ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜 作:Edward
シレジア国王崩御の報は、その日のうちに国中へ伝えられた。
夕暮れの王都に、城下の鐘が低く、長く鳴り響く。
一度。
二度。
三度。
鐘の音が途切れたあとも、震えのような余韻だけが街の屋根々々に絡みつき、誰も口を開こうとはしなかった。
いつもなら人々の声で賑わう大通りから音が消え、商店は軒先の旗を下ろした。王都を行き交う者たちは黒布を腕に巻き、家々の窓には弔意を示す布が掲げられる。
雪の国シレジアが、さらに色を失ったようだった。
誰もが王の死を悼んでいた。
だが、誰もが同じものを恐れていた。
王を失った国が、これからどこへ向かうのか。
そして、誰がその空白を埋めるのか。
数日後。
国を挙げての国葬が執り行われた。
王都中央の大聖堂へ続く道には、早朝から多くの民が集まっていた。雪は細く降り続き、黒い衣服の群れを白く濡らしている。
誰もが声を潜め、ゆっくりと進む葬列を見送っていた。
先頭を進むのは、シレジア王家の紋章を掲げた騎士たち。その後ろには聖職者が続き、さらに白銀の装飾を施された棺が運ばれていた。
雪を踏みしめる足音と、鎖の擦れる音。
それ以外の音は、ほとんどなかった。
その棺の中に眠る人物を、俺は知っている。
何度も言葉を交わした。
叱責されたこともあった。
褒められたこともあった。
そして――最後まで、この国の行く末を案じていた。
「……陛下」
俺は小さく呟いた。
声は雪に吸われ、返事など、あるはずもなかった。
隣に立つレヴィンは何も言わなかった。
ただ、前を向いていた。
いつもの飄々とした男の姿は、そこにはない。
今ここにいるのは、一人の父親を失った息子。
そして間もなく、この国そのものを背負わなければならない男だった。
やがて棺が大聖堂へ入る。
重い扉が閉じられ、外の風と民の気配が遮られた。
最後に残った足音が石床の奥へ消えると、扉の向こうとこちらを隔てる沈黙だけが、異様な重さで降りてきた。
俺たちもその後に続いた。
大聖堂の中には、蝋燭の炎が無数に灯されていた。揺れる明かりが、並ぶ人々の顔を照らしている。誰もが悲しみに沈んでいるように見えた。
だが、その沈黙の底には、別のものが潜んでいた。
探るような視線。
測るような沈黙。
蝋燭が燃えるかすかな音さえ、互いの腹を探る気配に押し潰されている。
王の死を悼む場でありながら、そこに集まった者たちは、すでに次の時代の形を見定めようとしていた。
祭壇の前にはラーナ王妃。
その少し後ろにレヴィン。
そして王族、諸侯、騎士団長たちが並んでいる。
俺も王族の末席として、その列に加わった。
そして――。
視線を上げる。
いた。
ダッカー。
そして、父――マイオス。
二人とも黒を基調とした正装を身にまとい、胸には喪章をつけている。
その姿だけを見れば、兄を失った二人の弟だった。
厳粛な面持ち。
伏せられた目。
悲嘆を表すために整えられた表情。
完璧だった。
だからこそ、吐き気がした。
俺の視線に気づいたのだろう。
マイオスがこちらを見る。
ゆっくりと上がったその目が、まっすぐ俺を捉えた。
目が合った。
「…………」
「…………」
言葉はない。
必要もなかった。
親子というには、あまりにも冷たい視線が交差する。
その一瞬だけ、周囲の祈りも衣擦れも遠のいた。父の目の奥にあるものを、俺は読み取れなかった。だが、読み取れないこと自体が、何より不気味だった。
その少し先では、レヴィンとダッカーの視線もぶつかっていた。
四人。
王の棺を挟み、二つの陣営が向かい合う。
剣はない。
魔法もない。
それでも俺には、火花が見えるようだった。
棺の上に置かれた王冠が、蝋燭の明かりを受けて鈍く光る。
その輝きが、まるで争いの始まりを告げる合図のように見えた。
最初に視線を外したのはダッカーだった。
やがて弔辞を述べるため、祭壇へと進み出る。
「兄上……」
沈痛な声だった。
「我ら兄弟を導き、このシレジアを長きにわたり治められた兄上の御心を思えば、言葉もございません」
よく言う。
