ファイアーエムブレム 聖戦の系譜〜氷雪の融解者〜 作:Edward
少女を奪われた俺たちは、ホリンとの合流を優先して宿へ戻った。
本音を言えば、今すぐにでもあの連中を追いかけたい。
だが――追うべき方向すら分からない。
まして、ここはイザークだ。
俺やフュリーが勝手に動けば、俺たちを連れてきたホリンにも責任が及ぶ。何より、先ほどの戦闘で俺の魔力は底をつきかけていた。
今の状態で連中と再び遭遇しても、少女を救うどころか返り討ちに遭うだけだ。
それが分かっているからこそ、待つしかなかった。
「ねえ、カルト」
窓辺に立っていたフュリーが振り返った。
「あのローブの男のこと……あなたはどう見てるの?」
俺は少し考えてから答えた。
「おそらく――闇魔法だ」
「闇魔法?」
初めて聞く言葉だったらしい。
フュリーの表情が曇った。
「正確には、かつて暗黒神ロプトウスを信奉していた者たちが扱った魔法だ。人間の恐怖や憎悪、絶望……そういう負の感情と深く結びついている」
「でも、ロプトウスは倒されたんでしょう?」
「ああ。百年以上も前にな」
十二聖戦士によって暗黒神は滅ぼされた。
それによって世界は救われた。
――表向きは。
「神が滅びても、それを信じる人間まで一人残らず消えるわけじゃない。ロプトウスの復活を信じた連中の一部は地下に潜ったといわれている」
「まだ……いるの?」
「少なくとも、そう考えた方がいい」
グランベル王家にナーガの血が受け継がれている理由も、それと無関係ではない。
ロプトウスに対抗できる唯一の力。
それを絶やしてはならない。
そして同時に、各地に潜伏しているロプト教団の残党についても、密かに追跡が続けられている――そう聞いたことがある。
フュリーが胸元で手を握った。
「だったら……あの人たちは、なんのために子供を?」
俺は答えるのを一瞬ためらった。
だが、隠しても仕方がない。
「昔、ロプト帝国では《子供狩り》が行われていた」
「子供……狩り?」
「親から子供を奪って、生贄にした。人々に恐怖を植え付けるためにな」
フュリーの顔から血の気が引いた。
「じゃあ……あの子も……?」
「同じ目的なら――殺される」
「……っ!」
椅子が倒れた。
フュリーが勢いよく立ち上がる。
「カルト! だったらホリンさんを待ってる場合じゃないわ! 早く追わないと!」
「落ち着け!」
思わず声を張った。
少し前まで取り乱していた俺が言えた義理じゃない。
だが、だからこそ分かる。
焦って動けば失敗する。
「どこへ逃げたのかも分からないんだぞ。闇雲に探したところで見つからない。それに今の俺は、まともに魔法を撃てない」
「でも……!」
「明日の朝まで待て」
「え?」
「追跡する方法がある」
フュリーが目を見開いた。
「だから今は休む。魔力を戻して、ホリンから情報を聞く。それからだ」
「…………」
フュリーは唇を噛んだ。
やがて小さく頷く。
そして窓の向こう、夜の迫りつつあるリボーの町を見つめた。
「待っててね……」
祈るような声だった。
「絶対に、助けに行くから」
◇
ホリンが宿へ戻ってきたのは、日が沈む頃だった。
だが、朝とは明らかに様子が違っていた。
険しい。
族長との話し合いが、あまり良い結果にはならなかったらしい。
俺は昼間に起きたことを最初から説明した。
少女。
人攫い。
黒いローブの男。
そして――闇魔法。
話し終える頃には、窓の外は完全に暗くなっていた。
フュリーが階下から火種をもらい、燭台へ火を灯す。
揺れる炎の向こうで、ホリンは長い間黙っていた。
やがて。
「カルト」
重い声で口を開いた。
「俺がダーナへ行った理由を話しておこう」
俺とフュリーが顔を上げる。
「俺の任務は――リボーから消えている子供たちの調査だった」
「……やっぱりか」
「最初の事件は二年ほど前だ。今回で五人目になる」
ホリンは静かに続ける。
「当初は、人攫いによる奴隷売買だと思われていた。ダーナには裏市場がある。攫われた子供も、そこへ流されたのだろうと」
