ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜 作:Edward
「シレジアのカルトです。グランベルとの同盟に基づき、救援に参りました」
差し出した手を、目の前の男は力強く握り返した。
「君がシレジアのカルト公か」
シアルフィ公子――シグルド。
初めて会う男だった。
だが、名前だけなら何度も耳にしている。
父はグランベル屈指の名将バイロン卿。本人も士官学校を優秀な成績で卒業し、武勇においては既に若手の中でも頭一つ抜けた存在だという。
実際、こうして向かい合ってみても、その評判に違わぬ人物だと分かる。
大柄な体格。
腰に佩いた剣。
そして何より、真っ直ぐこちらを見る青い瞳。
腹芸など、おそらく得意ではない。
だがその分、信用できる男だ。
そんな印象を受けた。
「その若さでシレジアの内乱を収めたと聞いている。驚いたよ」
「買い被りですよ」
俺は苦笑する。
「あれはレヴィン王の働きによるものです。俺は少し手を貸しただけにすぎません」
「いや」
シグルドが笑った。
「レヴィン王の即位演説は、こちらの新聞にも載っていたよ。『カルト公の力添えがなければ、自分は王位を避けて逃げ出していただろう』と、本人がはっきり言っていたじゃないか」
「あいつ……余計なことまで喋りやがって」
「ははは!」
シグルドが豪快に笑う。
俺もつられて笑いそうになった。
だが――。
周囲を見渡せば、笑ってばかりもいられない。
「まあ、その話はまたゆっくりしよう」
俺は表情を戻した。
「ユングウィは奪還できた。だが、この有様じゃ城を取り戻して一件落着とはいかないだろう」
「ああ」
シグルドの表情も引き締まった。
「ヴェルダン軍の主力は、まだエバンス城周辺に残っているという報告がある」
「それに――ユングウィの公女様も見つかっていないんだろ?」
シグルドの顔色が変わった。
「エーディンか」
「そうだ」
「城内を捜索させているが、まだ見つかっていない。一刻も早く状況を把握しなければならないと思っている」
「なら、急いだ方がいい」
俺は周囲の城下を見た。
「エーディン公女は、既にエバンス方面へ連れ去られた可能性が高い」
「なっ――」
シグルドだけではない。
その傍らに控えていた少年も息を呑んだ。
まだ若い。
だが身なりから従者ではなく、軍師見習いといったところか。
「どういうことでしょう?」
少年が尋ねる。
「君は?」
「失礼しました。オイフェと申します。シグルド様にお仕えしております」
「オイフェか」
覚えておこう。
年齢の割に、目がいい。
「ここへ来る途中、市民の声を聞かなかったか?」
「市民の……?」
「娘が連れていかれた。妻がさらわれた。妹が戻ってこない――そんな声が、いくつもあった」
シグルドとオイフェが黙った。
聞いていなかったわけではないのだろう。
だが、それらを一つの情報として繋げていなかった。
「ヴェルダン兵は金品だけを奪ったんじゃない。若い女性まで連れ去っている。なら、エーディン公女だけ城に残したと考える方が不自然だ」
「…………!」
「情報部から上がってくる報告だけが情報じゃない」
俺は二人を見る。
「むしろ、戦場では名もない市民の声にこそ真実が混じっていることがある。兵士が何を奪った。どちらへ逃げた。誰が連れていかれた――そこから敵の動きが見えることもある」
「……確かに」
シグルドが唇を噛んだ。
「私は、エーディンの行方ばかりを考えていた」
「無理もない。妹同然の人なんだろ?」
「ああ」
「だったら尚更だ。焦れば見えるものまで見えなくなる」
責めるつもりはなかった。
俺だって同じ立場なら、冷静でいられる自信などない。
その横で、マリアンが黙って俺を見ていた。
彼女の瞳が、少し揺れている。
――そうか。
