幻影砲兵   作:Sub Sonic

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15話 未来位置

# 幻影砲兵 第二部「写真と時刻表」

 

## 第十五章 未来位置

 

 ヴァルデン第一軍が東部戦線のリュッケ突出部に攻勢をかけたのは、開戦九十二日目のことだった。

 

 リュッケは国境線が北へ大きく食いこんだ、袋のような地形だった。袋の口に、ノルトラント軍の二個師団が陣地を築いていた。ヴァルデン第一軍はその陣地を東西から挟みこみ、袋ごと締めあげようとしていた。

 

 そのために重砲が要った。

 

 第一軍は、ヴェステルボリの包囲から下げられた重砲のうち、二十二門を東へ回させた。東支線の終点から、リュッケ突出部の袋の口までおよそ五十キロ。蛇の射程の内側だった。

 

「東支線はヘルネで切ってある」

 

 第一軍の砲兵参謀はそう言った。七十一日目の爆撃で、ヘルネ分岐駅は破壊された。その後もヴァルデンの爆撃隊は、三日おきにヘルネを叩いていた。分岐器は何度直されても、また壊された。

 

「ヘルネが切れているかぎり、蛇は東支線に入れない。東支線の射撃曲線を使えなければ、リュッケは蛇の射程の外だ」

 

 第三軍の砲兵情報班からの反論は届かなかった。ザイツが書いた覚え書き――東支線においても砲撃の記録あり、ヘルネ遮断中の東支線への進入経路について別途検証を要す――は、第一軍の司令部に回ったあと、誰の机にも置かれずに書類の山に埋もれた。

 

---

 

 オットー・クライン大尉は、再建された中隊とともに東へ送られた。

 

 新しい中隊の砲は、二十一センチ榴弾砲が四門。砲員の半分は、ヴェステルボリで生き残った古参兵で、残りの半分は、本国から送られてきたばかりの補充兵だった。

 

 クラインはリュッケ突出部の西側の、ブナの森に陣地を構えた。そして陣地に着いた最初の夜、古参兵たちを集めて、言った。

 

「今日から、この中隊の決まりを変える」

 

 古参兵たちは黙ってクラインを見ていた。ヴェステルボリで、あの森で、唐松が空へ噴きあがるのを見た男たちだった。

 

「砲は据えない。牽引車につないだまま撃つ」

 

 ざわめきが起きた。二十一センチ榴弾砲は砲架の脚を開き、地面に駐鋤を打ちこんで、はじめて正確に撃てる。車輪に載せたまま撃てば、反動で砲が跳ね、狙いが狂う。

 

「精度は落ちる」クラインは言った。「散布界は倍になるだろう。それでいい。据えつけに二時間、撤収に二時間かかる砲はあの蛇の前では、ただの的だ。牽引車につないだまま撃てば、撃ち終わってから二十分で動ける」

 

「どこへ動くんです」

 

「決めてある」

 

 クラインは地図を広げた。ブナの森の中に細い林道が何本も通っていた。その林道の脇にクラインは、鉛筆で小さな丸を六つ描いていた。

 

「射撃位置を六つ作る。どれも互いに二キロ以内。林道でつながっている。一つの位置で撃ったら、次の位置へ移る。撃つのは、一回につき、十五分まで」

 

 古参兵の一人が手を上げた。ヴェステルボリで、三号砲の砲長だった男だ。三号砲はあの日、宙を舞った。

 

「中隊長。いつ動けば、いいんですか。撃たれる前に」

 

「偵察機だ」

 

 クラインはポケットから、一冊の手帳を取りだした。ザイツ大尉から送られてきた、写しだった。

 

「第三軍の砲兵情報班が、ヴェステルボリの包囲線で、蛇の砲撃を全部記録した。砲撃を受けた陣地はすべて、その前に北の偵察機に見られている。偵察機が上を通ってから、最初の砲弾が落ちるまで最短で四十分。長いときで二時間四十分」

 

 クラインは手帳を閉じた。

 

「北の偵察機が上を通ったら、二十分以内に動く。どんなに撃ちたい目標があっても、撃ちかけていても、やめて動く。蛇は偵察機が見た場所を撃つ。偵察機が見た場所に、四十分後にいなければいい」

