ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜 作:Edward
ダーナの町にて
――金がない。
シレジアを飛び出した以上、当然と言えば当然だった。
宿代、食費、旅の道具。これから先へ進むにも、何をするにも金がいる。
ならば、手っ取り早く稼ぐ方法は一つしかない。
ダーナの闘技場。
そして今――。
俺の目の前には、鉄の大剣を構えた剣士がいる。
「始め!」
合図と同時に、剣士が地面を蹴った。
速い。
大剣を持っているとは思えないほどの加速で、一気に間合いを詰めてくる。
魔道士にとって、接近戦は圧倒的に不利だ。
ならば――近づけなければいい。
「ウインド!」
正面から突風を叩きつける。
剣士の勢いが鈍った。
足が止まる。
そこへ続けざまに、二撃目。
「ウインド!」
今度は風を刃へ変える。
幾筋もの風刃が剣士へ襲いかかった。
だが、相手もさるものだった。
両腕を胸の前で交差させ、身体を小さく丸める。風の刃が鎧を削り、細かな傷を刻んでいくが、致命傷には程遠い。
風が止む。
剣士はゆっくり身体を起こし、肩、腕、足と順番に動かした。
そして何事もなかったかのように大剣を握り直す。
(……強いな)
俺も距離を取り直した。
今ので分かったはずだ。
ただ一直線に飛び込んでも、俺には届かない。
そして俺も理解した。
――ウインドだけでは、こいつを倒しきれない。
俺には上位魔法《エルウインド》がある。
まともに入れば、決定打になり得る。
だが、魔力の消費が大きい。
何より発動までにわずかな間が生まれる。
普通の相手なら問題にならない。
だが――。
(こいつなら、その一瞬で飛び込んでくる)
だから使えない。
いや。
正確には――普通には使えない。
ここはダーナの闘技場。
基本的に殺生は禁止されており、どちらかが降参すればそこで終了となる。
もっとも、武器も魔法も本物だ。
力量が拮抗すれば事故も起こるし、命の保証までしてくれるわけではない。
その代わり勝者には賞金が出る。
勝ち続ければ賞金額も上がり、五勝もすれば古参の猛者たちと戦うことになる。
そこまで行くつもりはない。
俺は昨日から参加し、すでに二勝していた。
初戦は斧使い。
力はあったが鈍重で、間合いへ入られる前にウインドで片付けた。
二戦目は弓使い。
狙いを定めるのが遅く、弦を引き絞る前に風を浴びせ続けた。
何度か矢を放たれたものの、その程度なら風で軌道を逸らせる。
負傷することなく勝利した。
本当なら、その二勝でやめてもよかった。
だが旅はまだ始まったばかりだ。
軍資金は多いに越したことはない。
それに――。
自分の力がどこまで通用するのか、知っておきたかった。
目の前の剣士が構えを変える。
今度は一直線には来ない。
細かく左右へ身体を振りながら、こちらとの距離を詰め始めた。
(やっぱりな)
一度見た技を、そのまま食らう男ではない。
一発目のウインドを避ける。
そして俺が次を放つまでの隙に飛び込む。
おそらく、そう考えている。
なら――。
そのさらに上を行く。
十数メートル。
八メートル。
五メートル。
剣士が一気に踏み込んだ。
「ウインド!」
剣士は即座に大剣を地面へ突き立て、姿勢を低くした。
突風に耐えるつもりだ。
――だが。
風は彼を襲わなかった。
「なにっ!?」
俺はウインドを自分の足元へ叩きつけた。
猛烈な風圧が身体を押し上げる。
一瞬にして、俺の身体が宙へ舞った。
当然、飛行魔法なんかじゃない。
ただ風で無理やり自分を吹き飛ばしただけだ。
(今だ!)
空中で意識を集中する。
時間はない。
このままなら、数秒後には地面へ叩き落とされる。
魔力を一気に練り上げる。
多少乱暴でも構わない。
発動さえ間に合えば――!
「エルウインド!!」
轟音。
ウインドとは比較にならない暴風が、剣士へ降り注いだ。
荒れ狂う風。
その中を無数の風刃が走る。
身体の自由を奪い、そのまま切り裂く上位風魔法。
「ぐああああっ!!」
剣士の身体が暴風に呑み込まれた。
(入った!)
