ジン「現在も、書いてる途中か、だ!」ドン「書き終わったから帰ってきたぞ」   作:笑嘲嗤

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第11話 絶望の裏側は愛

ジンは何も言わなかった。

 ドンが話し終えてから、随分長い時間が経っていた。

 机の上には、ドンが記憶から書き起こした『闇のソナタ』の総譜がある。

 三百年以上前。

 世界で初めて薔薇が咲いた日。

 その毒に侵された音楽家が作り。

 同じく死を待つ音楽家たちが演奏し。

 まだ一兵卒だったドン=フリークスが、たった一人で聴いた曲。

「……それで?」

「ん?」

「お前は生き残った」

「うん」

「一緒に運び出したもう一人も?」

「生き残ったぞ」

「演奏した連中は全員死んだ」

「うん」

「本当に曲の影響じゃねえんだな?」

「違う」

 ドンは即答した。

「演奏する前から、みんな俺よりずっと悪かった」

「…………」

「曲が終わったから死んだんじゃない。死ぬ前に、あの曲を演奏したんだ」

 ジンは総譜へ視線を落とした。

「順番が逆か」

「うん」

「だが後世じゃ、その順番が分からなくなった」

「そうみたいだな」

「演奏した人間が全員死んだ。曲を聴いた人間にも異常が起きた。だから曲が殺した」

「でも俺、生きてるぞ( ˙ω˙ )」

「お前を基準にしていいのかが一番悩むところなんだよ」

「失礼だな」

「三百年以上生きてる奴に言われたくねえ」

「ニトロ米かな」

「今その話を混ぜるな」

 ドンが総譜を見る。

「じゃあ、なんで今は呪いになってるんだ?」

「それを調べる」

「どうやって?」

「まず」

 ジンがドンを見る。

「絶対に演奏するな」

「分かった」

「鼻歌もやめろ」

「はい」

「口笛もだ」

「厳しいな」

「世界有数の呪曲をサブスクで探してた奴が言うな!!」

     ◇

 ジンは再びハンター専用サイトへ接続した。

 今度は楽譜の照合ではない。

 過去の被害記録。

 演奏者。

 聴衆。

 使用された楽器。

 演奏された部分。

 発症した症状。

 残された証言。

 伝承と推測。

 可能な限り集める。

 ドンは横から画面を覗いた。

「いっぱいあるな」

「断片的にな」

「全部同じ曲?」

「そう考えられてる」

「でも楽器違うぞ」

「ああ」

「楽譜も原本じゃない」

「ああ」

「場所も違う」

「ああ」

「じゃあ何が同じなんだ?」

 ジンの指が止まった。

「…………」

「ジン?」

「今考えてる」

「俺、いいこと言った?( ˙ω˙ )」

「たまにな」

「もっと褒めていいぞ」

「黙ってろ」

 ジンは一つずつ条件を切っていった。

 特定の場所ではない。

 被害は複数地域で起きている。

 特定の楽器でもない。

 ヴァイオリン。

 ピアノ。

 ハープ。

 フルート。

 特定の楽譜でもない。

 原本は確認できない。

 写本。

 さらにその写本。

 耳で覚えた一部を再現したとされる事例まである。

 作曲者本人の念が込められた物品が必要なわけでもない。

「……おかしい」

「何が?」

「媒体がねえ」

「ばいたい?」

「念が残る場所だ」

 ジンが総譜を指差した。

「普通なら物だ。人間でもいい。場所に残ることもある」

「うん」

「死後の念ならなおさらだ。強烈な感情が、何かに残る」

「うん」

「だが、こいつにはそれがねえ」

 ジンはドンが数時間前に書いた紙を持ち上げた。

「この紙は今日作られたものだ」

「そうだな」

「鉛筆もだ」

「うん」

「お前が三百年前に書いた原本ですらねえ」

「そうだな」

「なのに」

 ジンの目が細くなる。

「……いる」

 ドンが周囲を見る。

「誰が?」

「そういう意味じゃねえ」

「怖いこと言うなよ( ˙ω˙ )」

「お前、暗黒大陸に三百年いたんだろ」

「幽霊は別だろ」

