その日は年末の納税に向けて、毎年冬の初めに行われる会合が開かれる日だった。
カイの事件が起きる前までは、毎年行われる、ほぼ形式的な報告会のようだった。
しかし、イライアスが当主の座を引き継ぎ、もはや男たちが従軍できなくなってからは、一族の存続をはかるために、知恵を出し合い、納税の工面を議論する切実な場となっていた。
基本、誰もが参加できることになっていたが、女が出席することはめったになかった。
しかし、禁止はされていないので、今年、ゼルダは参加することにした。
ルカは前日の夜から、イライアスに頼まれて、町の商人のところまで使いに行っている。
ルカは大勢の人が集まる場をなるべく避けていたので、彼にとって用事を頼まれたのは好都合だった。
ブルナで町まで、遠乗りができることを、ルカは素直に喜んで出かけた。
会合の会場に着くと、見渡す限りでは、女性はゼルダしかいなかった。
一族再興派の男たちは、固まらず、散り散りになって、座っていた。
ゼルダは、知らない男性の隣の席に座った。
会合はすでに始まっていて、イライアスが今年度の見込みを説明している。
自分の近くに座っている男たちの顔を見てみると、皆、沈痛な表情をしている。
そして、ただ仕方ない、と諦めているだけのようだった。
今年の秋の猟で、たくさんの毛皮がとれたが、去年までの負債を返しきるまでにはなってないこと。
畑も、天候不順が響き、予想よりは収穫が減ってしまったこと。
鉱山の仕事が減ってしまったこと。
結論としてはこうだ。
今年だけでみれば、納税は工面できた。
しかし、過去からの負債が足を引っ張ってしまっている。
なので、また娘を奉公にだすことになったと。
ゼルダは、去年までの会合に参加していない。
だが、おそらく毎年、違う娘が奉公に出されることが決まり、それが変えられないまま、ずっと続いてきたのだろう。
自分が老貴族に嫁いだときも、そうやって淡々と受け止められたに違いない。
「質問がなければ……」
それで閉会するとイライアスが言いかけたところに、ゼルダは手を挙げた。
イライアスはゼルダがいるとは気づいていなかったかのようで、一瞬、驚いた表情をしたが、うなずき、ゼルダに発言するよう促した。
「イライアスさまと皆さまにおたずねします。これまで、奉公に出た娘で帰ってこれたのは、どれぐらいいるのでしょうか」
イライアスは黙って、その数を頭の中で考えているようだった。
ゼルダは続ける。
「わたしの知る限り、ほんの二、三人です。そのいずれもが、一人で村はずれに隠れるように暮らしています。村に戻ってこない娘たち……なかには、幸せに暮らしている子もいるのかもしれない。しかし、どなたか彼女たちから仕送りを受け取るとき、どんな暮らしをしているか、帰ってきたいと思っているのか、ときいたことはありますか?」
「……」
「いくら帝都や大きな町の華やかな暮らしがいいのだとしても……やはり生まれ育った村で、一族の男と一緒になって家族のそばで暮らしたかったはずです。
娘たちが帰ってこなければ……だれが、毛織物を織り、子を産み育てるのでしょうか。毎年、娘を送らなければならないのなら——それを変える必要があります。
そうしなくても、いいようにと。この村の土地は貧しく、とれる穀物もわずかです。羊をもっと飼うには、険しい山を切り開かなければならない。内地に住むわたしたちは、海沿いの一族のように、漁をすることもできません。
ですが、かつては豊かでした。わたしたちには、屈強な戦士がいて、彼らが一族を支えてくれていました——わたしの叔父が不祥事を起こすまで……。
家族として、皆さまにはお詫びいたします。彼は許されない過ちを犯しました。しかし、それは彼の過ちであり、皆さまのではありません。わたしたちは、もう充分、償ったと思います。
なら、この土地にあわないことで税を払っていくのではなく、今一度、従軍できるように中央政府に働きかけるべきではないでしょうか」
イライアスは黙ってきいている。会場の空気は熱気を帯びてきた。
だが、全員ではない。ゼルダの話に賛同している者たちもいれば、そうでない者たちもいる。
「村はずれに住んでいる女たち……彼女たちは、傷ものと呼ばれ、自分を恥じて生きています。皆さまは、ただ彼女たちが帝国の男に弄ばれ、慰み者になっただけとお考えでしょう……ですが、思われている以上に、彼女らはずっと残忍な目にあっています」
ゼルダは言葉を止めた。
顔を、一瞬だけ下に向ける。
指が、胸元の紐にかかった。動かなかった。
あの暗い部屋で、何度、この動作をさせられただろう。
数えたことはない。数えられるものではなかった。
息を吸う。紐が、ほどけた。
服を脱ぎ、上半身を露わにした。
皆が息をのんでいる。
ゼルダの、陶器のように透き通った美しい白い肌。
そこに、むごたらしく刻まれた、豊かな胸を覆いつくす無数の傷痕。
誰もが、ここまでとは想像していなかった、陰惨な行為の痕跡にただ圧倒されていた。
ある者は、目を伏せ、別の者は拳を握り、息を止めていた。
「皆さまは、武勇の誉れに満ちた戦士の末裔です。どうか、そのことを思い出してください」
ゼルダは、ゆっくりと服を元に戻した。
