ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜   作:Edward

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020 吹雪

雪原を、一頭の馬が駆けていた。

 

 真白な大地を蹴り上げ、蹄が雪を散らす。

 

 シレジアではあまり見かけない、骨格のしっかりとした栗毛の軍馬だった。

 

 グランベルとの交易によって送られてきた馬の一頭である。

 

「……やっぱり、少し鈍ってるな」

 

 手綱を握りながら、俺は小さく呟いた。

 

 グランベルへ魔道留学していた頃、乗馬は一通り習っている。

 

 騎士ほど巧みに扱えるわけではないが、移動手段として乗りこなす程度なら問題はない。

 

 とはいえ、本格的に馬へ乗るのは久しぶりだ。

 

 昔の感覚を取り戻すためにも、今は無理に速度を上げず、少し早足程度に留めていた。

 

「マリアン。大丈夫か?」

 

「はい」

 

 背後から、小さな返事が聞こえる。

 

 俺の腰へ腕を回しているのはマリアンだった。

 

 彼女をシレジアへ連れ帰ってから、いくつか分かったことがある。

 

 まず、天馬騎士としての適性はなかった。

 

 シレジアで生きる以上、天馬に乗れるというのは大きな利点になる。そこで一度フュリーにも協力してもらい、天馬へ乗せてみたのだが――どうにも相性が悪かった。

 

 本人もかなり頑張った。

 

 だが、こればかりは努力だけではどうにもならない。

 

 そこで次に試したのが剣だった。

 

 そして、こちらは驚くほど適性があった。

 

 長く満足な食事を取れなかった影響もあるのだろう。

 

 マリアンの身体は同年代の少女と比べても小柄で、体重も軽い。

 

 普通ならば、それは剣士として不利になる。

 

 力比べになれば成人男性には到底敵わない。重い剣を振り回すこともできない。

 

 だが――彼女はその弱点を、別の才能へ変えてみせた。

 

 柔らかな身体。

 

 軽い体重。

 

 そして異様なほど優れた平衡感覚。

 

 真正面から敵の剣を受けるのではなく、身体を滑らせるように躱す。

 

 地を蹴り、時には相手の身体すら足場にして死角へ潜り込み、そこから斬る。

 

 剣術というより、軽業に剣を組み合わせたような戦い方だった。

 

 初めて見た時には俺も呆気に取られたものだ。

 

 ならば無理に型へ押し込む必要はない。

 

 俺はそう判断した。

 

 俺自身、剣については達人というほどではない。

 

 だから基本だけを教え、後はマリアン自身が持つ身体能力を殺さないようにした。

 

 結果として彼女の剣は、既存の流派とは似ても似つかない独特なものへ変わりつつある。

 

 もっとも――。

 

「剣を使えるからって、戦場に出してやる気はないからな」

 

「……分かっています」

 

「本当に分かってるか?」

 

「分かっています」

 

 少しだけ不満そうな声だった。

 

 俺は苦笑する。

 

 まだ成人すらしていない少女だ。

 

 いくら才能があろうと、今から戦場へ放り込むつもりはない。

 

 当面は俺の小姓として働いてもらう。

 

 身の回りの仕事を覚え、読み書きや算術を学び、必要なら護身のために剣を使う。

 

 それで十分だ。

 

 少なくとも――。

 

 俺のように、子供の頃から権力争いへ巻き込まれる必要などない。

 

「……見えてきました」

 

「ああ」

 

 マリアンの声で意識を前へ戻す。

 

 雪原の向こう。

 

 白い大地に、いくつもの黒い影が並んでいた。

 

 兵だ。

 

 そしてそのさらに奥には――。

 

 俺がよく知る紋章の旗が翻っている。

 

 トーヴェ。

 

 父、マイオスの軍勢。

 

「とうとう来たか……」

 

 国王が崩御して、一月経った途端に即挙兵。

 

 喪が明けたと同時にマイオスとダッカーはシレジアに向けての軍事侵攻。

 

 予想通りだった。

 

 あまりにも予想通りで笑えてくる、通り越して泣けて来たくらいだった。

 

 国葬の場では、あれほど神妙な顔をしていたというのに。

 

 父の死を悼むレヴィンの前で頭を垂れ、国王の棺へ祈りまで捧げていた。

 

 その舌の根も乾かぬうちに、これだ。

 

「マリアン」

 

「はい」

 

「ここから先は後方へ下がれ。絶対に俺から離れるな」

 

「……はい」

 

 今度は素直な返事だった。

 

 俺は馬を止めた。

 

 そして――。

 

