ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜 作:Edward
006 リボーの町
一章 イザーク編
リボーの町
ようやく、イザークへ辿り着く。
シレジアを発ってから随分と遠くまで来たものだ。
もっとも――その国境を越える前に、少々厄介な連中がお出迎えしてくれたのだが。
* * *
峠の頂が見え始めた頃だった。
俺たちの少し先を歩いていたホリンが、ほんの僅かに歩調を緩めた。
「いるな」
短い一言。
「何人だ?」
「前に十。後ろに五……いや、弓が混じっている」
俺にはまだ姿すら見えない。
だがホリンは、それ以上何も言わず歩き続けた。
まるで、そこに敵など存在していないかのように。
ただ一つ違うのは――右手に大剣が握られていることだけだった。
やがて岩陰から人影が現れた。
薄汚れた革鎧。統一性のない武器。
正規兵ではない。
盗賊か、野盗の類だろう。
だが、待ち伏せていたはずの連中の方が戸惑っていた。
無理もない。
十五人を前にして、こちらの先頭を歩く男がまったく速度を落とさないのだ。
「止まれ!」
怒鳴り声。
ホリンは止まらない。
「止まれっつってんだろ!」
それでも止まらない。
痺れを切らした二人の男が弓を構えた。
弦が引き絞られる。
――来る。
矢が放たれた瞬間。
ホリンが駆けた。
「ウインド!」
俺も同時に術式を展開する。
放たれた二本の矢が突風を受け、大きく軌道を逸らした。
一本は岩壁へ。
もう一本は、遥か谷底へ消えていく。
「なっ!?」
驚愕した弓兵が次の矢を番えるより早く、ホリンが懐へ飛び込んだ。
大剣が唸る。
だが刃は立てない。
横薙ぎに振るわれた剣の腹が二人をまとめて薙ぎ払い、弓兵たちは地面を転がった。
「ぐあっ!」
一瞬だけ倒れた二人を見る。
生きている。
その確認だけで十分だったらしい。
ホリンはそのまま敵陣中央へ飛び込んだ。
八人。
槍、斧、剣。
四方から囲まれてなお、奴の顔には焦り一つない。
俺と視線が合う。
――こっちはいい。
そう言われた気がした。
「分かったよ」
ならば俺の仕事は一つ。
後ろだ。
振り返る。
そこでは既にフュリーが五人の敵を引き付けていた。
天馬を低空で旋回させ、敵を俺たちの方へ向かわせない。
弓兵が矢を放つ。
フュリーは手綱を引いた。
天馬が翼を大きく羽ばたかせ、僅かに高度を変える。
矢が白い翼の下を通過した。
その直後。
フュリーの手から一本の手槍が放たれる。
「はっ!」
槍は弓兵の太腿を正確に貫いた。
「ぎゃああっ!」
一人脱落。
残り四人。
そして――見事なことに、フュリーはそいつらを一箇所に集めてくれていた。
「いい位置だ!」
俺は両手を突き出した。
風の魔力を一気に収束させる。
殺す必要はない。
だが――戦意くらいは吹き飛ばしてやる。
「エルウインド!!」
轟音。
圧縮された風が炸裂し、四人の身体がまとめて宙を舞った。
「うわああああっ!?」
地面を転がる男たち。
一人だけ岩にしがみついて耐えた男が、こちらを見て目を剥いた。
「な、何なんだこいつ!? 魔法を使うぞ!」
「……この格好を見て、魔道士だと思わなかったのか?」
俺は腰のショートソードを抜いた。
「貴様らの命運もここまでだな!」
一気に踏み込む。
相手も盗賊にしては悪くない。
シミターを抜き、真正面から俺の剣を受けた。
金属音。
押せる。
そう思った瞬間だった。
「――っ!?」
力が消えた。
違う。
受け流された。
曲刀の流線を利用して俺の剣を滑らせたのだ。
勢い余った身体が前へ流れる。
しまった。
右手を地面について跳ね起きる。
だが、その先には――
「もらった!」
シミターを振り上げた男。
まずい。
避けられない。
なら。
「ウインド!」
左手を地面へ叩きつける。
爆発的な風。
俺の身体が真上へ吹き飛んだ。
「なっ!?」
盗賊が呆気に取られる。
しかし奴もすぐに俺の落下地点へ移動し、シミターを構えた。
……まずい。
ホリンとの決闘の時ほど高く飛んでいない。
姿勢を整える時間もない。
魔法を撃つ余裕も――
「カルト!」
白い影が視界を横切った。
身体が柔らかなものに受け止められる。
次の瞬間には、俺は天馬の背に乗せられていた。
「おお……」
下を見る。
シミターを構えた盗賊が、ぽかんとこちらを見上げている。
「助かった」
「もう!」
前に座るフュリーが振り返った。
「ふざけないで! そんな戦い方をしていたら、本当に命を落とすわよ!」
「いや、ホリンと戦って少しは剣にも自信がついたんだが……」
腰のショートソードを見る。
「どうも、あれは時の運だったらしい」
「当たり前でしょう!」
怒られた。
やはり剣士への道は遠い。
フュリーはそのまま天馬を旋回させ、先ほどの盗賊へ向かって急降下した。
男は――逃げた。
「うわああっ!」
「あっ!」
フュリーは追わなかった。
戦意を失った相手まで傷つける必要はない。
それでいい。
レヴィンも、きっと同じことを言うだろう。
俺たちはホリンの元へ戻った。
そして――そこで、妙な光景を目にした。
倒れている九人の男。
その中央で、ホリンが一人の剣士と向かい合っている。
いや。
剣士……なのか?
