27話 方位線
# 幻影砲兵 第三部「弾痕」
## 第二十七章 方位線
工兵隊のヴェルナー・トーマ少尉は、九日間で、四十一の弾痕の底に降りた。
雪解けの泥の中を膝まで浸かって歩いた。水の溜まった穴の底を手押しの喞筒で汲みだした。凍った土の下から、信管の破片を掘りだし、その埋まっていた深さと向きを、磁石と分度器で測った。弾痕の縁の、土の盛りあがり方を巻尺で測った。穴の断面を鉛筆で方眼紙に写した。
一つの弾痕に半日かかった。
トーマはそれをヴェステルボリの包囲線の跡と、北部線の沿線とリュッケ突出部の西の森で繰り返した。四十一の弾痕のうち、七つはザイツが最初に指定したものだった。
開戦六十四日目の朝。七十分のあいだに七回。
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開戦百五十九日目の夜、トーマはクロンベリ町役場の地下に、分厚い帳面を持って降りてきた。
ザイツと、リンデマン軍曹とトーマの三人が、作戦図の前に集まった。
作戦図にはもう赤いピンは刺さっていなかった。ザイツが前の晩に全部抜いた。黒い糸も全部外した。何も刺さっていない、ノルトラントの鉄道網の地図。その上にトーマの帳面から、新しい線を引いていく。
「最初の一つです」
トーマは帳面を開いた。
「開戦六十四日目、九時二分。ヴェステルボリ包囲線の東端、フェルム村の南の重砲陣地。弾痕、第一号から第四号。四発のうち、三発の信管の向きを測れました」
トーマは、三つの方位を読みあげた。
「北から西へ四度。四度半。三度」
「平均して、北から西へ四度」
ザイツはフェルム村の南から、北北西へ定規を当てた。鉛筆で細い線を引いた。
「距離は」
「落角から、推定します。三発とも落角は六十一度から六十三度。四十・六センチ、七十五口径の砲の、全装薬の弾道表がないので、〈スヴェア〉の要目から、弾道を積分して作りました」
トーマは帳面の後ろのほうに挟んだ、自作の弾道表を開いた。
「落角六十二度なら、射距離は、五十六キロから六十二キロ」
ザイツは北北西への線の上に、五十六キロと六十二キロの点を打った。
その二つの点のあいだに北の鉄道の線路が、一本、横切っていた。
ベルン高速線だった。ハルス丘陵の南を東西に走っている区間。
「ここだ」
ザイツは交点に鉛筆で小さな丸をつけた。
「音源標定はこの砲撃の発射地点をどこに出していた」
リンデマンが古い記録の綴りをめくった。
「西支線の終点の近く。ヴィルヘルム峡谷の東の丘です」
ザイツは地図の上で、西支線の終点を探した。
鉛筆の丸から、西へ八十キロ以上。
「……八十キロ」
「はい」
ザイツはしばらく、二つの点を見比べていた。それから、何も言わずに次に進んだ。
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「二つ目。九時十一分。包囲線の南西、ブロム村の北」
方位、北から東へ九度。落角、六十度。射距離、五十九キロから六十五キロ。
ザイツはブロム村の北から、北北東へ線を引いた。距離の範囲の中で、線を横切るのはベルン高速線の別の区間だった。ラングダール丘陵を切り通す、深い切通しの区間。
丸をつけた。
音源標定の発射地点は北部線の山あいの、グラーヴ峡谷の近くだった。七号がのちに弾薬の誘爆とともに死んだ場所。
「三つ目。九時十九分。包囲線の南、国道沿いの窪地」
方位、北から東へ二十一度。落角、六十三度。
線は東支線の上に落ちた。エルム峠の南。
丸をつけた。
「四つ目。九時三十二分」
トーマの声が帳面を読みあげていく。方位。落角。射距離。
ザイツの鉛筆が地図の上を走る。線を引き、距離の範囲の中で、線路との交点を探し、丸をつける。
四つ目の丸はハルス丘陵の南の、ベルン高速線の上に落ちた。一つ目の丸から、東へ十四キロ。
「五つ目。九時四十分」
五つ目の丸は、ラングダール丘陵の切通しの上に落ちた。二つ目の丸から、南へ十一キロ。
「六つ目。九時五十四分」
六つ目の丸は東支線の、エルム峠の南に落ちた。三つ目の丸から、北へ九キロ。
「七つ目。十時十一分」
トーマは帳面を閉じた。
ザイツは最後の線を引き、丸をつけた。
ハルス丘陵の南。ベルン高速線の上。四つ目の丸から、東へ十二キロ。
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ザイツは鉛筆を置いた。
地図の上に七つの丸があった。
