# 幻影砲兵 第一部「大蛇の目覚め」
## 第二章 戦艦の砲
カールスハムン海軍工廠の第三組立工場は、天井の高い、ひどく寒い建物だった。
その床に、三本の砲身が横たわっていた。
四十・六センチ、七十五口径。長さ三十メートルを超える鋼の筒が、木製の架台の上に並べられている。一本の重さは、砲尾の閉鎖機を含めて百八十トン近い。戦艦〈スヴェア〉の第一砲塔に収まるはずだった三門だった。第二、第三砲塔の砲身は、まだ鍛造の途中で止まっている。
ホルムは一本の砲身に沿って、端から端まで歩いた。三十一歩あった。
砲口の前にしゃがみこみ、中を覗いた。磨きあげられた旋条が、薄暗い工場の光を受けて、螺旋を描きながら闇の奥へ吸いこまれていく。
「きれいでしょう」
背後から声がした。振り返ると、陸軍の軍服を着た男が立っていた。四十代半ば、痩せた長身で、襟章は少佐。軍服の上に、油じみた作業用の上着を羽織っていた。
「ヴィンター少佐です。陸軍鉄道部隊」
「ホルム中尉です」
「知っています。第二重砲連隊にいた。ロスヴィークで」
ホルムは黙ってうなずいた。
「あなたを呼んだのは、私です」ヴィンターは言った。「この砲を撃てるのは、海軍の人間だけですから。それに、重砲が狩られるところを、自分の目で見た人間が欲しかった」
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工場の隅の製図台に、設計図が広げられていた。
囲んでいたのは、ヴィンター少佐と、工廠の造兵技師が二人、それに国鉄の技術局から来たという初老の技師長、ソーデルだった。ソーデルは戦前、ノルトラント国鉄の高速幹線――ベルン高速線を設計した男だと、ヴィンターが紹介した。
「陸上砲台案は、最初に捨てました」
ヴィンターは言った。
「この砲を地面に据えれば、要塞になる。要塞は動けない。動けないものは、見つかって、爆撃されて、終わりです。ロスヴィークの重砲と同じように。いや、もっと早く。この大きさです。隠しようがない」
「では」
「列車砲です」
ホルムは設計図を見下ろした。砲身を載せる長大な砲架。それを支える、何両もの台車。史料で見たことのある、前の大戦の列車砲に似ていた。
そして、前の大戦の列車砲がどういう兵器だったかも、ホルムは知っていた。
「前の戦争の列車砲は、撃つまでに何時間もかかった」ホルムは言った。「射撃地点に着いたら、線路の脇に基礎を打つ。枕木を足す。砲架を地面に固定する。据えつけに半日。撤収に半日。あれは動く砲じゃない。動かせる要塞だ」
「そのとおりです」
「それじゃ、ロスヴィークと同じことになる。写真を撮られてから六時間。半日も止まっていたら、二度死ねる」
造兵技師の一人が、何か言いかけた。ヴィンターが片手を上げて、それを制した。
「では、中尉。あなたなら、何時間なら許せますか」
ホルムは設計図から目を上げた。
「止まってから、最初の一発まで五分」
工場の中が、静まりかえった。
「最後の一発から、動きだすまで一分」
「……中尉」造兵技師が、ようやく口を開いた。「それは、無理です。この砲の反動は、発射のたびに千トン級の砲架を後ろへ突き飛ばす。地面に固定しなければ、砲架ごと線路から吹き飛びます」
「船は、錨を下ろして撃つわけじゃない」
ホルムは言った。
「戦艦の主砲は、走りながら撃つ。発射の反動は、駐退機が受け止めて、砲塔が受け止めて、最後は艦体全体が受け止める。三万トンの船体が、水の上で、わずかに押し戻される。それだけだ。地面に固定なんかしていない」
「しかし、列車は三万トンもありません」
「千トンある。それに、船は水の上に浮いている。列車は鉄の上に載っている。水より鉄のほうが、ずっと硬い」
ホルムは設計図の砲架部分を指でなぞった。
「駐退機を長くする。後座長を、戦艦の倍取る。反動を時間で薄めるんだ。それでも余ったぶんは、列車ごと後ろへ滑らせればいい。線路の上を、何メートルか。滑ったぶんは、次弾装填のあいだに機関車で押し戻す」
「列車ごと滑らせる……」
「制動をかけたまま、決まった距離だけ滑るように、レールを噛む締結具を作る。戦艦の砲塔の旋回制動と同じ理屈だ。地面に基礎を打つ必要はない。レールと枕木と、その下の道床。線路そのものを、砲の基礎にする」
ソーデルが、初めて口を開いた。
「普通の線路では、もちませんな」
静かな、学者のような声だった。
「千トンの列車が、発射のたびに何メートルも滑る。普通のローカル線の軌道なら、三発目でレールが曲がる。枕木が割れる」
「では」
「ベルン高速線なら、話は別です」
ソーデルは、製図台の横の棚から、別の図面を引き出した。高速幹線の軌道断面図だった。
