ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜 作:Edward
一方、ザクソンでも戦いは終局を迎えようとしていた。
空を覆っていた天馬騎士団は、シレジアに忠誠を誓う者と、ダッカーに従う者に分かれていた。双方を率いるのは、奇しくも同じ天馬騎士だった。
「フュリー……!」
槍を受け止めたパメラの顔から、余裕が消える。
かつてのフュリーなら、パメラにとって恐れるほどの相手ではなかった。若く実直で、技量は高いが経験が足りない。それがパメラの評価だった。
だが、今のフュリーは違う。
「はああっ!」
「くっ……!」
振り抜かれた槍を受け流し、パメラは天馬を急旋回させた。フュリーは追ってくる。天馬の速度も高度も風向きも、すべてを攻撃へと繋げていた。
(なんなのよ……この子……!)
シレジアを離れ、カルトと各地を巡った経験。イザークでの戦い。ダーナでの死闘。そして幾度も死線を越えた経験が、少女を一人の戦士へと変えていた。
「ずいぶん腕を上げたじゃない、フュリー!」
「あなたを倒して、シレジアへ帰ります!」
「言うようになったわね!」
二騎が再び激突する。
だが、その頃――地上ではすでに勝敗が決しつつあった。
ダッカー軍を率いるドノバン将軍に対し、マーニャ率いるシレジア軍とレヴィンが攻め立てる。
「右だ、マーニャ!」
「承知しました!」
レヴィンの指示に応じ、マーニャ隊が動く。直後、風の刃が敵陣を切り裂いた。
空と地上を同時に見渡し、レヴィンは戦場の綻びを次々と突いていく。神器《フォルセティ》に頼らずとも、仲間と力を合わせれば十分に戦える。むしろ、冷静に戦況を読み、仲間を生かすときこそ、レヴィンの強さは際立っていた。
「ドノバン様! 右翼が崩れます!」
「天馬騎士隊からも援軍が来ません!」
「くそっ……!」
勝敗は決した。ドノバンは兵たちに命令だけを残し、一人で戦場を離れた。
向かった先は、ザクソン近郊の古い廃坑だった。
「くそ……こんなところで死んでたまるか……!」
坑道の奥で、ドノバンは黒衣の者たちと出会う。壁には古い紋様が刻まれ、足元には黒い粉が散っていた。
「我らは――救いを与える者」
その声に応じ、紋様が淡い赤色に浮かび上がる。
「お前には、まだ役目がある」
坑道の奥から、低い鼓動が響いた。
ここはただの廃坑ではない。何かを封じていた場所なのだ。
「来い、ドノバン。新たな時代は、この闇から始まる」
ドノバンはまだ知らない。逃げ込んだ場所が、戦場よりも遥かに危険であることを。そして自分が、これから訪れる災厄の最初の扉になろうとしていることを。
一方、空の戦いにも決着が迫っていた。
「地上軍が壊滅しました! ドノバン将軍も行方不明です!」
「……そう」
パメラは眼下を見下ろした。ダッカー軍の旗が次々と倒れている。
「撤退するわよ」
パメラたちは北の空へ消えていった。
「追わないのですか!」
フュリーが問うと、マーニャは首を横に振った。
「深追いは禁物です。今はザクソンの制圧が先です」
やがて、主力を失ったザクソン城も陥落した。
玉座の間で包囲されたダッカーは、必死に命乞いをする。
「私はお前の叔父だぞ! ザクソンも返そう! 二度と王位など望まん!」
「親父が死んで一月も経たないうちに兵を挙げた奴が、よく言うぜ」
レヴィンは静かに言った。
「俺が国を出た責任はある。王子の責任から逃げたことも認める。だからこそ、もう逃げねえ」
「レヴィン……!」
「終わりだ、ダッカー」
レヴィンが背を向けた瞬間、ダッカーが短剣を抜いて襲いかかった。
白銀の閃光が奔る。
ダッカーの身体が止まり、短剣が床に落ちた。遅れて、その首が落ちる。
背後には、剣を振り抜いたマーニャが立っていた。
「ふっ。あんた相手に油断なんてするかよ……」
レヴィンは小さく笑い、マーニャを見る。