最後に、顔を上げる。
「——あなたがたの娘が、姉妹が、これを受けても、許せますか」
そう言うと、ゼルダは顔を伏せ、会場をあとにした。
言葉を発するものは、誰もいなかった。
その後、どうやって家まで戻って来たのか、よく思い出せなかった。
気が付けば、食卓に座り、何時間もそこにただ座っていた。
気力がすっかり抜けてしまっていた。
会合で皆の前で話したことで、当面のゼルダのエネルギーはすべて使われてしまったようだった。
そのつもりはなかったが、今思えば、だいぶイライアスを批判したような内容になってしまったと思う。
イライアス本人よりも——彼の取り巻きたちが、決して許容できないだろう。
自分が起こしたことだ——わかっているが、今日から確実に物事は変わってしまい、後戻りできないだろう……。
そう、思うとゼルダは一瞬、眩暈を覚えた。
ノックの音がした。ルカは今日はまだ帰ってこないはずだ。
注意深く、玄関のドアを開けると、そこには、一族再興派のリーダーのエリクが立っていた。
彼が、ゼルダに同志の集まりへ招待する手紙を書いた人物だった。
気恥ずかしそうな様子で、ゼルダの勇気を称えると、
「あなたの話に心を動かされた者は多い。だが、イライアスに近い連中は、穏やかではなかった」
エリクもゼルダ同様、イライアスの取り巻きの動向が気がかりのようだった。
「今夜は、戸締まりをしておいた方がいい」
誰かを寄越すことはできない、とエリクは言わなかった。
言う必要もなかった。
今夜この家に男がいれば、明日には別の話になっている。
「多少の剣の心得はあります。今晩だけなら、なんとかなると思います」
ゼルダがそう答えると、エリクは心配そうな表情を残したまま、帰っていった。
良くも悪くも、ルカは明日まで帰ってこない。
もし、ルカが今いたら——会合でのゼルダの行為を知ったら、半狂乱になっているに違いない。
それから数時間後、再び、玄関の戸が叩かれた。
まさか、イライアスの取り巻きの一味ではないだろう……。
一族再興派の別の者だろうかと思い、玄関を開けると、ゼルダが全く予期していなかった人物が、憮然とした表情で立っていた。
「……ニル叔父さま……」
ルカの父だった。
ゼルダも彼とはもう、何年も会っていない。
最後に会ったのは、おそらくまだ貴族に嫁ぐ前だった。
彼の顔がどんなであったかは、ほとんど思い出せないはずだったが、彼の纏う圧倒的な負の雰囲気は忘れようとしても、忘れられなかった。
それで、すぐ彼とわかったのだった。
ニルは何も言わないまま立っているので、ゼルダは彼を中へと通した。
席についても、口は開かれない。
今日の会合のことで、ここへ来たのは明らかだった。
通常、彼はこうした集まりにはずっと欠席しているので、彼があの場にいたとは思えない。
それなら、なぜ……。
「大勢の前で、イライアスにたてついたそうだな……散々、世話になっているのに」
ようやくニルが話し始める。
ゼルダが思った通り、彼は会合にはおらず、誰かから話をきいたようだった。
「あいつが、お前との婚礼の立ち合いを頼んだそうじゃないか。承諾をもらって、しかも馬まで贈られて」
誰がニルと話しているのだろう、とゼルダは思った。
イライアス本人とは思えなかった。
「これまでだって、こんなみっともないことはなかったのに……。女の身で——しかも、傷ものなのに、あんな男だけの集まりにのこのこ顔をだして、生意気なことをさんざん言ったあと、とんでもないことをしでかしたそうじゃないか」
ゼルダは、ただ静かに、ニルがしゃべり続けるのを聞いていた。
傷つけようとする意図に溢れた言葉の数々だったが、ゼルダの心には全く届かなかった。
彼の言動に傷ついて流す涙は、とっくの昔にすでに使い果たしてしまっていた。
「……叔父さまは、わたしにどうしろ、と?」
ニルの言葉がようやく止まったので、ゼルダはほとんど感情がこもってない表情でたずねる。
「イライアスに謝れ」
「自分でも、そのつもりでいました。明日にでも、お詫びに行きます」
「もう二度と、公の場に出てしゃべるな。あいつとも別れろ。人から、なんて言われてるかわかってるのか。お前も、お前の母親も、あの顔をした男なら見境がないらしいな。相手が弟でも、従弟でも」
ゼルダはすぐには答えなかった。
彼に言いたいことは、ない。
だが、会話を終わらすためには、何か話さないといけない。
「わたしたちは、子供の頃からずっと二人でいました。ルカのお母さまがいなくなってから。
その後、わたしの母が亡くなってから、お互いしかいなかったので、ずっと支えあってきました。ルカも、わたしも、まだ子供だったので……叔父さまに……誰かに、守ってもらいたかった。
でも、誰もそうしてくれなかった」
「……」
ニルは何も言わず、ゼルダから顔をそらし、立ち上がったまま、しばらく動かなかった。
お引き取り願いますか、とゼルダが言おうとしたその瞬間、黙って、彼は玄関の方へと向かっていった。
戸が閉まる。
ゼルダは、灯りを消さずに、そのまま座っていた。
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