だが。
三人目が消えた頃から、おかしなことが分かり始めた。
「売られた形跡がなかった?」
俺が尋ねる。
ホリンが頷いた。
「そうだ。ダーナの市場を調べても、イザークから攫われた子供たちの記録がない。そこで調査兵を送り込んだ」
「その兵は?」
「帰ってこなかった」
フュリーが息を呑む。
「だから俺が行った。身分を隠すには、剣闘士になるのが都合が良かった」
「なるほどな」
ようやく繋がった。
なぜイザークの剣士であるホリンが、ダーナの闘技場にいたのか。
「そして、カルトと戦う少し前……イザークの子供を連れた男を見つけた」
「尾行したのね?」
「ああ。だが途中で気づかれた」
ホリンの拳が固く握られる。
「そこで……妙な術を使う男と戦った。剣を何度叩き込んでも止まらない。こちらの攻撃など、まるで痛みを感じていないようだった」
「おそらく同じ奴だ」
俺は断言した。
「死体だよ」
「……なんだと?」
「正確には、術者が死体を操っていた」
フュリーが顔をしかめる。
「だから剣が効かなかったの?」
「効かないわけじゃない。身体を完全に破壊すれば止められるだろう。でも、痛覚も恐怖もない相手を剣だけで止めるのは難しい」
俺は昼間の戦いを思い返した。
「逆に魔法なら、肉体だけじゃなく、そこに干渉している魔力そのものを揺さぶれる。だから俺の攻撃で退かせることができた」
「なるほど……」
ホリンはようやく納得したようだった。
自分の剣が通用しなかった理由が分かったのだろう。
「でもカルト」
フュリーが俺を見る。
「さっき言ってたでしょう? 明日になれば探せるって」
「ああ」
俺は頷いた。
「実は、あの子とは攫われる前に会ってる」
「えっ?」
「ちょっとした縁で、髪飾りを渡したんだ」
俺が作った工芸品。
ただし、普通の髪飾りではない。
「俺の魔力を少しだけ込めてある。同じ魔力を共鳴させれば、おおよその方向は探れるはずだ」
ホリンが勢いよく立ち上がった。
「本当か!」
「ああ。ただし、遠すぎれば無理だ。ある程度近づく必要はある」
それでも。
何もない状態でイザーク全土を探すより、遥かに可能性は高い。
「なら、まだ間に合う……!」
「ああ。だが一つだけ覚えておいてくれ」
俺は二人を見る。
「奴らの本拠地には、あの死体を操っていた術者本人がいる可能性が高い」
ホリンの表情が引き締まる。
「強いのか?」
「分からない」
俺は正直に答えた。
「だが、闇魔法を本格的に扱える術者なら、今の俺じゃまず勝てないと思っておいた方がいい」
「カルトでも?」
「ああ」
闇に対抗するための力。
俺にはそれがない。
「闇魔法と正面から戦うなら、本来もっとも相性がいいのは光魔法だ。だから――もし術者本人に見つかったら、子供を連れて逃げろ」
「しかし――」
「ホリン」
俺は遮った。
「助けたいからこそだ」
死ねば終わる。
俺たちも。
そして、攫われた子供たちも。
「失敗しても生きていれば、次の機会を作れる。そこで全員死んだら、本当に終わりだ」
しばらく沈黙が続いた。
やがてホリンが深く頷く。
「分かった」
そして頭を下げた。
「本来なら、イザークの問題はイザークの者だけで解決したかった」
「……」
「だが、ここまで敵を分析できている君を無視して意地を張るのは、誇りではなく愚かさだ」
ホリンが顔を上げる。
「カルト。力を貸してくれ」
「ああ」
「私も!」
フュリーも勢いよく立ち上がった。
「ここまで聞いておいて、私だけ帰るなんてできないわ。それにペガサスナイトは魔法への抵抗力だって高いんだから!」
「いや、できれば君にはそろそろシレジアへ帰ってほしいんだが……」
「嫌よ!」
即答だった。
「こんな状態で帰るなんて私の正義に反するわ!」
そして。
フュリーは真っ直ぐ俺を見る。
「お願い、カルト」
「ん?」
「これが終わったらシレジアに帰るから……もう少しだけ、一緒にいさせて」
「…………」
ん?
