ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜 作:Edward
クブリが後退した。
正確には、退けた――そう言うべきなのだろう。
だが俺には、どうにも腑に落ちなかった。
あれほどの魔道士が、あれほどあっさりと引くものなのか。
俺の《ライトニング》を受けながら致命傷は避け、こちらの追撃が届かない距離まで下がると、クブリは戦場の向こうから一度だけ俺を見た。
その目にあったものが、敗北への悔しさだったのか。
それとも――別の何かだったのか。
「カルト様!」
思考を断ち切るように、魔道士隊の声が飛んだ。
顔を上げる。
トーヴェへ続く平原では、戦況が大きく動き始めていた。
クブリが退いたことで、敵魔道士隊の統率が目に見えて崩れている。
それまで絶え間なく吹き荒れていた《ブリザード》も弱まり、白く覆われていた視界が少しずつ開けていく。
「追うな!」
俺は即座に命じた。
「クブリを追撃する必要はない! 敵の魔道士隊を分断しろ! 投降する者には手を出すな!」
「はっ!」
命令が伝わり、味方の魔道士たちが動き出す。
この戦いの目的は敵を皆殺しにすることではない。
敵将であるマイオスを潰す事だ。
兵まで殺す必要はない。
まして、つい一月前まで同じ国王の死を悼んでいた者たちだ。
俺たちが戦っているのは他国の侵略軍ではない。
同じシレジアの人間なのだ。
だからこそ――。
「終わらせるぞ」
俺は小さく呟いた。
これ以上、父の野心に付き合わせるわけにはいかない。
◇
地上の戦況は、急速にこちらへ傾いた。
クブリという柱を失った敵魔道士隊は統制を失い、《ブリザード》の連携も崩壊している。
俺たちは無理に敵陣へ突入せず、退路を限定しながら圧力をかけた。
逃げる者は逃がす。
武器を捨てる者も捕らえない。
ただし、トーヴェへ戻ろうとする兵だけは通さない。
城に兵を集めさせれば、最後は籠城戦になる。
そうなれば犠牲になるのは兵だけではない。
城下の民まで巻き込む。
「カルト様! 右翼、敵部隊が撤退を開始!」
「追うな。そのまま道を空けろ」
「しかし!」
「構わない。故郷へ帰りたい者には帰ってもらえ」
兵士が一瞬だけ目を見開き、それから深く頭を下げた。
「……承知しました!」
俺は馬上から戦場を見渡した。
グランベルから送られてきた軍馬は、さすがに質がいい。
留学していた頃に乗馬は習っていたが、本格的に馬を駆るのは久しぶりだ。それでも、この馬は俺の拙い手綱捌きによく応えてくれる。
少し後ろにはマリアンがいる。
天馬に乗る適性はなかった。
その代わり、剣を握らせてみると驚くほど筋が良かった。
満足に食事も与えられなかった時期が長かったせいで身体は軽い。その軽さと柔軟さを活かし、正統な剣術とはまるで違う、軽業のような動きを自然と身につけ始めている。
だが、まだ戦場には出さない。
今の彼女は俺の小姓という立場だ。
「マリアン」
「はい」
「絶対に俺から離れるな」
「……はい」
素直な返事だった。
だが、その手はしっかりと剣の柄を握っている。
まったく。
俺の周りには、言うことを聞いているようで聞かない人間ばかり集まるらしい。
その時だった。
「上空!」
誰かが叫んだ。
反射的に空を見る。
白い雲を切り裂き、天馬の一団が急降下してきた。
ディートバの部隊だ。
「散開!」
俺の声と同時に、味方の魔道士隊が左右へ広がった。
天馬騎士は魔道士にとって天敵に近い。
機動力が違いすぎる。
呪文を完成させるより先に距離を詰められれば終わりだ。
だが――。
「無理に撃ち落とす必要はない!」
杖を掲げる。
「風を乱せ!」
何人かが俺の意図を理解した。
《ウインド》が一斉に放たれる。
狙うのは天馬ではない。
その周囲だ。
いくつもの風が異なる方向からぶつかり、上空の気流が乱れる。
天馬たちが大きく翼を揺らした。
「くっ……!」
先頭のディートバが体勢を立て直す。
