ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜   作:Edward

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017 霹靂

クルト王子はその後、俺がアズムール王へ直接謁見できるよう尽力してくださった。

 

とはいえ、グランベル国王という立場にある人物が、他国の一公子と二人きりで会うなど、本来ならば不可能に近い。

 

ましてや正式な謁見ともなれば、俺の素性も目的も記録に残る。

 

だからこそ――クルト王子は、いささか強引ともいえる方法を用意してくれた。

 

その日の夜。

 

俺は与えられた客室で、一人その時を待っていた。

 

アゼルには詳しい事情を話さず、先にヴェルトマーへ帰ってもらっている。

 

別れ際、彼は何も尋ねなかった。

 

ただ、

 

「カルト、頑張ってね」

 

そう言って笑った。

 

おそらく、何かを察していたのだろう。

 

その一言がありがたかった。

 

指定された刻限。

 

俺はクルト王子から預かった杖を手に取った。

 

先端には見慣れない聖石が埋め込まれている。

 

そこへ慎重に魔力を流す。

 

すると聖石が淡い緑色に輝き始めた。

 

熱はない。

 

ただ静かな冷光だけが、暗い部屋の中で俺の指先を照らしている。

 

不思議な光だ。

 

そう思って見つめていると――。

 

『そなたが、カルト公子だね』

 

「……!」

 

声がした。

 

いや、違う。

 

耳からではない。

 

頭の中へ直接、言葉が届いている。

 

『話はクルトから聞いている。早速だが、準備はできているかね?』

 

この声が誰なのか、考える必要はなかった。

 

「はい。お願いします」

 

自然と背筋が伸びた。

 

準備。

 

その意味も理解している。

 

この部屋へ戻ってくる保証はない。

 

だから装備も荷物も、すべて身につけていた。

 

やがて杖から、俺のものではない巨大な魔力が流れ込んでくる。

 

反射的に抗いそうになるのを堪え、俺は聖石へ注ぐ自分の魔力だけを維持した。

 

床に光が走る。

 

幾重もの線が絡み合い、魔法陣を形作っていく。

 

「これは……」

 

視界が光に呑まれた。

 

次の瞬間。

 

足元の感触が変わった。

 

ゆっくりと目を開く。

 

先ほどまでいた客室ではない。

 

重厚な調度品。

 

壁一面を覆う書棚。

 

そして部屋の中央に、一人の老人が立っていた。

 

杖を手にしている。

 

年齢はすでに老境へ差しかかっているはずなのに、その背筋は真っ直ぐに伸びていた。

 

あれほどの魔力を行使した直後だというのに、呼吸一つ乱していない。

 

疑う余地などなかった。

 

俺は片膝をつく。

 

「アズムール王。招聘の術を使っていただき、ありがとうございます」

 

「なに。いささか久しぶりだったので、儂の方が心配しておった」

 

穏やかな声だった。

 

「無事に成功して何よりだ」

 

思っていた人物像とは少し違った。

 

大陸最大の国家を統べる王。

 

もっと威圧的な人物を想像していたのだ。

 

その柔らかな口調に、張り詰めていたものがほんの少しだけ緩んだ。

 

「クルトから話は聞いている」

 

王の表情が変わる。

 

「そなたには――ヘイムの血が流れている、と」

 

俺は息を呑んだ。

 

「……はい」

 

「実際に会えば分かる。そなたから感じるこの気配……間違いない」

 

アズムール王は俺をじっと見つめた。

 

「ナーガの血だ」

 

その言葉を聞いた瞬間。

 

ずっと胸の奥に押し込めていた疑問が、堰を切った。

 

「王」

 

気づけば声を上げていた。

 

「なぜなのですか」

 

「……」

 

「なぜ、俺にあなた方の血が流れているのですか!」

 

自分でも驚くほど声が震えていた。

 

「俺はシレジアで生まれました。父はマイオス公です。ですが、母は……母は王族ではありません」

 