「よくやってくれた」
「レヴィン様の考えていることなんて、手に取るように分かりますわ」
「……怖いこと言うなよ」
「今さらです」
こうして、長くシレジアを二分してきた内乱は終わった。
数日後、シレジアの王都には大勢の民が集まっていた。
壇上に立ったレヴィンは、歓声にすぐ応えようとはしなかった。戦いで家族を失った者も、家を焼かれた者もいる。これは勝利ではない。同じ国に生きる者同士が争った末の、苦い結末だった。
「シレジアの内乱は終わった」
レヴィンの声が響く。
「今日から、もう敵味方はねえ。マイオスに従った者も、ダッカーに従った者も、俺たちと戦った兵士も――生き残った奴は全員シレジア人だ」
レヴィンは一度、目を閉じた。
「俺は一度、匙を投げた。王になるのが嫌だった。責任なんて背負いたくなかった。けど、そのせいで傷ついた奴がいる。死んだ奴もいる」
風が吹き、シレジアの旗が翻る。
「だから、もう逃げない。俺は、この国を背負う」
その日、レヴィンはシレジア王として即位した。
そして――。
「カルト」
「はい」
玉座の前で、俺は膝をついていた。
昔から一緒に馬鹿をやってきた男が、今は王冠を戴いて目の前にいる。妙な気分だった。
「此度の内乱における功績、そしてこれまでシレジアに尽くしてきた働きに報いる」
レヴィンは王としての言葉を続ける。だが、一瞬だけその目に、いつもの友人の光が戻った。
「カルト――お前にセイレーン公爵位を授ける」
広間がざわめく。
「謹んで、お受けいたします」
父マイオスが支配していた土地を、今度はレヴィンから正式に託される。奇妙な巡り合わせだった。
だが、悪くない。
俺は王になるつもりなどない。ただ、この男がシレジアを背負うというのなら、その隣で支えることはできる。
「頼むぜ、公爵」
レヴィンが小さく笑う。
「ああ。任せろ、陛下」
俺たちは笑った。
長かった内乱は終わった。シレジアに、ようやく春が訪れようとしていた。
――だが。
ザクソンの廃坑では、黒衣の者たちが古びた祭壇を囲んでいた。
その中央には黒い亀裂が走り、向こうからかすかな鼓動が響いている。
「……王が生まれたか」
「はい。地上は、再び一つになりました」
「ならば、次は――奪う番だ」
亀裂の奥で何かが身じろぎした。
遠く離れた王都では、春の風が旗を揺らしている。
誰も知らない。
内乱の終わりが、平和の始まりではなく、より大きな災厄の幕開けにすぎないことを。
廃坑の底で、何かが静かに目を開いた。
そして――シレジアの新たな歴史は、光の下だけではなく、深い闇の中でも動き始めていた。
セイレーン公爵。
その爵位を与えられてから、まだ日も浅い。
かつてセイレーンは、父マイオスがかつて治めていた土地だった。
だが、それは遠い昔の話だ。
先王がシレジア王として即位した際、父はそれに異を唱えた。
王都に近いセイレーンを拠点としたままでは、王家にとってあまりにも危険な存在となる。その後、父はセイレーンを離れ、遠くトーヴェに新たな領地を築いた。
そして今。
巡り巡って、そのセイレーンを俺が治めることになった。
因果なものだと思う。
父の旧領を息子が受け継ぐ。
だが、父から譲られたわけではない。
父は今も生きている。
トーヴェ城の一室に幽閉され、厳しい監視下で日々を過ごしている。
王位への野心を捨てられず、国を二つに割った男。
俺の父、マイオス。
その父がかつて捨てた土地から、俺は新しいシレジアを作ろうとしている。
皮肉なものだ。
いや。
だからこそ、意味があるのかもしれない。
◇
「二月も掛からなかったか」
伝心から聞こえてきたアズムール王の声には、僅かな驚きが含まれていた。
「はい。ダッカー、マイオス両軍の武装解除は完了しました。残党についても順次投降しています」
『マイオスは?』
「トーヴェ城です。監視をつけています」
