ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜 作:Edward
001 始まり
ユグドラル大陸。
この大陸には、かつて人々がその名を口にすることすら恐れた時代があった。
暗黒神――ロプトウス。
その力を宿した者によって、当時大陸最大の国家であったグラン共和国は滅ぼされ、跡地にはロプト帝国が築かれた。
帝国による支配は苛烈を極めた。
逆らう者は殺され、異を唱える者は捕らえられ、数え切れぬほどの人々が暗黒神の名の下に命を奪われた。
さらに恐るべきことに、ロプトウスの脅威は一人の支配者を倒せば終わるものではなかった。
肉体が滅びようとも、その血を受け継ぐ者へと力は継承される。
人の命を遥かに超える年月をかけて、暗黒神の影はユグドラルを覆い続けたのである。
近隣諸国も次々と帝国の軍門に下り、やがて大陸のほぼ全土がロプト帝国によって支配された。
それでも人々は抗った。
各地で反乱の火が上がり、幾度となく帝国へ挑んだ。
だが、そのすべてが圧倒的な力の前に潰されていった。
最後に残された反乱軍の拠点――ダーナ。
そこへ追い詰められた十二人の若者たちは、決戦を前に神へ祈った。
もはや後はない。
明日、自分たちは死ぬかもしれない。
それでも、この大陸を暗黒の支配から解放したい。
その願いに応えるように――奇跡は起きた。
十二人の前に、人ならざる存在が降臨したのである。
彼らは若者たちへ自らの力を授けた。
後世において《ダーナの奇跡》と呼ばれる出来事だった。
神の力を得た十二人を中心として反乱軍は息を吹き返し、失われた土地を一つ、また一つと奪還していった。
帝国の支配に苦しんでいた人々も次々と彼らのもとへ集った。
そして長い、あまりにも長い戦いの末――。
ロプト帝国は滅びた。
暗黒神ロプトウスもまた打ち倒され、呪われた大地にようやく平和が戻ったのである。
十二人の英雄は後に――《十二聖戦士》と呼ばれた。
彼らは戦いが終わった後も荒廃した大陸の復興に尽力し、それぞれの土地に新たな国を築いていった。
それから、およそ百年。
かつて大陸を覆った暗黒の時代は、今では歴史の中の出来事となっていた。
聖戦の記憶。
英雄たちの血を受け継ぐ系譜。
そして、彼らが遺した神器。
人々はそれらを過去から未来へと語り継いでいた。
――闇が、本当に消え去ったのかなど知る由もなく。
◇
ユグドラル大陸最北端。
一年の半分近くを雪に閉ざされる国――シレジア王国。
吹き荒れる風と険しい山々に囲まれたこの土地は、十二聖戦士の一人、《風使いセティ》によって興された国である。
その血を継ぐ王家には代々、風を操る優れた魔道士が生まれた。
また、シレジアの高山に生息する天馬を駆る天馬騎士たちは、魔道士と並ぶ王国の象徴として古くから国土を守り続けている。
現在の国王もまた、聖戦士セティの力を色濃く受け継ぐ人物だった。
そして、その息子レヴィンにもまた、父以上とも噂されるほど強い力が現れている。
王位はいずれレヴィンへ。
誰もがそう考えていた。
――誰もが。
王家の一部を除いては。
現国王の兄弟であるダッカーとマイオス。
二人は、まだ若いレヴィンが次代の王となることに強い不満を抱いていた。
現国王は数年前から病に伏すことが多くなっている。
そのため軍務の多くをダッカーが、政務の一部をマイオスが担うようになっていた。
それは本来、病床の王を支えるための措置だった。
しかし長く権力を握れば、それを自らの物と錯覚する者もいる。
シレジア王国はまだ平穏だった。
雪に覆われた城下には人々の営みがあり、天馬騎士は空を舞い、魔道士たちは国を守っている。
だが、その足元では――。
確実に亀裂が広がり始めていた。
◇
「――ウインド!」
魔道書を右手に抱え、左手を前へ突き出す。
瞬間。
俺の周囲に集まった風が、一条の刃へと姿を変えた。
風刃が訓練用の人形へ直撃する。
バシュッ!