 

「……蛇と、同じことをするんですね」

 

 三号砲の元砲長がぽつりと言った。

 

「撃ったら、逃げる」

 

 クラインは少しのあいだ黙った。

 

「そうだ」

 

 クラインは言った。

 

「あいつらから、教わった」

 

---

 

 開戦九十四日目、午前七時二十分。

 

 高度八千八百メートル。ラーシュ・ニューマンはリュッケ突出部の上空を、西から東へ横切っていた。

 

 眼下のブナの森はもう葉を落としかけていた。赤茶けた梢のあいだに、林道が白い糸のように走っている。朝露は今日は少なかった。霜が降りていた。

 

 ラーシュは双眼鏡を目に当てた。

 

 林道の脇の、小さな空き地。擬装網をかぶせた、四つの影。網の端から、砲身の影が霜の上に細く伸びていた。

 

 だが、それだけではなかった。

 

 四つの影の前にさらに四つ、小さな影があった。網をかぶせてはいたが、形が違った。四角い。車輪のある、箱のような影。

 

「牽引車だ」

 

 ラーシュはつぶやいた。

 

「砲と、牽引車がつながってる。据えてない」

 

 後席のビョルクが身を乗りだした。

 

「どういうことです」

 

「すぐ動けるようにしてあるってことだ」

 

 ラーシュは双眼鏡を動かした。林道を空き地から北へたどる。二キロほど先に別の空き地があった。何もない。だが、地面に、四つの浅い窪みが掘られていた。砲の駐鋤を受けるための穴。準備された、空の射撃位置だった。

 

 その先にも。さらにその先にも。

 

 ラーシュは林道沿いに空の射撃位置を五つ数えた。

 

「几帳面なやつだ」

 

 ラーシュは言った。そして自分がその言葉を、前にも口にしたことを思い出した。

 

「……あいつだ。ヴェステルボリの、唐松の森の」

 

---

 

 午前七時四十一分。東支線、エルム峠の南の第百八射撃曲線。

 

 ヨルムンガンド二号の射撃指揮車で、ホルムはラーシュの座標を受けとった。

 

 東支線に二号は入れていた。ヘルネ分岐駅は、ヴァルデンの爆撃隊に三日おきに叩かれていたが、ヘルネの東には、戦前に廃止された古い連絡線が一本残っていた。ソーデルの保線隊が、十日かけて、その連絡線のレールを敷きなおし、架線を張った。ヘルネが壊されているあいだも蛇は、その裏道を通って東支線に出入りしていた。

 

 ホルムはラーシュの座標の下に書き添えられた、短い文を読んだ。

 

 ――牽引車連結のまま。林道沿いに空の射撃位置五。北へ一から二キロ間隔。

 

 ホルムはしばらくその文を見つめていた。

 

 それから射撃盤の横の、ラーシュが先週送ってきた写真の束を引き寄せた。リュッケ突出部の、ブナの森。林道の網の目。

 

「ベルグ」

 

「はい」

 

「目標は動く」

 

 ベルグ曹長が射撃指揮車の中に顔を出した。

 

「動く?」

 

「据えてない。牽引車につないだまま撃ってる。ラーシュが上を通ったのは、七時二十分。向こうは偵察機を見ている。見たら、すぐ動くだろう。いまから射撃点に入って撃っても、砲弾が落ちるころにはあの空き地には誰もいない」

 

「じゃあ、どうするんで」

 

 ホルムは写真の上の林道を指でたどった。空き地から北へ二キロ。次の空き地。空の射撃位置。

 

「海の上では動いている敵艦を撃つとき、敵艦がいまいる場所は撃たない」

 

 ホルムは言った。

 

「砲弾が飛んでいるあいだに敵艦は進む。だから、砲弾が落ちる瞬間に敵艦がいるはずの場所を撃つ。未来位置射撃という」

 

 ベルグは黙ってホルムの指先を見ていた。

 

