幻影砲兵   作:Sub Sonic

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4話 試射

# 幻影砲兵 第一部「大蛇の目覚め」

 

## 第四章 試射

 

 開戦三十四日目の深夜、ベルン高速線、ヘルダール信号所。

 

 国境から百八十キロ北、深い森の中を、高速線が一直線に貫いている区間だった。その直線の終わりに、半径四千五百メートルのゆるやかな曲線があり、曲線の先に、高さ十八メートルの切通しがある。

 

 ヨルムンガンド一号は、その切通しの中に停まっていた。

 

 全長百三十メートル。前後に二両ずつの試作電気機関車。そのあいだに、四両の大物車が連なり、長大な砲架を分担して支えている。大物車は、戦前に〈スヴェア〉の砲身を鍛造工場から工廠へ運ぶために、国鉄と海軍が共同で作ったものだった。百八十トンの砲身を載せて走るために作られた車両が、いま、その砲身を載せたまま、撃とうとしている。

 

 ホルムは、切通しの上の見張り台から、列車を見下ろしていた。夜空に、砲身が黒い影となって突き出している。四十五度の仰角をかけた三十メートルの鋼の筒は、切通しの縁を越えて、森の梢の高さにまで達していた。

 

「海軍さん。準備、よし」

 

 背後から、しゃがれた声がした。

 

 ベルグ曹長だった。五十を少し過ぎた、背の低い、肩幅の広い男で、陸軍の鉄道部隊に三十年勤めている。前の大戦では、旧式の列車砲の砲員だったという。ヴィンター少佐が、真っ先に呼び寄せた男だった。

 

「前の戦争の列車砲とは、ずいぶん違うでしょう」ホルムは言った。

 

「違いますな」ベルグは、夜の中の砲身を見上げた。「あのころは、撃つ前に、線路の脇に丸一日かけて基礎を打ったもんです。こいつは、基礎なしで撃つ。正気の沙汰じゃない」

 

「正気じゃないのは、承知の上だ」

 

「ええ。だから、あっしが呼ばれたんでしょう。正気じゃない砲を撃ったことのある人間が、あっしくらいしか残ってないもんで」

 

 ベルグは、歯の欠けた口で笑った。

 

---

 

 試射の目標は、切通しから北へ三十キロ、演習場の中の空き地だった。今夜は、射程を短くとり、装薬も四分の三に減らしてある。確かめたいのは、当たるかどうかではない。撃ったあとに、列車がどうなるかだった。

 

 ホルムは頭の中で、何度目かの計算をしていた。

 

 千二百キロの砲弾を、秒速千メートルで撃ち出す。装薬の燃焼ガスが噴き出す勢いも足せば、砲が後ろへ受ける衝撃の総量は、およそ百五十万キログラム・メートル毎秒。それを、千トンの列車が受け止める。止めるものが何もなければ、列車は秒速一・五メートルで、後ろへ動きだす。

 

 人が小走りする程度の速さだ。大したことはないように聞こえる。だが、千トンの鉄の塊が、その速さで動きだすのだ。

 

 駐退機が、まず砲身の後座を二メートルかけて受け止める。残った勢いは、砲架から台車へ、台車から車輪へ伝わる。全車輪の制動をかけておけば、鉄の車輪と鉄のレールのあいだの摩擦が、それを殺す。計算の上では、列車は一メートルほど滑って止まる。

 

 計算の上では。

 

「全員、退避」

 

 ベルグの号令で、砲員たちが切通しの退避壕に散った。砲の周りには、引き金の紐を持った砲長だけが残った。

 

 ホルムは、見張り台の上で、耳を塞いだ。

 

「撃て」

 

 世界が、白くなった。

 

 切通しの底から噴きあがった砲口炎が、夜空を一瞬、真昼に変えた。切通しの両壁が、その光を跳ね返し、森の梢を白く照らした。音は、音ではなかった。ホルムの全身を、見えない壁が殴りつけた。見張り台の手すりが、手の中で震えた。

 

 それから、別の音が聞こえてきた。

 

 鉄が、鉄を擦る音。長い、悲鳴のような、甲高い音。

 

 ホルムは、光に焼かれた目で、切通しの底を見た。

 

 列車が、動いていた。

 

 後ろへ。ゆっくりと、だが止まらずに。四両の機関車と四両の大物車が、ひとつながりの鉄の蛇となって、制動をかけた車輪から火花を散らしながら、線路の上を後ずさっていた。