俺は無表情のまま聞いていた。
「兄上が愛されたシレジアを、我ら残された者たちが力を合わせ、守っていくことこそが最大の供養となりましょう」
――力を合わせて、か。
笑わせる。
その言葉を聞いた何人かの諸侯が、ほんのわずかに顔を上げた。
誰もが、その言葉の裏にあるものを探っている。
続いてマイオスが前へ出た。
「兄上の志を受け継ぎ、王家の一員として、この国と民のために生涯を捧げることをここに誓います」
俺は、父を見た。
心の底から軽蔑していた。
どの口が言う。
この国を割ろうとしている男が。
兄の死を、自らの野心を満たす好機としか考えていない男が。
何が――国と民のためだ。
だが、俺は何も言わなかった。
今日は王を送る日だ。
この場所で騒ぎを起こせば、最も悲しむのは亡くなった陛下だろう。
だから黙っていた。
ただ、その言葉を覚えておく。
いつか父と向き合う、その日のために。
弔いの祈りが始まる。
聖職者の声が大聖堂に響き、参列者たちは一斉に頭を垂れた。
その間も、俺は父の気配を感じていた。
祈りの言葉の下で、誰もが次の一手を考えている。
王の死を悼む時間は、同時に、王位を巡る沈黙の駆け引きでもあった。
◇
国葬を終えた夜。
俺はレヴィンの私室を訪れていた。
廊下には人の気配がなかった。城全体が喪に沈んでいるようで、その静けさがかえって不自然だった。遠くで誰かが歩くたび、石床に響く足音が、隠された動きを知らせる合図のように聞こえた。
机の上にはシレジア全土の地図が広げられている。
地図の上には、いくつもの印が置かれていた。
俺とレヴィン以外、部屋には誰もいない。
「……どう思う?」
レヴィンが尋ねた。
「一月だな」
即答した。
レヴィンの目が細くなる。
「やっぱり、お前もそう思うか」
「ああ」
シレジアでは国王崩御の後、一月の服喪期間が設けられる。
その間に軍を動かすなど、王族としてあってはならない。
逆に言えば――。
「喪が明けた瞬間に動く」
俺は地図へ視線を落とした。
北西。
ザクソン。
「ダッカーはザクソンで兵を集めている。表向きは領内の治安維持だろうが……」
「そんなもの、誰が信じるんだよ」
「少なくとも俺たちは信じない」
レヴィンは地図の上に置かれた駒を見つめた。
その駒の先には、王都へ続く街道がある。
次に指を動かす。
東部。
トーヴェ。
「そしてマイオス」
レヴィンが腕を組む。
「親父が死んだ直後だぞ。さすがに少しくらい大人しくしてくれりゃ、俺としても助かるんだけどな」
「無理だろうな」
「だよなぁ……」
レヴィンは椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。
ほんの一瞬だけ、昔の彼に戻ったように見えた。
だが、すぐに姿勢を戻す。
その顔から、疲労も迷いも消えていた。
代わりに、王としての覚悟だけが残っている。
「カルト」
「ああ」
「二手に分かれよう」
俺も同じことを考えていた。
「お前はダッカーを見る」
「ザクソンか」
「王都から近い。何かあればすぐ対応できる。それに次期国王のお前が動けば、向こうも無視できない」
「となると、お前は……」
「セイレーンへ行く」
レヴィンの表情が変わった。
「マイオスを見るのか」
「ああ」
セイレーンならトーヴェの動向を監視しやすい。
そしてマイオスから見ても、俺がそこにいる意味は明白だ。
監視している。
余計な真似をするな。
そういう意思表示になる。
「……カルト」
「なんだ?」
レヴィンはしばらく黙っていた。
何かを言うべきか迷っているようだった。
やがて、静かに口を開く。
「相手は、お前の親父だぞ」
「知ってる」
「本当に分かってるのか?」
レヴィンの声が低くなる。
「もしマイオス叔父上が兵を挙げれば、お前は止めなきゃならない」
「ああ」
「説得で済まないかもしれない」
「ああ」
「最悪の場合――」
そこでレヴィンは言葉を切った。
俺は黙って続きを待つ。
「お前が、自分の父親を殺すことになるぞ」
部屋が静まり返った。
窓の外から、冷たい風の音だけが聞こえてくる。
遠くで、見張りの鐘が一度だけ鳴った。
