カシュガル空港は砂埃に霞んでいた。
日本までの帰国便のチケットを押さえるのは、拍子抜けするほど簡単だった。ホテルのWi-Fiで予約サイトを開き、カシュガルから北京、北京から関空。クレジットカード番号を打ち込み、決済ボタンを一度タップする。それだけだ。
ウルムチ空港の冷たいベンチの上で、「詰んだ」と頭を抱えていた男は、一体あの時、何に詰んでいたのだろう。
背負ったバックパックは、この国に来た時よりも少しだけ重くなっていた。
着替えのシャツで何重にもぐるぐる巻きにした「尼雅(NIYA)」のワインボトル。トルファンで買った干し葡萄。クチャの老医者に調合してもらった粉薬は、没収されかねないので全部飲み切った。
そして――ズボンの右ポケットの中には、手のひらの中で転がし続けて、すっかり角の取れた気がする、白く滑らかな小石。
保安検査の長い列に並んでいると、壁の赤い警告文が目に入った。軍用空港との共用につき、機体や施設の撮影は厳禁。機内から窓の外を撮ることも固く禁ずる。
写真を撮るな。レンズを向けるな。記録を残すな。この国へ来てから、一体何度そう言われ、何十台の監視カメラに睨まれてきただろう。
結局、この旅では写真を一枚も残らなかった。最初の数日はスマホを失くしていたし、戻ってきてからも何かを切り取ろうという気にはなれなかった。
だが、それでいい。ここで見た光景は全部焼き付いていて、風の匂いだって覚えている。
かつての巡礼者たちが、石窟寺院の壁画たちを、己の網膜だけに焼き付けて持ち帰ったように。
*
飛行機は北京に向けて東へ飛んだ。
窓の下に、天山山脈の白い稜線がどこまでも連なっている。その南側、遥か下には、どこまでも続く砂漠。
見渡す限りの熱砂のどこか、枯れ果てたタマリスクの根元で、犬のミイラが今も牙を剥いて眠っているはずだ。かつて俺の隣に寝転がる予定だった、死の先達。
ふと、三蔵法師のことを思い出した。
玄奘は唐の都・長安を出発し、トルファンを抜け、天山を越えて遥かインドを目指した。そして十数年の過酷な旅の果て、経典を背負って無事に生きて帰ってきたのだ。その帰路は、パミールを越えてカシュガルへ入り、そこから砂漠の南の縁を東へ辿るルートだったという。于闐——すなわち、
現代の三蔵法師になってやる。酒の勢いに任せて、俺は友人たちの前でそう大見得を切った。
でも三蔵法師は死にに行ったんじゃない。持ち帰るために西へ向かい、生きて、ちゃんと帰っていった。
俺がこの手で持ち帰るのは、尊い経典などではなく、重たいワイン一本と干し葡萄と、小さな白い石一つだけれど。
*
北京首都国際空港。国内線から国際線へ乗り継ぐ途中で、俺は例の自動販売機の仲間を見つけた。
出発時、アリペイで飲み物を買おうとして「開通失敗」の四文字に何度も弾かれた、あの因縁の自販機。
機械に貼りだされた二次元コードをスマホで読み取り、パスコードを打ち込むと、取り出し口は当然のように開いた。
(……ざまあみろ)
誰に対して言ったのか。自分でもよく分からない。
キャップをひねる。水は相変わらず蓋のギリギリまで入っていたが、もうこぼさない。ボトルをわずかに傾け、唇を寄せて表面の水をちびりと啜ってから、一気に開ける。
*
関西国際空港に到着したのは深夜だった。入国審査を抜け、税関を通り、到着ロビーの自動ドアが開いた瞬間――むわっとした湿り気のある空気が、全身にまとわりついてきた。
湿気だ。鼻の奥に水の匂いが染みる。窓の外で、細かい雨が滑走路の明かりを滲ませていた。
久しぶりの、日本の雨。
もしあいつがここにいたら、子どものように両手を大きく広げて、傘も差さずにロビーの外へ飛び出していくのだろう。年間降水量16ミリのトルファンの街で、歓声を上げてくるくると踊っていたルーなら。
耳に飛び込んでくる日本語のアナウンス。コンビニの明かりに、自販機に並ぶ砂糖なしの緑茶。
死に場所を探して逃げ出した男は、腹を下しながら、鼻水を垂らし、全身の皮を日焼けでボロボロに剥きながら、それでも確かに自分の足で国に帰ってきた。
静かな達成感と一緒に、腹がきゅうっと鳴った。安心した途端、過敏性腸症候群のやつも「おかえり」を言いに来たらしい。
俺は到着ロビーのトイレへと小走りで駆けこんだ。
個室の鍵は壊れておらず、ドアノブは滑らかに回り、壁は床から天井までしっかりと塞がれている。隣の個室から中国語の世間話も聞こえてこないその完璧な清潔さと静寂が、なぜかほんの少しだけ、物足りないような気がした。
*
散らかった自宅に戻った翌朝、俺は真っ先に精神科の予約を取った。