 

 五メートル。八メートル。十メートル。

 

 最後尾の機関車の屋根で、パンタグラフが架線から弾き飛ばされた。青白い電弧が、夜の中で一瞬、稲妻のように閃いた。

 

 十四メートル。

 

 ようやく、列車は止まった。

 

---

 

 被害の確認には、夜明けまでかかった。

 

 列車そのものは、無事だった。砲身も、砲架も、駐退機も。ただ、最後尾の機関車のパンタグラフが一基、根元から折れていた。そして、列車が滑った十四メートルの区間で、レールの頭が、車輪に削られて鈍く光っていた。一か所、継ぎ目のところで、レールがわずかに外へ曲がっていた。

 

「一メートルのはずが、十四メートル」

 

 ホルムは、曲がったレールの脇にしゃがみこんで、つぶやいた。

 

「車輪が、ロックしたまま滑ったんです」

 

 ソーデル技師長が、隣にしゃがんだ。夜通し現場にいたのに、疲れた顔ひとつ見せていなかった。

 

「制動がかかりすぎて、車輪が回らなくなった。回らない車輪は、レールの上を氷のように滑る。鉄と鉄の摩擦は、転がっているときより、滑っているときのほうが小さいんです。特に、この寒さでは」

 

「では、どうする」

 

「車輪に頼らない」

 

 ソーデルは、曲がったレールを、手袋の指先で撫でた。

 

「路面電車に、電磁レールブレーキというものがあります。台車の下に電磁石を吊るして、非常のときに、それをレールに吸いつけて止める。車輪ではなく、磁石がレールを直接つかむ」

 

「路面電車の磁石で、千トンを止められるのか」

 

「一つでは無理でしょう。ですが、四両の大物車の台車すべてに、大きなものを吊るせば」

 

 ソーデルは、指を折って数えた。

 

「三十二基。一基あたりの吸着力を十トンとすれば、三百二十トン。摩擦は、そう、その四分の一くらいですか。八十トンぶんの制動力。車輪の制動と合わせれば」

 

 ホルムは、頭の中で計算尺を滑らせた。千トンの列車が、秒速一・五メートルで動きだす。それを止める力が、車輪と磁石を合わせて二百トン重とすれば――。

 

「滑るのは、五十センチから一メートル」

 

「そんなところでしょう」

 

「架線は」

 

「撃つ前に、パンタグラフを下ろします。撃ち終わったら、上げる。下ろすのも上げるのも、二十秒」

 

 ホルムは立ちあがり、切通しの上の空を見上げた。夜明けの灰色の空に、白い息が溶けていった。

 

「電磁石の電力は、どこから取る。パンタグラフを下ろしたら、架線からは取れない」

 

「蓄電池を積みます。潜水艦に積んでいるのと同じものを」

 

 ソーデルは、少しだけ笑った。

 

「海軍さんのほうが、詳しいでしょう」

 

---

 

 改修には、十二日かかった。

 

 ヘルダール信号所の脇に仮設の工場が建てられ、国鉄の工場から集められた技工たちが、昼夜交代で大物車の台車に電磁石を吊るした。潜水艦用の蓄電池は、建造中止になった〈スヴェア〉の予備品の中にはなかったので、ホルムが海軍軍令部に三度電報を打ち、ようやく一隻分の予備を回してもらった。

 

 二度目の試射は、開戦四十七日目の深夜だった。

 

 世界が白くなり、全身が殴りつけられ、鉄が鉄を擦る音がした。今度の音は、短かった。

 

 列車は、八十センチ滑って止まった。

 

 切通しの退避壕から、歓声があがった。ベルグ曹長が、帽子を空に投げた。

 

 ホルムは、見張り台の上で、手すりを握ったまま動かなかった。

 

 ここまでは、前提にすぎない。本当の試験は、これからだ。

 

---

 

 三度目の試射からは、時間を計った。

 

 列車は、切通しの十キロ手前から、時速二百キロで走りこんでくる。切通しの中の、決められた一点に停止する。その一点は、ソーデルの測量班が、方位を秒の単位まで記録した地点だ。そこに止まれば、砲はもう、目標の方角を向いている。

 

 停止。パンタグラフを下ろす。電磁石を下ろす。駐退機の油圧を上げる。砲身に仰角をかける。装填。撃つ。

 