「念の話だ!」

 ジンは紙へ触れた。

 ドンの念ではない。

 それはすぐに分かった。

 書いた人間に付着していたものでもない。

 紙でもない。

 鉛筆でもない。

 ジンは総譜の一部を別の紙へ書き写した。

「何してる?」

「分解してる」

「楽譜を?」

「情報を」

 一音。

 何もない。

 二音。

 まだ薄い。

 いくつかの音。

 休符。

 強弱。

 時間。

 それらが一定の関係を作り始める。

 ジンの表情が変わった。

「……マジか」

「何?」

「そういうことか」

「だから何が?( ˙ω˙ )」

 ジンは一度、総譜から手を離した。

 別の紙を見る。

 そして。

 もう一度総譜を見る。

「紙じゃねえ」

「うん」

「楽器でもねえ」

「うん」

「演奏した場所でもねえ」

「うん」

「曲だ」

「だから曲だぞ?」

「そうじゃねえ!」

 ジンが総譜を指差した。

「《曲》っていう情報そのものに念が定着してやがる」

 ドンが瞬いた。

「そんなことできるの?」

「普通はできねえよ」

「じゃあできてないんじゃない?」

「できてるから困ってんだよ!!」

     ◇

 ジンは立ち上がった。

 考える時の癖なのか、部屋の中を歩き始める。

「紙は交換できる」

「うん」

「楽器も交換できる」

「うん」

「演奏者も違う」

「うん」

「場所も違う」

「うん」

「だが同じ曲として成立すると、同じ念が再現される」

「へえ」

「つまり原本を燃やしても意味がねえ」

「そうなの?」

「誰かが覚えてりゃな」

 ジンが止まる。

 ドンを見る。

 ドンも見る。

「…………」

「…………」

 ジンがドンの額を指差した。

「お前」

「俺?( ˙ω˙ )」

「三百年以上、完全な楽譜を頭の中に保存してたんだよな?」

「うん」

「お前自身が完全版の保存媒体じゃねえか!!」

「俺、呪物だったの?」

「嬉しそうに言うな!!」

「でも何も起きなかったぞ」

「そこだ」

 ジンの顔から、ふざけた色が消えた。

「お前は曲を知っていた」

「うん」

「最初の演奏を全部聴いた」

「うん」

「三百年間、頭の中で思い出したこともある」

「あるぞ」

「それでも発動してねえ」

「うん」

「つまり知ってるだけじゃ条件を満たさない」

「演奏?」

「可能性は高い」

「じゃあ弾いてみよう」

「だからやめろっつってんだろ!!」

「ちょっとだけ」

「世界有数の呪いで実験すんな!!」

「情報不足だから試すんじゃん( ˙ω˙ )」

「この件ではそのやり方禁止!!」

 ドンは少し残念そうに椅子へ戻った。

     ◇

 ジンは被害記録を並べた。

 だが。

 まだ説明できない。

 演奏が条件なら。

 最初の演奏でも発動しているはずだ。

 ドンは最初から最後まで聴いた。

 異常は起きなかった。

 演奏者たちが死亡したのは、すでに進行していた薔薇の毒によるもの。

 なら。

 何が違う。

「……ドン」

「ん?」

「最初に演奏した奴らは、曲の意味を知ってたんだよな」

「意味?」

「作曲者が何を考えて書いたかだ」

「本人たちに聞いたわけじゃないから全部は知らないぞ」

「お前は?」

「俺?」

「あの曲を聴いて、何を感じた」

 ドンは少し考えた。

「悲しかった」

「他には?」

「怖かった」

「他」

「綺麗だった」

「他」

「…………」

 ドンが天井を見る。

 三百年以上前。

 小さな礼拝堂。

 震える手。

 最後まで上がった指揮棒。

「人間って、酷いなって」

「…………」

「でも」

「でも?」

「人間って、すごいなとも思った」

 ジンは黙った。

「あんな薔薇を作ったのも人間だろ」

「ああ」

「でも、あの曲を作ったのも人間だった」

「…………」

「だから、よく分からなくなった」

 ドンは笑った。

「今もよく分からないけどな( ˙ω˙ )」

