# 幻影砲兵 第一部「大蛇の目覚め」
## 第六章 空の目
ノルトラント空軍第四偵察飛行隊は、開戦四十日目に、実質的に消滅した。
十二機あった偵察機のうち、九機が撃墜され、二機が地上で爆撃された。残ったのは一機だけで、その一機に乗っているのが、ラーシュ・ニューマン少尉だった。
ホルムがラーシュに会ったのは、首都の北、カルビー飛行場の、半分焼け落ちた格納庫の中だった。
ラーシュは、偵察機の主翼の下に寝ころんで、昼寝をしていた。二十四、五歳。くしゃくしゃの金髪に、油じみた飛行服。顔の上に、読みかけの冒険小説を伏せていた。
「ニューマン少尉か」
ホルムが声をかけると、ラーシュは小説を顔からずらし、片目でホルムを見上げた。
「海軍? 珍しいな。空に海軍の用はないだろう」
「空の目に、用がある」
ラーシュは小説を閉じ、ゆっくりと起きあがった。
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ラーシュの偵察機は、双発の、細長い機体だった。胴体の下に、大きなカメラが二台、並べて取りつけられている。
「高度九千まで上がれる」ラーシュは、機体の脇腹を、馬の首でも撫でるように叩いた。「ヴァルデンの戦闘機は、八千五百から上では、よたよたする。だから、この機だけが生き残った。ほかの連中は、七千で飛んでた」
「九千から、何が見える」
「全部だ」ラーシュは言った。「晴れていれば、ね。カメラは、二十キロ四方を一枚に収める。地上の人間が一人一人、写真の上で点になる。重砲なんか、擬装網をかぶってたって、わけもない」
「写真は、何時間で手元に来る」
「降りて、現像して、乾かして、判読班に回して。早くて三時間。普通は、四時間」
「遅い」
ラーシュは、眉を上げた。
「遅い?」
「ロスヴィークで、ヴァルデンは、写真から爆弾まで六時間かからなかった」ホルムは言った。「ヴァルデンの重砲は、それを知ってる。自分たちが北の重砲にやったことを、自分たちもやられると思ってる。だから、いずれ、夜ごとに陣地を移すようになる。そうなったら、四時間前の写真は、何の役にも立たない」
「じゃあ、どうしろって」
「写真じゃなく、目が欲しい」
ホルムは、機首の風防を指さした。
「あんたが上から見て、見つけたら、その場で無線で座標を送ってくれ。現像を待たずに。俺は、線路の上で待っている。座標を受けたら、五分で撃つ」
ラーシュは、しばらくホルムの顔を見ていた。それから、ゆっくりと首を振った。
「写真は嘘をつかない。目は嘘をつく」
「わかってる」
「九千メートルから、肉眼で見るんだぞ。双眼鏡を使ったって、機体は揺れる。擬装網と森の区別なんて、ほとんどつかない。座標だって、地図と地上を見比べて、頭の中で読むしかない。百メートルや二百メートルは、平気でずれる」
「四十センチ砲弾の危害半径は、百メートル近くある」
ホルムは言った。
「二百メートルずれたら、外れる。だが、百メートルなら、当たる。八発撃って、そのうち二発が百メートル以内に落ちれば、二十一センチの砲陣地は終わりだ」
ラーシュは、口を開きかけて、閉じた。
「それに」ホルムは続けた。「写真は、撮らなくていいとは言っていない。撮ってくれ。いつもどおりに。座標は、目で送る。写真は、あとで答え合わせに使う。外れていたら、次に直す」
「……海軍の射撃は、そうやるのか」
「そうだ。初弾は、たいてい外れる。弾着を見て、直す。二斉射目で夾叉して、三斉射目で当てる。最初から当たると思って撃つ砲術長は、いない」
ラーシュは、黙って自分の偵察機を見上げた。翼の付け根に、撃たれて継ぎを当てた跡が、いくつもあった。
「俺の飛行隊の連中は」
ラーシュは、ぽつりと言った。
「写真を撮って帰ってきた。何十枚も。ヴァルデンの戦車の集結地、補給所、砲兵陣地。でも、その写真が判読班の机に届くころには、ヴァルデンの戦車はもう次の町にいた。こっちには、写真を撃つ爆撃機も、重砲も残ってなかった。九人死んで、残ったのは、誰にも使われない写真の山だけだ」
ホルムは、何も言わなかった。
「あんたは、俺の目を、撃ってくれるのか」
「撃つ」ホルムは言った。「あんたの目が見つけたものは、一つ残らず」
ラーシュは、長いあいだホルムを見ていた。それから、にやりと笑って、手を差しだした。
「いいよ、海軍。乗った」
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だが、問題はすぐに見つかった。
ラーシュの無線は、敵にも聞こえる。
空から平文で座標を送れば、敵の傍受班は、その座標にノルトラントの目が向いていることを知る。数分後にそこへ砲弾が落ちれば、座標を受けた誰かが、どこかで撃ったことがわかる。そして、電波の出どころを測られれば、ラーシュの偵察機は、たちまち戦闘機に追われる。
解決したのは、ハンナだった。
彼女は、カルビー飛行場の作戦室に、国鉄の路線図を広げた。
「座標を、地図の座標で送らないでください。鉄道の言葉で送ります」
「鉄道の言葉?」ラーシュが首を傾げた。
「国鉄の線路には、すべて、キロポストがあります。起点の駅から、何キロ何百メートル。それに、線路の脇の、どちらの側に、何メートル。それで、国じゅうのどんな場所でも言えます」