乾いた音とともに、人形の胴へ深い裂傷が走った。
「……また威力が上がったか?」
自分で放っておきながら、思わず呟く。
使ったのは初歩魔法の《ウインド》。
だが、威力だけなら王宮魔道士の使う《エルウインド》に迫り始めている。
俺の名はカルト。
シレジア王弟マイオスの息子――ということになっている。
王族の一員ではあるが、自分でそれをありがたいと思ったことはほとんどない。
特に最近は。
「……ったく。親父も余計なことばっかりしてくれる」
魔道書を閉じ、大きく息を吐く。
俺の身体には幼い頃から、ある聖痕が現れていた。
王家の者たちは、それをセティの血が現れた証なのだろうと考えている。
俺自身も、ずっとそう思ってきた。
実際、風魔法との相性は異常と言っていい。
習得も早い。
魔力も年を追うごとに増している。
ただし、レヴィンとは違う。
奴ほど明確にセティの力を継承しているわけではなく、神器《フォルセティ》を扱えるわけでもない。
だから俺は――単に傍系に現れた聖痕なのだと思っていた。
それ以上、疑う理由もなかった。
少なくとも。
この頃の俺には。
「やってるな!」
聞き慣れた声が飛んできた。
振り返る。
「レヴィン。久しぶりだな」
翠色の髪。
少し癖のある髪を風に揺らしながら、青年がこちらへ歩いてくる。
シレジア王国第一王子――レヴィン。
そして俺の従兄弟であり、幼い頃からの友人でもある。
整った顔立ちといい、翠色の髪といい、王宮に残されている聖戦士セティの肖像画にどことなく似ている。
それを見るたびに思う。
同じ王族だというのに、俺とはえらい違いだ。
レヴィンの少し後ろには、一人の女性が付き従っていた。
天馬騎士――マーニャ。
王子の身辺警護を任されるほどの実力者であり、シレジア天馬騎士団でも指折りの騎士だ。
俺が軽く手を上げる。
「親父さんの具合はどうだ?」
マーニャの眉がわずかに動いた。
王子に対する口の利き方ではない、と言いたいのだろう。
いつものことだ。
レヴィン本人はまったく気にしていない。
むしろこいつも大概口が悪い。
「親父も聖戦士の末裔だ。そう簡単にはくたばらないさ」
「……そうか」
一瞬だけ。
レヴィンの目が伏せられた。
思っていたより良くないらしい。
だが、俺がそれ以上聞くことではない。
「大事にしろよ。お前の親父さんは立派な王だ」
「分かってる」
「それと……すまんな」
「何がだ?」
「うちのバカ親父だよ」
レヴィンの表情から笑みが消えた。
マーニャも黙る。
「国王が病気だっていうのに、権力争いなんぞ始めやがって……。息子として情けないったらありゃしない」
「お前が謝ることじゃない」
「そうなんだけどな」
俺は少し迷った。
それでも今日、レヴィンに会えたのはちょうどいい。
「レヴィン」
「ん?」
「俺――シレジアを出ようと思ってる」
風が吹いた。
二人の間を抜けていく風の音が、妙に大きく聞こえた。
レヴィンが俺を見る。
「祖国を捨てるのか?」
「違う」
即答した。
「むしろ逆だ」
レヴィンの瞳を真っ直ぐ見る。
「親父は兵を増やしてる。国王派を力で押さえ込むためにな。傭兵を集め、新兵を募って、訓練まで始めている」
マーニャの表情が険しくなる。
当然、王宮側でも把握しているだろう。
「今すぐ反乱を起こすつもりはないと思う。まだ戦力が足りない。それくらい親父にも分かってる」
「……だから今なのか」
さすがレヴィン。
話が早い。
「ああ。俺がシレジアにいれば、いずれ親父は俺を利用しようとする」
王族。
魔道士。
そして聖痕を持つ者。
マイオスにとって、俺は使い道のある駒だ。
「何度か説得したよ。やめろってな。でも聞きやしない」
拳を握る。
父親を敵だと思いたくはない。
それでも――。
あの男が進もうとしている先に、シレジアの平穏があるとは思えなかった。
「だったら外へ出る。世界を見て、もっと力をつける。魔法だけじゃない。知識も、人脈も……親父を止めるために使えるものなら何でもだ」