 空を見上げる。

 

 灰色の雲。

 

 雪。

 

 シレジア特有の、凍えるような風。

 

 その風の流れが、不自然に変わった。

 

「来るぞ!」

 

 叫んだ瞬間だった。

 

 遠方に展開していたマイオス軍の魔道士達が、一斉に魔道書を掲げた。

 

 魔力が膨れ上がる。

 

 一人や二人ではない。

 

 数十人。

 

 それぞれの魔力が絡み合い、上空へ吸い込まれていく。

 

 空気が震えた。

 

 雲が渦を巻く。

 

 その渦の中心だけ、まるで何かが息を潜めているように、雪が不自然に落ちてこなかった。

 

「《ブリザード》……!」

 

 シレジアという土地だからこそ成立する、大規模遠距離魔法。

 

 大気中の冷気を魔力によって増幅し、猛烈な吹雪として敵陣へ叩きつける。

 

 他国で同じことをしても、これほどの威力は出ない。

 

 だが、この国なら違う。

 

 シレジアそのものが、巨大な魔法媒体となる。

 

「全員、詠唱開始!」

 

 俺の命令に、後方へ展開していた魔道士達が動いた。

 

「敵の魔法へ正面からぶつける! 押し返せ!」

 

 魔道書が開かれる。

 

 風の魔力が集束する。

 

 俺も馬から降り、魔道書を開いた。

 

 指先が冷たい。

 

 いや。

 

 違う。

 

 周囲の冷気が、俺へ集まっている。

 

 風が俺を中心に渦を巻く。

 

 血が騒ぐ。

 

 俺の中に流れる、聖戦士の力。

 

 風を司る血。

 

 その渦の奥で、誰かが風の流れを撫でるような感覚があった。俺の魔力とは違う、古びた指先の気配だった。

 

「――俺も加わる」

 

「カルト様!?」

 

「合わせろ! 一人で撃つ魔法じゃない!」

 

 杖を掲げる。

 

 視界の先で、敵軍の吹雪が巨大な白壁となって迫ってくる。

 

 ならば。

 

 こちらも同じものをぶつけるだけだ。

 

「《ブリザード》!!」

 

 轟音。

 

 俺達の前方で、雪原そのものが爆発したかと思った。

 

 二つの吹雪が激突する。

 

 雪が舞い上がる。

 

 氷片が飛び散る。

 

 視界が白一色に染まった。

 

 風と風。

 

 魔力と魔力。

 

 互いが互いを押し潰そうとする。

 

「押せぇぇっ!!」

 

 魔道士達が魔力を注ぎ込む。

 

 俺も全力で風を操る。

 

 こちらが――押している。

 

 少しずつ。

 

 確実に。

 

 白い壁が敵軍側へ動いていく。

 

「いける……!」

 

 こちらの魔道士達の練度は高い。

 

 何より、俺自身が加わっている。

 

 風を操ることに関してだけなら、そう簡単に負けるつもりはない。

 

 だが――。

 

「カルト様!」

 

 兵士の声。

 

「上空です!」

 

「なに?」

 

 吹雪の向こう。

 

 雲の切れ間から、影が現れる。

 

 一騎。

 

 二騎。

 

 十騎。

 

 いや――もっとだ。

 

「天馬騎士……!」

 

 白銀の翼。

 

 雪の中を縫うように、天馬の一団がこちらへ迫ってくる。

 

 先頭を飛ぶ女騎士。

 

 見覚えがあった。

 

「ディートバ……!」

 

 父に仕える天馬騎士。

 

 地上の魔道士戦ではこちらが優勢。

 

 ならば上空から崩す。

 

 当然の判断だ。

 

「対空迎撃!」

 

 弓兵が矢を番える。

 

 だが遅い。

 

 天馬隊は吹雪を遮蔽物として利用していた。

 

 上空から急降下。

 

「散れ!」

 

 槍が降る。

 

 悲鳴。

 

 魔道士達の隊列が崩れる。

 

「くそっ……!」

 

 俺が風を撃ち上げる。

 

 だがディートバは巧みに天馬を操り、旋回して回避した。

 

 速い。

 

 フュリーとはまた違う。

 

 集団戦に慣れている。

 

 こちらが魔道士部隊で地上を制圧しようとすれば、上空からディートバが崩す。

 

 逆に天馬隊へ意識を向ければ、敵魔道士の《ブリザード》が押し返してくる。

 

 よく考えられている。

 

 父が考えたのか。

 

 それとも――。

 

『――カルト様』

 

「……?」

 