やはり上手い。
だが後続はそうはいかない。
隊列が崩れた。
「今だ!」
こちらの天馬騎士団が突入する。
槍と槍が空でぶつかった。
金属音が連続して響く。
俺はその戦いを見上げながら、確信した。
勝てる。
マイオス軍は、もう軍として崩れ始めている。
「カルト様!」
伝令が馬を走らせてきた。
「敵本隊、トーヴェ方面へ撤退! ディートバ隊も離脱を開始しました!」
「追撃は?」
「天馬隊が追おうとしています!」
「止めろ」
「え?」
「深追いするな。トーヴェまで行けばいい」
俺は前方を見る。
遠くに城が見えていた。
俺が生まれた場所。
そして――父の城。
「城は逃げない」
◇
トーヴェへ到着した頃には、戦いの趨勢は完全に決していた。
城門は閉ざされている。
だが、その上に並ぶ兵は少ない。
当然だ。
途中で兵を逃がした。
逃げ道を意図的に残したのだから。
マイオスのために命を捨てたい者だけが、あの城に残っている。
「攻城準備を」
俺が命じると、側にいた魔道士が頷いた。
「城門を破壊しますか?」
「いや」
俺は首を振った。
「少し待て」
馬を進める。
弓の射程に入る直前で止めた。
そして城壁へ向かって声を張り上げる。
「聞け! トーヴェの兵たち!」
城壁の上に緊張が走った。
「俺はカルト! マイオスの息子だ!」
ざわめきが起こる。
「お前たちに告げる! 武器を捨てろ! 城門を開ければ、誰一人罪には問わない!」
「カルト様!」
味方から驚きの声が上がった。
構わず続ける。
「これはシレジア王家への反逆だ! だが、兵に責任を負わせるつもりはない! 俺が求めるのは――」
一度だけ息を吸った。
「マイオスただ一人だ!」
静寂。
風が吹く。
城壁に掲げられた旗が大きく揺れた。
しばらくして。
カラン。
何かが落ちた。
槍だった。
一人の兵が武器を捨てた。
その隣で、また一人。
剣が落ちる。
弓が置かれる。
やがてそれは、城壁全体へ広がっていった。
「貴様ら……!」
城内から怒声が聞こえた。
聞き覚えのある声だった。
そして。
重い音を立てながら――トーヴェ城の門が開いた。
「……行くぞ」
俺は馬を降りた。
「カルト様」
マリアンがついてこようとする。
「ここで待て」
「でも……」
「これは俺の家の問題だ」
マリアンは何かを言いかけた。
だが、最後には小さく頷いた。
「……お気をつけて」
「ああ」
俺は一人、城へ入った。
◇
懐かしい廊下だった。
子供の頃、何度も歩いた。
だが不思議なものだ。
今はまるで、知らない城のように感じる。
兵たちは道を開けた。
誰も俺を止めない。
やがて謁見の間へ辿り着く。
扉を押し開ける。
「来たか」
マイオスはそこにいた。
玉座ではない。
広間の中央に立っていた。
手には魔道書。
腰には剣。
「カルト」
「父上」
久しぶりにそう呼んだ。
マイオスの口元が僅かに歪む。
「まだ私を父と呼ぶか」
「呼び方くらいは構わないでしょう」
「ならば父に従え」
「それは無理です」
即答した。
「まだ間に合う。レヴィンなどに仕える必要はない。お前には私の血が流れている。トーヴェを継ぎ、いずれは――」
「まだ言うのですか」
俺は溜息を吐いた。
「王になりたいのは父上でしょう」
マイオスの顔から笑みが消えた。
「俺を使わないでください」
「……何だと?」
「レヴィンが気に入らない。王位が欲しい。兄上が憎い。だったらそう言えばいい」
一歩、前へ出る。
「全部、自分の欲でしょう」
「黙れ!」
魔力が膨れ上がった。
風が渦を巻く。
この圧力。
《トルネード》。
「お前に何が分かる!」
暴風が放たれた。
俺は杖を構えない。
腰の剣を抜いた。
魔力を刃へ流す。
「分かりませんよ」
風が迫る。
「だから――止めに来たんです!」
剣を振り抜いた。
魔力を纏った斬撃が暴風を切り裂く。
《トルネード》が左右へ割れた。
「なっ――!」
床を蹴る。
一気に距離を詰める。
マイオスが剣を抜いた。
鋼の剣。
