ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜   作:Edward

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019 喪明け

 シレジア国王崩御の報は、その日のうちに国中へ伝えられた。

 

 夕暮れの王都に、城下の鐘が低く、長く鳴り響く。

 

 一度。

 

 二度。

 

 三度。

 

 鐘の音が途切れたあとも、震えのような余韻だけが街の屋根々々に絡みつき、誰も口を開こうとはしなかった。

 

 いつもなら人々の声で賑わう大通りから音が消え、商店は軒先の旗を下ろした。王都を行き交う者たちは黒布を腕に巻き、家々の窓には弔意を示す布が掲げられる。

 

 雪の国シレジアが、さらに色を失ったようだった。

 

 誰もが王の死を悼んでいた。

 

 だが、誰もが同じものを恐れていた。

 

 王を失った国が、これからどこへ向かうのか。

 

 そして、誰がその空白を埋めるのか。

 

 数日後。

 

 国を挙げての国葬が執り行われた。

 

 王都中央の大聖堂へ続く道には、早朝から多くの民が集まっていた。雪は細く降り続き、黒い衣服の群れを白く濡らしている。

 

 誰もが声を潜め、ゆっくりと進む葬列を見送っていた。

 

 先頭を進むのは、シレジア王家の紋章を掲げた騎士たち。その後ろには聖職者が続き、さらに白銀の装飾を施された棺が運ばれていた。

 

 雪を踏みしめる足音と、鎖の擦れる音。

 

 それ以外の音は、ほとんどなかった。

 

 その棺の中に眠る人物を、俺は知っている。

 

 何度も言葉を交わした。

 

 叱責されたこともあった。

 

 褒められたこともあった。

 

 そして――最後まで、この国の行く末を案じていた。

 

「……陛下」

 

 俺は小さく呟いた。

 

 声は雪に吸われ、返事など、あるはずもなかった。

 

 隣に立つレヴィンは何も言わなかった。

 

 ただ、前を向いていた。

 

 いつもの飄々とした男の姿は、そこにはない。

 

 今ここにいるのは、一人の父親を失った息子。

 

 そして間もなく、この国そのものを背負わなければならない男だった。

 

 やがて棺が大聖堂へ入る。

 

 重い扉が閉じられ、外の風と民の気配が遮られた。

 

 最後に残った足音が石床の奥へ消えると、扉の向こうとこちらを隔てる沈黙だけが、異様な重さで降りてきた。

 

 俺たちもその後に続いた。

 

 大聖堂の中には、蝋燭の炎が無数に灯されていた。揺れる明かりが、並ぶ人々の顔を照らしている。誰もが悲しみに沈んでいるように見えた。

 

 だが、その沈黙の底には、別のものが潜んでいた。

 

 探るような視線。

 

 測るような沈黙。

 

 蝋燭が燃えるかすかな音さえ、互いの腹を探る気配に押し潰されている。

 

 王の死を悼む場でありながら、そこに集まった者たちは、すでに次の時代の形を見定めようとしていた。

 

 祭壇の前にはラーナ王妃。

 

 その少し後ろにレヴィン。

 

 そして王族、諸侯、騎士団長たちが並んでいる。

 

 俺も王族の末席として、その列に加わった。

 

 そして――。

 

 視線を上げる。

 

 いた。

 

 ダッカー。

 

 そして、父――マイオス。

 

 二人とも黒を基調とした正装を身にまとい、胸には喪章をつけている。

 

 その姿だけを見れば、兄を失った二人の弟だった。

 

 厳粛な面持ち。

 

 伏せられた目。

 

 悲嘆を表すために整えられた表情。

 

 完璧だった。

 

 だからこそ、吐き気がした。

 

 俺の視線に気づいたのだろう。

 

 マイオスがこちらを見る。

 

 ゆっくりと上がったその目が、まっすぐ俺を捉えた。

 

 目が合った。

 

「…………」

 

「…………」

 

 言葉はない。

 

 必要もなかった。

 

 親子というには、あまりにも冷たい視線が交差する。

 

 その一瞬だけ、周囲の祈りも衣擦れも遠のいた。父の目の奥にあるものを、俺は読み取れなかった。だが、読み取れないこと自体が、何より不気味だった。

 

 その少し先では、レヴィンとダッカーの視線もぶつかっていた。

 

 四人。

 

 王の棺を挟み、二つの陣営が向かい合う。

 

 剣はない。

 

 魔法もない。

 

 それでも俺には、火花が見えるようだった。

 

 棺の上に置かれた王冠が、蝋燭の明かりを受けて鈍く光る。

 

 その輝きが、まるで争いの始まりを告げる合図のように見えた。

 

 最初に視線を外したのはダッカーだった。

 

 やがて弔辞を述べるため、祭壇へと進み出る。

 

「兄上……」

 

 沈痛な声だった。

 

「我ら兄弟を導き、このシレジアを長きにわたり治められた兄上の御心を思えば、言葉もございません」

 

 よく言う。

 

 俺は無表情のまま聞いていた。

 

「兄上が愛されたシレジアを、我ら残された者たちが力を合わせ、守っていくことこそが最大の供養となりましょう」

 

