ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜   作:Edward

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021 交錯

クブリが後退した。

 

 正確には、退けた――そう言うべきなのだろう。

 

 だが俺には、どうにも腑に落ちなかった。

 

 あれほどの魔道士が、あれほどあっさりと引くものなのか。

 

 俺の《ライトニング》を受けながら致命傷は避け、こちらの追撃が届かない距離まで下がると、クブリは戦場の向こうから一度だけ俺を見た。

 

 その目にあったものが、敗北への悔しさだったのか。

 

 それとも――別の何かだったのか。

 

「カルト様!」

 

 思考を断ち切るように、魔道士隊の声が飛んだ。

 

 顔を上げる。

 

 トーヴェへ続く平原では、戦況が大きく動き始めていた。

 

 クブリが退いたことで、敵魔道士隊の統率が目に見えて崩れている。

 

 それまで絶え間なく吹き荒れていた《ブリザード》も弱まり、白く覆われていた視界が少しずつ開けていく。

 

「追うな!」

 

 俺は即座に命じた。

 

「クブリを追撃する必要はない! 敵の魔道士隊を分断しろ! 投降する者には手を出すな!」

 

「はっ!」

 

 命令が伝わり、味方の魔道士たちが動き出す。

 

 この戦いの目的は敵を皆殺しにすることではない。

 

 敵将であるマイオスを潰す事だ。

 

 兵まで殺す必要はない。

 

 まして、つい一月前まで同じ国王の死を悼んでいた者たちだ。

 

 俺たちが戦っているのは他国の侵略軍ではない。

 

 同じシレジアの人間なのだ。

 

 だからこそ――。

 

「終わらせるぞ」

 

 俺は小さく呟いた。

 

 これ以上、父の野心に付き合わせるわけにはいかない。

 

          ◇

 

 地上の戦況は、急速にこちらへ傾いた。

 

 クブリという柱を失った敵魔道士隊は統制を失い、《ブリザード》の連携も崩壊している。

 

 俺たちは無理に敵陣へ突入せず、退路を限定しながら圧力をかけた。

 

 逃げる者は逃がす。

 

 武器を捨てる者も捕らえない。

 

 ただし、トーヴェへ戻ろうとする兵だけは通さない。

 

 城に兵を集めさせれば、最後は籠城戦になる。

 

 そうなれば犠牲になるのは兵だけではない。

 

 城下の民まで巻き込む。

 

「カルト様! 右翼、敵部隊が撤退を開始!」

 

「追うな。そのまま道を空けろ」

 

「しかし!」

 

「構わない。故郷へ帰りたい者には帰ってもらえ」

 

 兵士が一瞬だけ目を見開き、それから深く頭を下げた。

 

「……承知しました!」

 

 俺は馬上から戦場を見渡した。

 

 グランベルから送られてきた軍馬は、さすがに質がいい。

 

 留学していた頃に乗馬は習っていたが、本格的に馬を駆るのは久しぶりだ。それでも、この馬は俺の拙い手綱捌きによく応えてくれる。

 

 少し後ろにはマリアンがいる。

 

 天馬に乗る適性はなかった。

 

 その代わり、剣を握らせてみると驚くほど筋が良かった。

 

 満足に食事も与えられなかった時期が長かったせいで身体は軽い。その軽さと柔軟さを活かし、正統な剣術とはまるで違う、軽業のような動きを自然と身につけ始めている。

 

 だが、まだ戦場には出さない。

 

 今の彼女は俺の小姓という立場だ。

 

「マリアン」

 

「はい」

 

「絶対に俺から離れるな」

 

「……はい」

 

 素直な返事だった。

 

 だが、その手はしっかりと剣の柄を握っている。

 

 まったく。

 

 俺の周りには、言うことを聞いているようで聞かない人間ばかり集まるらしい。

 

 その時だった。

 

「上空!」

 

 誰かが叫んだ。

 

 反射的に空を見る。

 

 白い雲を切り裂き、天馬の一団が急降下してきた。

 

 ディートバの部隊だ。

 

「散開!」

 

 俺の声と同時に、味方の魔道士隊が左右へ広がった。

 

 天馬騎士は魔道士にとって天敵に近い。

 

 機動力が違いすぎる。

 

 呪文を完成させるより先に距離を詰められれば終わりだ。

 

 だが――。

 

「無理に撃ち落とす必要はない!」

 

 杖を掲げる。

 

「風を乱せ!」

 

 何人かが俺の意図を理解した。

 

《ウインド》が一斉に放たれる。

 

 狙うのは天馬ではない。

 

 その周囲だ。

 

 いくつもの風が異なる方向からぶつかり、上空の気流が乱れる。

 

 天馬たちが大きく翼を揺らした。

 

「くっ……!」

 

 先頭のディートバが体勢を立て直す。

 

 やはり上手い。

 

 だが後続はそうはいかない。

 

 隊列が崩れた。

 

「今だ!」

 

 こちらの天馬騎士団が突入する。

 

 槍と槍が空でぶつかった。

 

 金属音が連続して響く。

 

 俺はその戦いを見上げながら、確信した。

 

 勝てる。

 