何となく、その理由が分かった。
あの子も同じだったのだ。
誰も気に留めないような、小さな声。
助けてほしいとすら言えなくなった人間。
俺が特別優れていたわけじゃない。
ただ、その声を聞いた。
それだけだった。
マリアンがそっと自分の胸元へ手を置いた。
何も言わない。
俺も何も言わなかった。
「問題は、その先だ」
俺は話を戻す。
「エーディン公女がエバンスを越えて、本格的にヴェルダン領内へ連れ去られた場合、状況が面倒になる」
「なぜだ?」
「今は向こうがグランベル領へ侵攻している。だから俺たちは防衛と奪還を大義に戦える」
地面へ落ちていた小枝を拾い、簡単な地図を描く。
「だが国境を越えて深く入り込めば話が変わる」
一本の線を引いた。
「ここから先へ軍を進めれば、今度は俺たちがヴェルダンへ侵攻したと見られかねない」
「しかし、エーディンが連れ去られているなら!」
「もちろん救出する。それを諦めろと言っているんじゃない」
俺はシグルドを見る。
「だからこそ、エバンスで止めるんだ」
「……!」
「エーディン公女を救出し、敵を国境外へ押し戻す。そこで軍を止める。それならグランベル側にも十分な大義が残る」
シグルドはしばらく考え込んだ。
先に動いたのはオイフェだった。
「シグルド様」
「ああ」
「カルト公のおっしゃる通りです。時間を置くほど状況は悪化します。ユングウィ城内の捜索と戦後処理は、最低限の人員を残して継続させます。主力はすぐにエバンス方面へ向けるべきです」
早い。
先ほどまで驚いていた少年が、もう次の行動を組み立てている。
「オイフェと言ったな」
「はい」
「いい判断だ」
「ありがとうございます」
僅かに頬を赤らめる。
まだ少年だ。
だが、育てば相当な人物になるかもしれない。
「こちらの部隊も、既にユン川周辺へ展開させている」
俺はフュリーを見る。
「跳ね橋を上げられているが――俺たちにはあまり関係ない」
「え?」
俺が視線を向けると、フュリーが小さく笑った。
指笛。
甲高い音が響いた直後、上空から一騎の天馬が降下してくる。
フュリーは駆け出すと、その背へ軽々と飛び乗った。
「先に行くわ!」
「ああ。頼んだ!」
白い翼が広がる。
一度の羽ばたきで身体が浮き、二度目には既に俺たちの頭上を越えていた。
シグルドが思わず空を見上げる。
「天馬騎士を間近で見るのは初めてだ……」
「グランベルにはいないからな」
「まるで人馬一体だ。いや……天馬だから、人天一体とでも言うべきなのかな」
「なんだそれ」
「自分でも言ってから変だと思った」
思わず二人で笑った。
「あいつはフュリー。シレジアでも指折りの天馬騎士だ。こと天馬の扱いだけなら、あいつの右に出る者はそういない」
「頼もしいな」
「ああ」
青空を駆けていく白い影を見る。
「空のことは、フュリーに任せておけばいい」
シグルドが頷いた。
「では我々も行こう」
「ああ」
こうして、シアルフィを中心とする混成軍はエバンス方面へ進軍を開始した。
◇
「カルト!」
呼び声に振り返る。
各国の部隊が思い思いの隊列で進む中、一騎の馬がこちらへ近付いてきた。
「アゼルか!」
「やっぱりカルトだ!」
数か月ぶりに見る赤髪。
相変わらず人懐っこい笑顔だ。
その後ろには、見覚えのない大柄な男が続いている。
「久しぶりだな」
「久しぶりじゃないよ!」
「ん?」
「突然グランベルに来たと思ったら、ろくに説明もしないままシレジアへ帰って――」
「ああ」
「次に新聞を開いたら『シレジア内乱終結! レヴィン新王即位! カルト公、セイレーン公爵に!』だよ!?」
アゼルが馬上で身振りまで交えて訴える。
「僕、ひっくり返りそうになったんだからね!」
「……すまん」
これは素直に謝ろう。
グランベルに滞在していた間、随分とアゼルには世話になった。
