6話
目を覚まし、体を起こす。高価そうな寝台だけあって熟睡できた。そう思う。体を伸ばし、窓の外を伺う。陽の光はなく、陽気そうな歌声と笑い声が混ざって喧騒となり耳に入ってくる。今日は勇儀と言う鬼と地底で酒の配達らしい。ただ、おそらくまだ時間がある。一旦風呂に入ってしまおう。
クローゼットに体を押し込み、服の間を縫って手を伸ばし、奥からタオルを取り出す。にしても配置が悪い。今日時間があれば、タオルをもっと取り出しやすい位置に移動させよう。そのまま扉を開き、風呂場へと向かう。そもそも、この時間に開いているのかわからないが、見た感じ温泉と同じ作りだった。ここが地底だったことも踏まえれば、ずっと開いていてもおかしくはない。まだ動物たちも寝ているのか廊下は静まり返っている。暖簾をくぐり、ロッカーを見渡すが、誰かがいる気配はない。脱皮をする様に服を脱ぎ、ロッカーにしまったところで鏡に映った自分の姿が目に入る。そういえば、何か異常がないか探すなんて話をしていた。自分の姿を見るが、特段変化はない、見覚えのある身体だ。筋トレに必死だったと言うわけでもないが、日常的に体は動かしていたのである程度は引き締まっている。それだけだ、特段異変がないことを確認して、風呂場へ足を進める。念のため扉開く前に叩くが応答はない。昨日の様に俺が入っていたところに来るならまだいいが、いるところに入るのは流石にまずい。腰にはタオルを巻き扉を開くと1匹の黒猫が泳いでいた。二股に分かれているあたり、どうやらただの猫ってわけでもないらしい。視線が交差すると猫は尻尾を立ててギョッとした様にこちらを見つめる。ここで初めて嫌な予感がした。
この尻尾に俺は見覚えがある。そして、答えを察した。
「俺はノックしたからな。まぁ、俺は気にしないから好きにくつろいでくれ」
そのまま身体を軽く洗ってから湯に浸かる。猫は泳ぐのをやめ、浅いところでただ四つの足で立っている。湯の中で胡座をかき、目を瞑る。鋭敏になった聴力が湯が石畳を叩く音と自分の息遣いだけを拾う。そのまま深呼吸。目を開き、一つ伸びをして、立ち上がる。まだ猫は同じところで立っていた。
「じゃ、俺はもう出る」
うっすらと浮いた汗をほぼ滝と言えるシャワーで流し、扉を開く。そこには1匹の鴉。足が3つあるあたりどうやらただの鴉ではない。一声鳴くと翼を広げて浴場に突入した。
2匹だけが残った浴場への扉を閉じて、タオルで体の水を拭き取り、服を着ていく。まだ髪は多少濡れているが、昨日探したがドライヤーなんてものがない以上多少の妥協は必要だ。また外でゴールデンレトリバーが待っており、俺の手に握られていた濡れたタオルを加えて走り去って行った。
「まぁ、人型になってなくてよかった」
多少風呂に入る時間は考えた方がいいだろう。先は動物になっていたから問題ないものの、人型だったらまずかった。だが、気をつけるといってもどうすれば良いものか。まぁ、ノックしていれば良いか。
自室の扉を開き、クローゼットを開く。中には堅苦しい服ばかり、昨日持っていかれた服はまだ帰ってきていない。ここにきてから1番のため息を吐き、スーツをと黒いシャツを手に取る。黒シャツに黒いスーツなんてまるでホストだ。ネクタイも置いてあるが、流石に息苦しいので着けたくない。文句を言われなければつけない方針で行こう。
シャツに袖を通し、ズボンを履き、スーツを羽織る。サイズは恐ろしいくらいに合っている。本当に一体どこで情報を得たのか。そこで自分が裸足だったことを思い出す。再度クローゼットを漁り、隅にまとめられていた黒の靴下と革靴を足に引っ掛けて取り出す。正直革靴も嫌だが、この格好にスニーカーってのもよくない。寝台に腰掛けて靴下を履いて革靴を履くと硬くない。基本的に自分で履くことで慣らす必要があるはずだが、どういう作りなのだろうか。まぁ、楽なので気にはしないでおく。少し部屋を歩いて動きやすさの確認した後に鏡で襟などを整える。
