# 幻影砲兵 第二部「写真と時刻表」
## 第十八章 同時に鳴る時計
ザイツは赤いピンを一本ずつ抜いて、日付の順に机の上に並べていった。
百六十三本。開戦五十八日目から、百四日目まで。四十七日間。
ピンの頭に貼った紙片の時刻を、方眼紙に写していく。横軸に日付。縦軸にその日の砲撃の回数。一回の砲撃はどれも八発。例外はほとんどなかった。
方眼紙の上に棒が立ちはじめた。
五十八日目、四回。五十九日目、五回。六十日目、六回。六十一日目、四回。六十二日目、五回。六十三日目、五回。六十四日目、九回。七十分に七回を撃った、あの朝を含む日だった。
六十五日目、六回。六十六日目、五回。六十七日目、五回。
六十八日目、三回。
ザイツの鉛筆が止まった。
六十九日目、三回。七十日目、四回。七十一日目、四回。七十二日目、三回。
ザイツは方眼紙から顔を上げた。
六十八日目を境に棒の高さが、目に見えて低くなっていた。
ザイツは平均を出した。五十八日目から六十七日目までの十日間、一日あたり五・四回。六十八日目から百四日目までの三十七日間、一日あたり三・五回。
三・五を五・四で割る。
〇・六五。
ほぼ、三分の二。
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ザイツはしばらくその数字を見つめていた。
六十八日目に何があったのか。
ザイツは作戦日誌をめくった。六十八日目。ヴァルデン軍の側では特に何もない。鉄道爆撃が始まったのは、七十一日目だ。高空用の新型戦闘機が、北の偵察機を初めて追いかけたのが、六十八日目の昼。だが、それで蛇の砲撃が三分の一も減るとは思えない。偵察機はその翌日も飛んでいた。
では蛇の側で何かがあったのだ。
ザイツは息子への手紙の問題を思い出した。
百九十回鳴ると工場に戻して、中の部品を入れ替えなければならない時計。
砲身の寿命は、百九十発。一回の砲撃で八発。二十四回の砲撃で、一本の砲身が尽きる。
五十八日目から六十七日目までの十日間で砲撃は五十四回。四百三十二発。
もし、八門で撃っていたなら、一門あたり五十四発。寿命の四分の一。工場に戻すにはまだ早すぎる。
もし、三門で撃っていたなら、一門あたり百四十四発。寿命の四分の三。
そしてそこで撃つ数を落とした。
ザイツは鉛筆を置いた。手がかすかに震えていた。
八門の砲兵が、一門を工場に戻しても、撃つ数は八分の一しか減らない。三門の砲兵が、一門を工場に戻せば、撃つ数は三分の一減る。
六十八日目に撃つ数は、三分の一減った。
「……三門」
ザイツは声に出さずに唇だけでつぶやいた。
それから首を振った。
違う。これではまだ足りない。撃つ数が減った理由は、ほかにもいくらでも考えられる。砲弾が不足した。鉄道の輸送が追いつかなかった。偵察機が追われて、目標を見つけにくくなった。あるいは、八門の砲兵が砲身の寿命を延ばすために、全体で撃つ数を控えた。
どれも、三分の一という数字を偶然に作りだせる。
三分の一は、三門の証拠にはならない。三門と矛盾しない、というだけだ。
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翌朝、オットー・クライン大尉が、ザイツの机の前に立った。
クラインは東部のリュッケ突出部から、報告のために司令部へ呼ばれていたのだった。額の傷は塞がっていたが、新しい傷が一つ、左の頬に増えていた。
「ご依頼の時計の記録です」
クラインは分厚い帳面を机の上に置いた。
「包囲線と、リュッケ突出部。蛇に撃たれた重砲中隊、弾薬集積所、補給所。全部で七十一か所。ストップウォッチを配ってから、撃たれたときの記録が取れたのは、そのうち五十八か所です」
ザイツは帳面を開いた。
一か所ごとに一ページ。最初の着弾の時刻。最後の着弾の時刻。着弾の間隔。発射音が届いた時刻。すべて、秒単位だった。書き手の字はページごとに違った。砲撃のさなかに、震える手で書きつけたとわかる字もあった。
「ありがとう、大尉」
「礼は要りません」クラインは言った。「書いた連中の半分はもう死んでいます」
ザイツは顔を上げた。
「書いた直後にではありません」クラインは淡々と言った。「そのあと、何日かして、別の砲撃で。ですが書いた記録は残りました」
ザイツは帳面を閉じた。表紙に手のひらを置いた。
「大尉。この記録で、一つ、確かめたいことがあります」
「なんでしょう」
「同時に鳴った時計の数です」
