テレシスが一歩近づく。

 

「テレジアの隣に立つこと以外に、お前が望むものは何だ?」

 

答えられない。

 

別に、何もないからだ。

 

テレジアがいる。

 

それでいい。

 

俺が自分の名前を嫌っていた頃も。

 

戦場を歩いていた頃も。

 

今こうしてバベルにいるのも。

 

ずっとテレジアが隣にいた。

 

「それの何が悪いんだ」

 

「だから、悪いとは言っていない。彼女の隣に立つことがお前自身の意思なら、それでいい。だが、誰か一人の存在だけに自分のすべてを預けることと、自分でその人の隣を選ぶことは同じではない」

 

分からない。

 

同じにしか思えない。

 

「俺がそれでいいって言ってるんだから、いいだろ」

 

「お前だけの話ならな」

 

「どういう意味だ?」

 

テレシスは少しだけ間を置いた。

 

「テレジアはどう思う?」

 

返事が止まった。

 

「……あいつだって、俺がいる方がいいだろ」

 

「そうだろうな」

 

「なら――」

 

「だからこそだ」

 

テレシスの声が僅かに低くなる。

 

「あいつがお前を大切に思っているからこそ、お前が自分のためだけに生きることを、心から喜べると思うのか?」

 

答えられなかった。

 

テレジアの顔が頭に浮かぶ。

 

嬉しそうに笑う顔。

 

困ったように笑う顔。

 

そして最近。

 

俺が「お前がいるから」と言った時に、時々見せる表情。

 

嬉しそうなのに。

 

どこか寂しそうな。

 

「兄さん」

 

扉の方から声がした。

 

振り返る。

 

テレジアが立っていた。

 

「そのくらいにして」

 

「聞いていたのか」

 

「途中からね」

 

こちらへ歩いてくる。

 

「セラスティア、ごめんなさい。兄さんは少し言い方が――」

 

「別にいいよ」

 

そう答えた声が、自分でも分かるくらい少し固かった。

 

怒っているわけではない。

 

ただ、今はテレジアの顔を見ると、さっきの問いまで一緒に浮かんでくる。

 

「アスカロンとの約束もあるし、俺は行く」

 

「セラスティア」

 

「また後でな」

 

軽く手を上げ、部屋を出る。

 

扉が閉じる直前。

 

「……兄さん」

 

テレジアの声が聞こえた。

 

けれど、その先までは聞かなかった。

 

◇

 

セラスティアが出ていった扉を見ながら、私は兄さんへ視線を向けた。

 

「随分と厳しいことを言うのね」

 

「必要なことだ」

 

「今すぐでなくてもよかったでしょう?」

 

「では、いつならいい?」

 

返す言葉がなかった。

 

兄さんはそんな私を見て、小さく息を吐く。

 

「あいつだけの問題ではない」

 

「分かっているわ」

 

「本当に?」

 

少しだけ声が強くなる。

 

「……兄さん」

 

「テレジア。お前はあいつに、自分のためだけに生きてほしいのか?」

 

「そんなこと、思っていないわ」

 

今度は迷わず答えられた。

 

それだけは違う。

 

セラスティアには、セラスティア自身の人生を生きてほしい。

 

私が行きたいところではなく、彼自身が行きたい場所へ。

 

私が望むものではなく、彼自身が望むものを。

 

それはずっと思っている。

 

「なら問題はない」

 

「……そう簡単ではないのよ」

 

思わず零れた。

 

兄さんがこちらを見る。

 

私は少し迷ってから、言葉を続けた。

 

「私は、あの人に自分の人生を生きてほしい。私のためだけに何かを選んでほしいなんて、思っていないわ」

 

「だが?」

 

兄さんは、こういう時に逃がしてくれない。

 

私は僅かに俯いた。

 

「……それでも、あの人が私の隣にいてくれることを、嬉しいと思ってしまうの」

 

昔からずっと。

 

隣を見れば彼がいた。

 

何も言わなくても、当然のようにそこにいてくれた。

 

もし、いつか彼が自分の道を見つけたら。

 

その道が私とは違う方向へ続いていたら。

 

私はきっと笑って送り出さなければならない。

 

それが、彼のためなのだから。

 

でも。

 

「……離れてほしくないとも、思ってしまうわ」

 

兄さんは何も言わなかった。

 

否定もしない。

 

責めもしない。

 

ただ、静かに私を見ている。

 

「ずるいわね、私」

 

「そうかもしれんな」

 

思わず顔を上げる。

 

「そこは否定してくれてもいいのよ?」

 

「嘘を言う必要はない」

 

「もう……」

 

苦笑が漏れる。

 

でも、その通りだった。

 

セラスティアだけではない。

 

私もきっと、彼に甘えている。

 

あの人が何も言わず隣にいてくれることに。

 

離れないでいてくれることに。

 

「だからこそ、覚えておけ」

 

「何を?」

 

「あいつがお前の隣にいることと、あいつの人生がお前だけのものであることは違う」

 

「……ええ」

 

分かっている。

 

そう思っていた。

 

けれど、本当に分かっていたのだろうか。

 

閉じられた扉を見る。

 

もう、その向こうに彼の姿はない。

 

「難しいわね」

 

「ああ」

 

珍しく、兄さんはすぐに同意した。

 

◇

 

部屋を出てからも、テレシスの言葉が頭に残っていた。

 

――テレジア以外に、お前がここにいる理由は何だ。

 

「……知らねえよ」

 

誰に言うでもなく呟く。

 

そんなこと、今まで考えたこともなかった。

 

俺がここにいるのはテレジアがいるからだ。

 

あいつが進むなら俺も進む。

 

昔からそうだった。

 

それで困ったことなんて――。

 

「セラスティア!」

 

突然名前を呼ばれ、顔を上げる。

 

アスカロンがこちらへ走ってきた。

 

「遅い!」

 

「……あ」

 

そういえば。

 

「忘れてた?」

 

「忘れてない。ちょっと話が長くなっただけだ」

 

完全に忘れていたわけではない。

 

かなり危なかっただけだ。

 

アスカロンは疑わしそうに俺を見る。

 

だが、すぐ俺の腕を掴んだ。

 

「じゃあ早く!今日はちゃんと当てるから!」

 

「昨日も聞いたぞ、それ」

 

「今日は服じゃなくてちゃんと!」

 

「それは当てなくていい。怪我するだろ」

 

「セラスティアなら大丈夫!」

 

「そういう問題じゃないって」

 

さっきまで頭の中を占めていたものが、少しだけ薄れる。

 

アスカロンに引っ張られるまま、訓練場へ向かう。

 

途中でもう一度だけ、テレシスの言葉が浮かんだ。

 

テレジア以外に。

 

俺がここにいる理由。

 

そんなもの、本当に必要なのだろうか。

 

俺はテレジアがいるからここにいる。

 

それで十分だ。

 

「セラスティア、早く!」

 

「分かったって。今行くから」

 

先を走るアスカロンを追いかける。

 

この時の俺は、まだ気づいていなかった。

 

その問いへの答えの一つが。

 

今まさに俺の名前を呼びながら、目の前を走っていることに。

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