事情もほとんど説明せず帰国したのだから、怒られて当然だ。
「急を要することが立て続けに起こったんだ」
「それは新聞を読めば分かるよ」
「便利だな、新聞」
「そういう問題じゃない!」
後ろの大柄な男が吹き出した。
「アゼル、お前そいつには苦労させられてるんだな」
「レックスは黙ってて!」
なるほど。
この男がドズル公爵家のレックスか。
名前は聞いている。
「それで?」
アゼルが俺を見る。
「今度こそ聞かせてもらえるんだよね? あの時、君が突然グランベルへ来た本当の理由」
「…………」
少し考える。
全てを話すわけにはいかない。
「前王の容体が悪化していたことは知っていた」
「うん」
「崩御すれば、マイオスとダッカーが動くことも予想していた。だから、その前にグランベルとの関係を固めておきたかったんだ」
「それでアズムール陛下に?」
「ああ」
「……やっぱり無茶苦茶だよ、君」
「そうか?」
「一公子が突然グランベル王に会って、国家同士の同盟を取り付けようなんて普通は考えないよ!」
「会えたんだから結果良好だろ」
「そういうところだよ!」
レックスがまた笑った。
だが、俺は内心では笑えなかった。
今話したのは嘘ではない。
ただし――全てでもない。
アズムール王へ接触した当初の理由は別にあった。
その過程で自分の出生に関わる事実を知り、王との繋がりを確認できたからこそ、後の同盟交渉へ繋げることができた。
その秘密を知る者は少ない。
レヴィン。
ラーナ様。
そして親父。
今は、それでいい。
「その後は新聞に載っていた通りだ」
俺は話を続けた。
「前王が崩御。レヴィンが即位し、マイオスとダッカーが反旗を翻した」
「……君のお父上と、叔父上だね」
「ああ」
「それで?」
「親父は降伏させた。大幅な軍縮と監視を条件に、トーヴェ公としての地位は残してある」
「ダッカー公は?」
「死んだ」
アゼルの表情が変わった。
「説得はした。だが最後まで武器を置かなかった」
「…………」
「後味のいい話じゃない」
「それだけ?」
静かな声だった。
「ん?」
「君は、それだけで終わらせるの?」
アゼルの目が俺を射抜いた。
先ほどまでの柔らかな少年ではない。
「確かに、それで王家に対抗できる大きな勢力は消えたと思う。でも――次は?」
「次?」
「次にレヴィン王へ反対する人間が現れたら?」
アゼルの声が強くなる。
「また殺すの?」
周囲の音が遠くなった気がした。
「ダッカー公の子供たちが父親の仇を討とうとしたら? その次の世代がレヴィン王を恨んだら?」
「アゼル……」
「その度に粛清を続けるの?」
俺は答えなかった。
「それじゃ、いつまで経っても終わらないじゃないか」
真っ直ぐだった。
以前のアゼルなら、ここまで言えなかったかもしれない。
相手は他国の公爵。
しかも武力で内乱を終わらせた張本人だ。
それでも彼は、自分が間違っていると思ったことを口にした。
だから――。
俺は笑ってしまった。
「……何がおかしいの?」
「いや。すまない」
「僕は真面目に――」
「分かってる」
俺は首を振った。
「今の言葉に笑うのは失礼だった」
それでも、少し嬉しかった。
「強くなったな、アゼル」
「え?」
「前に会った時より、ずっと」
「…………」
「自分の考えを持って、それを相手にぶつけられるようになった」
アゼルが戸惑ったように俺を見る。
「兄貴にでもなったつもり?」
「年齢的にはそんなに変わらんだろ」
「だったら、その顔やめてよ」
「悪い悪い」
それから俺は、表情を改めた。
「でも、お前の言う通りだ」
「……え?」
「俺たちがやったことは、正義じゃない」
アゼルが黙る。
「シグルド公子は内乱を収めたと言ってくれた。だが別の見方をすれば、レヴィンは反対派を武力で排除し、俺は自分の叔父を死に追いやった」
「カルト……」
