ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜 作:Edward
クルト王子はその後、俺がアズムール王へ直接謁見できるよう尽力してくださった。
とはいえ、グランベル国王という立場にある人物が、他国の一公子と二人きりで会うなど、本来ならば不可能に近い。
ましてや正式な謁見ともなれば、俺の素性も目的も記録に残る。
だからこそ――クルト王子は、いささか強引ともいえる方法を用意してくれた。
その日の夜。
俺は与えられた客室で、一人その時を待っていた。
アゼルには詳しい事情を話さず、先にヴェルトマーへ帰ってもらっている。
別れ際、彼は何も尋ねなかった。
ただ、
「カルト、頑張ってね」
そう言って笑った。
おそらく、何かを察していたのだろう。
その一言がありがたかった。
指定された刻限。
俺はクルト王子から預かった杖を手に取った。
先端には見慣れない聖石が埋め込まれている。
そこへ慎重に魔力を流す。
すると聖石が淡い緑色に輝き始めた。
熱はない。
ただ静かな冷光だけが、暗い部屋の中で俺の指先を照らしている。
不思議な光だ。
そう思って見つめていると――。
『そなたが、カルト公子だね』
「……!」
声がした。
いや、違う。
耳からではない。
頭の中へ直接、言葉が届いている。
『話はクルトから聞いている。早速だが、準備はできているかね?』
この声が誰なのか、考える必要はなかった。
「はい。お願いします」
自然と背筋が伸びた。
準備。
その意味も理解している。
この部屋へ戻ってくる保証はない。
だから装備も荷物も、すべて身につけていた。
やがて杖から、俺のものではない巨大な魔力が流れ込んでくる。
反射的に抗いそうになるのを堪え、俺は聖石へ注ぐ自分の魔力だけを維持した。
床に光が走る。
幾重もの線が絡み合い、魔法陣を形作っていく。
「これは……」
視界が光に呑まれた。
次の瞬間。
足元の感触が変わった。
ゆっくりと目を開く。
先ほどまでいた客室ではない。
重厚な調度品。
壁一面を覆う書棚。
そして部屋の中央に、一人の老人が立っていた。
杖を手にしている。
年齢はすでに老境へ差しかかっているはずなのに、その背筋は真っ直ぐに伸びていた。
あれほどの魔力を行使した直後だというのに、呼吸一つ乱していない。
疑う余地などなかった。
俺は片膝をつく。
「アズムール王。招聘の術を使っていただき、ありがとうございます」
「なに。いささか久しぶりだったので、儂の方が心配しておった」
穏やかな声だった。
「無事に成功して何よりだ」
思っていた人物像とは少し違った。
大陸最大の国家を統べる王。
もっと威圧的な人物を想像していたのだ。
その柔らかな口調に、張り詰めていたものがほんの少しだけ緩んだ。
「クルトから話は聞いている」
王の表情が変わる。
「そなたには――ヘイムの血が流れている、と」
俺は息を呑んだ。
「……はい」
「実際に会えば分かる。そなたから感じるこの気配……間違いない」
アズムール王は俺をじっと見つめた。
「ナーガの血だ」
その言葉を聞いた瞬間。
ずっと胸の奥に押し込めていた疑問が、堰を切った。
「王」
気づけば声を上げていた。
「なぜなのですか」
「……」
「なぜ、俺にあなた方の血が流れているのですか!」
自分でも驚くほど声が震えていた。
「俺はシレジアで生まれました。父はマイオス公です。ですが、母は……母は王族ではありません」
アズムール王は何も言わない。
ただ俺の言葉を待っている。
「母上は自分の生い立ちを一度も語りませんでした。父上にも尋ねたことがあります」
記憶を辿る。
「平民の出で軍に入り、生まれ持った魔力の強さから将軍にまで抜擢された。その後、父上に見初められたと……それだけです」
「……そうか」
わずかに。
本当にわずかに、王の顔が歪んだ。
その瞬間、分かった。
この人は何かを知っている。
俺は黙った。
柱時計の音だけが響いていた。
カチ。
カチ。
カチ。
王は話さない。
俺も聞かない。