「時速三百キロの特急を走らせるために、あの線は特別に作ってあります。レールは一メートルあたり六十キロの重軌条。枕木はコンクリート、間隔は普通の線の三分の二。道床の砕石は、深さ五十センチ」
ソーデルは、図面の上に指を置いた。
「あの線路は、三百キロで走る四百トンの列車を受け止めるように作った。止まっている千トンの列車が、少しばかり後ろへ滑るくらいなら、受け止められるでしょう」
ホルムは、その図面をしばらく見つめていた。
「高速線は、どこまで伸びている」
「首都から南へ、国境近くのベルンまで、四百二十キロ。それに、東西の支線が二本。合わせて七百キロあまり。すべて、同じ規格です」
ソーデルは、図面の上の、南の国境線を指でたどった。
「ベルンは、国境の西の端です。ヴァルデンは、東の国境から入ってきました。ベルンのあたりは、まだ戦場になっていない。高速線は、戦線の西の縁に沿うように、ベルンまで南へ下っていきます」
「曲線は」
「緩い。三百キロで曲がれるように、半径四キロ以上を取ってあります」
それが何を意味するか、ホルムにはすぐにわかった。
列車砲には、砲塔がない。千トンの反動を線路の向きに逃がすため、砲は線路の方向にしか撃てない。左右の狙いを変えるには、列車そのものの向きを変えるしかない。
前の大戦の列車砲は、そのために専用の曲線線路を敷いた。弓なりにカーブした線路の上で、列車を前後に動かし、砲の向きを少しずつ変えて狙いをつける。
ベルン高速線は、国土じゅうを、ゆるやかに弧を描いて走っている。
「その曲線を、全部測量できますか」ホルムは言った。「一本残らず。どの地点で、どの方角を向くか。一メートル単位で」
「戦前の建設図面が、すべて残っています」ソーデルは言った。「方位は、秒の単位まで記録してあります。線路の上のあらゆる一点が、どちらを向いているか。私たちは、それを知っています」
ホルムは息を吐いた。
国土じゅうの線路が、あらかじめ照準を合わせた砲座になる。止まって、基礎を打つ必要はない。決められた地点に、決められた速度で滑りこみ、止まった瞬間には、もう砲が敵を向いている。
「五分で撃てる」
ホルムは言った。今度は、問いではなかった。
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議論は、夜更けまで続いた。
速力の問題があった。千トンの列車を、三百キロ級で走らせる機関車はない。ソーデルは、高速線用に試作された電気機関車を四両、前後に二両ずつ連結する案を出した。架線から直接、電力を取る。燃料を積む必要はない。そのかわり、高速線から外れれば、この蛇は動けなくなる。
砲身の問題があった。四十センチ砲弾を秒速千メートルで撃ち出せば、砲身の内側は一発ごとに削れていく。〈スヴェア〉の砲身寿命は、全装薬で二百発弱と見積もられていた。二百発を撃てば、砲身は工場に戻して、内筒を入れ替えなければならない。
そして、数の問題があった。
「三門」
ヴィンターが、指を三本立てた。
「完成している砲身は、三本だけです。残りの六本は、鍛造の途中で止まっている。工廠は戦車の砲塔を作るので手いっぱいで、再開の見込みはない」
三本の砲身。三両の列車砲。
ホルムは、工場の床に横たわる三本の鋼の筒を見た。戦艦一隻ぶんにも満たない。前線は、国境に沿って五百キロ以上ある。
「三両で、何ができる」
誰に言うともなく、ホルムはつぶやいた。
「三両では、前線の三か所しか叩けない。どれか一両が見つかれば、三分の一を失う。二両見つかれば、終わりだ」
答える者はいなかった。
そのとき、工場の扉が開いた。冷たい外気と一緒に、若い女が入ってきた。
黒い外套を着ていた。軍服ではなかった。脇に、丸めた大きな紙の筒を抱えている。髪は短く切りそろえられ、寒さで頬が赤かった。
「遅れて申し訳ありません。国鉄運行計画課、ハンナ・リースです」
ソーデルが、わずかに表情をゆるめた。
「私が呼びました。高速線のダイヤを引いたのは、彼女です」
ハンナは製図台の前まで来ると、抱えていた紙の筒を広げた。
壁一面を覆えるほど大きな、方眼の紙だった。横軸に時刻。縦軸に駅と信号所。そのあいだを、無数の斜線が走っていた。細い線、太い線、赤い線、青い線。旅客列車と貨物列車と回送列車が、一枚の紙の上で互いにすれ違い、追い越し、交わっていた。
「ベルン高速線の、平日のダイヤです」ハンナは言った。「一日に、上下あわせて二百十四本の列車が走っています」
彼女は、製図台の上の設計図に目を落とした。それから、工場の床の三本の砲身を見た。
「何両、作るんですか」
「三両だ」ホルムが答えた。
ハンナは、少しのあいだ黙っていた。砲身を見ているのではなかった。何か別のものを、頭の中で数えているようだった。
「では」
彼女は顔を上げ、ホルムを見た。
「敵には、何両に見せますか」