アズムール王は何も言わない。

 

ただ俺の言葉を待っている。

 

「母上は自分の生い立ちを一度も語りませんでした。父上にも尋ねたことがあります」

 

記憶を辿る。

 

「平民の出で軍に入り、生まれ持った魔力の強さから将軍にまで抜擢された。その後、父上に見初められたと……それだけです」

 

「……そうか」

 

わずかに。

 

本当にわずかに、王の顔が歪んだ。

 

その瞬間、分かった。

 

この人は何かを知っている。

 

俺は黙った。

 

柱時計の音だけが響いていた。

 

カチ。

 

カチ。

 

カチ。

 

王は話さない。

 

俺も聞かない。

 

どれほどの時間が経ったのか分からなくなった頃、アズムール王がようやく口を開いた。

 

「カルト」

 

「はい」

 

「そなたはクルトを見て、どう思った?」

 

あまりに唐突な問いだった。

 

「クルト王子を……ですか?」

 

「そうだ」

 

意図が分からない。

 

だが、考えたまま答える。

 

「博識で、決断力もあります。そして……魔力については、潜在能力だけなら王以上ではないかと」

 

「では」

 

王は続けた。

 

「もしクルトが敵だったなら、そなたはどう戦う?」

 

「……魔力では勝てません」

 

俺ならどうする。

 

考えるまでもない。

 

「魔法を囮にして接近します。武器による攻撃を――」

 

そこまで言って。

 

言葉が止まった。

 

王の目を見る。

 

「……まさか」

 

「そうだ」

 

アズムール王は静かに頷いた。

 

「クルトには、肉体的な強さがない」

 

その声には父親としての苦悩が滲んでいた。

 

「あれは生まれながらに身体が弱かった。幼い頃は何度も病に倒れた。医師からは……成人まで生きられぬ可能性さえ告げられていた」

 

「クルト王子が……?」

 

想像できなかった。

 

今日会ったあの人物からは、そんな過去など微塵も感じなかった。

 

「儂は父親として、あの子を案じていた」

 

王は目を伏せる。

 

「同時に――王として恐れていた」

 

その言葉で。

 

嫌な予感がした。

 

「ヘイムの直系が絶えることを、だ」

 

「しかし!」

 

俺は思わず反論した。

 

「ロプトの血は途絶えたはずです! そこまで直系にこだわる必要があるのですか?」

 

十二聖戦士の血統とて、常に直系が神器を継いできたわけではない。

 

「この百年で直系を失った家もあります。傍系との婚姻によって再び神器を扱える者が生まれることだって――」

 

「他の家ならばな」

 

王の一言が、俺を止めた。

 

「ヘイムは違う」

 

「……」

 

「ナーガだけは、違うのだ」

 

アズムール王は杖を握り直した。

 

「先の大戦でロプト帝国に加担した血筋の者たちは、戦後ほぼすべて粛清された」

 

知っている。

 

歴史書にも記されている。

 

だが。

 

「ただ一つ、例外がある」

 

「……例外?」

 

「マイラだ」

 

その名に息を呑んだ。

 

「暗黒神ロプトウスの血を引きながら、その支配に抗い、帝国へ反旗を翻した者。彼の行動がなければ、十二聖戦士の勝利もなかったかもしれぬ」

 

王の声が低くなる。

 

「ゆえにマイラの血筋だけは滅ぼさなかった」

 

「では……」

 

「厳しい制約の下、ヴェルダンの精霊の森へ移された。外界との接触を断ち、ひっそりと血を繋ぐことを条件としてな」

 

「そんな……」

 

知らなかった。

 

いや。

 

知らされていなかったのだ。

 

今でもロプトの復活を恐れ、各地では根拠のない魔女狩りや子供狩りが残っている。

 

もしこの事実が世に広まれば。

 

――ロプトの血は、今も残っている。

 

その一言だけで何が起こるか。

 

想像しただけで背筋が冷えた。

 

「だから……ナーガの力を絶やすわけにはいかない」

 