どれほどの時間が経ったのか分からなくなった頃、アズムール王がようやく口を開いた。
「カルト」
「はい」
「そなたはクルトを見て、どう思った?」
あまりに唐突な問いだった。
「クルト王子を……ですか?」
「そうだ」
意図が分からない。
だが、考えたまま答える。
「博識で、決断力もあります。そして……魔力については、潜在能力だけなら王以上ではないかと」
「では」
王は続けた。
「もしクルトが敵だったなら、そなたはどう戦う?」
「……魔力では勝てません」
俺ならどうする。
考えるまでもない。
「魔法を囮にして接近します。武器による攻撃を――」
そこまで言って。
言葉が止まった。
王の目を見る。
「……まさか」
「そうだ」
アズムール王は静かに頷いた。
「クルトには、肉体的な強さがない」
その声には父親としての苦悩が滲んでいた。
「あれは生まれながらに身体が弱かった。幼い頃は何度も病に倒れた。医師からは……成人まで生きられぬ可能性さえ告げられていた」
「クルト王子が……?」
想像できなかった。
今日会ったあの人物からは、そんな過去など微塵も感じなかった。
「儂は父親として、あの子を案じていた」
王は目を伏せる。
「同時に――王として恐れていた」
その言葉で。
嫌な予感がした。
「ヘイムの直系が絶えることを、だ」
「しかし!」
俺は思わず反論した。
「ロプトの血は途絶えたはずです! そこまで直系にこだわる必要があるのですか?」
十二聖戦士の血統とて、常に直系が神器を継いできたわけではない。
「この百年で直系を失った家もあります。傍系との婚姻によって再び神器を扱える者が生まれることだって――」
「他の家ならばな」
王の一言が、俺を止めた。
「ヘイムは違う」
「……」
「ナーガだけは、違うのだ」
アズムール王は杖を握り直した。
「先の大戦でロプト帝国に加担した血筋の者たちは、戦後ほぼすべて粛清された」
知っている。
歴史書にも記されている。
だが。
「ただ一つ、例外がある」
「……例外?」
「マイラだ」
その名に息を呑んだ。
「暗黒神ロプトウスの血を引きながら、その支配に抗い、帝国へ反旗を翻した者。彼の行動がなければ、十二聖戦士の勝利もなかったかもしれぬ」
王の声が低くなる。
「ゆえにマイラの血筋だけは滅ぼさなかった」
「では……」
「厳しい制約の下、ヴェルダンの精霊の森へ移された。外界との接触を断ち、ひっそりと血を繋ぐことを条件としてな」
「そんな……」
知らなかった。
いや。
知らされていなかったのだ。
今でもロプトの復活を恐れ、各地では根拠のない魔女狩りや子供狩りが残っている。
もしこの事実が世に広まれば。
――ロプトの血は、今も残っている。
その一言だけで何が起こるか。
想像しただけで背筋が冷えた。
「だから……ナーガの力を絶やすわけにはいかない」
俺はようやく理解した。
「いつか再びロプトウスが現れた時、その力に対抗するために」
「そうだ」
アズムール王は頷いた。
そして。
「その恐怖が……儂に、取り返しのつかぬ過ちを犯させた」
空気が変わった。
「カルト」
王は俺を見た。
「儂には――歳の離れた妹がいた」
心臓が跳ねた。
一度。
そして、もう一度。
喉が急速に乾いていく。
王の妹。
クルト王子の叔母。
ヘイムの直系。
やめろ。
それ以上は。
聞きたくないと感じている自分と。
聞かなければならないと叫んでいる自分がいる。
「妹には、すでに婚姻を約束した者がいた」
王は苦しそうに続ける。
「それにもかかわらず……儂は、ナーガの血を絶やすことへの恐怖から、身勝手な選択をした」
言葉が重い。
「その後、妹は姿を消した」
「……」
「二度と会うことは叶わなかった」
王は俺を見つめた。
「おそらく、辿り着いた先がシレジアだったのだろう」
胸が締めつけられる。
「そこで娘を産み」
王の声が震えた。
「その娘が成長し、マイオス公と出会った」
もう答えは分かっていた。
「その娘こそ――」
「……母上」
俺の口から声が漏れた。
王は目を閉じた。
「そうだ」
何も考えられなかった。
