ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜 作:Edward
帰還
メンゲルへ到着した四人は、そのまま宿へ駆け込み、二部屋を借りた。
救出した少女――マリアンはいまだ目を覚まさない。
だが、彼女以上に限界へ達していたのは救出した側だった。
三人とも全身に細かな傷を負い、疲労は極限に達している。中でもホリンは酷かった。老人の魔法をまともに受けた際、胸部を強打し、肋骨を数本痛めていたのだ。
「……これ、使えるんじゃない?」
砦から持ち出した品を漁っていたデューが、一本の杖を差し出した。
《ライブの杖》。
それを見た瞬間、カルトには奇妙な感覚があった。
使い方を知らないはずなのに――わかる。
握り方も。
魔力の流し方も。
杖の先へ力を集中させる方法も。
まるで、ずっと昔から知っていたように。
「ちょっと貸してくれ」
カルトが杖を握る。
淡い光が宿り、ホリンの胸を包み込んだ。
「……!」
痛みが急速に引いていく。
傷ついた骨が癒され、荒れていた呼吸が整っていった。
ホリンは胸へ手を当て、それから信じられないものを見るようにカルトを見た。
「まさか……聖杖まで扱えるようになったのか」
「俺も驚いてる」
カルトは苦笑する。
「杖を見た時から、なんとなく使える気がしたんだ。本当に使えたから、余計に怖いくらいだけどな」
先に治療を受けたデューは、痛みが消えた途端に緊張の糸が切れたらしい。
すでにベッドへ倒れ込み、泥のように眠っている。
銀色へ変わった髪。
光魔法。
そして聖杖。
外見も能力も、ダーナの砦へ向かう以前のカルトとは明らかに違っていた。
それでも――。
「二人だけの今だから聞いておきたい」
ホリンが静かに言った。
「あの砦で何が起きた?」
カルトの手が止まる。
「何が、お前をそこまで変えたんだ」
「……俺にも全部はわからない」
ライブの杖を自分へ向ける。
柔らかな光が傷を塞いでいくのを眺めながら、カルトはゆっくりと言葉を続けた。
「でも、あの魔道書を燃やした瞬間……わかったことがある」
「何だ?」
「あの本は、俺の力を与えていたんじゃない」
カルトは自分の掌を見る。
「逆だ」
ホリンの目が細くなる。
「俺の中にあった力を――封じていた」
部屋が静まり返った。
「俺は今まで、父親から受け継いだ力だけで魔法を使っていたらしい。親父はシレジア王家の傍系だ。だから俺にも、薄いとはいえ聖戦士セティの血が流れている。風魔法を得意としていたのは、おそらくその影響だ」
「なら……今のお前の力は?」
「たぶん――」
そこでカルトは一度言葉を切った。
「母さんだ」
「……母親?」
「ああ」
カルトは目を伏せた。
「俺は母さんのことを、ほとんど知らない」
幼い頃の記憶に残るのは、優しい声と温かな手だけ。
どこで生まれたのか。
どのような一族だったのか。
なぜシレジアへ来たのか。
母は何も語らなかった。
「でも、魔法の才能は血に大きく左右される。父親から受け継いだセティの血とは別に、俺の中には母さんから受け継いだ何かがあったんだと思う」
ホリンは黙り込んだ。
光魔法。
聖杖。
そして、あの老人を圧倒した異常なまでの魔力。
それらが血によるものだというのなら――。
「カルト」
ホリンの声が低くなる。
「お前の母親は……グランベルの人間だったのか?」
「さあな」
「だが、もしお前の力が私の考えているものなら……」
その先をホリンは口にしなかった。
聖者ヘイム。
暗黒神ロプトウスに対抗し得る唯一の聖戦士。
その血を引くグランベル王家。
ヘイムの血統は他の聖戦士の家系以上に厳格に管理されている。
傍系であろうと、その血を国外へ流出させることなど容易には認められない。
ましてやシレジア王家の人間との間に子を成すなど――。
「あり得ない……」
ホリンが呟く。
「そう言われてもなあ」
カルトは頭を掻いた。
「母さんは自分のことをほとんど話さなかったし、俺にもわからん」
そして少し考え――肩をすくめた。
「まあ、わからないものを考えても仕方ないだろ」
「お前は……」
「光魔法が使えるようになった。聖杖も使える。魔法防御も上がった気がする」
指を一本ずつ立てる。
「風魔法も以前より強くなってる。となれば――」
嫌な予感がして、ホリンが眉をひそめる。
「後は剣術だな」
「…………」
「ホリン。教えてくれ」
