ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜 作:Edward
調印式を終えた後、俺とレヴィンはアズムール王との簡単な会談に臨んだ。
「まずは礼を言わせてください」
俺が頭を下げる。
「今回の盟約を受け入れていただき、ありがとうございます」
「礼を言う必要はない」
アズムール王は笑った。
「グランベルにも利がある。シレジアの鉱物資源は魅力的だからな」
「食料を安定して輸入できることは、我が国にとって大きい」
レヴィンが続ける。
「アグストリアとの交易も続けます。しかし、国の食を一つの交易路だけに頼るのは危険です」
「王らしいことを言うようになったではないか」
「まだ王じゃありませんよ」
「いずれなる」
「……それを言われると逃げたくなります」
アズムール王が笑った。
俺もつられて笑う。
だが、ふと先ほど感じた違和感を思い出した。
「陛下」
「何だ?」
「イザークの戦況は、どうなっていますか」
アズムール王の表情から笑みが消えた。
「気になるか」
「クルト王子とバイロン卿が向かわれたと、以前アルヴィスから聞いています」
「そうであったな」
老人は小さく息を吐いた。
「まだ終わってはおらん」
短い答えだった。
それだけで十分だった。
詳しい戦況まで俺が聞くべきではない。
これはグランベルの戦争だ。
だが、王の顔を見れば分かる。
容易な戦ではない。
「だからこそ」
アズムール王が続けた。
「先ほどお前が話していた軍事協力については、急ぐな」
「……はい」
「今のグランベルは既に戦をしている。ここでシレジアとの軍事的な結びつきまで強めれば、それを快く思わぬ者も出る」
誰とは言わない。
言われなくても分かる。
「まずは商人を行き来させろ。食料と鉱石を運べ。互いの国に利益があることを示せ」
「その先に軍事協力を?」
「必要ならばな」
俺は頷いた。
戦争を終えたばかりのシレジア。
今も戦争を続けているグランベル。
今必要なのは兵士を行き来させることではない。
人と物を行き来させることだ。
「承知しました」
「うむ」
アズムール王が満足そうに頷いた。
そこで会談は終わる――はずだった。
「レヴィン殿」
「はい?」
「すまぬが、少しだけカルトを借りてもよいか」
レヴィンが俺を見る。
「俺に聞くなよ」
「いや、お前の連れであろう」
「連れって……」
レヴィンが苦笑する。
「分かりました。先に戻っています」
「ああ」
扉へ向かいかけたレヴィンが、俺の横で足を止めた。
「何かやらかすなよ」
「俺を何だと思ってる」
「カルト」
「否定できないのが腹立つな」
レヴィンは笑いながら部屋を出ていった。
扉が閉じる。
広い部屋に残ったのは、俺とアズムール王だけ。
「それで、何でしょう」
「会わせたい者がおる」
「俺に?」
「ああ」
アズムール王が扉へ向かって声を掛けた。
「入れ」
扉が開く。
一人の男が入ってきた。
その顔を見た瞬間、俺は眉をひそめた。
「……クブリ?」
「久しぶり」
フードこそ被っていない。
だが、間違えるはずがない。
マイオス軍にいた魔道士。
不可解な行動を取りながら、こちらへ情報を流していた男。
「何でお前がバーハラにいる?」
「その説明をするために呼ばれた」
「説明?」
俺はアズムール王を見る。
老人は妙に難しい顔をしていた。
「まず一つ、訂正しておこう」
「何をです?」
「その男の名はクブリではない」
「……は?」
「本名はムーサーという」
男が軽く頭を下げた。
「改めて。ムーサーだ」
「…………」
嫌な予感がする。
「陛下」
「何だ」
「俺、帰っていいですか?」
「駄目だ」
「ですよね」
「座れ」
仕方なく椅子に腰を下ろす。
ムーサーも向かいに座った。
「どこから話したものか……」
アズムール王が珍しく言葉を選んでいる。
やがて、静かに口を開いた。
「ムーサーの母は、元々フリージの貴族の娘だった」