音源標定と閃光観測が示した七つの発射地点は、鉄道網の端から端に散らばっていた。西支線の終点。北部線の山あい。東支線の奥。高速線の南端。互いにどの二つを取っても、七十分のうちには走りきれない場所。
砲弾が示した七つの発射地点は、三つの場所に固まっていた。
ハルス丘陵の南に三つ。九時二分、九時三十二分、十時十一分。互いに、十四キロと十二キロ離れて、高速線の上に並んでいる。
ラングダール丘陵の切通しに二つ。九時十一分と九時四十分。十一キロ離れて。
エルム峠の南に二つ。九時十九分と九時五十四分。九キロ離れて。
「リンデマン軍曹」
ザイツの声はかすれていた。
「九時二分の砲撃が終わったのは何分だ」
「九時五分です」
「九時五分にハルス丘陵の南の、一つ目の丸を出た列車が、九時三十二分に、十四キロ東の四つ目の丸で撃ちはじめる。そのあいだ、二十七分」
「十四キロを二十七分」
リンデマンが小さく言った。
「止まって、撃って、動きだす時間を引いても、時速六十キロもあれば、足ります」
「九時十一分にラングダールの二つ目の丸で撃った列車が、九時四十分に、十一キロ南の五つ目の丸で撃つ」
「足ります」
「九時十九分にエルム峠の南の三つ目の丸で撃った列車が、九時五十四分に、九キロ北の六つ目の丸で撃つ」
「足ります」
「九時三十二分に四つ目の丸で撃った列車が、十時十一分に、十二キロ東の七つ目の丸で撃つ」
「足ります」
ザイツは椅子に腰を下ろした。
膝が震えていた。
七十分のあいだの、七つの砲撃。音と光を信じれば、互いに結ばれた七つの点。七色が要る。最低七門。
砲弾を信じれば。
ザイツは紙を一枚取り、七つの点をあらためて写した。今度は砲弾が示した場所で。そして、一門の砲で走りきれない組み合わせを線で結ぼうとした。
結べる線は、一本もなかった。
三つの場所の、それぞれの中では、一門の砲がゆっくり走っても間に合う。三つの場所のあいだを、七十分で行き来する必要はどこにもない。
三門で足りる。
三門できれいに足りる。
ザイツはゆっくりと顔を上げた。
「……三門だ」
今度は唇だけではなかった。声に出して、言った。
「あの朝、撃ったのは、三門だった」
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トーマは黙って眼鏡を押しあげていた。
リンデマンは地図の上の、七つの丸を見つめていた。それから古い記録の綴りの中の、音源標定と閃光観測の七つの発射地点を指でたどった。
「大尉。この七つの地点では実際に閃光が見えて、音が聞こえています」
「そうだ」
「砲がいないのに」
「砲がいないところで、閃光を焚いて、音を鳴らした」
ザイツは言った。
「本物の三門が撃つのと同じ秒に。鉄道網の、端と端で」
「……そんなことができますか。秒単位で、何十キロも離れた場所で同時に」
「鉄道なら、できる」
ザイツはペーターの手紙を思い出していた。列車の知らせとその時刻。
「鉄道の時計は国じゅうの駅で秒まで合っている。毎日、正午に首都から時報を受けて。どこの丘の上でも、一番近い駅の時計に合わせれば、秒まで揃う」
リンデマンは長いあいだ黙っていた。
「大尉は最初から、そう思っていたんですね」
「思っていた」
ザイツは認めた。
「最初の夜から。閃光と、音と、発射音の遅れが、あまりにもきれいに同じ答えを出していたから。答えが合いすぎている答案はたいてい、誰かが答えを教えている」
「でも、言えなかった」
「言えなかった。証拠がなかった」
ザイツは地図の上の七つの丸を見下ろした。
「砲弾は嘘をつかない。最初から、そこにあった。穴の底に。私は、四か月、それを見に行かなかった」
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その夜、ブルクハルト大佐はザイツの報告を、最後まで黙って聞いた。
大佐は地図の上の七つの丸を、長いあいだ見つめていた。それから音源標定の七つの発射地点の写しをその横に並べた。
「七つの閃光と、七つの音は偽物だった」
「はい。少なくともあの朝の七つは」
「偽物を作る手間をかけて、七門に見せた」
「はい」
ブルクハルトは椅子の背にもたれた。
「八門の砲兵がなぜ、偽物の閃光を焚く必要がある」
ザイツは答えを待った。大佐が自分で、そこにたどり着くのを。
「八門あるなら、八門で撃てばいい。偽物の閃光を焚く必要はない」
大佐はゆっくりと言った。
「偽物を作るのは本物が足りないからだ。数を多く見せる必要があるのは数が少ないからだ」
「はい」
「三門」