俺の母は。
アズムール王の姪。
ならば。
目の前にいるこの人は――。
「すまぬ」
気づけばアズムール王が頭を下げていた。
「儂の過ちによって、そなたの祖母を苦しめた。その娘であるそなたの母にも……そして、そなたにも何かしらの苦難を背負わせたのかもしれぬ」
「王……」
「許してくれとは言わぬ」
大陸最大の国を治める王が。
俺に頭を下げている。
「だがせめて、償わせてほしい」
「やめてください!」
俺は慌てて立ち上がり、その手を取った。
「頭を上げてください!」
「しかし――」
「俺は償いを求めてここへ来たんじゃありません!」
自分でも驚くほど、はっきりと言えた。
「金も、地位も、賠償もいりません」
ずっと知りたかった。
ただ、それだけだった。
「俺は……自分が何者なのか知りたかった」
王が顔を上げる。
その目に涙があった。
俺は握った手に力を込めた。
「だから王」
「……」
「一つだけ、無礼を許してください」
王は答えなかった。
ただ静かに頷いた。
俺は息を吸った。
そして。
「お爺様」
その一言を口にした瞬間。
胸の奥で何かが崩れた。
「初めてお会いできて……嬉しいです」
アズムール王の顔が歪んだ。
王ではなかった。
そこにいたのは、一人の老人だった。
「……カルト」
どちらからともなく手を伸ばし。
二人で泣いた。
失われていた年月を埋めることなどできない。
過去を変えることもできない。
それでも。
俺には今日――。
祖父ができた。
◇
「それで、カルト」
しばらくして。
ようやく落ち着きを取り戻した俺たちは、椅子に腰掛けていた。
「これからどうするつもりだ?」
差し出された水を一口飲む。
「できることなら、このままバーハラにいてほしいのだがな」
その言葉は嬉しかった。
だが。
俺は首を横に振った。
「ありがとうございます。でも……俺は、この事実を凍結します」
「凍結?」
「今は、です」
自分の胸へ手を当てる。
「俺が何者なのか。それは分かりました。でも、それで俺の旅が終わったわけじゃない」
世界には、まだ知らないことが多すぎる。
「だから、もう少し世界を見て回りたいと思います」
「……そうか」
寂しそうだった。
けれど王は、どこか安心したようにも見えた。
「ならば覚えておきなさい」
アズムール王は微笑んだ。
「ここは、お前のもう一つの故郷だ」
「……はい」
「いつでも帰ってくるがよい」
胸が温かくなった。
「ありがとうございます。必ず、また来ます」
「それとな」
王の声が少し変わった。
「旅を続けるというのなら――一つ、頼みたいことがある」
「何でしょう?」
「ナーガの書を探してほしい」
一瞬。
意味が理解できなかった。
そして続く言葉が。
俺の世界を、再びひっくり返した。
「そして――ロプトウスの書を封印してくれ」
「――っ!?」
雷に打たれたような衝撃だった。
「待ってください!」
俺は立ち上がった。
「ナーガの書を……探す?」
探すということは。
「まさか……今、ナーガの書はバーハラにないのですか?」
「ない」
即答だった。
背筋に冷たいものが走った。
それはつまり。
もし今。
ロプトウスが復活したなら。
対抗する術が――ない。
「順を追って説明しよう」
俺は再び椅子へ座った。
一言たりとも聞き逃せない。
「カルト。なぜグランベルが共和制を取っているのか、考えたことはあるか?」
「……共和制?」
「一つの国に、七人もの聖戦士が集まった」
言われてみれば異常だ。
他国では一人の聖戦士が国を興し、王となった。
ところがグランベルだけは違う。
ヘイム。
バルド。
ファラ。
トード。
ウル。
ブラギ。
ネール。
七人もの聖戦士が、一つの国に留まった。
「聖戦士一人の力は、一国の軍事力に匹敵する」
王は続ける。
「戦後、それぞれが国を興してもおかしくなかった。だが六人はヘイムの下に残った」
「なぜ……」
「ヘイムを守るためだ」
「……?」
思わず眉をひそめた。
ナーガの力を持つヘイムは、十二聖戦士でも最強格。
そんな人物を。
なぜ守る必要がある?