ハンナは、路線図の一点を指で押さえた。
「たとえば、北部線、百八十四キロ三百、左、四千二百。敵がこれを傍受しても、国鉄のキロポスト表を持っていなければ、どこのことかわかりません。キロポスト表は、戦前から、部外秘です」
「国境の向こうの、敵地の場所も言えるのか」
「開戦前は、北部線は国境を越えて、ヴァルデンの鉄道につながっていました」ハンナは言った。「国際列車が走っていましたから。キロポストは、向こうの終着駅まで続いています」
ラーシュは、口笛を吹いた。
「電波の出どころは、どうする」ホルムが訊いた。
「送信は、一回十五秒以内。それ以上は送らない」ハンナは言った。「送る場所も、毎回変える。飛行経路の上で、決めておいた点をいくつか通るたびに、そのどこか一つから送る。どの点から送るかは、その日のダイヤで決めます」
「偵察機にも、ダイヤがあるのか」
「あります」ハンナは、ラーシュを見た。「少尉の飛行機も、いまから、一本の線です」
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それからの一週間、ラーシュは毎日、演習場の上を飛んだ。
演習場の森の中に、ベルグ曹長の砲員たちが、木と帆布で二十一センチ榴弾砲の偽物を据え、ヴァルデン式に擬装網をかぶせた。毎朝、場所を変えた。ラーシュは、九千メートルからそれを探し、見つけたら、キロポストで座標を送る。
ヘルダールの切通しで、ホルムはそれを受け、弾道表に通し、装薬を減らした演習弾を撃った。
最初の日、ラーシュの座標は、偽物の砲から六百メートルずれていた。
三日目、三百メートル。
五日目、ラーシュは、偽物の砲から九十メートルの地点を送ってきた。ホルムの演習弾は、偽物の砲の、百二十メートル手前に落ちた。
「座標の誤差と、射撃の誤差が、打ち消しあわなかった」ホルムは、弾着図を見ながら言った。「だが、座標だけなら、九十メートルだ」
その夜、カルビー飛行場の格納庫で、ラーシュはホルムに、一冊の帳面を見せた。
ページというページに、鉛筆の走り書きがあった。森の形。畑の畝の向き。道の曲がり方。擬装網をかぶせた砲陣地が、上からどう見えるか。網の下の影の長さ。朝と昼とで、影がどう変わるか。
「網をかぶせたって、影は消えない」ラーシュは言った。「朝の低い日で見ると、網の下の砲身の影が、網の外に、細く伸びる。ほんの何メートルか。それと、轍だ。重い砲を運びこんだ轍は、掃いても、草の倒れ方が変わる。上から見ると、そこだけ、草の色が違う」
「それは、写真判読の教本に」
「書いてない」ラーシュは言った。「俺が、九人ぶんの写真を見て、覚えた」
ホルムは、帳面を返した。
「七日目は、明日だ」
「わかってる」
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七日目、開戦五十四日目。
ラーシュは、演習場の上空九千メートルで、朝日に長く伸びた一本の細い影を見つけた。
『北部線、二百二十一キロ八百、右、三千九百』
十五秒以内の送信。ヘルダールの切通しで、ホルムはそれを受けた。
ベルグの砲員たちは、ハンナが引いた演習用のダイヤどおりに、一号を切通しの一点へ滑りこませた。三百メートル手前の白い枕木で、時速三十六キロ。百メートル手前で、時速十一キロ。目標の一点から、二十センチ。
パンタグラフが下りる。電磁石が唸る。砲身が夜明けの空へ持ちあがる。持ちあがりながら、揚弾機がもう、砲尾の半分の高さまで砲弾を押しあげていた。
「装填よし」
「撃て」
ハンナが、切通しの上で懐中時計を見ていた。
「四分、三十八秒」
演習弾は、三十キロ先の演習場の森に落ちた。ラーシュの無線が、短く割りこんできた。
『弾着、偽物の砲から、四十メートル』
切通しの底で、ベルグ曹長が帽子を空に投げた。砲員たちが歓声を上げた。
ホルムは、歓声には加わらなかった。射撃盤の前で、黙って、ダールの手帳を開いた。ロスヴィークの夜に、灯火管制の暗がりで書きつけた数字が、そこにあった。
写真から爆弾まで、六時間。
ホルムはその下に、今朝の数字を書いた。
目から砲弾まで、十一分。
切通しの上から、ハンナが降りてきた。彼女は、ホルムの手帳を覗きこまなかった。ただ、一枚の紙を差しだした。
ダイヤだった。高速線と北部線、それにヴェステルボリ要塞の周辺の路線。赤い太線が三本、青い細線が五本。そして、細い点線が一本、南の空から北の線路へと降りてきていた。ラーシュの線だった。
ダイヤの一番上に、日付が書いてあった。
開戦五十八日目。
「ヴェステルボリの包囲は、明日で十九日目になります」ハンナは言った。「要塞の中には、市民が四万人います。敵の重砲は、二十四門。そのうち十二門の位置を、ラーシュさんが、すでに見つけています」
ホルムは、ダイヤを受けとった。
赤い三本の線が、夜明け前の三時間のうちに、首都から高速線に吸いこまれ、ヴェステルボリの北の曲線に、それぞれ一度ずつ触れ、また北へ消えていた。それぞれが触れる時間は、五分。ぴったり、五分。
「四日後です」
ハンナは言った。
「蛇を、放します」