こいつ泣かせたら世界終わる 作:黒狸
規則的な足音が響いていた。
雲一つない空にはとっぷりと青が広がり、見上げればさんさんと太陽が照らす。
花の香りを孕んで吹く風が、じんわり汗をかいた体を抜ける感覚がどこか心地良く、そんなのどかな雰囲気に浸っていると、思わずここが迷宮であることを忘れてしまいそうになるのだから不思議だ。
迷宮内でありながら外界のような景色が広がる不気味さを孕む、そんな二層である。
辺り一帯の草原。それを抜ける風、揺れる草花、自分たちの足音。周囲を警戒すればするほど、規則的な足音に混じる、規則的でない音も否応なしに意識してしまうもので。
「それまだ消えない?」
「無理。当分消えないと思う」
足元についてくる黒毛の狼を見ながら、思わず問うた。バッサリ切り伏せられた。
▽
アンミーが特別良い夢を見たらしい。
潜り込んてきた彼女を振り払うことができず、仕方なしに迎えた朝。
なんとノーチェが目を覚ますと懐の温かみが増えていた。狼がアンミーに抱かれていたのだ。悪い夢では魔物や瘴気が具現化されるわけだが、良い夢を見るとそこで見たものが具現化されるそうな。
昔飼っていた愛犬の夢だった、と彼女は物憂げに語っていた。
「そいつ、魔物とかじゃないよな」
「カゲロウだよ。昨日見た優しい夢由来の子だから、魔物とは全然違う生き物だね」
「違いがわからないんだが。まあ魔物ならとっくに襲ってきてるか......?」
アンミーに抱き上げられながら、ふんすっと一息で応答する件の動物。
漆黒の毛をたたえた、犬というよりは狼の風貌であり、どことなくふてぶてしい様子である。
「意思とかあるわけ?」
「ないよ。でも簡単な命令なら聞けるね」
アンミーはその場にしゃがみ込み、
「お手。おまわり。取ってきて」
お手とおまわりをこなし、投げられた木の枝は飛び上がって華麗にキャッチ。
そのまま地面の木陰に潜り込むと、アンミーの元へ戻ってお座りの姿勢をとった。どうやら簡単な指令は実行できるらしい。
真っ黒なのは影に干渉するためであり、ノーチェと似たような能力を持っているようだった。
「なるほど。見た夢が具現化されるのは知ってたけど、こういう場合もあるのな」
「すごく懐かしい夢だったから。この子とは仲良しだったの。もっと一緒にいたいなって、多分思ったのかな」
「ものによっては、起きてからも残るやつがいるってことか?」
「めったにいないけどね」
「なるほどな。そのめったに遭遇しないことを祈りたいもんだっと」
ちらと後ろを振り返ってみると、フラフラとこちらへ向かってくる人影がある。レンリである。
ノーチェたちとは数十歩ほど離れており、後衛と位置付けるのも難しい。
「竜って体力ない生き物?」
「どう考えてもあれは少数派だろ」
しばしかげろうと戯れながら待っていると、ようやっとレンリが追い付いてきた。
「それじゃ行くか。お荷物も追いついたことだし」
「お荷物じゃないんだけどぉ」
ひたり、と尻尾がノーチェの首元にあてられる。
「――じゃない。レンリも追いついたことだし」
「そうそう。あっちょ、置いてかないでぇ......」
情けない声が少しずつ遠ざかっていくのを感じ、ノーチェは吐息。
次いで、覚束ない足取りだったレンリを背負う。
「置いてったわけじゃないんだけどな」
「うぷっ、あんまり揺らさないでねぇ」
そんなやり取りを最後に寝入るレンリだが、昨夜からこの調子だった。
しばらく歩けど揺れど、目覚める気配すら見えない。実際体力的でなく魔力的な要因であるため、こうなるのも仕方がないのだろうが。
「全然起きないね」
「魔力酔いだろうしそんなもんさ」
「魔力酔い?」
「ん、中和する魔力がない状態で体に空気中の魔力を――まぁ、その場で50回くらい回ってから全力疾走してみたら、大体同じ感じになるんじゃないか」
「うわ」
想像しただけで気分が悪くなる字面に、思わずアンミーの顔が引きつっていた。
ちなみに治療法はいたって単純で、魔力をある程度体に蓄え直すだけで自然と治る。基本的にはぐっすり休んだりよく食べたりして、体に宿る魔力を少しずつ回復させるのが一般的な治療だろう。
次点で魔力を含む何かを体に摂取することが挙げられるだろうか。
「ポーションとか飲めばいいんじゃないの?」
「それはそうなんだが。さてはお前飲んだことないな」
「ア ン ミー」
「あぁ。アンミーはポーション飲んだことないだろ?」
「ん」
少しばかり満足気なアンミーはコクリと頷いた。肯定の意だろう。
ノーチェは鞄から小さな水筒を取り出し、彼女に手渡す。
「これがポーション?」
「そう。効果は確かなんだがとにかくまずくてな。腐った魚と野草を煮詰めたみたいな味がする」
