ジン「現在も、書いてる途中か、だ!」ドン「書き終わったから帰ってきたぞ」 作:笑嘲嗤
「次はパプだ」
ジンが資料を机に置いた。
ドンは原稿を書いていた手を止めた。
「パプ?」
「ああ」
「…………」
「どうした?」
ドンは少し考えてから、ぽんと手を叩いた。
「ああ。あいつか( ˙ω˙ )」
「やっぱり知ってんのか」
「知ってるぞ」
「会った?」
「会った」
「接触した?」
「した」
「生きて帰った?」
「見れば分かるだろ」
「お前の場合、確認しないと何が出てくるか分からねえんだよ!!」
ブリオン。
ゾバエ病。
ヘルベル。
アイ。
ここまで来るとジンも学習していた。
ドン=フリークスに五大厄災の話を振る場合、既存の知識を一度脇へ置いた方がいい。
たいてい、ひっくり返される。
もっとも。
「……パプは今までの奴とは違うぞ」
「うん」
ドンの返事は軽かった。
ジンは資料を開いた。
「人飼いの獣、パプ」
暗黒大陸から持ち帰られた五大厄災の一つ。
人間に快楽を与え。
その代償として。
人間を異様な姿へ変え、生命を奪う。
そして――。
「こいつは、すでに人間世界にいる可能性が高い」
ドンの顔が上がった。
「そうなの?」
「ああ」
ジンの声から軽さが消える。
「五大厄災は、被害だけが持ち帰られたわけじゃねえ」
「…………」
「人間世界に実物が持ち込まれてる可能性がある」
「パプも?」
「ああ」
「どこ?」
「それが分かりゃ苦労しねえよ」
ドンは少し黙った。
「それは困るな」
「ああ」
「駆除した方がいい」
ジンが眉を上げた。
「ずいぶんあっさり言うんだな」
「人間世界の生き物じゃないんだろ?」
「少なくとも本来の生息域は暗黒大陸だ」
「じゃあ外来種じゃん」
「…………」
「生態系も違う。天敵がいるかも分からない。人間を食べるなら、なおさら放っておけないだろ」
ジンは妙な顔をした。
「五大厄災を外来種問題で処理するな」
「でもそうだろ?」
「間違ってねえのが腹立つんだよ」
ドンは資料を覗き込んだ。
「被害者は?」
「死んでる」
「何人?」
「正確な数は分からん」
「…………」
ドンは少し考える。
「ブラック企業より少ない?」
「…………」
ジンが顔を上げた。
「何?」
「ブラック企業」
「聞こえてるよ」
「この前インターネットで見た」
「またインターネットか!!」
ドンは真顔だった。
「だって似てるじゃん」
「何が!?」
「ブラック企業だって洗脳するじゃん」
「…………」
「仕事にやりがいを感じさせる」
「おい」
「辞めようとすると、『仲間を見捨てるのか』って言う」
「おい」
「無理して働くと褒める」
「…………」
「もっと頑張る」
「…………」
「身体壊す」
「…………」
「それでも頑張る」
「…………」
「最後は過労死」
ドンは首を傾げた。
「パプと何が違うの?( ˙ω˙ )」
「いきなり人間社会に五大厄災ぶつけるな!!」
ジンは机を叩いた。
「違うだろ!」
「どこが?」
「パプは生物だ!」
「うん」
「人間の精神なり神経なりに何らかの方法で作用して、快楽を与えて依存させる!」
「うん」
「ブラック企業は組織と制度と人間関係の問題だ!」
「うん」
「一緒にすんな!!」
「そうだな」
「認めるのかよ!!」
「違うものは違うだろ」
「じゃあ何だったんだ今の話は!?」
ドンは不思議そうに答えた。
「似てるところがあるって話」
「…………」
「違うものでも似てるところはあるだろ?」
ジンは額を押さえた。
こういうところが面倒なのだ。
ふざけているように見えて。
本人は割と真面目である。
「……で」
ジンは話を戻した。
「お前が会ったパプはどうだった?」
「危ないぞ」
「そこは人間側の認識と同じか」
「うん」
「何が危ない?」
ドンは少し考えた。
「逃げたくなくなる」
「…………」
「痛くないんだよ」
「快楽を与えるからか?」
「たぶん」
ドンは自分の腕を指差した。
「最初に触られた時、ものすごく気持ちよかった」
「どんな感じだ?」
「説明しづらいな。身体が楽になる感じもするし、頭の中も気持ちよくなる」
「…………」
「もう少しだけならいいかなって思った」
ジンの表情が険しくなる。
「お前が?」
「うん」
「危険だと分かってても?」
「分かってた」
ドンは即答した。
「だから怖いんだよ」
「…………」