聡明で、美しい女性だったという。
その美貌をレプトールに見初められ、やがて妾としてフリージ家に入った。
だが――。
それが彼女の人生を狂わせた。
正室から疎まれた。
最初は些細な嫌がらせだったものが、次第に彼女の実家にまで及ぶようになった。
そしてついには家そのものが取り潰される。
後ろ盾を失った彼女もまた、フリージ家を追われた。
「……レプトール卿の?」
「昔の話だ」
アズムール王はそれ以上を語らなかった。
俺も追及しなかった。
つい先ほど調印式で見た男の顔が脳裏に浮かぶ。
だが、今は先を聞くべきだ。
フリージを追われた彼女が辿り着いたのは――シレジアだった。
そこで。
「マイオスと出会った」
俺の表情が固まった。
「待ってください」
嫌な予感が、急速に形を持ち始める。
アズムール王は構わず続けた。
美しく聡明な彼女を、マイオスは見初めた。
やがて二人の間に、一人の子供が生まれた。
それが――。
俺は正面を見る。
ムーサーは黙って俺を見返している。
「……お前か」
「そう」
短い返事だった。
「つまり……」
口に出したくない。
だが、出さなければ話が進まない。
「俺の……弟?」
「そうなるな」
「…………」
頭が痛くなってきた。
しかし話は、そこで終わらなかった。
幼いムーサーの身体には、聖痕が現れた。
シレジア王家へ連なる、聖戦士の血を示す証。
父マイオス自身には現れなかったもの。
息子が、自分にはない証を持って生まれた。
父が抱いた感情は、喜びではなかった。
嫉妬だった。
自分の息子が、自分にはないものを持っている。
その事実を受け入れられなかった。
やがて母子はシレジアからも追われた。
「……馬鹿な男だ」
無意識に言葉が漏れた。
だが――。
俺には分かってしまった。
父が何を感じたのか。
何故なら俺自身、同じ感情を何度となく向けられてきたからだ。
自分より王家から信頼される息子。
自分より周囲から評価される息子。
自分が欲したものを持つ息子。
父は俺にも同じ目を向けていた。
ムーサーの母は、幼い息子を抱いて各地を転々とした。
フリージには戻れない。
シレジアにも戻れない。
頼るべき実家も、もう存在しない。
そして最後に辿り着いたのが――バーハラだった。
「孤児院か」
「そうだ」
アズムール王が頷く。
彼女は悟っていた。
もう自分一人では、子供を育てられない。
せめてこの子だけでも生かしたい。
そう考え、バーハラの孤児院へムーサーを預けようとした。
だが。
幼い息子を託し、その場を去ろうとした時。
彼女は倒れた。
「偶然だった」
アズムール王が静かに言った。
「その日、余は孤児院を視察していた」
倒れた女性を放置することなどできない。
王は侍女たちに命じ、母子を保護した。
温かな食事。
清潔な衣服。
柔らかな寝床。
医師も呼ばれた。
だが――遅かった。
長年の逃亡生活。
栄養不足。
そして何より、積み重なった心労。
彼女の身体は既に限界を迎えていた。
一度寝台へ横たわった彼女が、自分の足で再び立ち上がることはなかった。
「母親のことは?」
俺はムーサーを見る。
「ほとんど覚えてない」
静かな声だった。
「俺が小さかったから」
「……そうか」
「でも、最後まで俺のことを心配していたって、後から陛下に聞いた」
やがて彼女は息を引き取った。
残されたのは幼い子供一人。
アズムール王は悩んだという。
孤児院へ預けるか。
信頼できる家へ養子として出すか。
その時だった。
幼いムーサーの身体に、聖痕があることに気づいた。
「余も驚いた」
アズムール王が言う。
「ただの孤児ではない。それだけは分かった」
母親の素性を改めて調べさせた。
そして、散らばっていたものが一つに繋がった。
フリージ。
レプトール。
シレジア。
マイオス。
二つの国に翻弄された一人の女性。
そして、その女性が残した子供。
「素性も分からぬ聖痕持ちの幼子を、そのまま孤児院へ戻すわけにもいかなかった」