 ――力を合わせて、か。

 

 笑わせる。

 

 その言葉を聞いた何人かの諸侯が、ほんのわずかに顔を上げた。

 

 誰もが、その言葉の裏にあるものを探っている。

 

 続いてマイオスが前へ出た。

 

「兄上の志を受け継ぎ、王家の一員として、この国と民のために生涯を捧げることをここに誓います」

 

 俺は、父を見た。

 

 心の底から軽蔑していた。

 

 どの口が言う。

 

 この国を割ろうとしている男が。

 

 兄の死を、自らの野心を満たす好機としか考えていない男が。

 

 何が――国と民のためだ。

 

 だが、俺は何も言わなかった。

 

 今日は王を送る日だ。

 

 この場所で騒ぎを起こせば、最も悲しむのは亡くなった陛下だろう。

 

 だから黙っていた。

 

 ただ、その言葉を覚えておく。

 

 いつか父と向き合う、その日のために。

 

 弔いの祈りが始まる。

 

 聖職者の声が大聖堂に響き、参列者たちは一斉に頭を垂れた。

 

 その間も、俺は父の気配を感じていた。

 

 祈りの言葉の下で、誰もが次の一手を考えている。

 

 王の死を悼む時間は、同時に、王位を巡る沈黙の駆け引きでもあった。

 

     ◇

 

 国葬を終えた夜。

 

 俺はレヴィンの私室を訪れていた。

 

 廊下には人の気配がなかった。城全体が喪に沈んでいるようで、その静けさがかえって不自然だった。遠くで誰かが歩くたび、石床に響く足音が、隠された動きを知らせる合図のように聞こえた。

 

 机の上にはシレジア全土の地図が広げられている。

 

 地図の上には、いくつもの印が置かれていた。

 

 俺とレヴィン以外、部屋には誰もいない。

 

「……どう思う?」

 

 レヴィンが尋ねた。

 

「一月だな」

 

 即答した。

 

 レヴィンの目が細くなる。

 

「やっぱり、お前もそう思うか」

 

「ああ」

 

 シレジアでは国王崩御の後、一月の服喪期間が設けられる。

 

 その間に軍を動かすなど、王族としてあってはならない。

 

 逆に言えば――。

 

「喪が明けた瞬間に動く」

 

 俺は地図へ視線を落とした。

 

 北西。

 

 ザクソン。

 

「ダッカーはザクソンで兵を集めている。表向きは領内の治安維持だろうが……」

 

「そんなもの、誰が信じるんだよ」

 

「少なくとも俺たちは信じない」

 

 レヴィンは地図の上に置かれた駒を見つめた。

 

 その駒の先には、王都へ続く街道がある。

 

 次に指を動かす。

 

 東部。

 

 トーヴェ。

 

「そしてマイオス」

 

 レヴィンが腕を組む。

 

「親父が死んだ直後だぞ。さすがに少しくらい大人しくしてくれりゃ、俺としても助かるんだけどな」

 

「無理だろうな」

 

「だよなぁ……」

 

 レヴィンは椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。

 

 ほんの一瞬だけ、昔の彼に戻ったように見えた。

 

 だが、すぐに姿勢を戻す。

 

 その顔から、疲労も迷いも消えていた。

 

 代わりに、王としての覚悟だけが残っている。

 

「カルト」

 

「ああ」

 

「二手に分かれよう」

 

 俺も同じことを考えていた。

 

「お前はダッカーを見る」

 

「ザクソンか」

 

「王都から近い。何かあればすぐ対応できる。それに次期国王のお前が動けば、向こうも無視できない」

 

「となると、お前は……」

 

「セイレーンへ行く」

 

 レヴィンの表情が変わった。

 

「マイオスを見るのか」

 

「ああ」

 

 セイレーンならトーヴェの動向を監視しやすい。

 

 そしてマイオスから見ても、俺がそこにいる意味は明白だ。

 

 監視している。

 

 余計な真似をするな。

 

 そういう意思表示になる。

 

「……カルト」

 

「なんだ?」

 

 レヴィンはしばらく黙っていた。

 

 何かを言うべきか迷っているようだった。

 

 やがて、静かに口を開く。

 

「相手は、お前の親父だぞ」

 

「知ってる」

 

「本当に分かってるのか?」

 

 レヴィンの声が低くなる。

 

「もしマイオス叔父上が兵を挙げれば、お前は止めなきゃならない」

 

「ああ」

 

「説得で済まないかもしれない」

 

「ああ」

 

「最悪の場合――」

 

 そこでレヴィンは言葉を切った。

 

 俺は黙って続きを待つ。

 

「お前が、自分の父親を殺すことになるぞ」

 

 部屋が静まり返った。

 

 窓の外から、冷たい風の音だけが聞こえてくる。

 

 遠くで、見張りの鐘が一度だけ鳴った。

 

 低い音が壁を震わせ、消えたあとも、二人の間に残った沈黙を押し広げていった。

 

 俺は目を閉じた。

 

 父。

 

 マイオス。

 

 幼い頃から、あの人と親子らしい時間を過ごした記憶はほとんどない。

 