ブルクハルトはその数字を、口の中で転がすように言った。
「三門の列車砲にわたしの二十四門の重砲は、二十一日で五門にされた。三門の列車砲をわたしたちは、四か月、八門だと思って追いかけてきた。爆撃機を何百機も飛ばして、鉄道を切り刻んで、偵察飛行隊を二つも増やして」
「はい」
「そして、二門を撃破したと本国に報告した。弾薬の誘爆まで確認して」
「五号と七号は偽物です。五号の砲身は焼けて崩れていました。七号の折れ口には穴が一つではなく、二つか、三つありました」
ブルクハルトは目を閉じた。
長い沈黙があった。
「ザイツ大尉」
「はい」
「これは筋の通った説明ではないな」
「……はい」
「それ以外に説明のつかないものだ」
大佐は目を開けた。
「わたしがきみに持ってこいと言ったものだ」
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ブルクハルト大佐は翌朝、軍集団司令部へ向かった。
ザイツの地図とトーマの帳面と、リンデマンの写真を鞄に詰めて。
帰ってきたのは、三日後の夜だった。
大佐はザイツの机の前に立ち、鞄をザイツの机の上に置いた。中身は出ていったときのままだった。
「軍集団の参謀長はきみの地図を見た」
ブルクハルトは言った。声は疲れていた。
「見て、こう言った。本国にはすでに八門と報告してある。五号と七号の撃破も確認済みとして報告してある。それにもとづいて、本国は高空戦闘機を二個中隊と偵察飛行隊を二個、この戦線に回した。本国の参謀本部はその判断で、ほかの戦線を手薄にした」
「はい」
「いまさら、三門だったと報告すれば、本国の参謀本部は、四か月間、北の三門の列車砲に、ほかの戦線の戦力を吸われていたことになる。そしてそれを本国に信じこませたのは、この軍集団の報告だったことになる」
ブルクハルトは椅子に腰を下ろした。
「参謀長はこうも言った。三門なら、なぜ、四か月で一門も仕留められないのか、と」
ザイツは黙っていた。
「答えられなかった」
大佐は薄く笑った。
「三門だから、仕留められなかった。三門しかないから、向こうは、一門も失わないように偽物を作って、トンネルに隠れて、目の数に理由をつけて。三門を八門に見せるためにあらゆることをした。そう言っても、参謀長の耳には、言い訳にしか聞こえなかっただろう」
「本国への報告は」
「変わらない」
ブルクハルトはきっぱりと言った。
「八門。うち二門撃破。残り六門。それが本国の数字だ。この軍集団がそう決めた」
ザイツは長いあいだ机の上の鞄を見つめていた。
四十一の弾痕。七つの丸。三門。
「では私の数字は」
「きみの数字は」
ブルクハルトは少しのあいだ、黙った。
「わたしと、きみのあいだの数字だ」
ザイツは顔を上げた。
「三門を追え、ザイツ大尉。本国の八門ではなく、きみの三門を。人は増やしてやれない。本国の八門を追うための偵察機も爆撃機も、きみの三門には回せない。だが、わたしの第三軍の中でなら、きみの言うことを聞く者を少しは動かせる」
大佐は立ちあがった。
「三門を仕留めろ。一門でもいい。本物の砲身を本物の閉鎖機を、穴が一つしかない折れ口を、本国の参謀本部の机の上に置け。そうすれば、八門は自然に消える」
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大佐が出ていったあとザイツは、一人で作戦図の前に立っていた。
ピンも糸もない、ノルトラントの鉄道網の地図。その上に七つの丸。
三門。
四か月、追いかけてきた答えだった。
だが、答えは問いの終わりではなかった。ペーターへの手紙に書いた、もう一つの問題が残っていた。
百九十回鳴ると工場に戻して、中の部品を入れ替えなければならない時計。
ザイツは手帳を開いた。
開戦五十八日目から、百五十九日目まで。弾痕から推定される発射弾数、約九百。
九百を三で割る。三百。
百九十を超えている。
三門の砲身はそれぞれ、少なくとも一度、寿命を迎えている。そしてどこかで、中を入れ替えている。六十八日目に、同時に鳴る時計が三つから二つに減ったのは、そのためだ。
三本の砲身の中を入れ替えられる場所。
三十メートルを超える砲身を吊りあげるクレーンと、それを削る旋盤がある場所。
〈スヴェア〉が起工された場所。
ザイツは地図の北の端に鉛筆の先を置いた。
港町の、一点。
――カールスハムン海軍工廠。
ザイツはその名前をゆっくりと書いた。
それから、その横に小さな丸を描いた。
八つ目の丸だった。