晩秋の冷気が流れる札幌。デパ地下の賑わいの中、僕——森 暖月(もり あつき)と、関西から引っ越してきて三年に執る彼女・美織(みおり)さんは、目当ての「おやき」を買うために行列に並んでいた。

おやき、回転焼き、今川焼き、大判焼き、御座候——。
同じ菓子でありながら地域によって異なる呼び名に、どこか自分のルーツを確かめるように寂しさをのぞかせる美織さん。

大通公園のベンチで、温かなほうじ茶と一緒にホカホカのおやきを半分こしながら、たわいない会話を重ねるふたり。
ひとつの菓子を分け合い、ふたつの名前を抱えながら、足元に舞い落ちるモミジとともに過ぎていく、かけがえのない晩秋のひとときを描いた日常ショートストーリー。


2026年 収録「もぐもぐアンソロジー 〜酸いも甘いも人生だ〜」
※加筆修正あり

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おやき ~ひとつを二人で 二人は二つのままで

 並ぶ人々は、天然の暖房だ。

 ふわりぼんやり。僕、森 暖月(もり あつき)はそんなことを思い浮かべた。

 

 デパ地下とは、不思議な空間。

 

 地上から流れ込む、晩秋冷気もなんのその。

 渦巻く熱気。人波、人目が、絶えず流れて引いていく。

 

 僕と彼女は、そんな流れをかき分けて。

 ようやく目当ての行列、辿り着くのは最後尾。

 

「うわぁ、森くん。やっぱりすごい列やねぇ」

 

「仕方ないよ。ここのおやき、ほとんど値上げしてないんだから」

 

 彼女――美織(みおり)さんが、僕のコート裾をきゅっと掴んだ。

 

 目線先、デパ地下の一角。

 ガラスの張り向こう、職人は銅板窪みに“白”を流し込む。

 閉じ込められるは、艶やか黒餡、滑らか白餡。薫る芳ばしさ、甘さ。

 

 菓子を作る一連の動作というのは、いつ見ても見飽きないものだ。

 

 商品名は、御座候(ござそうろう)。

 道民がいうところの、おやき。

 東京民がいうところの、今川焼き。

 

 この万事値上がりのご時世にあって、驚くほど値段の変わらぬ名店。

 おかげで行列が立ち並ぶ。

 

 経営元が兵庫県らしくて、この呼び方なのだが――まあ、詳しくは語るまい。

 重要なのは、ふっくら美味しいということ。

 変わらぬ味と、僕らの期待している安心感をくれること。

 

「すごいよねぇ。ほんまに美味しいもんなあ、ここのあんこ」

 

「うん。生地も、ほかほかだ。……綺麗な和菓子もいいけど。結局、ここの〝おやき〟が食べたくなっちゃうねえ」

 

「〝おやき〟かあ~」

 

 小麦色の円盤、その味に想いを馳せる。

 だけれど、上がる不満そうな声。

 

「……私の地元やと、これ、〝回転焼き〟やねんけどなあ」

 

 美織さんは唇を尖らせた。

 

 彼女も札幌に来てもう三年。

 でも時々こうして、自分の根っこを確かめるように零す。

 何気ない、ことのは。

 

「回転焼き、か。同じものなのに不思議だよね。でも、美味しければ名前なんて何でもいいじゃない」

 

「そやけど、気になるやん。……なんだか、本当の名前はどれなんかな、って」

 

「嘘も、本当もあるのかなあ……」

 

「あれやん。一応、どこかに発祥の地があるはずちゃう? 元祖的な」

 

「じゃ、発祥の地で、呼ばれてる名前が本物ってこと?」

 

「うーん、たぶんな? 知らんけど」

 

 出た。気が抜ける、魔法の付け足し。

 お得意の“知らんけど”だ。

 

 列は少しずつ、進む。

 僕らはゆったりと流れる。

 

「そんなに嫌なの? 〝おやき〟って呼び方」

「嫌……とは、ちゃうんよなぁ。なんていうか――」

 

 ほんのり。美織さんは遠くを見る。

 睫毛、頬、横顔――艶ある口紅。

 

 彼女が言葉を見つけるまでの、ちょっとした時間は。

 お茶の葉が開き、香りが立つのを待つような。そんな心持ちだった。

 

「私、な。もうすっかり〝おやき〟で馴染んだんやけど……でも、たまに、ふと思うんよ」

 

「……なんて?」

 

「いつから〝回転焼き〟って、言わなくなったんかな、って」

 

 ひたり、と。

 心の雫が、耳の傍まで落ちてきた気がした。

 

 美織さんの、こういう感性が。

 自分自身へのささやかな気付き、浮かび立つ言葉というものが。

 

 ――なんだか、いつも愛おしくてたまらなかった。

 

 声には郷愁と。

 失われたものを慈しむ、ほろ苦い味わい。

 

 それから、注文したのは。

 黒餡、白餡を一つずつ。ふたつの〝おやき〟。

 

 紙袋に入れてもらえば指先から伝わる、ぬくもりはじんわり。

 向かう地上へ続く階段。風が吹き抜ける。

 

「さむ」

 

 美織さんは呟くと、僕の腕へと身を寄せて。

 冷たい手を、コートのポケットへ。

 

 地上。

 テレビ塔が見上げる空は、にびいろ。

 枯れ葉の絨毯は、カサカサと。

 

 しばらく踏みしめ歩いてから、適当なベンチに腰下ろす。

 

「お茶、いる?」

 

 尋ねれば、こくり。頷かれた。

 持参のポットと紙コップ。ほうじ茶の湯気が、白くけむゆく。

 

 注いで渡せば。

 美織さんは両手で包み込み、ほおを緩ませた。

 