――と思った直後。
「うおっ!?」
今度は俺自身が落下した。
空中で無理やり上位魔法を使った反動で、受け身を取る余裕などない。
背中から地面へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
肺から空気が押し出された。
痛い。
ものすごく痛い。
だが――動ける。
俺はすぐに起き上がり、腰のショートソードを抜いた。
視界いっぱいに砂埃が舞っている。
「ウインド!」
弱い風で粉塵を吹き払う。
その向こう――。
「……嘘だろ」
剣士は立っていた。
左肩。
腹部。
確かに傷を負っている。
それでも両足は健在。
大剣を握る右腕も死んでいない。
何より――その眼光が、まったく衰えていなかった。
(参ったな……)
ここで降参する手もある。
俺はほぼ手の内を晒した。
対して向こうには、まだ剣技の引き出しがいくつあるか分からない。
奇策が通用するのも一度きりだ。
この先は、圧倒的に俺が不利になる。
――だが。
(ここで諦めるような奴が……)
俺は歯を食いしばった。
(これから先、何ができる)
父マイオス。
叔父ダッカー。
そしてシレジア。
俺がこれから相手にしようとしているものは、目の前の剣士など比較にならないほど巨大だ。
(考えろ)
勝てない理由を探すな。
(考えることをやめるな!)
剣士が動いた。
負傷しているにもかかわらず、先ほど以上の速度で踏み込んでくる。
「……っ!」
俺も走った。
ショートソードを構え、真正面から。
剣士の目がわずかに見開かれる。
魔道士が自分から接近戦を挑むとは思わなかったのだろう。
大剣が下段へ沈む。
来る。
「ウインド!」
風を自分自身へ叩きつけた。
今度は飛ぶためじゃない。
前進していた身体へ逆方向から風を当て――急停止するために。
剣士の剣筋がわずかに狂った。
だが。
さすがだった。
こちらの意図に気づいた瞬間、さらに一歩踏み込み、大剣を斬り上げる。
「ぐっ!!」
衝撃。
胸から肩にかけて熱が走った。
ローブが裂け、鮮血が散る。
――だが。
「ここは――俺の勝ちだ!」
致命傷じゃない。
身体も動く。
何より。
俺はもう、奴の懐にいる。
「うおおっ!」
ショートソードを振り下ろした。
剣術など習ったことはない。
だから首や胸は狙わない。
狙ったのは――肩当て。
ガキンッ!
刃が鎧へ叩きつけられる。
剣士の動きが止まった。
俺の剣は彼を殺せる位置にあった。
そして彼の大剣もまた、あと一歩踏み込めば俺を殺せる位置にあった。
しばしの沈黙。
やがて剣士が息を吐いた。
「……参った」
次の瞬間。
闘技場が爆発した。
歓声。
怒号。
悲鳴。
どうやら相当な番狂わせだったらしい。
後で聞いた話では、俺の勝利に賭けていた者はほとんどいなかったそうだ。
そんなことはどうでもいい。
俺は傷口を押さえながら、逃げるように闘技場を後にした。
◇
「一時はどうなることかと思いましたよ!」
宿へ戻るなり、フュリーの説教が始まった。
「この程度の怪我で済んだからよかったものの、一つ間違えれば死んでいたんですよ!」
「まあまあ。これで軍資金もできたんだ。もう無茶はしないって」
「昨日も似たようなことを言ってませんでしたか?」
「……言ったかな?」
「言いました!」
傷の手当てを受けながら、俺はベッドの上で小さくなった。
闘技場より怖い。
「悪かったって」
「本当に分かっているんですか?」
「分かってる、分かってる」
返事をしながら、俺は傍らに置いていた魔道書を手に取った。
血が付着している。
最後の攻防。
あの大剣は、俺の身体だけを斬ったわけではなかった。
ローブの内側に入れていた魔道書。
それが刃をわずかに受け止めていたのだ。
血糊が乾き始め、何枚ものページが張り付いている。
おそらく、もうまともには使えない。
もっとも。
魔道書は魔法を学び、契約を結ぶために必要なものだ。
一度その魔法を修めてしまえば、常に本を開かなければ使えないわけではない。
だから実用上は困らない。
――それでも。
「…………」
指先で、傷ついた表紙をなぞる。
これは――母さんのものだった。
俺に初めて魔法を教えてくれた時、譲ってくれた魔道書。
そして今では。
母さんの形見になってしまったもの。
母セーラは強い人だったという。
魔法の腕は一級品。
それだけでなく剣術まで修め、敵の攻撃を剣で受け、魔法で反撃する。
マージファイターとして前線に立ち、時には兵を率い、時には参謀として策を立てた。
父マイオスには――。
……勿体ないほどの人だった。
「……すまん、母さん」
小さく呟き、傷ついた魔道書を胸元へ戻した。
「ねえ……」
「…………」
「ねえってば!」
「…………」
「カルト!!」
「うわっ!?」
顔を上げると、フュリーが頬を膨らませていた。
「あ、ああ……悪い。ちょっと考え事をしてた」
「人が心配しているのに……」
「しかしフュリー」
「なんです?」
「最近、俺に敬語を使わなくなってきたな。俺に毒されたか?」
「あなたに気を遣うのはやめました!」
即答だった。
「路銀はない! 闘技場では死にかける! そんな人に敬意なんて払えません!」
「ひどくない?」
「自業自得です! 水を替えてきます!」
「はい……」
バタンッ!!