俺は固まった。
横を見る。
ホリンも固まっていた。
「…………」
「…………」
最初に動いたのはホリンだった。
「あー……俺、腹が減ったな」
「おい」
「下で食べ物を見てくる」
「待てホリン」
「では二人とも、ごゆっくり」
「いらん気を遣うなぁぁぁ!」
扉が閉まる寸前、ホリンの口元が笑っているのが見えた。
「違うからな! こいつの言葉の使い方がおかしいだけだから!」
「……え?」
フュリーが瞬きをする。
そして今の自分の言葉を頭の中で反芻したらしい。
見る見る顔が赤くなった。
「なっ……なななっ……!」
「だから俺を見るな!」
「カルトの馬鹿ぁぁぁ! 私はあの子を助けたいって意味で言ったの!」
「俺は何も言ってないだろ!」
「顔が言ってる!」
「無茶言うな!」
「ふんっ!」
ぷい、とフュリーが横を向いた。
その時。
扉が少しだけ開いた。
「……とりあえず、飯にしないか?」
ホリンだった。
「明日からしばらく携帯食になるだろう。今日くらいは俺が奢る」
「本当か!?」
俺は即座に立ち上がった。
「イザークに来たら牛肉を食ってみたかったんだ! シレジアじゃ羊が多いからな!」
「カ、カルト! 切り替え早すぎるでしょ!」
「ホリンの気が変わらないうちに行くぞ!」
「ちょっと、引っ張らないでってば!」
フュリーの手を引いて階段へ向かう。
その後ろで。
ホリンが小さく笑っていた。
明日。
俺たちは、攫われた少女を追う。
その先に何が待っているのか。
この時の俺たちは、まだ知らなかった。
◇
「父上! なぜ軍を出さないのです!」
同じ夜。
リボー族長クラナドの館に、怒声が響いていた。
「このままでは、我がリボーは子供を攫われながら何もしない腰抜けだと思われますぞ!」
声の主は、クラナドの息子――クラウス。
それに対し、老いた族長は静かに首を振った。
「ならぬ」
「なぜです!」
「ダーナは中立地域だ。そこへリボー軍が武装して進めば、人攫いの討伐だけでは済まぬ」
「しかし!」
「グランベルも、レンスターも見ているのだぞ」
クラナドの声が強くなる。
「一地方の族長が軍を率いて国境を越えた――そう受け取られれば、これはリボーだけの問題ではなくなる。イザーク王家にまで累が及ぶのだ」
クラウスは言葉を詰まらせた。
「だからこそ、ホリンに調査を任せている。少人数で潜入し、攫われた者を救い出す。それが今できる最善だ」
「またホリンですか!」
クラウスの顔が歪んだ。
「奴は一度敵に気づかれ、返り討ちに遭った男でしょう!」
「それでも情報を持ち帰った」
「父上!」
「クラウス!」
クラナドの一喝に、部屋が静まり返る。
「己より優れた者を認めることも、人の上に立つ者に必要な器量だ」
その言葉は。
クラウスの胸の、もっとも触れてはならない場所へ突き刺さった。
「……失礼します」
低い声で告げると、クラウスは部屋を出た。
◇
「くそっ!」
自室へ戻ったクラウスは、杯の酒を一息に飲み干した。
「なぜだ……!」
杯を机へ叩きつける。
「私はリボーを思っている! 攫われた子供たちを助けたいと思っている! なのになぜ、父上はいつも私を認めない!」
ホリン。
ホリン。
ホリン。
父はいつもあの男を評価する。
自分ではなく。
「俺にだって……!」
酒を注ぐ手が震えた。
「機会さえあれば……マリクル王子にも負けぬ働きができる! リボーをもっと強くすることだって……!」
「――まあ」
声がした。
クラウスの動きが止まる。
「それは素晴らしいお志ですこと」
「……誰だ!」
椅子を蹴って立ち上がり、腰の剣を抜く。
誰もいない。
扉には鍵が掛かっている。
窓も閉まっている。
なのに。
「こちらですわ」
背後。
振り返ったクラウスの息が止まった。
先ほどまで誰もいなかったはずの椅子に、一人の女が座っている。
黒いローブ。
顔は深いフードに覆われ、表情を見ることはできない。