 それでも血は繋がっている。

 

 俺をこの世に生み出した男であることだけは、何をしようと変えられない。

 

 だから――。

 

 俺は笑った。

 

 自嘲でもなければ、強がりでもない。

 

 ずっと前から答えは決まっていた。

 

「その時は――」

 

 レヴィンを見る。

 

「俺が必ず殺してやる」

 

「…………」

 

「他の誰にもやらせない」

 

 レヴィンは何も答えなかった。

 

 ただ、拳を強く握りしめていた。

 

 その拳が震えているのか、怒りで力んでいるのか、俺には分からなかった。

 

 俺も、それ以上は言わない。

 

 父が道を踏み外したなら。

 

 最後に止めるのは息子である俺だ。

 

 それが俺に残された、唯一の親孝行なのかもしれない。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 俺はセイレーンへ向かった。

 

 出立の準備をする兵たちの顔に、旅立ちの高揚はなかった。誰もが必要な言葉だけを交わし、武具の留め具を確かめ、馬の蹄に雪が絡まっていないかを確認している。

 

 王都を離れる直前、レヴィンと二人で城壁の上に立った。

 

 眼下には、白く凍った街並みが広がっている。

 

 雪混じりの風が吹き抜けていく。

 

「一月か」

 

 レヴィンが呟く。

 

「ああ」

 

「長いと思うか?」

 

「短いだろうな」

 

「俺もそう思う」

 

 一月。

 

 その時間で、できる限りの準備をする。

 

 軍を整える。

 

 諸侯の動向を探る。

 

 民を巻き込まないための手を考える。

 

 そして何より――敵を知る。

 

 城壁の外では、街道が雪原の彼方へ伸びていた。

 

 その先に、二つの軍が待っている。

 

 まだ旗は見えない。

 

 まだ剣も交わっていない。

 

 それでも、戦場へ続く道は、すでに開かれていた。

 

「レヴィン」

 

「ん?」

 

「次に会う時は、たぶん戦争だ」

 

「縁起でもないこと言うなよ」

 

「違うと思うか?」

 

「……思わないから困ってんだよ」

 

 俺たちは顔を見合わせた。

 

 笑うことはできなかった。

 

 そして拳を合わせる。

 

「死ぬなよ」

 

「お前もな」

 

 それだけ言って、俺たちは別れた。

 

 レヴィンはザクソンのダッカーを。

 

 俺はトーヴェのマイオスを。

 

 互いに、それぞれの敵を見張るために。

 

     ◇

 

 そして――。

 

 一月が過ぎた。

 

 シレジアを覆っていた喪が明ける。

 

 国中の黒布が外され、王都の鐘が新たな時代の始まりを告げた。

 

 だが、その音を祝福として聞いた者が、どれほどいただろう。

 

 鐘が鳴り終わるより早く、王都の門へ一騎の伝令が駆け込んできた。

 

 ほとんど時を同じくして、二つの知らせが王都へ飛び込んだ。

 

 ザクソン領。

 

 ダッカー公、挙兵。

 

 そして――。

 

 トーヴェ領。

 

 マイオス公、挙兵。

 

 二人はそれぞれの城で諸侯と兵を前に立ち、高らかに宣言した。

 

 レヴィンにシレジア王位を継ぐ資格なし。

 

 ラーナ王妃とレヴィンによる王権掌握を認めず。

 

 シレジアの正統なる統治を取り戻すため――。

 

 軍をもって王都へ進撃する、と。

 

 喪が明けた、その日。

 

 まるで最初から日取りを合わせていたかのように。

 

 ダッカーとマイオス。

 

 二人の王弟が、同時に牙を剥いた。

 

 国王の棺の前で、

 

『この国と民のために生涯を捧げる』

 

 そう誓った男たちが。

 

 王都では、鐘の音が途切れたあとも、人々は通りへ出ようとしなかった。

 

 店は再び戸を閉ざし、兵たちは城門へ集められた。

 

 喪服を脱いだばかりの街に、今度は武具の音が響き始める。

 

 俺はセイレーンの城壁から、遠く東の空を見ていた。

 

 雪原の彼方。

 

 トーヴェへ続く街道から、一騎の伝令がこちらへ駆けてくる。

 

 馬は白い息を吐き、蹄で雪を跳ね上げていた。

 

 その姿を見ただけで、内容など聞くまでもなかった。

 

「……やっぱり一月だったな」

 

 腰の剣へ手を添える。

 

 国葬の日。

 

 父と交わした、あの視線を思い出した。

 

 あの時から分かっていた。

 

 いや。

 

 もっとずっと前から、こうなることは分かっていたのかもしれない。

 

 マイオス。

 

 俺の父。

 

 そして今から――俺が止めなければならない男。

 

 冷たい風が銀色の髪を揺らす。

 

 遠くで、別の鐘が鳴った。

 

 それは弔いの鐘ではなかった。

 

 敵の接近を知らせる、警鐘だった。

 

 俺は踵を返した。

 

「行くぞ」

 

 喪は明けた。

 

 そして――。

 

 シレジアの内戦が始まった。

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