 頭の中へ直接、声が響いた。

 

 伝心。

 

 敵魔道士か。

 

『聞こえておりますか』

 

「ああ。聞こえている」

 

『私はクブリと申します』

 

 クブリ。

 

 聞き覚えのない名だった。

 

 だが、その名を告げる声には、妙に古風な響きがあった。まるで長い年月を経ても変わらない呼び名を、確かめるように口にした声だった。

 

『マイオス公にお仕えする魔道士です』

 

「それで?」

 

『戦いをお止めください』

 

 俺は眉を寄せた。

 

『貴方様はマイオス公の御子息。トーヴェへお戻りください』

 

「…………」

 

『マイオス公も、御子息と戦うことなど望んではおられません』

 

 思わず笑った。

 

「よく言う」

 

『カルト様』

 

「国王陛下が亡くなった途端に兵を挙げておいて、俺には家へ帰れか?」

 

『……』

 

「レヴィンは俺の友だ」

 

 吹雪が頬を打つ。

 

「そして、あいつはシレジアの正統な王だ」

 

 魔道書を握る手へ力を込める。

 

「父が王位を狙うというのなら――俺はレヴィンの側につく」

 

『実の父君と戦うと?』

 

「ああ」

 

 迷いなどない。

 

「マイオスに伝えろ」

 

 一度だけ目を閉じる。

 

 国葬の日。

 

 レヴィンに言われた言葉を思い出す。

 

 父親を殺すことになるかもしれないぞ。

 

 俺は、あの時なんと答えた。

 

 決まっている。

 

「――俺が止める」

 

『……』

 

「それでも止まらないなら、俺がこの手で討つ」

 

 伝心の向こうで、沈黙が続いた。

 

 やがて。

 

『……承知しました』

 

 クブリの声から、何かが消えた。

 

 説得する者の声ではない。

 

 魔道士の声になった。

 

 その切り替わりはあまりに滑らかで、感情を捨てたというより、最初から別の顔を隠していたように聞こえた。

 

『では――敵として参ります』

 

「ああ」

 

 俺は杖を構えた。

 

「来い」

 

 次の瞬間。

 

 敵陣から凄まじい魔力が膨れ上がった。

 

「全員、構えろ!」

 

 吹雪。

 

 風刃。

 

 氷塊。

 

 無数の魔法が飛び交う。

 

 こちらも撃ち返す。

 

 雪原が、一瞬にして魔道士同士の戦場へ変わった。

 

 爆発。

 

 閃光。

 

 悲鳴。

 

 雪が焼け、凍り、再び吹き飛ばされる。

 

 敵の魔道士達も弱くない。

 

 だが――。

 

 押している。

 

 こちらが。

 

 それでもクブリは巧みだった。

 

 魔道士達をまとめ、こちらの攻撃を分散させている。

 

 その指示は短く、正確だった。時折、魔道書を開く手を止め、風の音だけを聞くように顔を上げる。そのたび、次に飛ぶ魔法の軌道を先に知っているかのように、部隊が動いた。

 

 このままでは時間がかかる。

 

 上空にはディートバもいる。

 

 長引けば不利だ。

 

「……仕方ない」

 

 俺は魔道書を閉じた。

 

 腰に提げていた、もう一冊へ手を伸ばす。

 

「カルト様?」

 

 近くにいた魔道士が驚いたように俺を見る。

 

「ここで決める」

 

 取り出した魔道書。

 

 風ではない。

 

 シレジアの魔法でもない。

 

 俺自身ですら、まだ完全には理解していない力。

 

 光。

 

 あの日。

 

 死の魔法を前にして目覚めたもの。

 

 俺は静かに表紙を開いた。

 

 紙面に刻まれた文字が、光を受ける前から淡く浮かび上がった。見覚えのない古い文字だったが、なぜか意味だけが胸の奥へ滑り込んでくる。

 

 空気が変わった。

 

 周囲の魔道士達が息を呑む。

 

 吹雪の中。

 

 俺の周囲だけが、淡く輝き始めた。

 

「……なんだ、あれは」

 

 敵兵の声まで聞こえた。

 

 光が集まる。

 

 雪原へ反射する。

 

 白とは違う。

 

 暖かく、しかし圧倒的な輝き。

 

 その光を見た瞬間、敵陣のどこかでクブリが息を呑んだ気がした。驚きではない。長く待ち続けたものを、ようやく目にした者の反応だった。

 

「《オーラ》」

 

 光が奔った。

 

 戦場から音が消えた。

 

 そう錯覚するほどの閃光だった。

 