「あの中隊長は偵察機を見てから、たぶん二十分以内に動く。牽引車で林道を二キロ。重い砲を引いて、林道なら、時速五キロがいいところだ。二十四分。着いてから、駐鋤を打ちこまずに撃てるように砲を向けなおすのに十分」

 

 ホルムは懐中時計を見た。

 

「七時二十分に見られた。二十分で動きだす。二十四分で着く。十分で向ける。八時十四分」

 

 ホルムは北の空き地の座標を弾道表に通した。

 

「八時十四分に北の空き地に落ちるように撃つ。飛翔時間は、百四秒。八時十二分十六秒に初弾を撃つ」

 

「そこに来るとはかぎらないでしょう」

 

「かぎらない」

 

 ホルムは言った。

 

「当てるんじゃない。あの男が自分で決めた手順の、一番ありそうな場所を撃つ。偵察機を見たら、二十分以内に動く。空の射撃位置は林道の北にしか用意していない。きちんと決めて、きちんと守る男だ。だから、読める」

 

「外れたら」

 

「外れたら、その次の空き地を撃つ。そこも外れたら、あの中隊長の勝ちだ」

 

 ホルムは鉄道電話の受話器を取った。

 

「司令所。三号にも同じ座標を回してくれ。三号は隣の第百九曲線にいるはずだ。初弾は、二号の十五秒後。交互に撃つ。一発でも多く同じ一分間に落としたい。最初の一発で、向こうは逃げはじめる。逃げはじめる前に次を落とす」

 

 受話器の向こうで、ハンナが一瞬、黙った。

 

『……二門を同じ時刻に同じ目標へ。十五秒間隔なら、向こうには、二門が一か所に並んでいると聞こえます』

 

「わかってる。今日は欺くより当てたい。あの中隊をここで逃がしたら、次はもっと上手に逃げる」

 

『わかりました。三号に回します。そのかわり、今日の偽物の光は、二か所で焚きます。東支線の両端の丘で』

 

---

 

 午前八時十一分。

 

 オットー・クライン大尉は、ブナの森の北の空き地で、牽引車の脇に立っていた。

 

 予定どおりだった。七時二十分に北の偵察機が上を通り、七時三十八分に移動を始め、八時五分に北の空き地に着いた。駐鋤は打たずに、砲を南の敵陣地へ向けなおしている最中だった。

 

 クラインは懐中時計を見た。偵察機が上を通ってから、五十一分。ヴェステルボリではこの時間には、もう砲弾が落ちていた日もあった。今日はまだ何も来ていない。最初の空き地に砲弾は落ちていない。

 

 蛇は今日は来ないのかもしれない。あるいは最初の空き地を撃とうとして、そこが空だと知って、諦めたのかもしれない。

 

 クラインはほんの少しだけ息をついた。

 

「第一砲、方位よし」

 

「第二砲、方位よし」

 

 八時十四分。

 

 最初の一発が北の空き地の真ん中に落ちた。

 

---

 

 予兆はやはりなかった。

 

 クラインは今度は倒れなかった。膝をついた。ブナの梢が枝ごと空へ噴きあがるのを見た。二号砲の牽引車が、横倒しになって林道を転がっていくのを見た。

 

 そして数えた。

 

 一。十五秒。二。

 

 十五秒?

 

 クラインは耳を疑った。ヴェステルボリでは、三十秒ごとだった。今日は、十五秒ごとに来る。

 

 二門だ。

 

 二門の蛇が交互に撃っている。

 

「散れ! 林道から離れろ! 砲は捨てろ!」

 

 クラインは叫んだ。自分の声が遠くに聞こえた。

 

 三発目。四発目。五発目。

 

 八発目のあと、砲撃は止んだ。

 

 クラインは懐中時計を握ったまま、北の空に耳を澄ませた。一分。一分半。

 

 やがてそれが来た。北東の空から。十五秒ごとに低い轟き。八度。

 

 クラインは時計の蓋を閉じた。

 

 それからゆっくりと立ちあがり、空き地を見渡した。

 

 四門の砲のうち、二門が形を失っていた。一門は牽引車ごと、林道の脇の窪地に転がりこんでいた。残る一門は無事だった。砲員は、二十人ほどが倒れていた。立ちあがろうとしている者も、立ちあがれない者もいた。