思わずホリンは吹き出した。
自身の出生を揺るがしかねない事実を知った直後だというのに、この男は結局そこへ戻ってくる。
「ここまで来ても目的は変わらないのか」
「当然だろ」
カルトは笑った。
「強くならないと、シレジアへ帰ったところで何も変えられない」
その言葉だけは、以前と変わらなかった。
「……面白い男だ」
ホリンも小さく笑う。
「この子をリボーへ送り届ければ、私の依頼は完了する。その後しばらく任務はない」
「お?」
「ソファラへ来い。私が剣を教えよう」
カルトの顔が輝いた。
「頼むぜ、相棒!」
親指を立てる。
その時だった。
「……う……ん……」
小さな声がした。
二人が振り返る。
ベッドで眠っていた少女が、ゆっくりと目を開いた。
「ここ……は……?」
「目が覚めたか」
カルトが近づく。
「俺のこと、覚えてるか? リボーの武器屋で話しただろ。欲しかった剣が買えなかった時に」
少女はカルトを見つめ――首を傾げた。
無理もない。
以前は淡い色だった髪が銀色へ変わり、長さまで伸びている。
だが。
「あ……」
声。
口調。
そして何より、その笑い方。
「……あの時の……」
「正解」
カルトが笑った。
ホリンが一歩前へ出る。
同じイザークの人間である自分が説明した方が、彼女も安心するだろう。
「私はホリン。こちらはカルトだ」
少女は二人を交互に見る。
「君は何者かに攫われ、イード砂漠まで連れて行かれていた。我々はカルトが君へ渡していた髪飾りの魔力を追跡し、君を救出した」
少女の手が、自分の髪へ触れる。
そこにはあの日、カルトから渡された髪飾りがあった。
「私は……マリアンといいます」
深く頭を下げる。
「助けていただいて……本当に、ありがとうございました」
「身体はどうだ?」
「はい。大丈夫です」
「そうか」
ホリンは安堵した。
「なら、君が動けるようになり次第リボーへ送ろう。それまで隣の個室を使うといい。ここは四人部屋だからな」
「あ……ありがとうございます」
マリアンは頬を赤くして俯いた。
「その……私……」
「?」
「えっと……」
「どうした?」
「…………」
ホリンが困った顔になる。
カルトは一瞬で察した。
――あ。
「ホリン、それは――」
ぐううううぅぅぅ……。
可愛らしい少女から出たとは思えない音が、部屋中へ響いた。
沈黙。
マリアンの顔が真っ赤になる。
ホリンは数秒停止した後、何事もなかったように立ち上がった。
「……腹が減ったな」
「いや、今のは――」
「私が空腹なのだ」
「ホリンさん、すごい音だったね」
いつの間に起きたのか、デューがベッドから顔を出している。
「…………食事にするぞ」
ホリンは逃げるように階下へ向かった。
カルトとデューはしばらく口を開けたまま、その背中を見送っていた。
そして。
「……ぷっ」
マリアンが笑った。
その笑顔を見て、カルトもようやく笑うことができた。
助けられた。
その事実が、ようやく実感となった。
◇ ◇ ◇
その夜。
「デュー」
宿へ戻ってきた少年を、ホリンが呼び止めた。
カルトとマリアンはすでに眠っている。
デューは夜の町を散策していたらしく、背中にはいつの間にか大きな袋を背負っていた。
「あ、ホリンさん。見てよ。いいもの見つけたんだ。僕、値切るの得意だからさ」
「その前に聞きたいことがある」
ホリンの声色が変わる。
デューの笑顔が僅かに固まった。
「最初に剣を交えた時――君は私の名を知っていた」
「……そうだっけ?」
「はぐらかすな」
デューが黙る。
「あの時の剣技もだ」
ホリンは少年の腰の剣を見る。
「普通の盗賊が扱えるものではない」
沈黙が落ちた。
やがてデューは観念したように笑った。
「……やっぱり、ばれちゃったか」
「やはりか」
「うん」
デューは自分の右手を見た。
「あれは《太陽剣》だよ」
ホリンの表情が変わった。
「……ガネーシャ」
その名だけで、空気が重くなる。
イザークには古くから三つの剣技が伝えられていた。
ガネーシャの《太陽剣》。
ソファラの《月光剣》。
そして――イザーク王家の《流星剣》。
かつて三つの部族は互いを牽制しながら均衡を保っていた。
だが約百年前。
聖戦士オードが神剣バルムンクと共にイザークへ帰還したことで、その均衡は崩れた。
王家は神剣と流星剣を持つ絶対的な存在となり、諸部族は次第にイザーク王家の下へまとまっていった。