「それで保護した?」
「そうだ」
俺はムーサーを見る。
「じゃあ、お前……」
「バーハラで育った」
ようやく理解できた。
こいつの妙な立ち位置。
シレジア人らしくない。
かといってグランベルの貴族らしくもない。
そして、何故アズムール王と直接繋がっていたのか。
「でも、何でシレジアへ?」
「兄さんのせい」
「……誰が兄さんだ」
「お前」
「やめろ」
「話が進まないだろ!」
アズムール王が吹き出した。
「陛下!」
「すまん。続けろ」
ムーサーは俺を睨んでから話を続けた。
「カルトが始めた交易だよ」
フリージ北部とシレジアを結ぶ交易。
その仕事に関わる形で、ムーサーは自分の生まれた国へ戻った。
そこで異変に気づいた。
マイオス。
ダッカー。
両者の軍備拡張。
王の病状が悪化する一方で、不自然なほど集められていく兵と物資。
ムーサーはその情報をバーハラへ送った。
報告を受けたアズムール王は、さらに内情を探るよう命じた。
そこで生まれたのが――。
「クブリか」
「そういうこと」
偽名を使う。
フードで顔を隠す。
素性を伏せたままマイオスのもとへ士官した。
「でも」
一つ疑問が残る。
「父は気づかなかったのか?」
ムーサーが苦笑した。
「気づいた」
「……何?」
「途中でバレた」
「それで生きてたのか?」
「俺も殺されると思ったよ」
だが、マイオスはムーサーを殺さなかった。
正体を暴くこともしなかった。
むしろ逆だった。
魔道士部隊へ正式に組み込んだ。
「たぶん、あの人は俺を兄さんと競わせたかったんだと思う」
ムーサーが言った。
俺は黙って続きを待つ。
「自分から離れていったカルトと、自分のところへ戻ってきたムーサー。どちらが優れているか――そんなことを考えていたんじゃないかな」
「……」
「俺を自分の手で育てれば、兄さんより優秀になると思ったのかもしれない」
あり得る。
嫌になるほど、父らしい。
「でもさ」
ムーサーが小さく笑った。
「あの人、何も分かってなかった」
「何を?」
「俺も兄さんと同じだったのに」
その言葉が、胸の奥に落ちた。
母親が違う。
育った国も違う。
俺はシレジアで育った。
ムーサーはバーハラで育った。
俺には公子という立場があった。
ムーサーには、それすらなかった。
それでも。
父から向けられたものは同じだった。
自分にはないものを持つ息子への嫉妬。
父は二人の息子を競わせようとした。
だが――。
俺たちは最初から、父と競いたかったわけではない。
「……ムーサー」
「何?」
「一度、トーヴェへ行くか?」
ムーサーが目を見開いた。
「父は生きてる」
「知ってる」
「会いたくないなら、それでもいい」
しばらく沈黙が続いた。
「……今はいい」
やがてムーサーが答えた。
「分かった」
それ以上は聞かなかった。
会うかどうかは、こいつ自身が決めればいい。
アズムール王が俺たちを見比べる。
「そこでだ、カルト」
「はい」
「こやつをシレジアへ連れて帰ってくれんか」
「俺が?」
「お前の下で使ってやってほしい」
俺はムーサーを見る。
「お前は?」
「行きたい」
即答だった。
「母さんが最後まで帰れなかった国だから」
そして、少しだけ笑った。
「それに――兄さんが何を作るのか見てみたい」
「その兄さんっていうの、やめないか?」
「じゃあ兄上」
「もっとやめろ」
「カルト様」
「……」
「何だよ」
「それが一番マシだな」
「急に他人行儀すぎない?」
「むしろ丁度いい」
俺は少し考える。
ムーサーの存在を、今すぐ公にする必要はない。
マイオスの庶子。
それだけでも面倒だ。
しかも聖痕まで持っている。
内乱が終わったばかりのシレジアで、余計な憶測を呼ぶべきではない。
「お前はシレジアでもクブリを名乗れ」
「まだ?」
「ああ。俺の配下の魔道士。それでいい」
「じゃあ、人前では?」
「カルト様」
「二人の時は?」
「好きにしろ」