俺はようやく理解した。

 

「いつか再びロプトウスが現れた時、その力に対抗するために」

 

「そうだ」

 

アズムール王は頷いた。

 

そして。

 

「その恐怖が……儂に、取り返しのつかぬ過ちを犯させた」

 

空気が変わった。

 

「カルト」

 

王は俺を見た。

 

「儂には――歳の離れた妹がいた」

 

心臓が跳ねた。

 

一度。

 

そして、もう一度。

 

喉が急速に乾いていく。

 

王の妹。

 

クルト王子の叔母。

 

ヘイムの直系。

 

やめろ。

 

それ以上は。

 

聞きたくないと感じている自分と。

 

聞かなければならないと叫んでいる自分がいる。

 

「妹には、すでに婚姻を約束した者がいた」

 

王は苦しそうに続ける。

 

「それにもかかわらず……儂は、ナーガの血を絶やすことへの恐怖から、身勝手な選択をした」

 

言葉が重い。

 

「その後、妹は姿を消した」

 

「……」

 

「二度と会うことは叶わなかった」

 

王は俺を見つめた。

 

「おそらく、辿り着いた先がシレジアだったのだろう」

 

胸が締めつけられる。

 

「そこで娘を産み」

 

王の声が震えた。

 

「その娘が成長し、マイオス公と出会った」

 

もう答えは分かっていた。

 

「その娘こそ――」

 

「……母上」

 

俺の口から声が漏れた。

 

王は目を閉じた。

 

「そうだ」

 

何も考えられなかった。

 

俺の母は。

 

アズムール王の姪。

 

ならば。

 

目の前にいるこの人は――。

 

「すまぬ」

 

気づけばアズムール王が頭を下げていた。

 

「儂の過ちによって、そなたの祖母を苦しめた。その娘であるそなたの母にも……そして、そなたにも何かしらの苦難を背負わせたのかもしれぬ」

 

「王……」

 

「許してくれとは言わぬ」

 

大陸最大の国を治める王が。

 

俺に頭を下げている。

 

「だがせめて、償わせてほしい」

 

「やめてください!」

 

俺は慌てて立ち上がり、その手を取った。

 

「頭を上げてください!」

 

「しかし――」

 

「俺は償いを求めてここへ来たんじゃありません!」

 

自分でも驚くほど、はっきりと言えた。

 

「金も、地位も、賠償もいりません」

 

ずっと知りたかった。

 

ただ、それだけだった。

 

「俺は……自分が何者なのか知りたかった」

 

王が顔を上げる。

 

その目に涙があった。

 

俺は握った手に力を込めた。

 

「だから王」

 

「……」

 

「一つだけ、無礼を許してください」

 

王は答えなかった。

 

ただ静かに頷いた。

 

俺は息を吸った。

 

そして。

 

「お爺様」

 

その一言を口にした瞬間。

 

胸の奥で何かが崩れた。

 

「初めてお会いできて……嬉しいです」

 

アズムール王の顔が歪んだ。

 

王ではなかった。

 

そこにいたのは、一人の老人だった。

 

「……カルト」

 

どちらからともなく手を伸ばし。

 

二人で泣いた。

 

失われていた年月を埋めることなどできない。

 

過去を変えることもできない。

 

それでも。

 

俺には今日――。

 

祖父ができた。

 

◇

 

「それで、カルト」

 

しばらくして。

 

ようやく落ち着きを取り戻した俺たちは、椅子に腰掛けていた。

 

「これからどうするつもりだ?」

 

差し出された水を一口飲む。

 

「できることなら、このままバーハラにいてほしいのだがな」

 

その言葉は嬉しかった。

 

だが。

 

俺は首を横に振った。

 

「ありがとうございます。でも……俺は、この事実を凍結します」

 

「凍結?」

 

「今は、です」

 

自分の胸へ手を当てる。

 

「俺が何者なのか。それは分かりました。でも、それで俺の旅が終わったわけじゃない」

 