 マイオス軍は、もう軍として崩れ始めている。

 

「カルト様!」

 

 伝令が馬を走らせてきた。

 

「敵本隊、トーヴェ方面へ撤退! ディートバ隊も離脱を開始しました!」

 

「追撃は?」

 

「天馬隊が追おうとしています!」

 

「止めろ」

 

「え?」

 

「深追いするな。トーヴェまで行けばいい」

 

 俺は前方を見る。

 

 遠くに城が見えていた。

 

 俺が生まれた場所。

 

 そして――父の城。

 

「城は逃げない」

 

          ◇

 

 トーヴェへ到着した頃には、戦いの趨勢は完全に決していた。

 

 城門は閉ざされている。

 

 だが、その上に並ぶ兵は少ない。

 

 当然だ。

 

 途中で兵を逃がした。

 

 逃げ道を意図的に残したのだから。

 

 マイオスのために命を捨てたい者だけが、あの城に残っている。

 

「攻城準備を」

 

 俺が命じると、側にいた魔道士が頷いた。

 

「城門を破壊しますか?」

 

「いや」

 

 俺は首を振った。

 

「少し待て」

 

 馬を進める。

 

 弓の射程に入る直前で止めた。

 

 そして城壁へ向かって声を張り上げる。

 

「聞け! トーヴェの兵たち!」

 

 城壁の上に緊張が走った。

 

「俺はカルト! マイオスの息子だ!」

 

 ざわめきが起こる。

 

「お前たちに告げる! 武器を捨てろ! 城門を開ければ、誰一人罪には問わない!」

 

「カルト様!」

 

 味方から驚きの声が上がった。

 

 構わず続ける。

 

「これはシレジア王家への反逆だ! だが、兵に責任を負わせるつもりはない! 俺が求めるのは――」

 

 一度だけ息を吸った。

 

「マイオスただ一人だ!」

 

 静寂。

 

 風が吹く。

 

 城壁に掲げられた旗が大きく揺れた。

 

 しばらくして。

 

 カラン。

 

 何かが落ちた。

 

 槍だった。

 

 一人の兵が武器を捨てた。

 

 その隣で、また一人。

 

 剣が落ちる。

 

 弓が置かれる。

 

 やがてそれは、城壁全体へ広がっていった。

 

「貴様ら……!」

 

 城内から怒声が聞こえた。

 

 聞き覚えのある声だった。

 

 そして。

 

 重い音を立てながら――トーヴェ城の門が開いた。

 

「……行くぞ」

 

 俺は馬を降りた。

 

「カルト様」

 

 マリアンがついてこようとする。

 

「ここで待て」

 

「でも……」

 

「これは俺の家の問題だ」

 

 マリアンは何かを言いかけた。

 

 だが、最後には小さく頷いた。

 

「……お気をつけて」

 

「ああ」

 

 俺は一人、城へ入った。

 

          ◇

 

 懐かしい廊下だった。

 

 子供の頃、何度も歩いた。

 

 だが不思議なものだ。

 

 今はまるで、知らない城のように感じる。

 

 兵たちは道を開けた。

 

 誰も俺を止めない。

 

 やがて謁見の間へ辿り着く。

 

 扉を押し開ける。

 

「来たか」

 

 マイオスはそこにいた。

 

 玉座ではない。

 

 広間の中央に立っていた。

 

 手には魔道書。

 

 腰には剣。

 

「カルト」

 

「父上」

 

 久しぶりにそう呼んだ。

 

 マイオスの口元が僅かに歪む。

 

「まだ私を父と呼ぶか」

 

「呼び方くらいは構わないでしょう」

 

「ならば父に従え」

 

「それは無理です」

 

 即答した。

 

「まだ間に合う。レヴィンなどに仕える必要はない。お前には私の血が流れている。トーヴェを継ぎ、いずれは――」

 

「まだ言うのですか」

 

 俺は溜息を吐いた。

 

「王になりたいのは父上でしょう」

 

 マイオスの顔から笑みが消えた。

 

「俺を使わないでください」

 

「……何だと?」

 

「レヴィンが気に入らない。王位が欲しい。兄上が憎い。だったらそう言えばいい」

 

 一歩、前へ出る。

 

「全部、自分の欲でしょう」

 

「黙れ!」

 

 魔力が膨れ上がった。

 

 風が渦を巻く。

 

 この圧力。

 

《トルネード》。

 

「お前に何が分かる!」

 

 暴風が放たれた。

 

 俺は杖を構えない。

 

 腰の剣を抜いた。

 

 魔力を刃へ流す。

 

「分かりませんよ」

 

 風が迫る。

 

「だから――止めに来たんです!」

 

 剣を振り抜いた。

 

 魔力を纏った斬撃が暴風を切り裂く。

 

《トルネード》が左右へ割れた。

 

「なっ――!」

 

 床を蹴る。

 

 一気に距離を詰める。

 

 マイオスが剣を抜いた。

 

 鋼の剣。

 

 振り下ろされる。

 

 受けない。

 

 半歩ずらす。

 

 剣先が肩を掠めた。

 