社会人時代を思い出す。あの時もスーツを着て、革靴を履き、日の出とともに出社し、時計が明日を示したあたりで帰宅していた。
「こよみ、起きてますか」
「あぁ、起きてる」
聞き慣れてきた鈴を晴らした様な儚さを孕んだ声に返答するとひと吹きで消えてしまいそうな身体にしっかりとついたクマ。見るたびに壊れてしまわないか心配になるさとりが入ってきた。相変わらず服はパジャマだが、今日は白になっている。直すのも億劫なのか、桃色の髪には寝癖がある。
「基本私は外に出ないので寝癖はいいんですよ」
「別に否定してない。忙しいと直す気にならないのは理解できる」
「一旦私の部屋に来てください。仕事の詳細を伝えます」
先導するさとりの後を歩く、途中で目が覚めたらしい数匹の小鳥が囀りながらさとりの寝癖を直していた。鳥たちが何を言っているのかはわからないが、おそらく文句だ。さとりの部屋に着く頃には寝癖は一本のアホ毛を残して治り、鳥は飛び去って行った。部屋に入るとさとりは机に向かい資料と酒を取り出す。
「ペットが何を言っているのかはわかるんですか」
「いや。全くわからない。察せるだけだ。あの食事会以降明確に心が読めたことはない」
「では、あの鳥は何を言っていたか教えてください。答え合わせしましょう」
「文句だ」
「・・・正解です」
流石ですねと笑いかけてくるさとりにそれで良いのかと思いつつも机上に置かれた酒を見る。当然だが見たことのない銘柄だ。酔髑髏、なんか物騒な名前だが、今思うと鬼ごろしの方が物騒だ。
「まぁ、ペットにお世話されてるご主人様の話は置いておいて、その酒を持っていけば良いんだな」
「色々言いたいことはありますが、その通りです。この酒を指定するお店に持って行ってください。途中で妖怪に絡まれるかもしれませんが、良い感じにお願いします。私よりは得意だと思いますので」
「俺もそれほど得意ってわけじゃないが。まぁ、そこはよしなにしておく」
にしても妖怪とコミュニケーションとは、どうならることやら。おそらく常識も通じないだろうし、そこまで考えたところでふと思う。目の前のさとりも妖怪だ。であるならば俺にも問題なくできるだろう。それよりも考えるべくは別にある。
窓から1匹の鳥が入ってくる。そのままさとりの机に止まるとまた窓から飛び去る。
「どうやら勇義さんが来た様です。話は通してありますので玄関までこのお酒を持って向かえますか?」
さとりは机上に置かれた酒を部屋の隅に置かれた箱に入れ、こちらに手渡す。少なくとも一升瓶が10本は入っている箱を片手で軽々と扱う姿に少し驚いた。
「私も妖怪ですから。そこらの人間よりは力があるんですよ」
「まぁ、妖怪だしなと思ってはいたが、実際に目にするとすごいな。貰うわ」
さとりからの瓶を両手で受け取る。だが、思っていたよりは軽く、少し瓶が跳ねる。試しに片手で持ってみると全然持てる重さだった。冷静に慣れば20-30キロくらいなもので、ありえない重さではないが、ここまで軽く感じるのは異常だ。2-3キロのダンベルを持った程度の負荷しか感じない。
何度か上下させながら怪訝な顔をしているとふと思い出した。
「あー、俺も人間卒業してるのか」
「はい。そういうことです」
「まぁ、勇儀にあってくるわ」
手に持った酒の入ったカゴを持ち直し、さとりの部屋を後にする。赤い絨毯の引かれた廊下を挟む扉から相変わらず動物達が様子を伺っている。
俺はもう人間ではない。わかっていたことだ。特段何も思ってなかったが、いざこうして実感するとなんとも言えない感情になる。期待でもなく、恐怖でもなく、嫌悪でもなく、これは、落下だ。