そして。
先ほど頼まれた使命を思い出した。
ナーガの書。
ロプトウスの書。
「まさか……」
一つの答えが浮かんだ。
「ナーガの書で――ロプトウスの書を封印していた?」
王が頷いた。
「その通りだ」
息を呑む。
「神の力が宿る品は、人の手では破壊できぬ。ロプトウスの書も同じだ」
だから。
封印するしかなかった。
「そしてロプトウスを完全に抑え込めるのは、その対となるナーガの力だけだった」
すべてが繋がっていく。
「ヘイムはロプトウスの書を封じるため、自らナーガの書を手放した」
「そうだ」
「だから他の六聖戦士が……ヘイム本人と、その血筋を守った」
「その通りだ」
強いから守られたのではない。
最強の力を。
世界を守るために使えなくしていたからだ。
「では」
最大の疑問が残る。
「なぜ封印が解けたのですか?」
王の表情が曇った。
「封印は完全ではなかった」
「……」
「ナーガの書がその場に存在すること自体が、ロプトウスの書を抑える楔となっていたのだ」
つまり。
「ナーガの書を持ち出せば……」
「封印は解ける」
ぞっとした。
「二冊は、この城の最深部に安置されていた。ヘイム自身が張った結界によって守られ、誰にも触れることができぬはずだった」
「はずだった……?」
「結界を破った者がいる」
俺は言葉を失った。
聖戦士ヘイムの結界。
それを突破し。
ナーガとロプトウス。
二冊の神の書を持ち去った者。
「誰が……」
「分からぬ」
その答えが一番恐ろしかった。
目的は何だ。
ロプトウスの復活か。
ナーガの力か。
あるいは、その両方か。
「……分かりました」
俺は立ち上がった。
「探します」
王が俺を見る。
「ナーガの書も、ロプトウスの書も」
これはもう、王から頼まれたからではない。
俺自身が知ってしまった。
ならば放置などできない。
「必ず見つけます」
「……頼んだぞ、カルト」
そして王は、もう一つの話を切り出した。
「それから……シレジア王の容態が思わしくない」
「陛下が?」
「崩御が近いという情報が入っている」
予想していたことだった。
だが。
実際に聞けば胸が重くなる。
「ダッカー公。そして……お前の父、マイオス公」
王は俺を気遣うように一度言葉を止めた。
「両者とも、それぞれの思惑で動いている。今は三つ巴となっているため辛うじて均衡しているが、王が崩御すれば――」
「内戦になる」
「おそらくな」
レヴィン。
あいつの顔が浮かんだ。
「一度、帰ります」
「そうか」
「レヴィンと話してみます。今の俺なら……以前とは違う」
掌を見る。
目覚めたヘイムの血。
ナーガの力。
それが何を意味するのかは、まだ分からない。
だが。
「何かできるはずです」
「無理はするな」
アズムール王は静かに笑った。
「シレジアの内乱もまた、大陸を揺るがす火種となる。だが――」
祖父の顔になった。
「世界より先に、自分の命を守れ」
「……はい」
「最後に、これを持っていきなさい」
差し出されたものを見て驚いた。
先ほど俺をここへ呼び寄せた杖だった。
「これは……」
「先ほど使ったから、用途は分かるだろう?」
聖石を撫でる。
この大陸ではほとんど見たことのない術式。
対象へ直接干渉するのではない。
あらかじめ刻んだ魔力を標として、その人物を自分の元へ引き寄せる。
聖杖――《レスキュー》。
「こんな貴重なものを……」
「祖父が孫へ餞別を渡すことに、理由が必要か?」
何も言えなくなった。
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
そして。
杖を荷物へ収める。
「では――」
今度は王ではなく。
一人の家族へ向けて。
「お爺様」
アズムール王が目を細めた。
「行ってまいります」
「ああ」
その声は、最後まで優しかった。
「行っておいで、カルト」
俺は転移の魔法を発動した。
光が身体を包む。
最後に見えたのは。
静かに祈りを捧げる、祖父の姿だった。
◇
その頃。