「危ないものを見て、『危ないから逃げよう』って思えるなら簡単だろ?」
「まあな」
「パプは」
ドンは自分の頭を指した。
「逃げるって判断そのものを、気持ちよさで鈍らせる」
ジンは黙った。
「少なくとも俺はそう感じた」
「それでどうやって逃げた?」
「吐き出された」
「…………」
「…………」
「は?」
「パプに」
「お前が?」
「うん」
「食われかけたんだよな?」
「たぶん」
「なのに向こうから吐いた?」
「うん」
ドンは少し不満そうだった。
「失礼だよな( ˙ω˙ )」
「五大厄災に味の評価されて怒るな!!」
「結構傷つくぞ」
「知らねえよ!!」
「三百年生きてるのに」
「年齢関係ねえだろ!」
ジンは眉間を揉んだ。
「……待て」
「ん?」
「お前以外の人間をパプが襲うところは見たのか?」
「何度か」
「結果は?」
「食べる奴もいた」
「じゃあ、お前だけ吐き出された?」
「俺だけじゃないぞ」
「他にも?」
「うん」
「何か共通点は?」
「分からない」
「年齢?」
「バラバラ」
「性別?」
「関係なさそう」
「念能力?」
「分からない」
「健康状態?」
「分からない」
ジンが腕を組む。
「じゃあ、なぜ吐き出す」
「味じゃない?」
「その味って何なんだよ」
「知らない」
「お前、自分で言い出したんだろ!」
「だから仮説だよ( ˙ω˙ )」
ドンは原稿の余白に何かを書いた。
「俺はな」
「うん」
「パプが人間から取ってるのは、単純な栄養だけじゃない気がする」
「根拠は?」
「食われた時に、昔のことをいっぱい思い出した」
「…………」
「嫌なことも」
「どんな?」
「戦争とか」
ジンは黙った。
「仕事なくなった時とか」
「…………」
「友達が死んだ時とか」
「…………」
「楽しかったことも思い出した」
「全部か?」
「全部じゃない。でも妙に色々浮かんだ」
ドンは少し考える。
「だから、人間の経験とか感情みたいなものまで、何か関係してるのかもしれない」
「……完全に仮説だな」
「うん」
「証拠は?」
「ない」
「よし」
「何が?」
「最近、お前が『ない』って言うと安心するようになってきた」
「変なの( ˙ω˙ )」
ジンは考えた。
「仮にその説が正しいとして」
「うん」
「お前が吐き出された理由は?」
「…………」
ドンは腕を組んだ。
かなり長く考えた。
そして。
「薄味だったのかな」
「…………」
「三百年くらい旅行してただけだし」
「三百年の人生を出汁みたいに評価すんな!!」
「でも他に思いつかない」
「戦争経験者だろうが!」
「うん」
「暗黒大陸を三百年旅してんだろ!」
「うん」
「それで薄味なら誰が濃いんだよ!!」
「ブラック企業で三十年働いた人とか?」
「ブラック企業から離れろ!!」
◇ ◇ ◇
ドンの野帳には、パプについて大量の観察記録が残っていた。
生息域。
活動時間。
接触方法。
人間以外の生物との関係。
パプ同士の距離。
そして。
人間への反応。
「……これ」
ジンがページを指差した。
「なんだ?」
「『人間を好む個体は少ない可能性』」
「ああ」
「どういう意味だ?」
「そのまま」
「パプは人飼いの獣だぞ」
「人間世界ではそう呼んでるんだろ?」
「…………」
「向こうじゃ、人間なんてほとんどいないじゃん」
ジンが止まった。
「……そりゃそうだ」
「だから人間が本来の餌なのかどうかも分からない」
「…………」
「俺が観察した範囲だと、人間を積極的に食べたがる奴は少なかった」
「じゃあ何を食ってる?」
「色々」
「色々って」
「現地の動物とか」
「……つまり」
ジンは野帳を見る。
「人間を好んで襲うパプの方が特殊な可能性がある?」
「あると思う」
「どんな特殊個体だ?」
ドンは答えた。
「ゲテモノ好き」
「人類を珍味扱いするな!!」
「だって人間、不味そうだぞ?」
「なんでお前がパプ目線なんだよ!!」
「苦労とか失恋とか借金とか仕事の失敗とか」
「…………」
「人生って苦いじゃん」
「急に詩的になるな」
「住宅ローンとか」
「一気に現実へ戻すな!!」
「三十五年」
「やめろ!!」
ドンは笑った。
「まあ、味の話は半分冗談だけど」
「半分なのかよ」
「少なくとも、パプが人間だけを狙って生きてる生物だとは思わない」
「それは重要だな」
「うん」
「人間世界へ持ち込まれた個体は?」
「もっと危ないと思う」
ジンがドンを見る。