 ジンは総譜を見る。

「……二つある」

「何が?」

「この曲に残ってる感情だ」

「分かるの?」

「完全にはな。だが念ってのは、能力だけ見て終わりじゃねえ」

 ジンが紙へ触れる。

「何を望んだか。何を恐れたか。何に執着したか。そいつの人間性が出る」

「へえ」

「こいつは強烈だ」

 絶望。

 恐怖。

 怒り。

 悲嘆。

 人間が人間に対して作った兵器。

 その結果、自分自身も死んでいく。

 世界を嫌いになるには十分すぎる。

「作曲者は人間に絶望してた」

「うん」

「憎んでもいた」

「たぶんな」

「だから後世の連中は、こっちだけを拾った」

「呪い?」

「ああ」

 ジンは楽譜をめくった。

「だが、それだけじゃねえ」

「…………」

「正反対のものが混ざってる」

 ドンがジンを見る。

「何?」

「希望だ」

「…………」

「人間への」

 ドンは黙った。

「そんなの、言ってなかったぞ」

「本人が?」

「うん」

「じゃあ俺の見立てだ」

「間違ってるかもしれない?」

「当然」

「そっか」

「だが」

 ジンは総譜を見る。

「絶望だけなら、この構造にはならねえ」

 人間が嫌いだ。

 人間が怖い。

 人間は残酷だ。

 それだけなら。

 もっと単純な念になる。

 だが。

 この曲は矛盾している。

 人間に絶望しながら。

 人間を捨てきれない。

 憎みながら。

 美しいものを残そうとしている。

 死ぬと分かっていながら。

 誰かに聴いてほしいと願っている。

「……変な奴だな」

「音楽家が?」

「ああ」

「いい人だったぞ」

「そうじゃねえ」

 ジンはドンを見る。

「よく絶望しきれなかったなと思ってよ」

「…………」

「世界で初めてあんなもん食らったんだろ」

「うん」

「自分も死にかけてる」

「うん」

「仲間も死ぬ」

「うん」

「人間が作った兵器のせいでな」

「うん」

「普通なら、人間なんて滅びろって思っても不思議じゃねえ」

「そうだな」

「なのに、そうならなかった」

 ドンが総譜を見る。

「なんでだろうな」

 ジンは答えなかった。

 代わりに。

 ドンを見た。

 三百年以上前。

 何が起きたのかも分からない場所へ。

 命令を無視して走っていった一兵卒。

 瓦礫を掘り。

 見ず知らずの人間を二人見つけ。

 一人を背負い。

 もう一人を引きずり。

 何度転んでも。

 三人で帰ろうと言った。

 自分も同じ毒に侵され。

 手を震わせながら。

 死にゆく音楽家の曲を書き続けた男。

「……そりゃ」

「ん?」

「無理だったんじゃねえか?」

「何が?」

「人間に絶望しきるのが」

「なんで?」

「隣にいたからだろ」

「誰が?」

 ジンは少し呆れた顔をした。

「お前が」

「…………」

 ドンは瞬いた。

「俺?」

「他に誰がいる」

「俺、何もしてないぞ」

「そいつを薔薇の下から背負って帰ったんだろうが」

「近くにいたからな」

「それだよ」

「?」

「分かってねえならいい」

「気になる」

「俺は本人じゃねえ。答え合わせはできねえよ」

「そっか」

 ドンは総譜へ目を落とした。

 三百年以上前。

 聞くことのできなかった感想を。

 今になって。

 少しだけ聞けたような気がした。

     ◇

「でも」

 ドンが顔を上げた。

「じゃあ、なんで後の人は呪われたんだ?」

「そこだな」

 ジンが再び被害記録を見る。

「同じ曲なのに、最初は何も起きなかった」

「うん」

「後世では起きた」

「うん」

「なら違うのは曲じゃねえ」

「演奏する人?」

「可能性が高い」

 ジンは過去の記録を追う。

 禁断の曲を演奏したい。

 伝説を確かめたい。

 力を得たい。

 呪いを利用したい。

 危険だと知りながら、あえて触れた者もいる。

「曲に残ってる念が二つなら」

「絶望と希望?」

「ああ」