振り下ろされる。
受けない。
半歩ずらす。
剣先が肩を掠めた。
俺は身体を回転させ、その勢いのまま剣を叩きつける。
甲高い音。
マイオスの鋼の剣に亀裂が走った。
「馬鹿な……!」
もう一撃。
鋼の剣が折れた。
半分になった刃が床を滑っていく。
俺の剣先は――父の喉元で止まった。
「…………」
マイオスは動かなかった。
俺も動かない。
「殺せ」
父が言った。
「それがお前の望みなのだろう」
一月前。
レヴィンに言った。
父が反旗を翻すなら。
俺が必ず殺す。
他の誰にもやらせない。
そのつもりだった。
覚悟もしていた。
剣をあと少し前へ出せばいい。
それだけで終わる。
「……カルト」
俺は父の顔を見た。
そして。
剣を下ろした。
「……何のつもりだ」
「やめました」
「何?」
「殺すのをやめたと言っているんです」
剣を鞘へ戻す。
「勘違いしないでください。情けをかけたわけじゃない」
俺は父を真っ直ぐ見た。
「一瞬で死なせるなんて、勿体ない」
マイオスの眉が動いた。
「父上には生きてもらいます」
「…………」
「王にもなれず、軍も失い、息子にも敗れた」
一歩、近づく。
「これから先、ずっとそれを背負って生きてください」
「貴様……」
「惨めな人生を送らせてやる」
怒り。
屈辱。
憎悪。
いくつもの感情が父の顔を通り過ぎた。
それでも俺は目を逸らさなかった。
やがて、マイオスの肩から力が抜けた。
「……好きにしろ」
それだけだった。
俺は背を向ける。
「父上」
足を止める。
「何だ」
「俺は――」
言いかけて、やめた。
今さら何を言っても意味はない。
「……いえ」
歩き出す。
その時。
「カルト」
今度は父に呼び止められた。
振り返る。
マイオスは俺を見ていなかった。
床に落ちた折れた剣を見つめている。
「クブリを……殺さなかったのだな」
「ええ」
短く答える。
沈黙。
「そうか」
それだけだった。
だが。
なぜだろう。
その一言だけは、先ほどまで王位を叫んでいた男の声とは違って聞こえた。
「…………」
俺は何も聞かなかった。
父も何も言わない。
そのまま謁見の間を出た。
◇
城外へ戻ると、マリアンが駆け寄ってきた。
「カルト様!」
「終わったよ」
「マイオス様は……?」
「生きている」
マリアンは少し驚いた顔をした。
「殺すつもりだったんじゃ……」
「ああ」
空を見上げる。
あれほど吹き荒れていた雪は、いつの間にか止んでいた。
「気が変わった」
それだけ答えた。
兵たちへ命じる。
「マイオスを拘束しろ。ただし傷つけるな。トーヴェの兵は全員解放する」
「はっ!」
返事が響く。
これで終わった。
そう思った。
少なくとも――この時の俺は。
ふと、平原の向こうを見る。
クブリが消えていった方角。
あの男は最後まで、本気で俺を殺そうとしていたのだろうか。
俺の《ライトニング》を避けた時。
いや。
避けられなかったのではない。
あれは――。
「カルト様?」
マリアンが俺を見る。
「いや。何でもない」
考えすぎだ。
俺はそう思うことにした。
やがて兵の一人が走ってくる。
「カルト様! レヴィン様より伝令です!」
「ザクソンか」
「はい!」
俺は書状を受け取った。
封を切る。
短い文章だった。
だが、それを読み終えた俺は思わず笑った。
「……あいつも終わったか」
マリアンが首を傾げる。
「レヴィン様ですか?」
「ああ」
トーヴェ。
マイオス。
そしてザクソン。
ダッカー。
シレジアを二つに割ろうとしていた火種は、これで消える。
俺は書状を畳んだ。
「帰ろう、マリアン」
「はい」
「シレジアへ」
白い山々の向こう。
王都がある。
レヴィンがいる。
ようやく――俺たちの国を立て直せる。
そう思っていた。
この時はまだ知らなかった。
今日、俺が殺さなかった二人の男。
マイオスと――クブリ。
その二人が。
遥か先の未来で、俺自身の運命に深く関わることになるなど。
この時の俺には、知る由もなかった。