 最初の計測は、十一分四十秒かかった。

 

 停止位置が、目標の一点から六メートルずれていた。六メートルずれれば、半径四千五百メートルの曲線の上では、砲の向きが〇・〇八度ずれる。六十キロ先では、八十メートル以上の誤差になる。機関車を前後させて位置を合わせるのに、四分かかった。

 

「停止位置が、甘い」

 

 ホルムは、機関士たちを集めて言った。

 

「一メートル以内に止めてくれ。できれば、五十センチ以内に」

 

 機関士たちは、顔を見合わせた。時速二百キロから、五十センチの精度で、千トンの列車を止める。

 

「中尉」機関士長が言った。「ホームの停止位置目標だって、許容は前後一メートルですよ。四百トンの特急でも」

 

「わかってる。無理を言ってるのは、わかってる」

 

 そのとき、見張り台の下から声がした。

 

「目印を、一つ増やしてください」

 

 ハンナ・リースだった。いつの間に来ていたのか、黒い外套の襟を立て、手に懐中時計を持っていた。

 

「停止位置の三百メートル手前と、百メートル手前に、白く塗った枕木を一本ずつ置きます。三百メートル手前で、速度が時速四十キロを切っていなければ、止まるのをやめて、通過させる。もう一周してきてもらいます」

 

「もう一周?」

 

「無理に止めようとすると、ずれます。ずれた位置を直すより、やり直したほうが早い」

 

 ハンナは、懐中時計を見た。

 

「特急の運転士は、みんなそうやって、ホームに止めています」

 

---

 

 開戦五十一日目。ヘルダールの切通しで、ヨルムンガンド一号は、七度目の時間試験を行った。

 

 時速二百キロで走りこみ、三百メートル手前の白い枕木を時速三十八キロで通過し、百メートル手前の白い枕木を時速十四キロで通過し、目標の一点から三十センチの位置に止まった。

 

 パンタグラフが下りる。電磁石が、低い唸りを上げてレールに吸いついた。駐退機の油圧計の針が、赤い線を越える。砲身が、夜空へ持ちあがる。

 

 装填手たちが、千二百キロの砲弾を揚弾機で押しあげる。砲尾の閉鎖機が、重い音を立てて閉じる。

 

「装填よし」

 

「撃て」

 

 世界が白くなった。列車は、七十センチ滑って止まった。

 

 ホルムは、見張り台の下の、ハンナを見た。

 

 ハンナは、懐中時計を見ていた。

 

「五分、四十秒」

 

 ベルグ曹長が、低く口笛を吹いた。十一分四十秒から、半分以下になっていた。砲員たちの間から、また歓声があがりかけた。

 

 だがハンナは、首を横に振った。

 

「中途半端です」

 

「中途半端?」ホルムは、見張り台から降りながら訊き返した。

 

「高速線のダイヤは、五分刻みで組んであります。特急と特急のあいだの隙間は、どれも五分の倍数です」

 

 ハンナは、懐中時計の蓋を閉じた。

 

「五分四十秒かかるなら、ダイヤの上では十分の隙間が要ります。五分で撃てるなら、五分の隙間で足りる。高速線全体で、五分の隙間は、十分の隙間の三倍あります」

 

 ホルムは、しばらくハンナの顔を見ていた。

 

 彼女が見ているのは、砲ではなかった。砲が入りこめる、時間の隙間だった。

 

「四十秒、削れば」

 

「使える曲線が、三倍になります」

 

 ホルムは、振り返った。切通しの底で、砲員たちが、白い息を吐きながら次弾の装填にかかっていた。ベルグが、腕時計を見ながら怒鳴っている。

 

「……削る」

 

 ホルムは言った。

 

「四十秒。いや、一分削る。四分四十秒にする。余裕を二十秒持たせる」

 

「お願いします」

 

 ハンナは、それだけ言って、小さく頭を下げた。そして、切通しの上へ続く保線用の階段を、懐中時計を握ったまま、ひとりで上っていった。

 

 その背中を見送りながら、ホルムは、自分がいま何を約束したのかを考えた。

 

 四十秒。

 

 海の上では、四十秒で、戦艦は四百メートル進む。四百メートルは、敵の砲弾が、外れるか当たるかの差だ。

 

 ここでは、四十秒が、この国の線路の三分の二を、砲座に変える。

 

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