ジン「現在も、書いてる途中か、だ!」ドン「書き終わったから帰ってきたぞ」 作:笑嘲嗤
ジンは何も言わなかった。
ドンが話し終えてから、随分長い時間が経っていた。
机の上には、ドンが記憶から書き起こした『闇のソナタ』の総譜がある。
三百年以上前。
世界で初めて薔薇が咲いた日。
その毒に侵された音楽家が作り。
同じく死を待つ音楽家たちが演奏し。
まだ一兵卒だったドン=フリークスが、たった一人で聴いた曲。
「……それで?」
「ん?」
「お前は生き残った」
「うん」
「一緒に運び出したもう一人も?」
「生き残ったぞ」
「演奏した連中は全員死んだ」
「うん」
「本当に曲の影響じゃねえんだな?」
「違う」
ドンは即答した。
「演奏する前から、みんな俺よりずっと悪かった」
「…………」
「曲が終わったから死んだんじゃない。死ぬ前に、あの曲を演奏したんだ」
ジンは総譜へ視線を落とした。
「順番が逆か」
「うん」
「だが後世じゃ、その順番が分からなくなった」
「そうみたいだな」
「演奏した人間が全員死んだ。曲を聴いた人間にも異常が起きた。だから曲が殺した」
「でも俺、生きてるぞ( ˙ω˙ )」
「お前を基準にしていいのかが一番悩むところなんだよ」
「失礼だな」
「三百年以上生きてる奴に言われたくねえ」
「ニトロ米かな」
「今その話を混ぜるな」
ドンが総譜を見る。
「じゃあ、なんで今は呪いになってるんだ?」
「それを調べる」
「どうやって?」
「まず」
ジンがドンを見る。
「絶対に演奏するな」
「分かった」
「鼻歌もやめろ」
「はい」
「口笛もだ」
「厳しいな」
「世界有数の呪曲をサブスクで探してた奴が言うな!!」
◇
ジンは再びハンター専用サイトへ接続した。
今度は楽譜の照合ではない。
過去の被害記録。
演奏者。
聴衆。
使用された楽器。
演奏された部分。
発症した症状。
残された証言。
伝承と推測。
可能な限り集める。
ドンは横から画面を覗いた。
「いっぱいあるな」
「断片的にな」
「全部同じ曲?」
「そう考えられてる」
「でも楽器違うぞ」
「ああ」
「楽譜も原本じゃない」
「ああ」
「場所も違う」
「ああ」
「じゃあ何が同じなんだ?」
ジンの指が止まった。
「…………」
「ジン?」
「今考えてる」
「俺、いいこと言った?( ˙ω˙ )」
「たまにな」
「もっと褒めていいぞ」
「黙ってろ」
ジンは一つずつ条件を切っていった。
特定の場所ではない。
被害は複数地域で起きている。
特定の楽器でもない。
ヴァイオリン。
ピアノ。
ハープ。
フルート。
特定の楽譜でもない。
原本は確認できない。
写本。
さらにその写本。
耳で覚えた一部を再現したとされる事例まである。
作曲者本人の念が込められた物品が必要なわけでもない。
「……おかしい」
「何が?」
「媒体がねえ」
「ばいたい?」
「念が残る場所だ」
ジンが総譜を指差した。
「普通なら物だ。人間でもいい。場所に残ることもある」
「うん」
「死後の念ならなおさらだ。強烈な感情が、何かに残る」
「うん」
「だが、こいつにはそれがねえ」
ジンはドンが数時間前に書いた紙を持ち上げた。
「この紙は今日作られたものだ」
「そうだな」
「鉛筆もだ」
「うん」
「お前が三百年前に書いた原本ですらねえ」
「そうだな」
「なのに」
ジンの目が細くなる。
「……いる」
ドンが周囲を見る。
「誰が?」
「そういう意味じゃねえ」
「怖いこと言うなよ( ˙ω˙ )」
「お前、暗黒大陸に三百年いたんだろ」
「幽霊は別だろ」
「念の話だ!」
ジンは紙へ触れた。