『処刑はしなかったのだな』
「……はい」
俺は少しだけ間を置いた。
「レヴィンとも相談しました。父には、生きて自分が何をしたのか見届けてもらいます」
アズムール王は何も言わなかった。
賛成とも反対とも言わない。
ただ静かに、
『そうか』
とだけ答えた。
それでいい。
俺自身、あれが正しい判断だったのか分からない。
父だから助けたのか。
それとも、処刑するほど憎み切れなかったのか。
あるいは本当に、死よりも生きて罪を見届ける方が重いと考えたのか。
今でも答えは出ていない。
ただ――。
父を殺さなかった。
それだけが事実だった。
『それで、これからどうする』
「その件で陛下に御相談があります」
俺は机の上に広げた地図へ視線を落とした。
シレジア。
その南にはアグストリア。
そして東にはグランベル。
これまでシレジアは、アグストリアとの交易によって不足する食料を補ってきた。
寒冷なシレジアは鉱物資源には恵まれている。
反面、耕作に適した土地が少ない。
国を安定させるには、国外からの食料輸入が不可欠だった。
「以前から始めていた、フリージ北部を経由する海上交易を正式なものにしたいと思います」
『ほう』
「グランベルから穀物を中心とした食料を輸入する。代わりにシレジアから鉄鉱石をはじめとする鉱物資源を輸出します」
『双方に利益がある』
「はい。ただし問題があります」
『オーガヒルだな』
さすがに話が早い。
「海賊の活動は以前ほどではありません。しかし完全に消滅したわけではありません。商船が増えれば、再び狙われる可能性があります」
『グランベル側だけで守れと?』
「まさか」
俺は笑った。
「シレジアからも船を出します」
一方だけが守る交易など長続きしない。
利益を得るなら、責任も分ける。
「航路の警護を共同で行います。海賊が出れば双方で対処する。グランベルの商船だけでなく、アグストリア方面から来る船も可能な範囲で保護します」
『なるほどな』
「それから――将来的には軍事面でも協力関係を築ければと考えています」
そこでアズムール王が黙った。
『カルト』
「はい」
『焦るな』
予想していた答えだった。
『交易と軍事では意味が違う。食料と鉱石が国境を越えるだけならば商人の話で済む。しかし兵士が国境を越えれば、貴族どもは黙っておらん』
「……レプトール卿とランゴバルド卿ですか」
『名指しはせん』
「今、しましたも同然ですよ」
『生意気な奴だ』
伝心の向こうで老人が笑った。
『まずは交易だ。国と国を道で繋げ。人が動き、物が動き、互いに利益を得る。それが定着してから次を考えればよい』
「分かりました」
『書状を作れ』
「はい」
『こちらでも作る。条件を一つずつ擦り合わせよう』
こうして、グランベルとシレジアの交渉が始まった。
輸出する鉱物。
輸入する穀物。
関税。
港湾の使用。
商人の保護。
航路の安全。
海賊行為に対する共同対処。
そして将来的な軍事協力に向けた協議。
言葉だけの約束にはしない。
アズムール王と俺たちは伝心を使って幾度も条件を確認し、それぞれ正式な書状を作成した。
戦争は二月も掛からず終わった。
だが、国を立て直すのはこれからだ。
剣で勝っただけでは国は豊かにならない。
俺がセイレーン公爵として最初に行った大仕事は、軍を動かすことではなかった。
道を作ることだった。
◇
一月後。
俺とレヴィンは、その道を自ら通っていた。
「いい風だな」
船首近くに立ったレヴィンが潮風を浴びる。
「寒いぞ」
「シレジア人が何言ってるんだ」
「海の寒さと山の寒さは違う」
「そういうもんか?」
「知らん」
「知らないのかよ」
くだらない話をしながら海を眺める。
だが俺は、少し感慨深いものを感じていた。
俺たちが乗る船は、シレジアからフリージ北部へ向かっている。
海上には商船の姿もあった。
食料を積んで北へ。
鉱石を積んで南へ。