「正義なんて、立場によって簡単に変わる」
俺は前を見る。
シレジアの旗が風に揺れていた。
「だから俺は、自分たちが正義だったなんて言うつもりはない」
「じゃあ、どうして?」
「守るためだ」
「何を?」
「国と――そこに住む人間を」
アゼルの眉が僅かに動いた。
「俺もレヴィンも、王家を守るために戦ったんじゃない」
「…………」
「シレジアという国を壊さないために戦った。内戦が長引けば、最初に飢えるのは民だ。兵士じゃない。王でもない。畑を耕している奴や、子供を育てている奴だ」
マリアンの姿が脳裏を過ぎる。
「だから、国と民に刃を向ける者がいるなら――そいつがどんな大義を掲げていようと、俺は止める」
「それを決めるのは誰?」
すぐにアゼルが返した。
「君か? レヴィン王か?」
「……そうだ」
「だったら結局、君たちが正しいと思ったものを押しつけているだけじゃないか」
「今はな」
「今は?」
「ああ」
俺は笑った。
「だから――それを終わらせたいんだ」
アゼルが怪訝そうな顔をする。
「どういう意味?」
「レヴィンと俺が目指しているものは、王家の安泰じゃない」
一呼吸置く。
「王政そのものを終わらせることだ」
「…………」
アゼルが固まった。
レックスまでこちらを見た。
「な……」
「王に権力が集中する仕組みをやめる。貴族だからという理由だけで領地と民を支配できる仕組みも、少しずつ変える」
「待って」
「最終的には、民自身が自分たちを治める者を選べる国にしたい」
「待って待って待って!」
アゼルが馬を寄せてきた。
「君、自分が何を言っているか分かってる!?」
「分かってるさ」
「王政をなくすってことは、レヴィン王だって――」
「王じゃなくなる」
「君だって!」
「公爵じゃなくなるな」
「…………」
「だからいいんだよ」
アゼルは絶句した。
「俺は別に、公爵になりたくて戦ったわけじゃない」
「でも……」
「レヴィンもそうだ。あいつが王位に就いたのは、王になりたかったからじゃない」
むしろ逆だ。
逃げたかった男を、俺たちは王座へ引き戻した。
「一番上に立たなければ変えられないものがある。だから今は王になった」
「王になることで……王をなくす?」
「ああ」
「滅茶苦茶だよ」
「よく言われる」
「誰に?」
「主にラーナ様に怒られる未来が見える」
「まだ話してないの!?」
「そこは時期を見てだな」
「一番最初に話すべき人じゃないの!?」
さすがにレックスが声を上げて笑った。
だが、アゼルは笑えないようだった。
当然だろう。
彼にとって王侯貴族とは、民を導くために存在する者だ。
生まれた時からそう教えられてきた。
その仕組み自体をなくすなど、簡単に受け入れられるはずがない。
「……兄上も」
アゼルが呟いた。
「ん?」
「兄上も、差別のない国を作りたいと言っている」
アルヴィス。
「身分や生まれによって虐げられる人のいない国を作りたいって」
「そうか」
「でも……兄上は、君とは違う」
アゼルは考え込む。
「兄上は、自分が正しく国を導けば変えられると思ってる」
「…………」
「君たちは、導く人間を民に選ばせようとしている」
「ああ」
「どっちが正しいんだろう」
「知らん」
「え?」
「俺にも分からない」
アゼルが目を丸くした。
「分からないからやるんだ」
「…………」
「失敗するかもしれない。俺たちの方が間違っているかもしれない。だったら、その時は次の世代が直せばいい」
「そんな無責任な」
「一人の王が死んだだけで国全部が傾く仕組みよりはマシだろ?」
「…………」
アゼルは答えなかった。
俺も、それ以上は言わなかった。
今ここで結論を出すような話ではない。
ただ。
いつの日か、アゼルが今日の会話を思い出すことがあるかもしれない。
その時、何を思うのか。
それは俺にも分からなかった。
◇