ソファラもそれを受け入れた。
ただ一つ。
ガネーシャを除いて。
彼らは最後まで王家への服従を拒み、孤立した。
交易は細り。
土地は痩せ。
貧困と飢餓が広がった。
やがて生きるための略奪が始まり――。
十年前。
イザークとソファラの連合軍によって、ガネーシャは滅ぼされた。
「……すまない」
ホリンが頭を下げた。
「辛いことを思い出させた」
「いいよ」
デューは笑っていた。
いつもの笑顔だった。
だが、ホリンにはわかった。
それは長い年月をかけて身につけた笑顔なのだ。
「悪かったのは族長たちだと思ってる」
デューは言う。
「世の中が変わってるのに、昔のやり方にしがみついてた。最後には他の村から奪うようになったんだから……あのままじゃ駄目だった」
「…………」
「それに」
デューがホリンを見る。
「ガネーシャが滅びた後、残った人たちに食料を配ってくれたのはイザークとソファラだった」
そして。
「僕、覚えてるよ」
ホリンの胸がざわつく。
「あの日のこと」
「……?」
「僕は弟たちを連れて逃げてた」
デューの声が僅かに震えた。
「族長の子供だったから、捕まったら殺されると思ってた」
少年はホリンを見る。
「そこでホリンさんに見つかった」
ホリンの記憶が蘇る。
燃える村。
泣いている子供。
幼い弟たちを庇い、自分だけは剣を構えていた少年。
――行け。
あの日。
自分は剣を下ろした。
「ホリンさんは僕たちを斬らなかった」
デューは笑った。
「逃がしてくれた」
「……あの時の子供だったのか」
「うん」
デューは頷いた。
「弟たちを食べさせるために盗みもやった。盗賊にまでなった。でもさ」
照れくさそうに鼻を擦る。
「いつかホリンさんに『ありがとう』って言うまでは、死にたくなかったんだ」
ホリンは言葉を失った。
自分にとっては、戦場で下した一つの判断に過ぎなかった。
だが。
それが一人の少年にとって、生き続ける理由になっていた。
「……そうか」
ホリンは静かに笑った。
「なら、礼は受け取っておこう」
「うん!」
「ただし」
「え?」
「盗みはほどほどにしろ」
「あはは……努力します」
「努力ではなく、やめろ」
デューは笑いながら部屋へ戻っていった。
その足取りは、どこか軽かった。
長い間背負っていた何かを、ようやく下ろせたように。
その時。
――バンッ!
突然、扉が開いた。
「……!」
カルトが飛び出してくる。
「どうした、カルト!」
返事はない。
カルトは窓を開け放ち、夜空を見上げた。
ホリンも窓へ駆け寄る。
「なんだ……あれは」
夜空を赤い光が走っていた。
星ではない。
巨大な炎塊が尾を引きながら北の空へ落下していく。
数秒後。
遠く離れた地平が――赤く染まった。
「……あっちは」
ホリンの顔から血の気が引く。
「ダーナだぞ」
カルトの瞳が鋭くなる。
「あれは隕石じゃない」
「何?」
「《メティオ》だ」
「メティオ……?」
デューが窓から顔を出す。
カルトは赤く染まった空を睨んだ。
「あの規模の遠距離魔法を軍隊単位で運用できる連中なんて限られている」
嫌な予感がする。
「ヴェルトマー家――」
カルトは呟いた。
「《ロートリッター》だ」
◇ ◇ ◇
翌朝。
自治団の詰所で得た情報は、最悪だった。
リボー軍がダーナへ侵攻。
そして、その直後にグランベルのヴェルトマー家が誇る精鋭《ロートリッター》が出撃。
一夜にしてリボー軍を壊滅させた。
「馬鹿な!」
ホリンが机を叩く。
「クラナド様がダーナへ侵攻するはずがない!」
普段の冷静さが消えていた。
「リボーはどうなった! クラナド様は!」
「落ち着け、ホリン」
「これが落ち着いていられるか!」
「だからこそだ」
カルトの一言で、ホリンが止まる。
「俺もおかしいと思ってる」
「……何?」
「リボーがダーナへ侵攻したこともおかしい。だが、それ以上に――」
カルトは地図を見る。
「ヴェルトマーの動きが速すぎる」
ホリンも地図へ視線を落とした。
「ダーナはグランベル領じゃない。リボーが動いた直後に、これだけの精鋭を投入できるものなのか?」
「……まさか」
「誰かが事前に知っていた」
カルトの指が、リボーとダーナを結ぶ。
「いや――」
その指がゆっくり動く。
イザーク。
そしてグランベル。
「誰かが、こうなるように仕組んだ可能性がある」
ホリンの背筋を冷たいものが走った。