「ぬくいわ~。森くん、いつもありがと~な」

「いえいえ、お安い御用ですとも」

 

 おどけて返す。

 暫し、お茶だけで一服。

 

 冷えた指先を十分に温めてから。

 いよいよ美織さんはホカホカの〝おやき〟を取り出していく。

 

「まあ、冷める前に食べよか」

 

 これを彼女は、こともなげに半分こ。

 ぱっくり割った。

 

 中身は黒餡。

 手渡された円盤。まだほんのり残る、幸せなあったかさ。

 

「んー、おいしい」

 

 ぱくっ。美織さんは、口周りにあんこをつけながら、目を細めていた。

 早業だ。あっという間に食べてしまう。

 

 思わず、笑顔がおすそ分け。僕も口を付けた。

 もっちり生地、粒あんは上品な甘さ。

 この、ずしんほろっと素朴な味が、僕は昔から好きだった。

 

「にしても。おやき、回転焼き、今川焼き、大判焼き、御座候……。何度考えても、不思議な菓子だよね。こんなに呼び名があるのに、誰も怒らない」

 

「はあん? なに言うとんの? 怒ってる人、ここにおるやんか」

 

 美織さんは、そう自分を指さす。

 

「え、本当に?」

 

 くすり。

 聞き返せば、笑われた。どこまで本気か、わからない。

 

「あー。でもさ、これ。たい焼きとは、何が違うんだろうね? 形が違うだけかな」

 

「うーん、たい焼きと来たか~。それはだいぶ、ちゃうんやないの? ほら、たい焼きの方が、生地が薄くて、皮がパリッとしてるやん? 〝おやき〟は、この生地の、ふっくらした感じが魅力やんか」

 

「あー。なるほど、ね?」

 

「それにたい焼きには、頭から行くか、尻尾から行くか、っちゅう、人生の選択を迫られる楽しみもあるし!」

 

「……僕、それは意識したことないなあ」

 

 でも、言われてみればそうかもしれない。

 ふっくら生地とたっぷりの餡。口の中での一体感。

 

 うん、違うと言えば違うか。

 

 たい焼き、と、おやき。なにが違うか。

 頭と尻尾の有無。……そこで、ふと思い出す。

 

「そういえばね。昔のドラマでね、〝今川焼き〟が出てくるのがあったな」

 

「はあ、ドラマに? ……なんでまた、そんな地味なもんが」

 

「ミステリーだったんだ、毒殺トリックに使われてて――」

 

「え、こわっ。森くん、唐突に怖いこというやん!? どういうこと? それ、これから食べる時に言うやつとちゃうで!?」

 

 流石、百点満点のリアクションだ。感心することしきり。

 

「そうそう。しかも、犯人が〝今川焼き〟に毒を入れて、それを二人で分け合うってやつなんだ」

 

「って、話続けるんか~い!」

 

 ちなみにこの場合、話を続けないと「なんで続き話さんの!」「だって気になるやん!」と、結局ツッコまれることを僕は知っている。理不尽。

 

「でも、そんなの無理ちゃう? 半分にかち割る時に、だいぶ上手いことやらなあかんよね」

 

「だから、それがミソなんだって。それもね、相手に割らせるんだ」

 

「えっ!? 相手に割らせんのっ? ……はぁ~、なんとも難しそうな話やねえ。で、味は黒餡だったん?」

 

「え? まあ、そうだね。黒餡だったと思うよ」

 

 「ふうん」と相槌を打たれて、ひと段落。

 

 ――ドラマのトリックなんだから、味はなんでもいいのでは?

 

 疑問に思ったけれど、口にはしなかった。

 

 すると、美織さんは新たに、紙袋から残る白餡の〝おやき〟を取り出す。

 細い指で、また半分に。

 

 ホクホクした上品な白餡。

 詰まった片方は、僕に手渡された。触れ合った指先が、少しだけ冷たかった。

 

「じゃあ、私らは大丈夫やね」

 

 悪戯っぽく、僕を見上げて。

 クリーム詰まった断面と、一緒にニコッと微笑んだ。

 

「だって、これは〝今川焼き〟やない。〝おやき〟やもん」

 

 自信満々。

 言いきられるのは、よくわからない彼女らしさ。

 

「……厳密には御座候じゃないの? 店ではその名前で売られてたんだし」

 

「いいや、ここは札幌なんやから、おやきでええやろ! それに黒餡と白餡。一個ずつ、ちゃんとふたつ買ってるし!」

 

 その、あまりにも有無を言わせない勢い。

 思わず言葉を失って。

 やがて、こみ上げてくる愛おしさに吹き出してしまう。

 

 ――ああ。本当に、敵わない。

 

「そうだね。……きっと、大丈夫だ」

 

 白餡の〝おやき〟も、とてもおいしい。

 隣で頬張る美織さんが、「んー、しあわせ」とまたたび嗅いだ猫みたいにゴロゴロゴロ。僕にすり寄った。

 行列に並んで、待った価値は……こんな何気ない時間。

 

「なあ、森くん」

 

「なんだい、美織さん」

 

「この後、何食べよっか。次は、しょっぱいもんがええなぁ。ザンギとか」

 

「……え、まだ食べるの?」

 

 呆れたように見せた。

 でも、声は嘘をつけない。どこか弾んでしまっているのを、自分でもわかっている。

 

 まだ、この時間が続く。

 それがどうして――こんなにも、胸奥をむず痒くさせるのかな。

 

 色づいたモミジの葉が、一枚、また一枚と、僕らの足元に舞い落ちて。

 

「だって、食欲の秋やもん!」

 

 そんな言い訳を、僕らに許してくれた。


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