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その日の午後、ザイツはクラインの帳面の五十八か所の記録を、一本の長い紙の上に並べた。
横に時間の目盛りを引いた。開戦五十八日目の午前零時から、百四日目の午後十二時まで。一分を一ミリにすると、紙の長さは六十六メートルになる。それは無理だったので、一時間を一センチにした。それでも、紙は十一メートルを超えた。
ザイツとリンデマンは町役場の地下の廊下にその紙を広げた。
五十八か所の記録を、一つずつ、紙の上に細い帯として書きこんでいく。最初の着弾の時刻から、最後の着弾の時刻まで。どの帯も長さは四分足らずだった。八発を三十秒間隔で撃てば、三分三十秒。十五秒間隔の交互射撃なら、一分四十五秒。
帯が紙の上にぽつりぽつりと並んだ。
ザイツが知りたかったのは、一つだけだった。
帯が同時にいくつ重なっているか。
四十センチの砲弾がある瞬間に、同時に何か所に落ちていたか。
「八門の砲兵なら」
ザイツは廊下に膝をついて、紙の上に屈みこみながら言った。
「四十七日のあいだにどこかで、四か所以上に同時に落ちている瞬間があっても、おかしくない。八門がばらばらに動いて、ばらばらに撃っているなら、たまたま四門の射撃が重なる瞬間が、一度くらいは来てもいい」
リンデマンが懐中電灯で紙の上を照らしながら、帯を一本ずつ追っていった。
「六十四日目の朝。七十分に七回撃った、あの朝です」
リンデマンは紙の上に屈みこんだ。
「九時二分から九時五分まで、一本。九時十一分から十四分まで、一本。九時十九分から二十二分まで、一本」
「重なっていない」
「はい。九時三十二分から三十五分、九時四十分から四十三分、九時五十四分から五十七分、十時十一分から十四分。七本とも、一本ずつ。前の一本が終わってから、次の一本が始まっています」
ザイツは懐中電灯の光の中で、その七本の帯を見た。
あの朝、音源標定と閃光観測は、鉄道網の端から端に散らばった七つの発射地点を示した。七門の砲が、七十分のうちに互いに遠く離れた場所から撃った。そう見えた。
だが、砲弾が落ちたのは、一度に一か所ずつだった。七門の砲が行儀よく順番を守って、前の一門が撃ち終わるのを待ってから、次の一門が撃ちはじめたかのように。
「ほかの日は」
ザイツの声はかすれていた。
リンデマンは紙の上を左から右へ、ゆっくりと懐中電灯で照らしていった。
一時間かかった。
廊下の冷たい石の床にリンデマンは、最後に膝をついたまま、顔を上げた。
「最大で三本です」
「……三本」
「四十七日間で、三本の帯が重なったのは、六回。全部、六十八日目より前です。六十八日目からあとは」
リンデマンは言葉を切った。
「最大で二本です」
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ザイツは廊下の壁に背中を預けて、しばらく動かなかった。
六十八日目より前は、最大で三か所に同時に砲弾が落ちた。六十八日目より後は最大で二か所。
同時に鳴った時計は、三つまで。そしてある日から、二つまで。
三つの時計があり、そのうち一つが工場に戻った。
ザイツは、自分がそう考えていることに気づいていた。気づいていて、止められなかった。
「大尉」
リンデマンが静かに言った。
「八門の砲兵が、一度も、四門同時に撃たないということはありえますか」
「……ありえる」
ザイツは答えた。自分に言い聞かせるように。
「撃つ目標を見つけるのは偵察機だ。北の偵察機は、一機しかいない。一機の偵察機が同時に見つけられる目標の数には、限りがある。見つけた目標を順番に撃たせていけば、同時に撃つのは、三門か、二門で足りる」
「残りの五門は」
「待っている。トンネルの中で。あるいは偵察機の次の知らせを」
リンデマンは黙って紙の上の帯を見つめていた。
「そういう説明はつく」ザイツは言った。「説明はつくんだ。三分の二に減った砲撃の数にも。同時に三本までしか重ならない帯にも。八門でも、三門でも、どちらでも説明がつく」
「でも、大尉は」
「ああ」
ザイツは目を閉じた。
「私は、三門だと思っている」
初めて、それを口にした。
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その夜、ザイツはブルクハルト大佐の部屋を訪ねた。
大佐は書類の山の前で、眼鏡を額に上げて、目頭を揉んでいた。ザイツが、廊下の十一メートルの紙のことを話すあいだ、大佐は一度も口を挟まなかった。