世界には、まだ知らないことが多すぎる。

 

「だから、もう少し世界を見て回りたいと思います」

 

「……そうか」

 

寂しそうだった。

 

けれど王は、どこか安心したようにも見えた。

 

「ならば覚えておきなさい」

 

アズムール王は微笑んだ。

 

「ここは、お前のもう一つの故郷だ」

 

「……はい」

 

「いつでも帰ってくるがよい」

 

胸が温かくなった。

 

「ありがとうございます。必ず、また来ます」

 

「それとな」

 

王の声が少し変わった。

 

「旅を続けるというのなら――一つ、頼みたいことがある」

 

「何でしょう?」

 

「ナーガの書を探してほしい」

 

一瞬。

 

意味が理解できなかった。

 

そして続く言葉が。

 

俺の世界を、再びひっくり返した。

 

「そして――ロプトウスの書を封印してくれ」

 

「――っ!?」

 

雷に打たれたような衝撃だった。

 

「待ってください!」

 

俺は立ち上がった。

 

「ナーガの書を……探す?」

 

探すということは。

 

「まさか……今、ナーガの書はバーハラにないのですか?」

 

「ない」

 

即答だった。

 

背筋に冷たいものが走った。

 

それはつまり。

 

もし今。

 

ロプトウスが復活したなら。

 

対抗する術が――ない。

 

「順を追って説明しよう」

 

俺は再び椅子へ座った。

 

一言たりとも聞き逃せない。

 

「カルト。なぜグランベルが共和制を取っているのか、考えたことはあるか?」

 

「……共和制?」

 

「一つの国に、七人もの聖戦士が集まった」

 

言われてみれば異常だ。

 

他国では一人の聖戦士が国を興し、王となった。

 

ところがグランベルだけは違う。

 

ヘイム。

 

バルド。

 

ファラ。

 

トード。

 

ウル。

 

ブラギ。

 

ネール。

 

七人もの聖戦士が、一つの国に留まった。

 

「聖戦士一人の力は、一国の軍事力に匹敵する」

 

王は続ける。

 

「戦後、それぞれが国を興してもおかしくなかった。だが六人はヘイムの下に残った」

 

「なぜ……」

 

「ヘイムを守るためだ」

 

「……?」

 

思わず眉をひそめた。

 

ナーガの力を持つヘイムは、十二聖戦士でも最強格。

 

そんな人物を。

 

なぜ守る必要がある?

 

そして。

 

先ほど頼まれた使命を思い出した。

 

ナーガの書。

 

ロプトウスの書。

 

「まさか……」

 

一つの答えが浮かんだ。

 

「ナーガの書で――ロプトウスの書を封印していた?」

 

王が頷いた。

 

「その通りだ」

 

息を呑む。

 

「神の力が宿る品は、人の手では破壊できぬ。ロプトウスの書も同じだ」

 

だから。

 

封印するしかなかった。

 

「そしてロプトウスを完全に抑え込めるのは、その対となるナーガの力だけだった」

 

すべてが繋がっていく。

 

「ヘイムはロプトウスの書を封じるため、自らナーガの書を手放した」

 

「そうだ」

 

「だから他の六聖戦士が……ヘイム本人と、その血筋を守った」

 

「その通りだ」

 

強いから守られたのではない。

 

最強の力を。

 

世界を守るために使えなくしていたからだ。

 

「では」

 

最大の疑問が残る。

 

「なぜ封印が解けたのですか?」

 

王の表情が曇った。

 

「封印は完全ではなかった」

 

「……」

 

「ナーガの書がその場に存在すること自体が、ロプトウスの書を抑える楔となっていたのだ」

 

つまり。

 

「ナーガの書を持ち出せば……」

 

「封印は解ける」

 

ぞっとした。

 

「二冊は、この城の最深部に安置されていた。ヘイム自身が張った結界によって守られ、誰にも触れることができぬはずだった」

 

「はずだった……?」

 