ドンの念ではない。
それはすぐに分かった。
書いた人間に付着していたものでもない。
紙でもない。
鉛筆でもない。
ジンは総譜の一部を別の紙へ書き写した。
「何してる?」
「分解してる」
「楽譜を?」
「情報を」
一音。
何もない。
二音。
まだ薄い。
いくつかの音。
休符。
強弱。
時間。
それらが一定の関係を作り始める。
ジンの表情が変わった。
「……マジか」
「何?」
「そういうことか」
「だから何が?( ˙ω˙ )」
ジンは一度、総譜から手を離した。
別の紙を見る。
そして。
もう一度総譜を見る。
「紙じゃねえ」
「うん」
「楽器でもねえ」
「うん」
「演奏した場所でもねえ」
「うん」
「曲だ」
「だから曲だぞ?」
「そうじゃねえ!」
ジンが総譜を指差した。
「《曲》っていう情報そのものに念が定着してやがる」
ドンが瞬いた。
「そんなことできるの?」
「普通はできねえよ」
「じゃあできてないんじゃない?」
「できてるから困ってんだよ!!」
◇
ジンは立ち上がった。
考える時の癖なのか、部屋の中を歩き始める。
「紙は交換できる」
「うん」
「楽器も交換できる」
「うん」
「演奏者も違う」
「うん」
「場所も違う」
「うん」
「だが同じ曲として成立すると、同じ念が再現される」
「へえ」
「つまり原本を燃やしても意味がねえ」
「そうなの?」
「誰かが覚えてりゃな」
ジンが止まる。
ドンを見る。
ドンも見る。
「…………」
「…………」
ジンがドンの額を指差した。
「お前」
「俺?( ˙ω˙ )」
「三百年以上、完全な楽譜を頭の中に保存してたんだよな?」
「うん」
「お前自身が完全版の保存媒体じゃねえか!!」
「俺、呪物だったの?」
「嬉しそうに言うな!!」
「でも何も起きなかったぞ」
「そこだ」
ジンの顔から、ふざけた色が消えた。
「お前は曲を知っていた」
「うん」
「最初の演奏を全部聴いた」
「うん」
「三百年間、頭の中で思い出したこともある」
「あるぞ」
「それでも発動してねえ」
「うん」
「つまり知ってるだけじゃ条件を満たさない」
「演奏?」
「可能性は高い」
「じゃあ弾いてみよう」
「だからやめろっつってんだろ!!」
「ちょっとだけ」
「世界有数の呪いで実験すんな!!」
「情報不足だから試すんじゃん( ˙ω˙ )」
「この件ではそのやり方禁止!!」
ドンは少し残念そうに椅子へ戻った。
◇
ジンは被害記録を並べた。
だが。
まだ説明できない。
演奏が条件なら。
最初の演奏でも発動しているはずだ。
ドンは最初から最後まで聴いた。
異常は起きなかった。
演奏者たちが死亡したのは、すでに進行していた薔薇の毒によるもの。
なら。
何が違う。
「……ドン」
「ん?」
「最初に演奏した奴らは、曲の意味を知ってたんだよな」
「意味?」
「作曲者が何を考えて書いたかだ」
「本人たちに聞いたわけじゃないから全部は知らないぞ」
「お前は?」
「俺?」
「あの曲を聴いて、何を感じた」
ドンは少し考えた。
「悲しかった」
「他には?」
「怖かった」
「他」
「綺麗だった」
「他」
「…………」
ドンが天井を見る。
三百年以上前。
小さな礼拝堂。
震える手。
最後まで上がった指揮棒。
「人間って、酷いなって」
「…………」
「でも」
「でも?」
「人間って、すごいなとも思った」
ジンは黙った。
「あんな薔薇を作ったのも人間だろ」
「ああ」
「でも、あの曲を作ったのも人間だった」
「…………」
「だから、よく分からなくなった」
ドンは笑った。
「今もよく分からないけどな( ˙ω˙ )」