「......」
なんでこいつはそんな味を知っているんだ、という目を向けられてしまった。
咳払い、
「ちょっと飲んでみていい?」
「別に構わないけど、舐めるくらいにしておいた方が――遅かったか」
「ん。んむ、ッ、ッ!?」
吹き出された。
「さてどんな味だった?」
「おえ、ゲホッ、.......腐った魚と野草を煮詰めたみたいな味。レンリにもこっそり飲ませよう」
「やめとけ。こいつそういうの根に持つタイプだから」
苦い渋いが大の苦手な彼女には特にキくらしく、過去口にした際にはあまりの不味さに気絶したことさえある。自慢の竜舌とやらにはとことん合わないのだそうだ。
「色々あった顔」
「まあな。でも内緒だ。これ教えたらすごぶる機嫌が悪くなるから」
体力は一息つけば回復するわけだが、魔力の回復は少しややこしい。
手っ取り早いのはポーションだ。ただレンリには合わない解決策だっただけで。当然今までにも直面した難問である以上、ノーチェは既に最適解を得ていた。
「実際それよりももっといいやつがあって、っと。見えてきたな」
そんなことを歩きながら会話しているうち、目当ての場所にたどり着いた。
草原地帯をやや進んだ先。他よりもひと際大きな木がいくつか群生しており、垂れ下がった枝先のいくつかには宝石さながらに艶やかな赤色をした、リンゴとは似て非なる果実。
「あれだ。甘くて爽やかで沢山の魔力を含む優れものだ」
「あれが迷宮果だね......!」
「ああ。早いところレンリに食わせてやろう」
そのビジュアルや醸し出す雰囲気、どことなく漂う甘酸っぱい香り。これぞ迷宮果の魔力というべきか。あまり感情を表に出さないアンミーも、珍しく全面に感動を押し出していた。
そも、そんな反応を引き出すために魅力的な果実をこさえているわけで、ある種立派な生存戦略であり、単なる慈善事業ではないことは明らかである。それは嫌に静まり返っている草原や、あちらこちらの残骸からなる不気味さがゆうに証明していた。
「ちょっと待て。あれは取るのがちょっとばかし面倒でな」
ふらりと近づきそうになるアンミーを片手で制しながら、さてとう説明したものかと。ノーチェが周囲の警戒から別の思考に意識を割いた、その瞬間だった。
「わわ、後ろ!」
敵を感知したアンミーが悲鳴混じりに叫び、ノーチェは咄嗟に彼女を抱え横に飛ぶ。
先まで三人がいた場所に、骸骨の魔物ことスケルトンの長剣が叩きつけられた。汚損が目立つが武装をしているのを見るに、迷宮果の生態を把握していなかった初級の冒険者と見るべきだろう。
レンリを下ろすのと影の同期が完了するのは同時。右腕に纏う影が長剣を模したそれへと変化する。
踏み込み、一閃。
そうして頭部が落ちると共に、胴体は音を立てて倒れこんだ。
「今の、冒険者さんだった?」
「こいつも、周辺の骨も全部そうだな。それと、迷宮果の取り方はちょっとばかし面倒だって言ったろ。『これ』が理由だ」
ノーチェが無造作に頭蓋骨を迷宮果の群生地に放り投げると、変化はすぐに訪れる。
迷宮果の枝がぐるりするりと伸びて頭蓋骨へと殺到し、巻き付くと何かを吸い上げるような様子。
「魔力を、吸ってる?」
「迷宮果は周囲の魔力に反応するんだよねぇ。散らばってる骨は迷宮果に近寄った人間や魔物の残骸。それらが次第に魔力を帯びてスケルトンになって、今度はそれを餌にして自給自足してるってわけ」
戦闘音で目を覚ましたらしいレンリが、気だるげに解説してくれる。
「生き物も、魔物も、その死体も、全部ご飯にしちゃうんだ」
「魔力があればねぇ。ていうか、ノーチェはボクの背中さすってぇ......気持ち悪いよぅ......」
「寝てろよもう」
吐息。なんとも情けない竜族の姿である。
して、迷宮果が迷宮で自生するには魔力への順応が不可欠となる。
ただし空気中の魔力を中和するにはある程度の魔力が必要となり、自ら魔力を生み出せない迷宮果が取れる選択肢は魔力を含む何かを摂取することに限られる。
すなわち、魔力を保有しているもの――魔物や冒険者の捕食だった。
「そんな具合だから、魔力を含まない物やそういう体質のやつが取るのが定石なんだよねぇ」
「ふむ。ならこの子の出番かな」
アンミーに応えるように、足元の狼が前足を上げ主張していた。
若干存在を忘れかけていた彼だが、聞く限りでは魔物ではないらしい。原理はよくわからないが魔力を擁さない生命体ならば迷宮果たちの捕食対象外となるため、採取はより容易になるだろう。
それでも脳裏によぎるのは、万一にでも仲良しの狼が迷宮果の根っこに吸い殺されでもしたら、という最悪の想像である。そんな日に彼女が見る悪夢たるや、迷宮など簡単に飲み込む破壊を生むに違いない。