「さて」
前方へ視線を戻す。
平野の向こうに、大きな川が見えてきた。
「おしゃべりはここまでだ」
ユン川。
グランベルとヴェルダンを隔てる、天然の国境線。
そしてその向こう側には、既に無数の兵影が見えていた。
「フュリーたちが時間を稼いでいる間に、一気に跳ね橋を確保するぞ」
◇
ユン川上空では、既に戦いが始まっていた。
「放て!」
フュリーの号令。
天馬騎士たちが一斉に手槍を投じる。
だが――ただ投げているのではない。
「ウインド!」
川岸に展開したシレジア魔道士隊が魔法を放つ。
狙うのは敵兵ではない。
風。
天馬騎士たちの背後から強烈な追い風を作り出す。
放たれた槍が加速した。
「ぐあっ!」
「弓兵! 撃ち落とせ!」
ヴェルダン兵が弓を構える。
だが矢は伸びない。
こちらから吹かせている追い風は、敵側から見れば逆風となる。
天馬騎士へ届く前に勢いを失い、川へ落ちていく。
空と地。
二つの兵科を組み合わせたシレジア独自の戦法だった。
だが――。
「フュリー様!」
副官が天馬を寄せる。
「敵が前進を始めました! このままでは跳ね橋まで到達されます!」
眼下を見る。
確かにヴェルダン兵が盾を並べ、強引に前進している。
数が違いすぎる。
技量で勝っていても、いつまでも押さえ込めるものではない。
「そうね」
フュリーは冷静だった。
「ここまで時間を稼げれば十分――と言いたいところだけど」
僅かに笑う。
「私の仕事は、ここからよ」
「え?」
「指揮をお願いしていい?」
「フュリー様!?」
「十五騎ほど借りるわ」
「何をなさるおつもりですか!?」
「回り込む」
フュリーは上空を指した。
「あなたたちはこのまま陽動を続けて。シアルフィ軍が到着したら前衛を任せる」
「しかし――」
「大丈夫」
フュリーが微笑む。
「無茶はしないわ」
副官が何とも言えない顔をした。
「……その言葉、あまり信用できません」
「あら」
「フュリー様の『無茶はしない』は、普通の人の無茶を含んでいます」
「酷いわね」
「事実です」
思わずフュリーが笑った。
「分かった。危なくなったらすぐ戻る」
「絶対ですよ」
「ええ」
そして少しだけ表情を柔らかくする。
「いつも無茶を聞いてくれてありがとう」
「フュリー様……?」
「あなたがいるから、私は安心して前へ出られる」
それだけ言って、フュリーは十五騎へ合図を送った。
「行くわよ!」
十六騎の天馬が一気に上昇する。
ヴェルダン兵の弓が届かない高度まで上がり、そのまま大きく旋回。
敵軍の視界から消えていった。
◇
やがてヴェルダン軍は、物量に任せて跳ね橋へ到達した。
「橋を下ろせ!」
鎖が軋む。
巨大な橋がゆっくりと倒れていく。
轟音と共に対岸へ接続した瞬間――。
「進めぇぇぇっ!!」
三千近いヴェルダン兵が一斉に押し寄せた。
だが、そこにシレジア魔道士隊の姿はない。
フュリーの命令を受け、既に後方へ退いている。
代わりに橋の先で待っていたのは――。
「シアルフィ騎士団! 前へ!」
シグルドの号令。
四百の騎士が槍を構える。
「ドズル隊、続け!」
レックス率いる五十騎。
「僕たちは後ろから援護する! 炎を前衛より先へ出さないで!」
アゼルの炎魔道士隊。
さらにキュアン率いるレンスター騎士団二百。
シレジア天馬騎士団と魔道士隊。
総数ではヴェルダン軍の三分の一にも満たない。
だが――戦いは数だけでは決まらない。
正面からシアルフィとレンスターの重騎兵。
側面からドズルの騎兵。
上空から天馬騎士。
後方から炎と風の魔法。
負傷者には即座に杖による治療が入る。
一つの国ではない。
それぞれ戦い方も違う。
だからこそヴェルダン兵には、次に何が来るのか読めなかった。
「炎が来るぞ!」
「上だ!」
「違う! 騎兵が――!」
「隊列を崩すな!」
命令が交錯する。