カルトと別行動を取っていたホリンとデューは、自由都市ミレトスへ到着していた。
二人は連日のようにイザーク館へ足を運び、祖国の情勢を確認していた。
そして。
ついに恐れていた知らせが届いた。
グランベル軍が、イザークの防衛線を突破した。
当初、イザーク軍は国境線付近で侵攻を食い止めていた。
だが国力の差はいかんともしがたい。
圧倒的な物量を投入し続けるグランベル軍によって防衛線は崩壊。
戦場は乱戦となった。
数で劣るイザーク軍は分断され、各個撃破されているという。
そしてマナナン王は。
自国の敗北を悟ったのだろう。
包囲が完成する前に。
息子シャナンと、妹アイラを国外へ脱出させた。
「親父の予想通りになったか……」
ホリンは地図を睨んでいた。
問題は逃走経路だった。
ホリンは当然、自由都市ミレトスを目指すものと思っていた。
しかし。
「グランベルを突っ切ってるって……何考えてんだよ」
デューが呆れたように言った。
「知らん」
「知らんじゃないよ」
「俺だって聞きたい」
「王女様なんでしょ?」
「王女だからこそ世間を知らん可能性もある」
「うわぁ……」
だが冗談を言っている場合ではない。
進路を塞がれたのか。
それともアイラ自身の判断なのか。
どちらにせよ。
このままではグランベル領内で孤立する。
「行くぞ、デュー」
「はいはい」
二人はミレトスを発ち、シアルフィ領へ続く大橋を目指した。
歩きながら。
ホリンがふと空を見上げる。
「カルト……今頃、何をしているんだろうな」
「さあ?」
「また一緒に旅ができればいいんだが」
デューが呆れた顔をする。
「何言ってんのさ。まずアイラ様とシャナン王子でしょ。あの二人に何かあったら、イザークの未来そのものがなくなるよ」
「ふっ……そうだな」
ホリンは笑った。
そして小さく呟く。
「だが、なぜだろうな」
「ん?」
「アイラとシャナン王子は――俺たちが間に合わなくても、生き残るような気がする」
「何それ」
「勘だ」
「適当だなあ」
「剣士の勘は当たるんだ」
「はいはい」
潮風が吹き抜ける。
二人の前には、ミレトスとグランベルを結ぶ巨大な橋が伸びていた。
当然、国境には検問がある。
だが。
デューは鼻歌交じりに歩いている。
「お前、本当に大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫だって」
「捕まったらどうする」
「捕まらないから大丈夫」
「その自信はどこから来るんだ……」
デューは懐から一枚の書類を取り出した。
正式な印章まで押されている。
「……おい」
「ん?」
「それ、本物か?」
「偽物」
即答だった。
ホリンは頭を抱えた。
「正確には、本物の役人が作った偽物だけどね」
「もっと悪いわ!」
デューには独自の情報網がある。
各地の同業者たちが資金を出し合って作ったギルド。
その網は商人や役人だけではなく、時には国家の中枢近くにまで伸びているという。
情報収集。
資金融通。
密輸。
そして場合によっては――暗殺。
今回デューは、そのネットワークを利用した。
今日の検問担当者は、すでに買収済み。
その人物本人から偽造通行証を発行させている。
「お前……」
ホリンが呆れた目で見る。
「俺よりよほど危ない世界で生きてないか?」
「失礼だなあ。これでも真面目に仕事してるんだよ?」
「どこがだ」
検問所へ差しかかる。
兵士が通行証を確認する。
一度。
二人を見る。
そして。
「通れ」
「どうもー」
何事もなく通過した。
ホリンは振り返った。
「……本当に通れた」
「だから言ったじゃん」
デューが笑う。
二人は橋を渡りきった。
ここから先は――グランベル。
そのどこかに。
イザークの未来を背負う二人がいる。
そして同じ頃。
彼らの友もまた。
自らの出生を知り。
神々の遺した二冊の書を巡る、新たな運命へ踏み出していた。
世界の各地で。
それぞれの道が動き始める。
まだ誰も知らない。
その道のすべてが。
やがて一つの巨大な戦乱へと繋がっていくことを。