ただ。
その闇の奥から、黒い髪が一房だけ覗いていた。
「な……何者だ!」
女は答えない。
代わりに机の上の酒瓶を手に取り、空いていた杯へ注いだ。
そして。
まるでこの部屋の主人であるかのように、ゆっくり口をつける。
「悪くありませんわね」
「質問に答えろ!」
「怖いお顔」
女は小さく笑った。
「私はただ――リボーを愛する方と、お話をしてみたかっただけですのに」
「……何?」
「聞いていましたわ」
女が杯を置く。
「攫われた子供たちを救いたい、と」
クラウスの剣先がわずかに下がる。
「あなたは間違っていません」
その一言だった。
父から決して与えられなかった言葉。
「子供たちは今も怯えているでしょう」
「……」
「助けを待っている」
「……そうだ」
「それなのに、あなたには兵がある。救いたいという意志もある」
女は首を傾けた。
「なぜ動いてはいけないのでしょう?」
「父上は……国境を越えれば他国を刺激すると……」
「賢明なお考えです」
意外な答えだった。
クラウスが女を見る。
「ですが」
女は続ける。
「侵略でなければ?」
「……何?」
「賊に攫われた子供たちを救出するための行動。それをダーナの民の前で証明すればよいのです」
クラウスの目が動いた。
「もちろん、普通の兵だけでは危険でしょう」
「……奴らは魔法を使う」
「ええ」
「知っているのか?」
「多少は」
女が笑った。
「私も――魔法を嗜みますので」
クラウスの剣が完全に下がった。
「お前なら勝てるのか?」
「私一人では難しいでしょう」
女は即答した。
そして。
「ですが――あなたの兵があれば」
クラウスを見る。
「…………」
「子供たちを救えます」
「…………」
「リボーの民も知るでしょう」
さらに一言。
「誰が、自分たちを守ったのかを」
クラウスの喉が鳴った。
女は急がない。
もう十分だった。
「だが……ホリンがすでに動いている」
「そうですわね」
「奴が先に救出すれば……」
そこで女は黙った。
答えを言わない。
クラウス自身に、その先を考えさせる。
「……また、あいつの功績になる」
「私は何も申しておりませんわ」
「父上はますます奴を評価する……」
「…………」
「俺ではなく……!」
女の口元だけが、わずかに笑った。
「決めるのは、あなたです」
「…………」
「クラウス様」
初めて。
女がその名を呼んだ。
「あなたは、リボーを救いたいのでしょう?」
「ああ」
「子供たちを助けたい」
「ああ!」
「ならば――」
囁く。
「あなたが救えばよいのです」
沈黙。
やがてクラウスは、剣を鞘へ戻した。
「……兵を集める」
女は何も言わない。
「父上には知らせん。救出してから結果を見せればいい」
まだ何も言わない。
「ホリンより先に俺が子供たちを救う」
そして。
クラウスは笑った。
「そうすれば父上も認めざるを得ん!」
ようやく女が微笑んだ。
「ええ」
その声は。
どこまでも優しかった。
「きっと」
クラウスは気づかなかった。
自分が今まで口にした言葉のほとんどを。
女は一度も命令していないことに。
女はただ。
彼が欲しかった言葉を与えただけだった。
――あなたは間違っていない。
それだけで。
人は自ら糸を首へ掛ける。
「いずれ証明してやる……」
クラウスは拳を握った。
「俺こそが、リボーを導く人間だと」
「ええ」
黒いフードの奥。
女――フレイヤは静かに笑った。
「そしていつの日か――」
その声だけが、闇へ溶ける。
「イザークを導く御方に」
「俺が……イザークを……」
その瞳に。
もう、父の姿はなかった。
マリクル王子も。
ホリンも。
ただ。
自分が王座へ座る幻だけが映っていた。
フレイヤは満足そうに立ち上がる。
人形を操るのに。
糸など必要ない。
望む方向へ歩き出すよう、ほんの少し背中を押せばいい。
そうして――
誰にも気づかれぬまま。
一体の傀儡が生まれた。