「…………」
「数年は動かないと思う。その間に戻ってくる」
レヴィンはしばらく何も言わなかった。
やがて小さく笑った。
「お前らしいな」
「悪かったな」
「褒めてるんだ」
レヴィンは腕を組む。
「確かに、ここで同じ訓練を続けているだけじゃ、お前の力は伸びきらないかもしれない」
「だろ?」
「世界は広い。シレジアにはない魔法も、戦い方もある。見てこい」
そして。
レヴィンは拳を差し出した。
「いつかシレジアのために、その力を使ってくれると信じてる」
俺も拳を出し、軽くぶつけた。
「ああ」
「マーニャ」
「はい」
「カルトの旅立ちを手伝ってやってくれ」
「……レヴィン様」
マーニャの声が一段低くなった。
「そのようなご勝手なことをなされては困ります。ラーナ様がお知りになれば、どれほど心配なさるか……」
「母上には俺から話す」
「そういう問題では――」
「それに」
レヴィンが俺を見る。
「カルトは俺の親友だ」
俺は思わず目を瞬いた。
「こいつがシレジアを裏切るというなら、その時は俺が責任を取る」
「レヴィン様!」
「だから、疑うのはやめてくれ」
マーニャは黙り込んだ。
俺も何も言えなかった。
やがて彼女は深く息を吐く。
「……分かりました」
「ありがとう、マーニャ」
「ただし、無茶は許しません」
今度は俺へ鋭い視線が飛んできた。
「分かってるって」
「あなたの『分かっている』ほど信用できない言葉もありません」
「ひでえな」
レヴィンが吹き出した。
俺も笑った。
ほんの一時。
王国を覆い始めた不穏な空気を忘れるように――。
三人の笑い声が、シレジアの風へ溶けていった。
◇
――その日の夜。
俺は一人、荷物を背負っていた。
レヴィンには近日中に出発すると言った。
マーニャも協力すると言ってくれた。
天馬を借りれば、シレジアを出ることなど難しくない。
険しい山も。
深い谷も。
天馬なら一息に越えられる。
だが――。
「……やっぱり、駄目だな」
俺は一人で行くことにした。
マイオスの息子である俺の出奔を、レヴィン王子とその側近であるマーニャが手助けした。
そんな事実を親父に知られれば、何を言い出すか分かったものではない。
ただでさえ王家は一枚岩ではないのだ。
余計な火種を増やす必要はない。
親父宛ての手紙は既に使いへ預けた。
同じ内容のものを宿舎にも残してある。
これで少なくとも、誘拐されたなどという話にはならないだろう。
「さて……」
地図を広げる。
冬の海は荒れる。
海路は使えない。
ならばザクソン方面へ抜け、南へ。
そこからさらに旅を続ける。
目的地は――イザーク。
剣聖オードが興した国。
大陸でも屈指の剣士たちが集う土地だ。
俺は魔道士だ。
だが、魔法だけを極めるつもりはない。
剣と魔法。
双方を扱う《マージファイター》。
それが俺の目指す道だった。
「イザークか……」
知らない国。
知らない人々。
知らない戦い方。
胸が高鳴る。
少しだけ怖くもある。
それでも。
シレジアに留まっているだけでは何も変わらない。
俺は最後に振り返った。
夜の向こう。
白銀の山々に囲まれたシレジア城が、小さく見えている。
生まれ育った国。
レヴィン。
マーニャ。
そして――父、マイオス。
「……必ず戻ってくる」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
「その時まで、馬鹿なことすんなよ。親父」
返事などない。
雪を孕んだ風だけが、俺の頬を撫でていった。
俺は前を向き、歩き始める。
この時の俺は知らなかった。
自分が何者なのか。
身体に刻まれた聖痕が何を意味するのか。
自分の血が、どこへ繋がっているのか。
そして――。
これから出会う者たちと共に、ユグドラル大陸そのものを覆う巨大な運命へ巻き込まれていくことも。
すべてはまだ。
雪の下に埋もれていた。
これは――。
凍てついた運命が融け始める、ほんの少し前の物語である。