話し終えると、大佐は眼鏡を下ろした。
「三門、か」
「はい」
「きみの最初の報告は最低七門だった」
「はい。観測資料をすべて信じれば」
「いまは信じていない」
「音源標定と閃光観測の一部に、嘘が混じっていると考えています。嘘の閃光と、嘘の音。本物の砲撃に合わせて、別の場所で焚かれたもの。それが、七門を作りだした」
ブルクハルトはしばらく黙っていた。
「わたしはきみの説明を聞いた。筋は通っている。だが、ザイツ大尉」
大佐は机の上で両手を組んだ。
「北の偵察機は一機しかない。それで、同時に撃つ数が三門に限られる。その説明も筋が通っている。そうだな」
「……はい」
「どちらも筋が通るとき、参謀本部は大きいほうの数を取る。敵を小さく見積もって負けた指揮官は銃殺される。大きく見積もって勝った指揮官は勲章をもらう。そういうものだ」
「承知しています」
「承知しているなら、なぜ来た」
ザイツは少しのあいだ、言葉を探した。
「大佐に知っておいていただきたかったからです。参謀本部の数字と、私の考えている数字が違うことを。いつか、どちらかが正しかったとわかる日が来たときに」
ブルクハルトはザイツの顔を長いあいだ見ていた。
やがて大佐はほんのわずかに口の端を上げた。笑ったのかどうか、ザイツにはわからなかった。
「わたしは聞いた」
大佐は言った。
「聞いた上で、本国への報告は変えない。変えるにはもっと硬いものが要る。筋の通った説明ではなく、それ以外に説明のつかないもの。三門でなければ説明がつかない、何かだ」
「はい」
「見つけられるか」
ザイツは答えなかった。
かわりに廊下の紙の上の、帯の一本一本を思い浮かべていた。砲弾が落ちた時刻。落ちた場所。
落ちた場所。
砲弾は閃光や音よりは嘘をつきにくい。偽物の閃光をどれだけ焚いても、砲弾が落ちた場所は動かせない。不発もある。散らばりもある。それでも、地面に開いた穴は誰かがそこへ撃ったことだけは、ごまかせない。
だが、どこから飛んできたかは。
「……弾痕です」
ザイツはつぶやいた。
「なに?」
「いえ」
ザイツは首を振った。まだ形になっていなかった。
「見つけます。三門でなければ説明のつかないものを」
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同じ夜。
スコーグ峠のトンネルの作戦室で、ホルムはハンナのダイヤの前に立っていた。
二号をカールスハムンに預けてきて、三号に乗りかえるまでの、三日間の休みだった。休みのはずだったが、ホルムは気づくとトンネルに来ていた。
「リースさん」
「はい」
「海軍では斉射というのがある」
ハンナはダイヤから目を離さずにうなずいた。
「一隻の戦艦が、九門の主砲を同時に撃つ。敵艦のまわりに、九本の水柱が一度に立つ。それを見れば、敵はこちらに九門あると知る」
「はい」
「三門では同じ瞬間に九本の水柱は立てられない」
ハンナの鉛筆が止まった。
「俺たちは、七十分で七回撃って、七門に見せた」ホルムは続けた。「でも、同じ瞬間に、七か所に砲弾を落としたことは、一度もない。できないからだ。三門しかない。いまは、二門だ」
ハンナはゆっくりと振り返った。
「同時に何か所に落ちたか」
「そうだ。撃たれた側で、時計を持って数えているやつがいたら。一度に何か所に落ちたかを、並べてみるやつがいたら」
ハンナは長いあいだ黙っていた。
それからダイヤの上の、赤い三本の線を見た。いまはそのうち一本が、カールスハムンの工廠の中で、細い点線になって止まっている。
「……同時に走っている列車の数は、ダイヤを見れば、一目でわかります」
ハンナの声は低かった。
「どの時刻で縦に線を引いても、赤い線は、三本より多くは交わらない。国鉄の指令なら、誰でも一瞬で数えられます」
「向こうが同じ紙を作っていたら」
「一瞬でわかります」
ハンナは机の上の鉛筆を指で転がした。
「偽物の光も偽物の音も偽物の無線も、偽物の砲身も同じ時刻に何本でも増やせます。でも、砲弾は増やせない。砲弾が落ちた場所と時刻だけは私の紙の上でも、向こうの紙の上でも、同じです」
ハンナは鉛筆を止めた。
「砲弾は嘘をつけません」
トンネルの天井から、地下水が一滴、ダイヤの縁に落ちた。紙に小さな染みが広がった。
「中尉。向こうの考える人はもう、その紙を作ったと思いますか」
ホルムは答えなかった。
答える必要はなかった。