「演奏者がどっちか選ぶ?」

「そんな単純なスイッチかは分からねえ」

 ジンは首を振った。

「念は機械じゃねえ。本人の意志や感情、解釈まで条件に入る能力はいくらでもある」

「じゃあ?」

「仮説だ」

 ジンが指を一本立てた。

「この曲は、演奏する人間がどう向き合うかを拾ってる」

「…………」

「呪いを求めて演奏すれば、絶望側と噛み合う」

「じゃあ希望側は?」

「分からねえ」

「最初の人たちは?」

「少なくとも、呪うために演奏したんじゃねえんだろ?」

「うん」

「何のためだ」

 ドンは即答した。

「音楽家として死ぬため」

 ジンが黙った。

「最後くらい、音楽家で死なせてくれって言ってた」

「…………」

「だからみんな演奏した」

「なるほどな」

 ジンは総譜を見る。

「最初の演奏自体が答えなのかもしれねえ」

「答え?」

「人間が作った兵器で殺される直前に」

 ジンは指で楽譜を叩いた。

「それでも人間が作った音楽を選んだ」

 ドンは何も言わなかった。

「だから最初は呪いにならなかった」

「じゃあ」

 ドンが少し嬉しそうにする。

「ちゃんと演奏すれば、また聴ける?」

「待て」

「サブスクになくても生演奏で」

「待て待て待て」

「楽譜あるぞ( ˙ω˙ )」

「話を聞け!!」

 ジンが総譜を取り上げた。

「あくまで仮説だ!」

「でも試さないと分からないぞ」

「だからお前は実験の規模を考えろ!!」

「俺が聴くよ?」

「聴衆の問題じゃねえ可能性が高いんだよ!」

「じゃあ誰に弾いてもらう?」

「まだ弾かせねえ!!」

 ドンは残念そうにスマートフォンを取った。

「じゃあやっぱりサブスク探すか」

「あるわけねえだろ!!」

「配信停止?」

「そういう問題じゃねえ!!」

     ◇

 ジンは総譜を慎重に閉じた。

 危険なものだった。

 間違いなく。

 だが。

 単なる呪いではない。

 人間への絶望。

 人間への希望。

 その両方を抱えたまま死んだ、一人の音楽家の念。

 そして。

 その念は三百年以上。

 紙でも。

 楽器でも。

 場所でもなく。

 曲そのものに残り続けている。

「なあ、ドン」

「ん?」

「この曲」

「うん」

「『闇のソナタ』って名前、作曲者が付けたのか?」

「違うぞ」

「やっぱりか」

「あの時は名前なかったと思う」

「…………」

「少なくとも、闇のソナタなんて呼んでなかった」

 ジンは鼻で息を吐いた。

「随分変わっちまったもんだな」

「何が?」

「曲の意味だよ」

 魔王が作った呪いの曲。

 演奏すれば災厄を呼ぶ禁忌。

 それが。

 本当は。

 人類最初の薔薇を見た人間が。

 人間に絶望し。

 それでも人間を捨てきれず。

 死ぬ直前に残した曲だった。

 ドンは少し考えた。

「俺、闇って名前嫌いじゃないぞ」

「そうなのか?」

「暗いところでも、目が慣れたら結構見えるからな( ˙ω˙ )」

「……お前らしいな」

「褒めた?」

「別に」

「そっか」

 ドンは机の上の総譜を見る。

「でも」

「なんだ」

「やっぱり、もう一回聴きたいな」

 三百年以上前。

 たった一度だけ聴いた曲。

 最後まで演奏した者は。

 もう誰もいない。

「今度はさ」

 ドンは笑った。

「演奏が終わった後に、感想を聞いてくれる人がいいな( ˙ω˙ )」

 ジンは何も言わなかった。

 ただ。

 総譜をもう一度見た。

 いつか。

 この曲を本当の意味で演奏できる人間が現れるのなら。

 それはきっと。

 呪いを恐れない人間ではない。

 人間の絶望から目を逸らさず。

 それでも。

 その先にあるものを演奏できる人間なのだろう。

 そして世界のどこかには。

 音を聞くだけで。

 他人の心を知ることのできる音楽家がいる。

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