 敵魔道士達が展開していた防御魔法を、光が次々と打ち破っていく。

 

「うわぁぁぁっ!」

 

 隊列が崩れた。

 

 魔道書を取り落とす者。

 

 腰を抜かす者。

 

 逃げる者。

 

 それまで拮抗していた戦況が、一撃で傾いた。

 

「進め!」

 

 俺の魔道士隊が前進する。

 

 敵はもう《ブリザード》を維持できない。

 

 空を覆っていた吹雪が消えていく。

 

 視界が開けた。

 

 その向こうに、一人の魔道士が立っていた。

 

 黒い外套。

 

 深く被ったフード。

 

 クブリ。

 

 俺には分かった。

 

「お前か」

 

「……はい」

 

 伝心ではない。

 

 今度は直接の声だった。

 

 その声は、先ほどよりもわずかに低く、静かだった。戦場の騒音の中でも不思議なほど明瞭で、耳ではなく記憶へ届くように響いた。

 

 俺は歩く。

 

 クブリも魔道書を構える。

 

「まだやるか?」

 

「私にも……退けぬ理由があります」

 

「そうか」

 

 ならば戦うだけだ。

 

 クブリが詠唱する。

 

 周囲へ薄い光の膜が広がった。

 

 魔法防御。

 

 俺の《オーラ》を見て、正面から受けるつもりか。

 

 その防壁には、見慣れない細い紋様が幾重にも走っていた。文字にも魔法陣にも見えるのに、どこか生き物の鱗のように光を返している。

 

「やめておけ」

 

「参ります」

 

「――死ぬぞ」

 

 返事はなかった。

 

 ただ、クブリは魔道書を持つ手を一度だけ胸元へ引いた。祈りにも、何かを封じる仕草にも見えた。

 

 俺は魔道書を開く。

 

「《オーラ》!」

 

 光。

 

 クブリの防壁へ直撃した。

 

「ぐっ……!」

 

 魔法防御が軋む。

 

 光が膜を削り取る。

 

 それでもクブリは耐えた。

 

 歯を食いしばり、魔力を注ぎ込み続ける。

 

「まだ……!」

 

「やめろ!」

 

「まだです!」

 

 防壁が砕けた。

 

 爆発。

 

 クブリの身体が雪原へ吹き飛ばされる。

 

「……!」

 

 俺は即座に魔法を止めた。

 

 雪煙が晴れる。

 

 クブリは倒れていた。

 

 だが、生きている。

 

 魔法防御のおかげで致命傷は避けたらしい。

 

「……見事、です」

 

 クブリがゆっくりと身体を起こした。

 

「私の……負けです」

 

「降伏するか」

 

「……はい」

 

 俺は魔道書を閉じた。

 

「なら武器を捨てろ。これ以上は攻撃しない」

 

 クブリは魔道書を雪の上へ置いた。

 

 両手を上げる。

 

 その動作は負傷した者のものとは思えないほど静かで、まるで決められた手順をなぞっているようだった。

 

 そして。

 

「……一つだけ、お願いがございます」

 

「なんだ」

 

「この姿のままでは……礼を欠きますゆえ」

 

 クブリがフードへ手を掛けた。

 

 俺は何気なく、その姿を見ていた。

 

 フードが外れる。

 

 隠されていた顔が露わになる。

 

「――――」

 

 俺は言葉を失った。

 

 魔道書を握っていた手から、力が抜ける。

 

 見間違えるはずがない。

 

 いや。

 

 見間違いであってほしいとすら思った。

 

 最後にその顔を見たのは、まだ二人とも何も失っていなかった頃だ。あの頃の声も、笑い方も、別れ際に交わした言葉も、凍りついた記憶の底から一度に蘇る。

 

「……お前……」

 

 喉が震えた。

 

 息がうまく吸えない。

 

 吹雪が止んでいた。

 

 戦場の喧騒さえ、遠く感じる。

 

 クブリは静かに俺を見つめている。

 

 その顔を。

 

 俺は知っていた。

 

 知っているはずだった。

 

 なのに、目の前にいる現実だけが、どうしても受け入れられない。

 

 クブリの瞳には、戦場に立つ者の緊張も、敗北した者の怯えもなかった。ただ、長い時間を越えてようやく果たされた約束を確かめるような、静かな光だけが宿っていた。

 

 その静けさが、かえって俺を動揺させた。

 

 俺だけが、過去に取り残されている。

 

「……どうして、お前がここにいる?」

 

 答えはない。

 

 ただ雪だけが、二人の間へ静かに降り積もっていた。

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