低い音が壁を震わせ、消えたあとも、二人の間に残った沈黙を押し広げていった。
俺は目を閉じた。
父。
マイオス。
幼い頃から、あの人と親子らしい時間を過ごした記憶はほとんどない。
それでも血は繋がっている。
俺をこの世に生み出した男であることだけは、何をしようと変えられない。
だから――。
俺は笑った。
自嘲でもなければ、強がりでもない。
ずっと前から答えは決まっていた。
「その時は――」
レヴィンを見る。
「俺が必ず殺してやる」
「…………」
「他の誰にもやらせない」
レヴィンは何も答えなかった。
ただ、拳を強く握りしめていた。
その拳が震えているのか、怒りで力んでいるのか、俺には分からなかった。
俺も、それ以上は言わない。
父が道を踏み外したなら。
最後に止めるのは息子である俺だ。
それが俺に残された、唯一の親孝行なのかもしれない。
◇
翌朝。
俺はセイレーンへ向かった。
出立の準備をする兵たちの顔に、旅立ちの高揚はなかった。誰もが必要な言葉だけを交わし、武具の留め具を確かめ、馬の蹄に雪が絡まっていないかを確認している。
王都を離れる直前、レヴィンと二人で城壁の上に立った。
眼下には、白く凍った街並みが広がっている。
雪混じりの風が吹き抜けていく。
「一月か」
レヴィンが呟く。
「ああ」
「長いと思うか?」
「短いだろうな」
「俺もそう思う」
一月。
その時間で、できる限りの準備をする。
軍を整える。
諸侯の動向を探る。
民を巻き込まないための手を考える。
そして何より――敵を知る。
城壁の外では、街道が雪原の彼方へ伸びていた。
その先に、二つの軍が待っている。
まだ旗は見えない。
まだ剣も交わっていない。
それでも、戦場へ続く道は、すでに開かれていた。
「レヴィン」
「ん?」
「次に会う時は、たぶん戦争だ」
「縁起でもないこと言うなよ」
「違うと思うか?」
「……思わないから困ってんだよ」
俺たちは顔を見合わせた。
笑うことはできなかった。
そして拳を合わせる。
「死ぬなよ」
「お前もな」
それだけ言って、俺たちは別れた。
レヴィンはザクソンのダッカーを。
俺はトーヴェのマイオスを。
互いに、それぞれの敵を見張るために。
◇
そして――。
一月が過ぎた。
シレジアを覆っていた喪が明ける。
国中の黒布が外され、王都の鐘が新たな時代の始まりを告げた。
だが、その音を祝福として聞いた者が、どれほどいただろう。
鐘が鳴り終わるより早く、王都の門へ一騎の伝令が駆け込んできた。
ほとんど時を同じくして、二つの知らせが王都へ飛び込んだ。
ザクソン領。
ダッカー公、挙兵。
そして――。
トーヴェ領。
マイオス公、挙兵。
二人はそれぞれの城で諸侯と兵を前に立ち、高らかに宣言した。
レヴィンにシレジア王位を継ぐ資格なし。
ラーナ王妃とレヴィンによる王権掌握を認めず。
シレジアの正統なる統治を取り戻すため――。
軍をもって王都へ進撃する、と。
喪が明けた、その日。
まるで最初から日取りを合わせていたかのように。
ダッカーとマイオス。
二人の王弟が、同時に牙を剥いた。
国王の棺の前で、
『この国と民のために生涯を捧げる』
そう誓った男たちが。
王都では、鐘の音が途切れたあとも、人々は通りへ出ようとしなかった。
店は再び戸を閉ざし、兵たちは城門へ集められた。
喪服を脱いだばかりの街に、今度は武具の音が響き始める。
俺はセイレーンの城壁から、遠く東の空を見ていた。
雪原の彼方。
トーヴェへ続く街道から、一騎の伝令がこちらへ駆けてくる。
馬は白い息を吐き、蹄で雪を跳ね上げていた。
その姿を見ただけで、内容など聞くまでもなかった。
「……やっぱり一月だったな」
腰の剣へ手を添える。
国葬の日。
父と交わした、あの視線を思い出した。
あの時から分かっていた。
いや。
もっとずっと前から、こうなることは分かっていたのかもしれない。
マイオス。
俺の父。
そして今から――俺が止めなければならない男。
冷たい風が銀色の髪を揺らす。
遠くで、別の鐘が鳴った。
それは弔いの鐘ではなかった。
敵の接近を知らせる、警鐘だった。
俺は踵を返した。
「行くぞ」
喪は明けた。
そして――。
シレジアの内戦が始まった。