「イザークとグランベルを……戦わせようとしている者がいると?」
「まだ推測だ」
カルトは答える。
「だからこそ、リボーへ戻りたい」
だが問題があった。
ダーナ周辺は封鎖され、陸路でイザークへ戻ることは困難になっている。
「アルスターまで南下して、そこから海路なら戻れる」
ホリンが地図を睨む。
「だが……時間がかかりすぎる」
「そうか」
カルトは腕を組む。
そして。
「なら――最後の手段だな」
「何かあるのか?」
「ああ」
カルトは少しだけ嫌そうな顔をした。
「成功すれば、今日中にイザークへ戻れる」
「失敗したら?」
「…………」
「おい」
「どこへ飛ぶかわからん」
「待て」
「大丈夫だ」
「何を根拠に言っている!」
「たぶん」
「余計に駄目だ!」
◇ ◇ ◇
翌朝。
十分な休息を取り、食料と装備を整えた四人は町外れへ出た。
カルトの手には一本の杖がある。
デューが砦から持ち出した品。
《転移の杖》。
シレジアの文献で読んだことはある。
術者が明確に記憶している場所へ、人間を瞬間的に移動させる高位の聖杖。
だが距離が長くなるほど消費する魔力は増大する。
人数が増えれば、さらに制御は困難になる。
カルトが聖杖を使えるようになって――わずか三日。
しかも今回は四人同時。
「本当に大丈夫なの?」
デューが尋ねる。
「知らん」
「知らないの!?」
「だから最終手段なんだよ」
「カルトさん……」
マリアンまで不安そうな顔をする。
ホリンは大きくため息を吐いた。
「今更止めても聞かないだろう」
「よくわかってるな、相棒」
「褒めていない」
カルトは杖を構えた。
「目的地は――俺たちが初めてデューと会った丘」
あの景色を思い出す。
風。
草の匂い。
地形。
岩。
そしてホリンとデューが剣を交えた場所。
できる限り鮮明に。
「全員、俺の近くへ!」
三人が集まる。
「何が起きても身構えてろ!」
杖へ魔力を流す。
瞬間。
地面へ七色の魔法陣が広がった。
「――《転移》!」
光が爆発した。
身体が浮く。
上下の感覚が消える。
空間そのものが引き伸ばされ――次の瞬間、猛烈な勢いで縮む。
暖炉で温められた部屋へ、真冬の風を一気に吹き込ませたような感覚。
そして。
――風。
草の匂い。
カルトが目を開ける。
石造りの街並みは消えていた。
代わりに広がっていたのは――。
低木の茂る草原。
「……っ!」
カルトはその場へ膝をついた。
「カルト!」
ホリンが支える。
「は……は……」
全身から力が抜ける。
魔力だけではない。
精神そのものを削り取られたような疲労だった。
「ホリン……デュー……」
息を整えながら尋ねる。
「どうだ……?」
「最低でも……ダーナよりイザーク側には来られたか?」
デューが周囲を見回す。
そして。
「すごい!」
飛び上がった。
「カルトさん、すごいよ!」
「……え?」
「ここだよ!」
デューが丘の上を指差す。
「僕がホリンさんと戦った場所だ!」
カルトが目を見開く。
ホリンも周囲を確認し――息を呑んだ。
「間違いない」
「……マジか」
「完全に同じ場所だ」
四人。
長距離。
初使用。
そのすべてを成功させた。
「カルト」
ホリンが呆れたように笑う。
「お前はもう、一介の魔道士ではないらしい」
「……そりゃどうも」
立とうとして――ふらつく。
その時。
「カルトさん」
マリアンが手を差し出した。
カルトは顔を上げる。
少女が微笑んでいた。
「あの時、武器屋で会った時から思ってた」
「ん?」
「やっぱりあなたは、すごい人だったんだね」
小さな手。
カルトはそれを握った。
「ああ」
力を込めて立ち上がる。
「まだまだだよ」
銀色の髪が風に揺れる。
「これからもっと強くなる」
「もっと?」
「もっとだ」
カルトは笑った。
「マリアンは最初に俺を買ってくれたんだからな」
少女が不思議そうに瞬きをする。
「期待は裏切らないつもりだよ」
初めてリボーで出会った時。
何者でもなかった自分を、彼女は褒めてくれた。
ただ、それだけのこと。
だが――。
カルトには嬉しかった。
その少女を助けることができた。
あの時と同じ笑顔を、取り戻すことができた。
だから。
今度こそ。
この少女が平穏に暮らせる場所へ帰そう。
カルトはそう願いながら、遠くに見えるリボーへの道を見つめた。
だが――。
その先に待っているものが、以前と同じ故郷ではないことを。
まだ四人は知らなかった。