俺より小柄。
体格も細い。
顔立ちにはまだ幼さすら残っている。
手にしているのも、ごく普通のショートソード。
だが。
目だけが違った。
ホリンと同じ。
いや――種類が違う。
獲物を前にした獣というより、相手のすべてを観察しているような目。
ホリンもそれを感じているのだろう。
九人を倒した男が、少年一人を前に動かない。
先に動いたのはホリンだった。
大剣が振るわれる。
少年は受けない。
僅かに身体をずらし、剣の腹を滑らせる。
二撃。
三撃。
四撃。
まともに打ち合えば、少年の細腕では耐えられない。
だから受けない。
流す。
躱す。
逃げる。
――そう見えた。
「違う……」
俺は思わず呟いた。
あいつ。
待っている。
ホリンの大剣が大きく振り上げられた。
ほんの僅か。
ほんの一瞬だけ生まれた隙。
少年の目が光った。
「――!」
ショートソードが走る。
速い。
ホリンが上体を仰け反らせる。
剣先が胸元を掠め、衣服が裂けた。
血が一筋流れる。
ホリンが初めて後退した。
その瞬間。
少年が踏み込む。
今度は逃げない。
全体重を乗せた刺突。
ホリンは大剣を横にして受けた。
激しい金属音。
だが体勢が悪い。
ホリンの足が半歩下がる。
少年も勢い余って地面を転がった。
――ここだ。
「そこまでだ!」
俺は二人の間へ飛び込んだ。
ショートソードを抜き、少年へ向ける。
「なあ、あんた。もう仲間は逃げたぞ」
少年がこちらを見る。
「これ以上やっても意味がない。今日は引いたらどうだ?」
数秒。
少年は俺を見つめ――
突然、にへらっと笑った。
剣を鞘へ収める。
「たはーっ! きつかったぁ!」
「……は?」
「お兄さん、強いねえ!」
さっきまでの殺気はどこへ行った。
ホリンまで呆気に取られている。
「貴様……何者だ?」
ホリンが低い声で尋ねた。
「奴らとは明らかに違う。盗賊には見えん」
「え?」
少年は頭を掻いた。
「あー……おいら、もう行かないと!」
「待て」
「せっかく盗賊団に入って、奴らの財宝をいただこうと思ってたのになぁ。計画変更だよ」
……は?
盗賊から盗むつもりだったのか、こいつ。
少年は踵を返す。
そして数歩走ったところで振り返った。
「じゃあね、ホリンさん!」
「なぜ俺の名を――」
聞き終わる前に少年は駆け出した。
速い。
「待て!」
俺が追おうとした時には、もう岩陰へ姿を消していた。
「……何だったんだ?」
「変わった子ね」
フュリーがくすくす笑う。
「さっきまであんな凄い剣戟をしていたのに。元気いっぱいじゃない」
俺は答えず、隣を見る。
ホリンの額から汗が流れていた。
肩も僅かに上下している。
大剣を握る右腕には、細かな震えすらあった。
九人を相手にした後とはいえ――明らかに消耗している。
対して、あの少年は。
最後まで笑っていた。
「ホリン」
「なんだ」
「あのまま続けてたら、どうなってた?」
少しだけ沈黙。
ホリンは大剣を背中の鞘へ収めた。
そして歩き出す。
「次に戦えば分かるさ」
それ以上、何も言わなかった。
* * *
イザークへ入った俺たちは、その日の宿をリボーに取った。
ホリンの故郷ソファラは、ここからさらに北だ。
久しぶりの湯浴み。
まともな食事。
そして何より――町だ。
「いやあ、生き返った!」
俺は一人、リボーの町を歩いていた。
さすがは剣聖の国イザーク。
武器屋を覗くだけでも飽きない。
見たことのない形状の剣。
異国風の刀。
細身のものから、俺では持ち上げることすら難しそうな大剣まである。
そして俺には、切実な問題があった。
腰を見る。
ショートソード。
「……やっぱり、これ嫌だな」
軽い。
魔道士が護身用に持つには悪くない。
だが短い。
威力もない。
かといって細身の剣では防御に不安がある。
鋼の剣は――
持ち上げてみる。
「重っ」
却下。
そんな俺を見ていた武器屋の親父が、にやりと笑った。
「兄ちゃん、剣を探してるのかい?」
「ああ。軽くて、丈夫で、よく切れて、できれば安いやつ」
「そんな都合のいい剣があるか!」
「だよな」
「――と言いたいところだが」