「あー、全然俺が取ってきてもいいけど。一応なんとかする秘策がないでもない」
というわけで、なるべくならノーチェだけが危ない橋を渡る形に話を持っていきたい。
さてどうして伝えたものかと考えていると、アンミーは曇りがかる不安な表情を浮かべていた。不満や抗議のそれではなく、目じりが下がり、唇を引き結んでいる、どこまでも不安そうな表情だった。
「それでいつもしてもらってばかり。たまには私も何かしてあげたい」
「そうか? 魔力感知だけでも十分役には立ってるよ」
「でも、」
「ま、もっと頑張りたいのはわかった。俺も一緒にどうしたらいいか考えてやるから」
「......うん」
くしゃりと頭を撫でてやると、アンミーは小さく頷いて手のひらを受け入れる。
冒険者において、索敵からなる貢献度は彼女が考えている以上に高い。突如発生するはずだった事態に対し、事前に判断を踏まえる暇が用意できるというのは、大きな利点だ。しかし魔物の討伐などと違い、目に見える功績が上がるような役割でないのも確かである。
貢献はしている。
ただ、それと悪夢による迷惑があまりにも釣り合っていないだけで。
(なんというか、もっとレンリと一緒に褒めてやらないといけないな)
諸々片付いた後、感謝で揉みくちゃにしてやるべきだろうか。
ともあれ彼女の抱えていた不安は受け取った。後はノーチェがどうにかする番だろう。
「じゃあ、こうしようか」
というわけで、折衷案を取ってみることにした。
〇
結論から言えば、指示は"取ってきて"だけで完結した。
数度、地面を蹴る音がして。
カゲロウが迷宮果の木陰に潜り込むと、見る間に影を伝って幹から枝葉のあたりにまで進んでいく。果実の成る辺りに着けば影から頭部だけを実体化し、迷宮果を噛み取った。
そうして再び影に潜り、するすると木を下ってレンリたちの元へと戻ってくる。
「ちょうだい。もう一個"取ってきて"」
咥えている迷宮果をアンミーの手のひらに落とす。完璧な仕事である。
思わず拍子抜けしてしまいそうなくらいにうまくいき、レンリは思わず薄い胸を撫でおろした。不測の事態が起きないのならばそれが一番良く、怪我も消耗もなく成果を得られるならそれに越したことはないだろう。
良かった良かった、と。
――そう考え始めた時にこそ問題が起こるのだと、レンリは経験則で知っている。
そしてその直感が正しいと理解したのは、それから数秒後のこと。
「ちょっと待ってねぇ。アンミー、そのリンゴ見せて」
「? はい」
どことなく拭えぬ嫌な予感。それに気を引かれるままに迷宮果をひっくり返してみれば、カゲロウが咥えていた箇所には齧ったような跡が残っていて。
あの食いしん坊め、と毒づく暇もない。
「ちょ~~っと、戻ってきてぇ! ボクじゃだめか、アンミー。あの子を戻らせれる?」
「竜さんどうしたの!?」
「あの子、迷宮果ちょっと食べちゃってるんだ!」
語りながらもレンリは飛び出し、すぐそこまで迫った『最悪の事態』を想定し杖を構える。
迷宮果に魔力を吸い上げる性質がある以上近づくこと自体がナンセンス。魔法を用いて戦闘するには若干魔力不足感が否めないが、できる限り危険を排して戦うならばこれが一番良いだろう。
「えっと、つまりどういうこと?」
「体が魔力を持っちゃってるってことぉ!」
考え方はいたって単純。
体に魔力を保持していない生物が、魔力に満ちた食べ物を口にした場合どうなるか。当然ながら体の中に魔力が存在することになり、それすなわち魔力感知の対象となるわけである。
「かっカゲロウ、"戻ってきて"!」
はっとした表情でアンミーが指示を飛ばすが、時すでに遅し。
――――――――ッ!!
既にカゲロウを探知したらしい迷宮果の枝葉がざあざあと揺れる。
地面から飛び出す根っこが、ぐねぐねと伸びる枝が。そして無数のそれら全てが、待ち望んだ標的ことカゲロウの全てを吸い上げんとして見る見る間に伸び迫っていく。
迷宮果の危険度はこれまでに吸い上げた魔力量に比例する。
そこらの魔物を数匹取り込んだ程度であれば危険などあってないようなものだが、今回のものはどうか。あたり一帯に散らばる魔物や冒険者の骨の山がなされる程に命を吸い上げ、挙句の果てにはそこから生じたスケルトンでの自給自足ができるまでに。一種の生態系を形作れるほどの影響力を持った個体である。
「......こりゃ、面倒なことになったやぁ」
レンリは長い吐息を一つ。吸い込み、ゆるりと吐いて。
見開く縦長の瞳孔は、美しくも獰猛な金色を宿すそれであり。
そうして迸る魔力を帯びた杖の先が、妖しい光を灯す。