「なぜ?」
「環境が違う」
ドンは即答した。
「暗黒大陸なら、パプにも何か関係する生き物がいるだろ」
「天敵か?」
「それもあるかもしれない。餌も、競争相手も、病気もある」
「…………」
「人間世界に一匹だけ持ってきたら、そういうもの全部なくなる」
「外来種か」
「うん」
「しかも人間が大量にいる」
「うん」
二人は黙った。
ジンが言った。
「……やっぱり駆除対象だな」
「俺もそう思う」
「そこは意見が合うな」
「でも」
ジンが嫌そうな顔をした。
「まだ何かあんのか?」
「ブラック企業より被害少なくない?」
「戻ってくんな!!」
◇ ◇ ◇
「いや、真面目な話」
「今まで真面目じゃなかったのかよ」
「真面目だったぞ」
「ゲテモノ好きとか言ってただろ!」
ドンは椅子に座り直した。
「パプとブラック企業は違う」
「さっき俺が言った」
「でも似てるところがある」
「それも聞いた」
「俺が怖いと思ったのはそこなんだ」
ジンが黙る。
「パプに触られてる時」
ドンはゆっくり言った。
「俺、自分で選んでるつもりだった」
「…………」
「あと少しだけ」
「…………」
「もうちょっとだけ」
「…………」
「まだ大丈夫」
ドンは指を一本ずつ折る。
「そう思ってるうちに、逃げる気がなくなっていった」
ジンの顔から笑いが消える。
「それで?」
「人間世界に帰ってきて、色々読んだ」
「ブラック企業か」
「うん」
「依存症とかも?」
「読んだ」
「賭博は?」
「読んだ」
「酒は?」
「読んだ」
「ホストクラブは?」
「面白かった( ˙ω˙ )」
「そこだけ感想がおかしい」
「顔がいい」
「調査報告みたいに言うな」
ドンは笑った。
「全部パプと同じだとは思わないよ」
「当たり前だ」
「生物と社会問題を一緒にしたら、原因も対策も間違える」
「…………」
「でも」
ドンは言った。
「自分で選んでると思ってるうちに、選べなくなることがある」
ジンは何も言わなかった。
「それは覚えておいた方がいいと思う」
「……なるほどな」
「うん」
「で、ブラック企業は?」
「労基署?」
「そこは労基署で合ってる!!」
「やっと正解した( ˙ω˙ )」
そしてドンは柔らかく笑った。
「難しいな、人間世界」
「暗黒大陸より先に社会常識覚えろ!!」
◇ ◇ ◇
その夜。
ドンは『新大陸紀行・西』に追記していた。
ジンが横から覗き込む。
パプ。
人間に強い快楽を与え、判断能力に影響を及ぼす可能性あり。
接触は推奨しない。
人間が本来の主要な対象であるかは不明。
個体差も大きいと思われる。
人間世界へ持ち込まれた個体については、本来の生態系から切り離されているため特に注意を要する。
「まともだな」
「まともだぞ?」
さらに書く。
危険度★★★★★
景観★★★☆☆
生態観察★★★★☆
接触☆☆☆☆☆
「星ゼロじゃねえか」
「触らない方がいいからな」
「珍しく旅行ガイドとして役に立ってる」
ドンは最後に一行加えた。
気持ちよくても帰ること。( ˙ω˙ )
ジンがそれを読む。
「……まあ、大事だな」
「だろ?」
「パプに限らずな」
「うん」
ドンは鉛筆を置いた。
「だからブラック企業も――」
「もういい!!」
「でもさ」
「なんだよ!」
ドンは真顔で訊いた。
「パプ一匹が一生で壊す人間と、悪質な会社一社が壊す人間って、どっちが多いんだろうな?」
「…………」
「調べたら面白そうじゃない?」
「研究テーマにするな!!」
「比較対象として」
「倫理学者と労働問題の専門家に怒られるぞ!!」
「じゃあ専門家も呼ぼう( ˙ω˙ )」
「研究チームを組むな!!」
ドンは新しい野帳を取り出した。
そこへ書く。
研究候補
『人飼いの獣パプと人間社会における依存・搾取構造の比較』
ジンが野帳を奪った。
「やめろ!!」
「あっ」
「お前が三百年ぶりに人間世界へ帰ってきて最初にやる研究がこれでいいのか!?」
ドンは少し考えた。
「面白そうだけど」
「もっと他にあるだろ!!」
「じゃあホストクラブも入れる?」
「増やすな!!!!」
人飼いの獣、パプ。
快楽と命を交換する。
人類が暗黒大陸から持ち帰った、五つの厄災の一つ。
その危険性について。
ドン=フリークスは三百年の旅を経て、一つだけ確かな助言を残した。
気持ちよくても帰ること。
なお。
ブラック企業については、労働基準監督署へ相談しよう。