テレシスに呼び出された翌日。
朝から、昨日の言葉が頭の片隅に残っていた。
『テレジア以外に、お前がここにいる理由は何だ』
考えても、すぐに答えが出るような問いではない。
テレジアがいるから、俺もここにいる。
それは今も変わっていないし、変える必要があるとも思っていない。
ただ――。
昨日、訓練場で見たアスカロンの顔が妙に引っかかっていた。
俺が訓練を見ていたことを知った時の、少し嬉しそうな顔。
次も見に行くと言った時の反応。
あれを思い出すたび、何かが喉に引っかかったような感覚が残る。
「……分からん」
考えても仕方ない。
そう結論づけて部屋を出ようとしたところで、扉が叩かれた。
「セラスティア、起きているか?」
聞こえてきた声に扉を開ける。
立っていたのはバベルの兵士だった。
「ケルシー先生がお呼びだ」
「ケルシーが?」
「急ぎではないそうだが、できれば早めに来てほしいと」
「分かった。今行く」
昨日はテレシス。
今日はケルシー。
最近、呼び出されてばかりな気がする。
何かやった覚えはない。
……たぶん。
少しだけ不安になりながら、俺はケルシーの執務室へ向かった。
◇
「入れ」
扉を叩くと、すぐに声が返ってきた。
「失礼するぞ」
中へ入る。
ケルシーは机に向かって何かの資料を読んでいた。
部屋の中を見回す。
他には誰もいない。
「テレジアは?」
口にしてから、ケルシーの視線がこちらへ向いた。
「ここにはいない」
「そうか」
「……何だ」
「いや。呼び出されたから、てっきりテレジアもいるのかと思って」
前に正式加入の話をされた時は、テレジアも一緒だった。
今回もそうだと思っていただけだ。
ケルシーはしばらく俺を見ていたが、やがて手にしていた資料を机へ置いた。
「今日お前を呼んだのは私だ。テレジアではない」
「それは分かってるよ」
「ならいい」
何なんだ。
最近、こういう妙な間を向けられることが増えた気がする。
「それで、何の用だ?」
「任務を一つ頼みたい」
「俺に?」
「ああ」
思わず聞き返してしまった。
正式にバベルへ加入した以上、俺個人に任務が来る可能性があるとは聞いていた。
ただ、こんなに早いとは思っていなかった。
「内容は?」
ケルシーが机の上に地図を広げる。
指を置いたのは、バベルから少し離れた場所だった。
「昨日、周辺地域の調査に向かった三人が予定時刻を過ぎても帰還していない」
「連絡は?」
「途絶えている。最後に通信があったのは昨日の夕方だ。その時点では異常なしとの報告だった」
「敵に襲われた可能性は?」
「否定できない」
なるほど。
「それで俺に探してこいってことか」
「正確には、三人の所在を確認し、可能なら連れ帰れ」
「可能なら?」
「状況次第では、お前一人で対処できない事態も想定しておく必要があるという意味だ。敵勢力の規模も不明だ。見つけたからといって無闇に戦闘を始めるな」
「分かってる」
「本当に理解しているのか?」
「信用ないな」
「昨日までのお前を見た上で言っている」
何も言い返せなかった。
ケルシーは地図の上を指でなぞる。
「最後の通信位置はここだ。周辺には廃村がいくつかある。まずはそこを確認しろ」
「分かった」
地図を受け取ろうとして、ふと気になった。
「でもさ」
「何だ」
「じゃあ、俺じゃなくてもいいんじゃない?」
ケルシーの手が止まった。
「どういう意味だ」
「三人を探して連れて帰るだけなら、他にもできる奴はいるだろ。わざわざ俺を呼んだ理由があるのか?」
俺はまだ正式に加入したばかりだ。
周辺の地理に詳しいわけでもない。
だったら、別の人間を向かわせる方が自然な気がする。
ケルシーは少しだけ黙った。
「理由ならある」
「どんな?」
「調査班が敵と接触している可能性がある以上、救出に向かう者には単独でも一定以上の戦闘能力が必要になる。同時に、負傷者がいた場合にはその人間を守りながら帰還できなければ意味がない」
「それなら他にも――」
「いる」
あっさり肯定された。
「だが、私はその中からお前を選んだ」
「……俺を?」
「そうだ」
ケルシーは淡々と続ける。
「先日の任務で、お前は護衛対象を守りながら敵の攻撃へ対処した。状況判断にも大きな問題はない。少なくとも今回の任務に必要な条件は満たしている」
そこまで言ってから、ケルシーが俺を見る。
「お前は、自分がテレジアと一組でなければ役に立たないとでも思っているのか?」
「そんなことは思ってないけど」
「なら問題はない」
それだけ言って、地図を差し出してくる。
俺は受け取った。
「……ケルシー」
「何だ」
「もしかして、最初からこれ言いたかっただけじゃないか?」
「何のことだ」
「いや」
たぶん聞いても認めない。
地図を畳んで懐へしまう。
「三人を見つけて連れて帰ればいいんだな?」
「ああ。ただし、敵を倒すことが目的ではない。三人の安全を最優先にしろ」
「了解」
今度は素直に頷いた。
◇
最後に通信があった場所へ到着するまで、それほど時間はかからなかった。
周囲を見渡す。
人の気配はない。
代わりに残っていたのは、争った跡だった。
地面には複数の足跡。
壁には新しい傷。
少し離れた場所には血の跡まである。
「やっぱり何かあったか」
しゃがみ込んで確認する。
血は乾ききっていない。
そこまで時間は経っていないはずだ。
足跡は廃村の奥へ続いている。
俺は武器へ手を掛け、その跡を追った。