乱暴に扉が閉まる。
「……怒ってるなあ」
思わず苦笑した。
その直後だった。
コン、コン。
扉が鳴った。
(フュリー?)
いや。
あいつなら今さらノックなんてしない。
俺は表情を消した。
「……開いている。入ってくれ」
ゆっくり扉が開く。
現れた人物を見て、俺は思わず身体を起こした。
「お前……」
闘技場で戦った剣士だった。
今は兜を外している。
金髪。
精悍な顔立ち。
近くで見ると、改めて分かる。
やはりただの賞金稼ぎではない。
「今日は悪かったな」
俺は先に口を開いた。
「あんな勝ち方じゃ、納得できないか?」
少し茶化して言ったつもりだった。
だが、男は首を横へ振った。
「いや。いい勝負だった」
意外な言葉だった。
「俺の力を出せない状況を作り、自分は限られた時間で最大限の力を引き出した。あんたの勝ちだ」
「……そうか」
潔い男だ。
ますます気に入った。
「それじゃ、何の用だ?」
「…………」
急に黙った。
あれほど堂々と大剣を振り回していた男が、妙に言いにくそうにしている。
「お、おい。どうした?」
「……頼みがある」
「頼み?」
「俺に――」
男は意を決したように顔を上げた。
「魔法への対処法を教えてほしい」
「……なに?」
予想外だった。
「俺の国へ来て、魔法戦の訓練をしてほしいんだ」
「国?」
「祖国イザークには剣豪が多い。剣士の質なら他国にも負けない。だが――魔法への対処があまりにも弱い」
男は悔しそうに拳を握った。
「今日、あんたと戦って確信した。このままじゃ駄目だ。有事になれば、魔道士を相手に一方的に崩される可能性がある」
「…………」
俺は男を見つめた。
「やはりイザークの剣士だったか」
「分かっていたのか?」
「剣筋を見れば、なんとなくな」
もちろん半分はハッタリだ。
だが問題はそこではない。
「軍の訓練を任せたいということは、あんたはイザーク軍の人間だな」
「ああ」
「それなのに、素性も知れない旅人を祖国へ招くのか? 随分と思い切った話じゃないか」
男の真意を探る。
俺にとってイザークへ入れるのは願ってもない話だ。
だが。
うますぎる話には警戒するべきだ。
すると男は――笑った。
「あんたこそ」
今度はこちらを見る。
「シレジアの貴族じゃないのか?」
「…………」
「これほど風魔法を使える人間が、ただの旅の魔道士とは思えない。シレジアでも相当な使い手だろう」
やられた。
今度は俺が黙る番だった。
シレジアとイザークの間には、大きな侵略の歴史がない。
だからこそ俺は、亡命先としてイザークを考えていた。
そして目の前の男もまた――同じところまで考えている。
「……なるほどな」
思わず笑った。
「俺たち、案外似た者同士かもしれないな」
「そうかもしれん」
気に入った。
俺は右手を差し出した。
「カルトだ。シレジアの風使い」
男がその手を見る。
「魔法への対処を教える。その代わり――俺に剣を教えてくれ」
「剣を?」
「今日ので身に染みた。魔法だけじゃ、いつか限界が来る」
「……なるほど」
男も右手を伸ばした。
互いの手が固く結ばれる。
「俺はホリンだ」
「ああ」
「これからよろしく頼む」
「こちらこそ」
この時の俺は、まだ知らなかった。
金がなくて飛び込んだ、ダーナの闘技場。
そこで偶然剣を交えたこの男との出会いが――。
俺の戦い方を。
そしてこれから歩む道を。
大きく変えていくことになるなど。
――こうして俺は、イザークの剣士ホリンと出会った。
次なる目的地は――イザーク。