診察室の椅子に深く腰掛け、主治医の前ですべてを白状した。片道切符同然で新疆へ飛んだこと、数日分しか持っていかなかった薬のこと、炭酸リチウムが切れたあとの、熱に浮かされたような数日間の疾走のこと。
主治医は深いため息をつき、カルテから目を離して、ぽつりと言った。
「……まあ、よく無事で帰ってきましたね」
採血をして、薬の処方を根本から組み直してもらった。
その夜、俺は部屋の床にあぐらをかき、尼雅のワインのコルクを抜いた。
グラスに注ぐと、深い赤が揺れた。砂漠の太陽と、天山の雪解け水と、北緯44度の寒暖差が溶け込んだような……なんて、気取りすぎか。
白い皿の上には、翡翠色の干し葡萄をひとつかみ広げる。
干し葡萄を一粒、奥歯で噛み潰した。極限まで乾いて縮み、甘さと酸味だけが凝縮された、ブドウのミイラ。
それからグラスの赤ワインを喉へと流し込む。大地のミネラルがたっぷり溶け込んだ、ブドウの生き血。
カッと喉が熱くなり、腹の底がじんわりと熱い。
俺は、生きている。
*
テーブルの上のスマホを手に取り、WeChatを開いたが、トーク画面は相変わらず俺の吹き出しで埋め尽くされている。
カシュガルで送った十数通。北京の空港で送った「自販機に勝った」。関空で送った「日本は雨だ。これは天気の話だ」。
グラスを置き、俺はすっかり日課になった今日の脅迫文を打ち込んだ。
『今日は晴れ。飯はワインと干し葡萄』
指を止め、少しだけ考えてから、もう一行だけ画面に走らせた。
『山登りなら日本だって悪くないぞ。だが伊吹山はお勧めしない。あそこは傾斜がきつすぎる』
送信。
返事は、ない。
*
それから、何年かの月日が流れた。
俺は相変わらず過敏性腸症候群を抱え、毎日炭酸リチウムとラモトリギンを飲み、季節の変わり目には時々ベッドから起き上がれなくなる日を挟みながらも、なんとか人間としての生活を生き延びていた。
あの旅から戻って半年後。大学時代の先輩の紹介で、俺は小さな旅行会社に拾ってもらった。今は、日本を訪れる外国人観光客のアテンド業務を担当している。
空港で途方に暮れた旅行者を見つけるのが、妙に得意になった。スマホのバッテリーが切れて青ざめている人、財布を失くして立ち尽くしている人、怪しげな白タクにホイホイついていきそうな人。
その年の一月終わり頃のことだ。
深夜、仕事を終えて終電で部屋へ戻り、コートを脱ぎながら何気なくスマホを点灯させたとき。
ロック画面に現れた通知を見て驚愕した。
アプリを開くと、何年間も一方通行だったトークルームに……見慣れない吹き出しが、ぽつりと一つだけ浮かび上がっていた。
*
関空、国際線到着ロビー。
その日の大阪は、この冬一番の厳しい寒波に見舞われていた。朝のニュースでは、滋賀県北部に大雪警報が発令されたと告げていた。伊吹山の麓の町はきっと今頃、音のない真っ白な世界に埋もれているはずだ。
自動ドアが左右に開くたび、スーツケースを引いた旅行者たちが白い吐息とともに吐き出されていく。
その人波の切れ目に一人、不安そうにスマホを握りしめ、きょろきょろと辺りを見回している女性がいた。
浅黒い肌に、真っ黒なロングヘア。きりりと引き締まった濃い眉と、吸い込まれそうなほど大きな黒い瞳。
彼女は頭上の案内板に並ぶ日本語を必死に読み取ろうと、視線を忙しなく動かしている。
真冬の寒さにそぐわない薄手のコート。その前合わせの隙間から、見覚えのある赤いTシャツがちらりとのぞいていた。
おいおい。こんな寒い日に、そんな薄着で国境を越えてきたのかよ。
俺はコートの右ポケットの中に手を滑り込ませ、ぎゅっと小さな石を握りしめた。
それから背筋を少し伸ばす。仕事の時のように、平然とした顔を作って。そのまま足音を忍ばせて、ゆっくりと——
「
彼女の肩が弾かれたように跳ね上がった。振り返ったその大きな瞳は、信じられない言葉を聞いたというように、まん丸に見開かれている。
「おねーさん。俺をガイドとして雇わないか」
大きなガラス窓の外では、灰色の空から、白い粉雪がちらちらと静かに舞い始めていた。
(終)
本作は、自分の旅行記や記憶をもとに、スマホでポチポチと書き上げたものです。
キラキラと美しい文章が書けないなら、代わりにリアルの経験をドカドカ詰め込んでみよう、と試行錯誤した作品です。詰め込みすぎたかも?
こんなに地味な作品を見つけてくださった読者の皆様に、心から感謝申し上げます。0PV覚悟だっただけに、本当に嬉しかったです。
和田やルーをはじめ、登場人物はすべて架空の人物です。
現実のいかなる特定の団体や事象とも関係はなく、何らかの政治的・思想的な主張を意図したものではありません。純粋なひとつの物語として楽しんでいただけたなら幸いです。
ふたりの旅を見届けてくださり、本当にありがとうございました!