しばらく進んだところで、金属同士がぶつかる音が聞こえた。
続いて怒鳴り声。
走る。
建物の角を曲がった先に、人影が見えた。
三人。
そのうち一人は地面に座り込んでいる。
残りの二人が武器を構え、その前に立っていた。
囲んでいる敵は五人。
「見つけた」
こちらに気づいた一人が振り返る。
「誰だ!?」
「バベルから迎えに来た」
「迎え……?」
説明は後だ。
敵の一人がこちらへ向かってくる。
振り下ろされた刃を受け流し、そのまま懐へ入る。
一撃。
相手が崩れる。
残りがこちらを見る。
「三人とも動けるか?」
「一人、脚を負傷しています!」
「なら二人で支えられるか?」
「はい!」
「じゃあ準備してくれ」
敵が一斉に動く。
前へ出る。
攻撃を受け、逸らし、返す。
一人。
二人。
三人。
最後の一人が距離を取った。
追えば倒せる。
けれど、俺は足を止めた。
背後を見る。
負傷した一人を、残りの二人が支えている。
「行くぞ」
「追わないんですか?」
「俺はこいつらを連れて帰れって言われてるだけだ」
敵を倒しに来たわけじゃない。
三人を見つけた。
なら、あとは連れて帰る。
それでいい。
「歩けそうか?」
負傷した男に聞く。
「何とか……」
立とうとした瞬間、顔を歪めた。
無理だな。
「貸せ」
「え?」
その場にしゃがみ込む。
「背負う。乗れ」
「いや、でも――」
「その足で歩く方が時間かかるだろ」
反論される前に腕を取る。
結局、男は申し訳なさそうに俺の背へ乗った。
「重かったら言ってください」
「これくらいなら何人乗っても変わらん」
「いや、それはさすがに……」
後ろから小さな笑い声が聞こえた。
さっきまで囲まれていたというのに、随分余裕が戻ったらしい。
悪いことではない。
俺たちはそのままバベルへ向けて歩き出した。
◇
帰り道。
背負っていた男がぽつりと口を開いた。
「ありがとうございます」
「何が?」
「迎えに来てくれて」
「仕事だからな」
「それでもです」
少しだけ振り返る。
男は疲れた顔をしていたが、笑っていた。
「正直、もう戻れないかと思ってました」
残りの二人も黙って頷いている。
「あなたが来てくれて、本当に助かりました」
「……そうか」
何と返せばいいのか分からなかった。
俺は頼まれたから来ただけだ。
特別なことをしたつもりもない。
三人を見つけて。
敵がいたから倒して。
怪我をしていたから背負った。
それだけだ。
それなのに。
「ありがとうございます」
もう一度言われる。
「……どういたしまして」
結局、それくらいしか返せなかった。
◇
バベルへ戻ると、三人はすぐに医療班へ引き渡された。
幸い、負傷した男も大きな問題はないらしい。
それを確認してから、俺はケルシーのところへ報告へ向かった。
「三人とも連れて帰ったぞ」
「ああ。報告は受けている」
「早いな」
「医療班から連絡が来た」
ケルシーは書類から顔を上げる。
「ご苦労だった」
「それだけ?」
「他に何を期待している」
「いや、別に」
褒めてほしかったわけじゃない。
たぶん。
「敵とは接触したのか?」
「ああ。五人いた」
「追撃は?」
「してない。三人を連れて帰るのが先だろ?」
一瞬。
ケルシーが黙った。
「……何だよ」
「いや」
視線を書類へ戻す。
「それでいい」
「そうか」
なんとなく引っかかる。
「じゃあ、もう行っていいか?」
「ああ。休め」
「分かった」
扉へ向かう。
開けようとしたところで、後ろから声が飛んできた。
「セラスティア」
「ん?」
振り返る。
ケルシーはもうこちらを見ていなかった。
「次も必要になれば、お前に頼む」
「……ああ」
それだけ返して部屋を出た。
◇
廊下を歩いていると、向こうから見慣れた姿がやってきた。
「セラスティア」
「テレジア」
俺を見つけたテレジアが、少しだけ歩調を速める。
「任務だったのでしょう?」
「知ってたのか?」
「ええ。帰ってきたと聞いたから」
「全員無事だよ。一人怪我してたけど、大したことないってさ」
「そう。よかった」
テレジアは安心したように微笑んだ。
そのまま自然に隣へ並ぶ。
いつもの距離だ。
「どうだった?」
「どうって?」
「初めて、あなた一人に任された任務でしょう?」
言われてみれば、そうだった。
これまではテレジアについていく形で任務へ出ることが多かった。
今回は違う。
ケルシーが俺を呼んで。
俺に頼んで。
俺が三人を迎えに行った。
「別に、いつもと変わらなかったよ」
「本当に?」
「三人を見つけて、連れて帰っただけだ」
「それなら、きちんと役目を果たしたのね」
「まあな」
歩きながら、ふと帰り道のことを思い出す。
『迎えに来てくれて、ありがとうございます』
俺はケルシーに頼まれたから迎えに行っただけだ。
三人を見つけて、守って、連れて帰った。
それなのに、あんなふうに礼を言われるとは思っていなかった。
「セラスティア?」
隣から名前を呼ばれる。
見ると、テレジアが少し不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「何でもない」
そう答えて歩き出す。
テレジアも俺の隣へ並ぶ。
いつもと同じ距離だった。
俺がここにいる一番大きな理由がテレジアなのは、今も変わっていない。
それでいいと思っている。
ただ。
今日助けた三人の顔が、なぜか頭から離れなかった。