親父が一本の剣を取り出した。
鞘から抜かれた刀身を見た瞬間。
俺の目が釘付けになった。
「白銀の剣だ」
「……おお」
持たせてもらう。
軽い。
鉄の剣より軽い。
それなのに、刃には吸い込まれるような輝きがある。
握った瞬間に分かった。
これだ。
俺が欲しかったのは、これだ。
「親父!」
「おう!」
「これはいくらだ!」
親父は満面の笑みを浮かべた。
「三千五百G!」
俺は静かに剣を返した。
「……短い付き合いだったな」
「待て待て待て!」
背中を向ける。
「兄ちゃん! 手持ちはいくらだ!? 多少なら勉強するぞ!」
振り返る。
「二千G」
親父の顔から笑顔が消えた。
「…………」
「…………」
その時。
通りを歩いていた男へ、親父が大声を上げた。
「いらっしゃい、いらっしゃい! そこのナイスガイな兄ちゃん! 白銀の剣はどうだい! 安くしとくよ!」
「おーい!」
無視された。
完全に俺の存在が消えている。
恨めしげに親父の背中を睨んでいると。
「ふふっ」
小さな笑い声が聞こえた。
振り返る。
少女がいた。
十歳にも届かないだろう。
艶のある黒髪を後ろで結った、小柄な少女。
俺と目が合うと、慌てて口元を押さえた。
だが、その瞳にはまだ笑みが残っている。
「嬢ちゃん」
「は、はい」
「目上の人間の失態を見て笑うとは、いい趣味してるじゃねえか」
「あ……」
少女の顔から笑みが消える。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりでは……」
「冗談だよ」
「え?」
俺は笑った。
「まあ、いいさ。金なし、才能なしの俺には白銀の剣なんて縁がないってことだ」
何気なく言っただけだった。
だが。
少女は俺をじっと見つめた。
そして小さく首を振る。
「……ううん」
「ん?」
「お兄ちゃんには、才能があると思う」
不思議な言葉だった。
慰めるような言い方ではない。
子供のお世辞でもない。
まるで――何かを見て、それをそのまま口にしたような声だった。
「そうか」
なぜだろう。
妙に嬉しかった。
「嬢ちゃんにそう言われると、本当にそんな気がしてきたよ。ありがとな」
懐へ手を入れる。
指先に触れたものを取り出した。
「じゃあ、お礼だ」
「え?」
少女と同じ目線になるよう膝をつく。
そして、その黒髪へ小さな飾りを添えた。
赤褐色の石。
シレジアを発つ時から持っていた、瑪瑙の髪飾りだった。
「これは……?」
「瑪瑙の髪飾り。シレジアで採れる石を使ってる」
少女が恐る恐る触れる。
「きれい……」
「黒い髪によく映える」
「でも、こんな大事なもの……」
「いいんだ」
俺は立ち上がった。
なぜ渡したのか。
自分でも分からない。
ただ――
この少女の笑顔を見た時から、ずっと気になっていた。
楽しそうに笑っている。
なのに。
その奥に何か、消えない影がある。
俺にはそれが、妙に分かる気がした。
「風の加護があらんことを」
シレジア流の言葉を残し、俺は踵を返した。
「じゃあな、嬢ちゃん」
「あ……」
少女が何か言おうとした。
だが俺は振り返らなかった。
だから、その時の俺は知らない。
なぜ彼女に髪飾りを渡したのか。
なぜ、初めて会った少女の笑顔があれほど胸に残ったのか。
その意味を知るのは――
もう少し先のことになる。
* * *
少女は、遠ざかっていく青年の背中を見つめていた。
髪に添えられた瑪瑙へ、そっと指を触れる。
『お兄ちゃんには、才能があると思う』
あれは慰めではなかった。
彼の纏う空気。
立ち姿。
そして――ほんの一瞬だけ感じた、何か。
それが何なのか、少女自身にも分からない。
けれど。
あの青年は、きっと普通の人ではない。
そんな気がした。
「……また、会えるかな」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
風が吹いた。
結われた黒髪が揺れ、瑪瑙が陽光を受けて淡く輝いた。
少女はもう一度だけ微笑む。
そして――
名も知らぬ青年が消えた通りを、いつまでも見つめていた。