ジンは総譜を見る。
「……二つある」
「何が?」
「この曲に残ってる感情だ」
「分かるの?」
「完全にはな。だが念ってのは、能力だけ見て終わりじゃねえ」
ジンが紙へ触れる。
「何を望んだか。何を恐れたか。何に執着したか。そいつの人間性が出る」
「へえ」
「こいつは強烈だ」
絶望。
恐怖。
怒り。
悲嘆。
人間が人間に対して作った兵器。
その結果、自分自身も死んでいく。
世界を嫌いになるには十分すぎる。
「作曲者は人間に絶望してた」
「うん」
「憎んでもいた」
「たぶんな」
「だから後世の連中は、こっちだけを拾った」
「呪い?」
「ああ」
ジンは楽譜をめくった。
「だが、それだけじゃねえ」
「…………」
「正反対のものが混ざってる」
ドンがジンを見る。
「何?」
「希望だ」
「…………」
「人間への」
ドンは黙った。
「そんなの、言ってなかったぞ」
「本人が?」
「うん」
「じゃあ俺の見立てだ」
「間違ってるかもしれない?」
「当然」
「そっか」
「だが」
ジンは総譜を見る。
「絶望だけなら、この構造にはならねえ」
人間が嫌いだ。
人間が怖い。
人間は残酷だ。
それだけなら。
もっと単純な念になる。
だが。
この曲は矛盾している。
人間に絶望しながら。
人間を捨てきれない。
憎みながら。
美しいものを残そうとしている。
死ぬと分かっていながら。
誰かに聴いてほしいと願っている。
「……変な奴だな」
「音楽家が?」
「ああ」
「いい人だったぞ」
「そうじゃねえ」
ジンはドンを見る。
「よく絶望しきれなかったなと思ってよ」
「…………」
「世界で初めてあんなもん食らったんだろ」
「うん」
「自分も死にかけてる」
「うん」
「仲間も死ぬ」
「うん」
「人間が作った兵器のせいでな」
「うん」
「普通なら、人間なんて滅びろって思っても不思議じゃねえ」
「そうだな」
「なのに、そうならなかった」
ドンが総譜を見る。
「なんでだろうな」
ジンは答えなかった。
代わりに。
ドンを見た。
三百年以上前。
何が起きたのかも分からない場所へ。
命令を無視して走っていった一兵卒。
瓦礫を掘り。
見ず知らずの人間を二人見つけ。
一人を背負い。
もう一人を引きずり。
何度転んでも。
三人で帰ろうと言った。
自分も同じ毒に侵され。
手を震わせながら。
死にゆく音楽家の曲を書き続けた男。
「……そりゃ」
「ん?」
「無理だったんじゃねえか?」
「何が?」
「人間に絶望しきるのが」
「なんで?」
「隣にいたからだろ」
「誰が?」
ジンは少し呆れた顔をした。
「お前が」
「…………」
ドンは瞬いた。
「俺?」
「他に誰がいる」
「俺、何もしてないぞ」
「そいつを薔薇の下から背負って帰ったんだろうが」
「近くにいたからな」
「それだよ」
「?」
「分かってねえならいい」
「気になる」
「俺は本人じゃねえ。答え合わせはできねえよ」
「そっか」
ドンは総譜へ目を落とした。
三百年以上前。
聞くことのできなかった感想を。
今になって。
少しだけ聞けたような気がした。
◇
「でも」
ドンが顔を上げた。
「じゃあ、なんで後の人は呪われたんだ?」
「そこだな」
ジンが再び被害記録を見る。
「同じ曲なのに、最初は何も起きなかった」
「うん」
「後世では起きた」
「うん」
「なら違うのは曲じゃねえ」
「演奏する人?」
「可能性が高い」
ジンは過去の記録を追う。
禁断の曲を演奏したい。
伝説を確かめたい。
力を得たい。
呪いを利用したい。
危険だと知りながら、あえて触れた者もいる。
「曲に残ってる念が二つなら」
