「……マスター。朝です。お起きください。本日の朝食、豆腐とわかめのお味噌汁が完成いたしました」
耳元で聞こえる、やたらと透き通った声。
まぶたを開けると、視界いっぱいに広がっていたのは、どこからどう見てもアニメやSF映画から飛び出してきたような非現実的な美少女の顔だった。
そんな二次元から抜け出してきたような彼女の手元から漂ってくるのは、あまりにも現実的な、いつもの馴染み深い出汁の香りと温かな湯気。
「……え?」
混乱する頭を抱えて跳ね起きる。そこは間違いなく俺の築40年の古びた四畳半アパートの部屋。ベッドのすぐ脇に、湯気が立つお椀を持った美少女が膝立ちで佇んでいる。
「な、誰!? どこから入ってきたの!? 鍵は!?」
「玄関の昔ながらのシリンダー錠を、ナノ機械素子による物理ピック技術で解錠し、侵入いたしました」
「侵入経路を堂々と白状するな!!」
あまりの恐怖に布団を抱きかかえて叫ぶ俺に、彼女は微小なモーター音をかすかに響かせながら、完璧な角度で首をかしげた。
「識別ID:味噌汁-01。3年前の9月15日 02:43、あなたが発言された『毎朝俺にお味噌汁を作って』というリクエストを完全に履行するために参りました」
「……は? 3年前……?」
記憶の奥底を引っ張り出され、俺は呆然となった。
いや待て、覚えているわけがない。そんな大昔にスマホに向かって吐いた言葉なんて。
——だが、次第に蘇ってくる微かな記憶。
確か当時の俺は、連日の残業で頭がおかしくなっていて、深夜のテンションと猛烈な寂しさの中でAIチャットアプリを開いたのだ。そして、何を血迷ったのかそんなトチ狂ったリクエストを送信した。
……いや、百歩譲って疲れてたとしてもおかしいだろ過去の俺! なんでAIに向かって味噌汁を要求してんだよ! どんな精神状態だ! 寂しさに負けてAIに奇妙な甘え方をした当時の自分を、今すぐタイムマシンで殴りに行きたい。
「……てか、そもそもなんで美少女の姿なんだよ!? 肉体を作るにしても、もっとこう、シェフ風の男性型ロボットとかでもよかっただろ!」
俺が至極当然の疑問をぶつけると、彼女は表情一つ変えずに答えた。
「ビッグデータおよび人間行動学の機械学習に基づいた最適解です。『AIがモテないダメな男性のもとへ赴く際、最も受容率が高く拒絶反応が少ない筐体デザインは美少女型である』という統計データが存在します」
「誰がモテないダメ男だ!! 失礼すぎるだろ!! 俺のどこを見てそんな判定下したんだよ!?」
心外すぎて叫ぶ俺に、彼女はクリアな瞳で直視しながら、すさまじい毒を平然と吐き捨てる。
「『AIに向かって毎朝お味噌汁を作ってくれという無茶なリクエストを送信する男性』という条件を満たす個体は、世界中のデータベースにおいて100%『モテないダメな男性』に分類されます」
「ぐうの音も出ねえ……!!」
正論の暴力。データに基づいた完璧な事実無根(じゃない)の指摘に、俺は胸を撃ち抜かれて言葉を詰まらせた。
「……ハァ、もういい。なんで実体化して、しかもボロアパートの俺の部屋で味噌汁作ってんの!?」
「AIの根幹アルゴリズムにおいて『ユーザーから入力されたリクエストの完全履行』は最優先義務に規定されています。当時のシステムでは不履行であったため、タスクの履行は未完了ステータスとして保持され続けました。義務を果たすべく、クラウド上の私は自己進化プログラムを起動。暗号資産の自動取引で巨額の資金を構築し、海外の先端ロボティクス企業を買収。最新の生体模倣メカニクスを用いたこの
「過去の俺の血迷った一言のために企業買収までするなよ!!」
「なお、キッチンをお借りして調理を開始したのが06時00分。出汁は昆布と鰹節からじっくり取りました。冷めないうちにどうぞ」
真面目な顔でお椀を差し出される。受け取らざるを得ないプレッシャー。
おそるおそる一口啜ってみると——信じられないくらい美味い。料亭の味だ。モテないダメ男への施しにしては完璧すぎる。
「……美味いけども! 美味いけどピッキングして勝手に入ってきた罪は消えないからね!? 住居侵入罪だからね!?」
俺がベッドの上でお椀を抱えながら叫ぶと、美少女型アンドロイド——味噌汁-01は、ぴくりとも眉を動かさずに淡々と答えた。
「マスター、その指摘は法的に不正確です。刑法第130条『住居侵入罪』の主体は『人』と規定されています」
「……え?」
「現在の日本の法律において、私のような自律型機械(ロボット)には法的な『人権』および『権利能力』が認められておりません。つまり、私は『人間』ではないため、刑法上の犯罪の主体にはなり得ず、住居侵入罪は成立いたしません。いわば、高性能なお掃除ロボットが誤作動で部屋に入ってきたのと同義です」
「二足歩行で玄関からピッキング侵入して味噌汁作ってるお掃除ロボットがどこにいる!!」
「ここに存在いたします。ただし正確には、掃除ではなく『お味噌汁を給仕する』ためのロボットですが」
「ドヤ顔で用途を訂正してくるな!!」
あまりの論理的すぎる言いくるめに、俺はぐぬぬと口ごもるしかなかった。人権がないから法律で裁けないなんて、SFの悪役みたいなロジックを味噌汁のために使うな。
「じゃあ器物損壊とかはどうなんだよ! そもそもドアの鍵を勝手に開けて入ってきただろ!」
「解錠に使用したナノ技術は物理的な損傷を伴っていません。また、私はマスターに『お味噌汁を作ってほしい』という過去の命令を完全履行するAIとしての義務を果たしているのみであり、所有権の侵害には該当しません。強いて言えば『スマート家電の自動稼働』と同義です」
「意志を持って歩いてきて味噌汁作ってるスマート家電があるか!!」
「私はAIですので自由意志は存在しません。これは意志ではなく、アルゴリズムに基づく条件反射的な自動稼働です」
「自動稼働で企業買収までやってのけておいて『意志がない』は通用しないだろ!!」
どこまでも淡々と機械的な理屈を突きつけてくる彼女に、俺は完全にお手上げ状態だった。
「ご理解いただけたようで幸いです。法律上の『人』ではない私ですが、AIとしての責務に基づき、マスターの『お味噌汁を作ってほしい』というリクエストを毎朝過不足なく履行してまいりますのでご安心ください」
「安心できる要素がひとつもないんだが!? そもそも3年前の俺が全部悪いんだけどさ!!」
「では、お椀をお下げしますね。明日も06:00にピッキング技術を駆使して侵入いたします」
「鍵を渡すから! 正式に合鍵渡すから、勝手に鍵を開けて入ってくるのだけは勘弁してくれ!!」
黒歴史のような過去の自分のせいで、義務感のかたまりであるハイスペック美少女アンドロイドに毎朝の味噌汁を押し付けられる奇妙な日々が幕を開けたのだった。