「結界を破った者がいる」

 

俺は言葉を失った。

 

聖戦士ヘイムの結界。

 

それを突破し。

 

ナーガとロプトウス。

 

二冊の神の書を持ち去った者。

 

「誰が……」

 

「分からぬ」

 

その答えが一番恐ろしかった。

 

目的は何だ。

 

ロプトウスの復活か。

 

ナーガの力か。

 

あるいは、その両方か。

 

「……分かりました」

 

俺は立ち上がった。

 

「探します」

 

王が俺を見る。

 

「ナーガの書も、ロプトウスの書も」

 

これはもう、王から頼まれたからではない。

 

俺自身が知ってしまった。

 

ならば放置などできない。

 

「必ず見つけます」

 

「……頼んだぞ、カルト」

 

そして王は、もう一つの話を切り出した。

 

「それから……シレジア王の容態が思わしくない」

 

「陛下が?」

 

「崩御が近いという情報が入っている」

 

予想していたことだった。

 

だが。

 

実際に聞けば胸が重くなる。

 

「ダッカー公。そして……お前の父、マイオス公」

 

王は俺を気遣うように一度言葉を止めた。

 

「両者とも、それぞれの思惑で動いている。今は三つ巴となっているため辛うじて均衡しているが、王が崩御すれば――」

 

「内戦になる」

 

「おそらくな」

 

レヴィン。

 

あいつの顔が浮かんだ。

 

「一度、帰ります」

 

「そうか」

 

「レヴィンと話してみます。今の俺なら……以前とは違う」

 

掌を見る。

 

目覚めたヘイムの血。

 

ナーガの力。

 

それが何を意味するのかは、まだ分からない。

 

だが。

 

「何かできるはずです」

 

「無理はするな」

 

アズムール王は静かに笑った。

 

「シレジアの内乱もまた、大陸を揺るがす火種となる。だが――」

 

祖父の顔になった。

 

「世界より先に、自分の命を守れ」

 

「……はい」

 

「最後に、これを持っていきなさい」

 

差し出されたものを見て驚いた。

 

先ほど俺をここへ呼び寄せた杖だった。

 

「これは……」

 

「先ほど使ったから、用途は分かるだろう?」

 

聖石を撫でる。

 

この大陸ではほとんど見たことのない術式。

 

対象へ直接干渉するのではない。

 

あらかじめ刻んだ魔力を標として、その人物を自分の元へ引き寄せる。

 

聖杖――《レスキュー》。

 

「こんな貴重なものを……」

 

「祖父が孫へ餞別を渡すことに、理由が必要か?」

 

何も言えなくなった。

 

俺は深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

そして。

 

杖を荷物へ収める。

 

「では――」

 

今度は王ではなく。

 

一人の家族へ向けて。

 

「お爺様」

 

アズムール王が目を細めた。

 

「行ってまいります」

 

「ああ」

 

その声は、最後まで優しかった。

 

「行っておいで、カルト」

 

俺は転移の魔法を発動した。

 

光が身体を包む。

 

最後に見えたのは。

 

静かに祈りを捧げる、祖父の姿だった。

 

◇

 

その頃。

 

カルトと別行動を取っていたホリンとデューは、自由都市ミレトスへ到着していた。

 

二人は連日のようにイザーク館へ足を運び、祖国の情勢を確認していた。

 

そして。

 

ついに恐れていた知らせが届いた。

 

グランベル軍が、イザークの防衛線を突破した。

 

当初、イザーク軍は国境線付近で侵攻を食い止めていた。

 

だが国力の差はいかんともしがたい。

 

圧倒的な物量を投入し続けるグランベル軍によって防衛線は崩壊。

 

戦場は乱戦となった。

 

数で劣るイザーク軍は分断され、各個撃破されているという。

 

そしてマナナン王は。

 

自国の敗北を悟ったのだろう。

 

包囲が完成する前に。

 

息子シャナンと、妹アイラを国外へ脱出させた。

 