 俺は身体を回転させ、その勢いのまま剣を叩きつける。

 

 甲高い音。

 

 マイオスの鋼の剣に亀裂が走った。

 

「馬鹿な……!」

 

 もう一撃。

 

 鋼の剣が折れた。

 

 半分になった刃が床を滑っていく。

 

 俺の剣先は――父の喉元で止まった。

 

「…………」

 

 マイオスは動かなかった。

 

 俺も動かない。

 

「殺せ」

 

 父が言った。

 

「それがお前の望みなのだろう」

 

 一月前。

 

 レヴィンに言った。

 

 父が反旗を翻すなら。

 

 俺が必ず殺す。

 

 他の誰にもやらせない。

 

 そのつもりだった。

 

 覚悟もしていた。

 

 剣をあと少し前へ出せばいい。

 

 それだけで終わる。

 

「……カルト」

 

 俺は父の顔を見た。

 

 そして。

 

 剣を下ろした。

 

「……何のつもりだ」

 

「やめました」

 

「何?」

 

「殺すのをやめたと言っているんです」

 

 剣を鞘へ戻す。

 

「勘違いしないでください。情けをかけたわけじゃない」

 

 俺は父を真っ直ぐ見た。

 

「一瞬で死なせるなんて、勿体ない」

 

 マイオスの眉が動いた。

 

「父上には生きてもらいます」

 

「…………」

 

「王にもなれず、軍も失い、息子にも敗れた」

 

 一歩、近づく。

 

「これから先、ずっとそれを背負って生きてください」

 

「貴様……」

 

「惨めな人生を送らせてやる」

 

 怒り。

 

 屈辱。

 

 憎悪。

 

 いくつもの感情が父の顔を通り過ぎた。

 

 それでも俺は目を逸らさなかった。

 

 やがて、マイオスの肩から力が抜けた。

 

「……好きにしろ」

 

 それだけだった。

 

 俺は背を向ける。

 

「父上」

 

 足を止める。

 

「何だ」

 

「俺は――」

 

 言いかけて、やめた。

 

 今さら何を言っても意味はない。

 

「……いえ」

 

 歩き出す。

 

 その時。

 

「カルト」

 

 今度は父に呼び止められた。

 

 振り返る。

 

 マイオスは俺を見ていなかった。

 

 床に落ちた折れた剣を見つめている。

 

「クブリを……殺さなかったのだな」

 

「ええ」

 

 短く答える。

 

 沈黙。

 

「そうか」

 

 それだけだった。

 

 だが。

 

 なぜだろう。

 

 その一言だけは、先ほどまで王位を叫んでいた男の声とは違って聞こえた。

 

「…………」

 

 俺は何も聞かなかった。

 

 父も何も言わない。

 

 そのまま謁見の間を出た。

 

          ◇

 

 城外へ戻ると、マリアンが駆け寄ってきた。

 

「カルト様!」

 

「終わったよ」

 

「マイオス様は……?」

 

「生きている」

 

 マリアンは少し驚いた顔をした。

 

「殺すつもりだったんじゃ……」

 

「ああ」

 

 空を見上げる。

 

 あれほど吹き荒れていた雪は、いつの間にか止んでいた。

 

「気が変わった」

 

 それだけ答えた。

 

 兵たちへ命じる。

 

「マイオスを拘束しろ。ただし傷つけるな。トーヴェの兵は全員解放する」

 

「はっ!」

 

 返事が響く。

 

 これで終わった。

 

 そう思った。

 

 少なくとも――この時の俺は。

 

 ふと、平原の向こうを見る。

 

 クブリが消えていった方角。

 

 あの男は最後まで、本気で俺を殺そうとしていたのだろうか。

 

 俺の《ライトニング》を避けた時。

 

 いや。

 

 避けられなかったのではない。

 

 あれは――。

 

「カルト様?」

 

 マリアンが俺を見る。

 

「いや。何でもない」

 

 考えすぎだ。

 

 俺はそう思うことにした。

 

 やがて兵の一人が走ってくる。

 

「カルト様! レヴィン様より伝令です!」

 

「ザクソンか」

 

「はい!」

 

 俺は書状を受け取った。

 

 封を切る。

 

 短い文章だった。

 

 だが、それを読み終えた俺は思わず笑った。

 

「……あいつも終わったか」

 

 マリアンが首を傾げる。

 

「レヴィン様ですか?」

 

「ああ」

 

 トーヴェ。

 

 マイオス。

 

 そしてザクソン。

 

 ダッカー。

 

 シレジアを二つに割ろうとしていた火種は、これで消える。

 

 俺は書状を畳んだ。

 

「帰ろう、マリアン」

 

「はい」

 

「シレジアへ」

 

 白い山々の向こう。

 

 王都がある。

 

 レヴィンがいる。

 

 ようやく――俺たちの国を立て直せる。

 

 そう思っていた。

 

 この時はまだ知らなかった。

 

 今日、俺が殺さなかった二人の男。

 

 マイオスと――クブリ。

 

 その二人が。

 

 遥か先の未来で、俺自身の運命に深く関わることになるなど。

 

 この時の俺には、知る由もなかった。

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