 

 クラインは空き地の縁に呆然と立ちつくしていた。

 

 偵察機が上を通ってから、五十四分。

 

 最初の空き地には何も落ちていない。蛇は最初の空き地を撃たなかった。まっすぐ、この北の空き地を撃った。中隊がここに着いて、砲を向けなおしている、ちょうどそのときに。

 

「……こちらが逃げる先を撃った」

 

 クラインはつぶやいた。

 

 三号砲の元砲長が額から血を流しながら、クラインの横に来た。

 

「中隊長。どうして、ここだと」

 

「わからん」

 

 クラインは言った。

 

「わからんが向こうは俺がどう逃げるかを知っていた。林道も空の射撃位置も全部、上から見られていた。そして俺がここに着く時刻を計算した」

 

 クラインは北東の空を見上げた。何もない、冬の始まりの、白く曇った空だった。

 

「撃つ前にもう当たっていたんだ」

 

---

 

 その日の夕方、クラインは報告書を書いた。

 

 被害。砲二門全損、一門中破。戦死九名、負傷十六名。

 

 それからザイツ大尉あての、短い私信を添えた。

 

 ――ザイツ大尉殿。

 

 ――本日の敵砲撃は、我が中隊の移動先を予測して行われたものと思料す。偵察機通過より五十四分後、移動完了直後の新陣地に初弾到達。旧陣地には一発も落ちず。

 

 ――また本日の砲撃は十五秒間隔にて、二門の交互射撃と思われる。発射音は北東より到来。

 

 ――小官の見るところ、敵の射撃指揮官は陸の砲兵の撃ち方をしていない。動く目標の、未来の位置を撃つ。これは海の撃ち方だと小官は考える。

 

 ――海軍がいる。

 

---

 

 三日後、クラインの私信はクロンベリ町役場の地下の、ザイツの机に届いた。

 

 ザイツはそれを二度読んだ。それから、最後の一行に赤鉛筆で線を引いた。

 

 海軍がいる。

 

 未来の位置を撃つことは海軍だけの技ではない。動く目標を撃つ砲兵なら、誰でも考える。海軍がいる、とは言えない。

 

 だが、四十センチ級の砲。十五秒おきの交互射撃。止まっている陣地ではなく、動いている中隊の、行き先を撃つ撃ち方。それが一つの砲兵に重なっているなら、海の砲術を知っている人間が、どこかにいる可能性はある。

 

 ザイツは椅子を回して、判読班の小部屋のほうを向いた。

 

「リンデマン軍曹」

 

 リンデマンが立体視鏡から顔を上げた。

 

「はい」

 

「北の海軍の、戦前の年鑑はあるか。艦艇の要目が載っているものだ」

 

「空軍の資料室にあったと思います。何を調べるんですか」

 

 ザイツはクラインの私信を机の上に置いた。

 

「四十センチ級の砲だ」

 

 ザイツは言った。

 

「陸にはそんな砲はない。私は最初の日から、そう言っていた。では海にはあるか。北の海軍に、四十センチ級の主砲を積んだ戦艦はあるか。あるいは造っている途中だった戦艦は」

 

 リンデマンの目がわずかに見開かれた。

 

「……砲がどこから来たのか」

 

「そうだ。砲がどこから来たのかがわかれば、砲が何門あるのか、その上限がわかるかもしれない」

 

 ザイツは作戦図を振り返った。百五十本を超える赤いピン。数えきれない黒い糸。どこかに嘘が混じっている、きれいすぎる図。

 

 その図が教えてくれたのは下限だった。観測を信じるかぎり、最低、何門。

 

 だが、砲はどこかで造られた。造られた砲身の数より多い砲はどこにもない。造られた砲身が全部、列車に載ったとはかぎらない。予備もある。試射で割れたものも、戦艦に積まれたまま港にあるものもあるだろう。それでも、造られた数を超えることはない。

 

 下から押さえる数と上から押さえる数。そのあいだに本当の数がある。

 

「嘘をつかないものを、もう一つ見つけたかもしれない」

 

 ザイツは言った。

 

「造船所の帳簿だ」

 

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