まだ小さな流れだ。
だが、確かに人と物が動き始めている。
「なあ、カルト」
「なんだ?」
「お前、シレジアを飛び出した時、ここまで考えてたか?」
「まさか」
即答した。
「最初はお前が王になるまで、マイオスとダッカーをどうにかできればいいと思ってた」
「それが今じゃ公爵様か」
「笑うな」
「笑ってないさ」
レヴィンが海を見る。
「ありがとな」
「急になんだ」
「別に」
それ以上、レヴィンは何も言わなかった。
俺も聞かなかった。
◇
フリージから陸路を経て、俺たちはバーハラへ入った。
以前にも何度か訪れた王都。
しかし今回は意味が違う。
レヴィンはシレジア王家を代表して。
俺はセイレーン公爵として。
正式な外交使節としてグランベル王宮へ入った。
調印式にはアズムール王、クルト王子をはじめ、グランベルの主だった諸侯が列席していた。
両国の書状が読み上げられる。
グランベルからシレジアへの食料輸出。
シレジアからグランベルへの鉱物資源輸出。
航路の保全。
海賊への共同対処。
そして今後、両国間の協力を段階的に深めていくこと。
レヴィンが署名する。
アズムール王が署名する。
俺もセイレーン公爵として書状へ名を記した。
拍手が起こった。
その時だった。
視線を感じた。
俺は顔を上げる。
フリージ公爵レプトール。
ドズル公爵ランゴバルド。
二人とも拍手を送っている。
笑みすら浮かべていた。
だが――。
目だけが笑っていない。
隣のレヴィンを見る。
あいつも気づいていた。
ほんの僅かに視線を合わせる。
それだけで十分だった。
知っている。
俺たちは、この目を知っている。
つい先日までシレジアにいた。
自分の持つ権力を脅かす存在を値踏みする目。
ダッカー。
マイオス。
あの二人も同じような目で俺たちを見ていた。
俺は何事もなかったようにレプトールへ一礼した。
向こうも微笑んで返す。
ランゴバルドも同じだった。
敵意などない。
少なくとも、表向きは。
だから俺も笑った。
今は、それでいい。
◇
調印式は滞りなく終わった。
グランベルとシレジア。
二国の間に、新たな道が正式に結ばれた。
それ自体は喜ばしいことだった。
だが――。
俺には一つ、気になることがあった。
式典の最中から何となく感じていた違和感。
最初は何なのか分からなかった。
やがて、その正体に気づく。
いないのだ。
クルト王子が。
そして、バイロン卿が。
当然だった。
以前、シレジアへ帰国する直前にアルヴィスから聞いている。
二人は現在、イザーク遠征に加わっている。
分かっていたことなのに、こうしてバーハラへ戻ってくると、その不在が妙に大きく感じられた。
以前、この地を訪れた時とは違う。
王宮の空気そのものが、どこか変わっている。
代わりに強く存在感を放っている者たちがいた。
フリージ公爵レプトール。
ドズル公爵ランゴバルド。
調印式の最中、何度か視線が合った。
二人とも礼儀正しく笑っていた。
祝福の言葉も受けた。
だが、その目だけは違った。
俺は知っている。
あの目を。
つい最近まで、嫌というほど見てきた。
自分たちの権力を脅かす者。
自分の思い通りにならない者。
そんな相手を値踏みする目。
ダッカー。
そして父、マイオス。
あの二人も、同じ目をしていた。
「気づいたか?」
隣を歩くレヴィンが小声で言った。
「ああ」
「俺の気のせいじゃなかったんだな」
「残念ながら」
振り返りはしない。
ここはグランベルだ。
シレジアではない。
他国の宮廷で余計な敵を作るほど、俺たちも馬鹿ではない。
「今は放っておけ」
「お前がそれを言うようになったか」
「内乱で学習したんだよ」
「高い授業料だったな」
「……ああ」
それ以上は言わなかった。
今は交易を成立させることが最優先だ。
誰が何を考えているかなど、後から調べればいい。
ただ――。
覚えておこう。
そう思った。