押し寄せた三千の兵が、狭い橋の出口で詰まり始める。
数の優位が、逆に足枷となった。
先頭が止まれば後続も止まる。
そこへ魔法が降る。
混乱して散開しようとすれば、騎兵が突入する。
ヴェルダン軍の勢いが、目に見えて鈍っていった。
◇
「見事だな」
後方から戦況を見ていたシグルドが呟いた。
「何が?」
「シレジアの戦い方だ」
シグルドは空を見る。
「天馬騎士だけでも脅威だと思っていた。だが魔道士と組ませることで、あれほど戦い方が変わるとは思わなかった」
「必要に迫られてだよ」
「必要?」
「シレジアにはグランベルほど騎兵がいない」
俺は肩をすくめる。
「正面から大国と殴り合ったら負ける。だから空と魔法を使って、正面から戦わない方法を考えた」
「弱い部分を補うための戦術か」
「ああ」
「それでも見事だ」
シグルドが笑う。
「シレジアが同盟国になってくれたことを、心強く思うよ」
「そいつはどうも」
悪い男ではない。
やはり最初に感じた印象は間違っていない。
だが――。
「だからこそ、分からないんだ」
「何が?」
「今回の戦争だよ」
俺は対岸を見る。
「正面からぶつかれば大国グランベルに勝てない。それくらいヴェルダンだって分かっているはずだ」
「今はイザーク遠征で主力が不在だからでは?」
シグルドの答えは早かった。
「俺も最初はそう思った」
「違うのか?」
「短期的には正しい」
ユングウィは実際に落ちた。
金品も奪われた。
人も連れ去られた。
「だが、その後は?」
「…………」
「グランベルが本気で軍を戻したら、ヴェルダンに勝ち目があると思うか?」
シグルドが黙った。
「ない」
「だろ?」
今度はオイフェが会話へ入った。
「では、ヴェルダンは最初から長期的な勝利を考えていない……?」
「その可能性もある」
「略奪だけが目的では?」
「国境の賊ならそれでもいい。だが今回は国家規模で軍が動いている」
俺は首を振った。
「国が滅びる危険を冒してまで、ユングウィから財宝を奪う意味があるか?」
「…………」
シグルドの表情が変わっていく。
「弱い国が、勝ち目の薄い大国へ戦争を仕掛ける」
俺は続けた。
「普通なら、それ相応の理由がある」
脳裏にイザークが浮かぶ。
「例えば――イザークだ」
シグルドもオイフェも黙って聞いている。
「マナナン王が不審な死を遂げ、その背景にグランベルの関与が疑われた。マリクル王子は国が滅びる危険を承知で兵を挙げた」
「……大義があった」
オイフェが呟く。
「ああ。正しいか間違っているかは別として、戦う理由は理解できる」
では――。
「ヴェルダンは?」
答える者はいなかった。
「グランベルとヴェルダンは、少なくとも表向きは互いの領土を侵さない関係だった」
俺は対岸を見る。
「突然ユングウィを襲った。領土を奪った。財産を奪った。人間まで連れ去った」
「……理由がない」
シグルドが呟いた。
「今のところはな」
「なら……」
「ああ」
俺は頷いた。
「何かを見落としている」
風が吹いた。
遠くでシレジアの旗が揺れる。
戦況はこちらが優勢だ。
このままなら、ヴェルダン軍を国境の向こうへ押し返せるだろう。
だが――。
胸騒ぎが消えない。
「シグルド」
「なんだ?」
「この騒乱の裏で、何かが動いている」
シグルドの青い瞳が俺を見る。
「目の前の敵だけを追いかけていたら、気付いた時には取り返しがつかなくなっているかもしれない」
「…………」
「お互い、気をつけよう」
しばらく沈黙した後、シグルドは強く頷いた。
「ああ」
俺たちは再び前線へ視線を戻した。
ユン川では、未だ激しい戦闘が続いている。
空では天馬が舞い。
大地では騎士たちが剣を交える。
そして、その誰も気付かぬ遥か先で――。
俺たちがまだ名前すら知らない何者かの手によって、戦乱の糸は静かに手繰り寄せられ始めていた。