ムーサーがにやりと笑った。
「分かったよ、兄さん」
「……早速か」
「二人しかいないだろ」
「余がおるぞ」
アズムール王が口を挟んだ。
「…………」
「…………」
俺とムーサーが揃って王を見る。
「陛下」
「何だ」
「今のは忘れてください」
「断る」
アズムール王が声を上げて笑った。
◇
数日後。
俺たちはシレジアへ向かう船の上にいた。
行きより一人増えている。
表向き、その男の名はクブリ。
セイレーン公爵カルトに仕える魔道士。
それ以上でも、それ以下でもない。
少なくとも――今は。
事情を聞いたレヴィンは最初こそ絶句した。
そして。
「お前、弟いたのかよ!」
腹を抱えて笑った。
「俺に聞くな!」
「いやあ、人生って分からないな!」
「楽しそうだな、お前」
「他人事だからな」
「王になったら覚えてろ」
「公爵が王を脅すな!」
「カルト様」
ムーサー――いや、クブリが恭しく頭を下げた。
「レヴィン殿下を脅迫なさるのは、いかがなものかと」
「……お前、楽しんでるだろ」
「何のことでしょう、カルト様」
妙に芝居がかった口調が腹立たしい。
レヴィンがまた笑い出した。
「いいじゃないか。似合ってるぞ、公爵様」
「お前までやめろ」
北の海に、三人の笑い声が響いた。
やがて水平線の向こうに白い大地が見えてくる。
シレジア。
俺たちの国。
内乱は終わった。
ダッカーは敗れた。
父マイオスはトーヴェで生きている。
そして父がかつて追い出したもう一人の息子が、今、その国へ帰ろうとしている。
いつか。
ムーサーが父と会う日が来るのだろうか。
分からない。
それを決めるのは俺ではない。
「カルト様」
「なんだ、クブリ」
俺たちは互いに決めた呼び名を使う。
少しだけ可笑しかった。
「シレジアって、いい国ですか?」
今度は冗談ではなかった。
俺は少し考えた。
「寒いぞ」
「それは知っています」
「飯もグランベルほど豊富じゃない」
「それも知っています」
「政治は面倒だ」
「それは知りません」
「俺も最近知った」
レヴィンが吹き出した。
俺は北の大地を見る。
「でも――」
答えた。
「これから良くする」
それで十分だと思った。
父が王位を奪おうとした国。
ムーサーの母が追われた国。
俺が一度逃げ出した国。
ムーサーが帰ることのできなかった国。
ならば。
俺たちが帰りたいと思える国にすればいい。
船は北へ進む。
その後ろには、グランベルへ続く航路が伸びていた。
食料を運び。
鉱石を運び。
人を運び。
二つの国を繋いでいく道。
だが、遠ざかっていく南の空を眺めると、俺はどうしても調印式で感じた二つの視線を思い出してしまう。
レプトール。
ランゴバルド。
そして今、そのグランベルにはクルト王子もバイロン卿もいない。
二人は遠くイザークの戦場にいる。
何故だろう。
以前よりも立派になったはずのバーハラが、俺にはどこか危うく見えた。
俺は一度、国が内側から壊れていくところを見た。
だからこそ分かる。
国というものは、外から攻められた時だけ壊れるわけではない。
小さな亀裂。
人と人との疑念。
権力への執着。
それらが積み重なった時。
強大に見えた国でさえ、内側から崩れる。
考えすぎなら、それでいい。
だが。
覚えておこう。
あの二人の目を。
「カルト様」
「今度はなんだ、クブリ」
「二人だけの時もこれで通す?」
「好きにしろと言っただろ」
ムーサーが周囲を確認する。
近くにはレヴィンしかいない。
すると途端に表情を崩した。
「じゃあ兄さん、腹減った」
「切り替え早すぎるだろ」
「飯ない?」
「自分で探せ」
「兄さん冷たいなあ」
「人前で兄さんって言ったら海に落とすからな」
「カルト様、横暴です」
「戻すのも早いな!」
レヴィンが腹を抱えて笑った。
冷たい北風の中。
俺も笑った。
戦いは終わった。
新しい道もできた。
そして――。
俺には、弟までできた。
俺たちの時代は。
まだ始まったばかりだった。