「親父の予想通りになったか……」

 

ホリンは地図を睨んでいた。

 

問題は逃走経路だった。

 

ホリンは当然、自由都市ミレトスを目指すものと思っていた。

 

しかし。

 

「グランベルを突っ切ってるって……何考えてんだよ」

 

デューが呆れたように言った。

 

「知らん」

 

「知らんじゃないよ」

 

「俺だって聞きたい」

 

「王女様なんでしょ?」

 

「王女だからこそ世間を知らん可能性もある」

 

「うわぁ……」

 

だが冗談を言っている場合ではない。

 

進路を塞がれたのか。

 

それともアイラ自身の判断なのか。

 

どちらにせよ。

 

このままではグランベル領内で孤立する。

 

「行くぞ、デュー」

 

「はいはい」

 

二人はミレトスを発ち、シアルフィ領へ続く大橋を目指した。

 

歩きながら。

 

ホリンがふと空を見上げる。

 

「カルト……今頃、何をしているんだろうな」

 

「さあ?」

 

「また一緒に旅ができればいいんだが」

 

デューが呆れた顔をする。

 

「何言ってんのさ。まずアイラ様とシャナン王子でしょ。あの二人に何かあったら、イザークの未来そのものがなくなるよ」

 

「ふっ……そうだな」

 

ホリンは笑った。

 

そして小さく呟く。

 

「だが、なぜだろうな」

 

「ん?」

 

「アイラとシャナン王子は――俺たちが間に合わなくても、生き残るような気がする」

 

「何それ」

 

「勘だ」

 

「適当だなあ」

 

「剣士の勘は当たるんだ」

 

「はいはい」

 

潮風が吹き抜ける。

 

二人の前には、ミレトスとグランベルを結ぶ巨大な橋が伸びていた。

 

当然、国境には検問がある。

 

だが。

 

デューは鼻歌交じりに歩いている。

 

「お前、本当に大丈夫なんだろうな?」

 

「大丈夫だって」

 

「捕まったらどうする」

 

「捕まらないから大丈夫」

 

「その自信はどこから来るんだ……」

 

デューは懐から一枚の書類を取り出した。

 

正式な印章まで押されている。

 

「……おい」

 

「ん?」

 

「それ、本物か?」

 

「偽物」

 

即答だった。

 

ホリンは頭を抱えた。

 

「正確には、本物の役人が作った偽物だけどね」

 

「もっと悪いわ!」

 

デューには独自の情報網がある。

 

各地の同業者たちが資金を出し合って作ったギルド。

 

その網は商人や役人だけではなく、時には国家の中枢近くにまで伸びているという。

 

情報収集。

 

資金融通。

 

密輸。

 

そして場合によっては――暗殺。

 

今回デューは、そのネットワークを利用した。

 

今日の検問担当者は、すでに買収済み。

 

その人物本人から偽造通行証を発行させている。

 

「お前……」

 

ホリンが呆れた目で見る。

 

「俺よりよほど危ない世界で生きてないか?」

 

「失礼だなあ。これでも真面目に仕事してるんだよ?」

 

「どこがだ」

 

検問所へ差しかかる。

 

兵士が通行証を確認する。

 

一度。

 

二人を見る。

 

そして。

 

「通れ」

 

「どうもー」

 

何事もなく通過した。

 

ホリンは振り返った。

 

「……本当に通れた」

 

「だから言ったじゃん」

 

デューが笑う。

 

二人は橋を渡りきった。

 

ここから先は――グランベル。

 

そのどこかに。

 

イザークの未来を背負う二人がいる。

 

そして同じ頃。

 

彼らの友もまた。

 

自らの出生を知り。

 

神々の遺した二冊の書を巡る、新たな運命へ踏み出していた。

 

世界の各地で。

 

それぞれの道が動き始める。

 

まだ誰も知らない。

 

その道のすべてが。

 

やがて一つの巨大な戦乱へと繋がっていくことを。

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