「絶望と希望?」
「ああ」
「演奏者がどっちか選ぶ?」
「そんな単純なスイッチかは分からねえ」
ジンは首を振った。
「念は機械じゃねえ。本人の意志や感情、解釈まで条件に入る能力はいくらでもある」
「じゃあ?」
「仮説だ」
ジンが指を一本立てた。
「この曲は、演奏する人間がどう向き合うかを拾ってる」
「…………」
「呪いを求めて演奏すれば、絶望側と噛み合う」
「じゃあ希望側は?」
「分からねえ」
「最初の人たちは?」
「少なくとも、呪うために演奏したんじゃねえんだろ?」
「うん」
「何のためだ」
ドンは即答した。
「音楽家として死ぬため」
ジンが黙った。
「最後くらい、音楽家で死なせてくれって言ってた」
「…………」
「だからみんな演奏した」
「なるほどな」
ジンは総譜を見る。
「最初の演奏自体が答えなのかもしれねえ」
「答え?」
「人間が作った兵器で殺される直前に」
ジンは指で楽譜を叩いた。
「それでも人間が作った音楽を選んだ」
ドンは何も言わなかった。
「だから最初は呪いにならなかった」
「じゃあ」
ドンが少し嬉しそうにする。
「ちゃんと演奏すれば、また聴ける?」
「待て」
「サブスクになくても生演奏で」
「待て待て待て」
「楽譜あるぞ( ˙ω˙ )」
「話を聞け!!」
ジンが総譜を取り上げた。
「あくまで仮説だ!」
「でも試さないと分からないぞ」
「だからお前は実験の規模を考えろ!!」
「俺が聴くよ?」
「聴衆の問題じゃねえ可能性が高いんだよ!」
「じゃあ誰に弾いてもらう?」
「まだ弾かせねえ!!」
ドンは残念そうにスマートフォンを取った。
「じゃあやっぱりサブスク探すか」
「あるわけねえだろ!!」
「配信停止?」
「そういう問題じゃねえ!!」
◇
ジンは総譜を慎重に閉じた。
危険なものだった。
間違いなく。
だが。
単なる呪いではない。
人間への絶望。
人間への希望。
その両方を抱えたまま死んだ、一人の音楽家の念。
そして。
その念は三百年以上。
紙でも。
楽器でも。
場所でもなく。
曲そのものに残り続けている。
「なあ、ドン」
「ん?」
「この曲」
「うん」
「『闇のソナタ』って名前、作曲者が付けたのか?」
「違うぞ」
「やっぱりか」
「あの時は名前なかったと思う」
「…………」
「少なくとも、闇のソナタなんて呼んでなかった」
ジンは鼻で息を吐いた。
「随分変わっちまったもんだな」
「何が?」
「曲の意味だよ」
魔王が作った呪いの曲。
演奏すれば災厄を呼ぶ禁忌。
それが。
本当は。
人類最初の薔薇を見た人間が。
人間に絶望し。
それでも人間を捨てきれず。
死ぬ直前に残した曲だった。
ドンは少し考えた。
「俺、闇って名前嫌いじゃないぞ」
「そうなのか?」
「暗いところでも、目が慣れたら結構見えるからな( ˙ω˙ )」
「……お前らしいな」
「褒めた?」
「別に」
「そっか」
ドンは机の上の総譜を見る。
「でも」
「なんだ」
「やっぱり、もう一回聴きたいな」
三百年以上前。
たった一度だけ聴いた曲。
最後まで演奏した者は。
もう誰もいない。
「今度はさ」
ドンは笑った。
「演奏が終わった後に、感想を聞いてくれる人がいいな( ˙ω˙ )」
ジンは何も言わなかった。
ただ。
総譜をもう一度見た。
いつか。
この曲を本当の意味で演奏できる人間が現れるのなら。
それはきっと。
呪いを恐れない人間ではない。
人間の絶望から目を逸らさず。
それでも。
その先にあるものを演奏できる人間なのだろう。
そして世界のどこかには。
音を聞くだけで。
他人の心を知ることのできる音楽家がいる。