ジン「現在も、書いてる途中か、だ!」ドン「書き終わったから帰ってきたぞ」 作:笑嘲嗤
「リスクリターン?」
ドンが聞き返した。
「ああ」
ジンは机の上に広げた資料を指で叩いた。
暗黒大陸。
人類が暮らす世界とは比較にならないほど広大な土地。
そこには、人類の常識では測れない危険が存在する。
ブリオン。
ゾバエ病。
ヘルベル。
パプ。
アイ。
人類が持ち帰ったものだけでも、その被害は計り知れない。
だが。
「人類が暗黒大陸を目指す理由は、危険だけじゃねえ」
「そりゃそうだろ。危険だから行く奴は変だぞ( ˙ω˙ )」
「お前にだけは言われたくねえよ」
ジンは続けた。
「人類が暗黒大陸で遭遇したものには、巨大なリスクがある。だが、それに見合うだけの――いや、それ以上のリターンも存在する」
「リターン」
「そうだ」
ドンはしばらく黙った。
そして。
「その言い方、ちょっと気になるな」
ジンが眉を上げた。
「何がだ?」
「それ」
「ん?」
「誰のもの?( ˙ω˙ )」
「…………」
ジンが止まった。
「暗黒大陸にあるんだろ?」
「ああ」
「人間が作ったものじゃないんだろ?」
「まあな」
「じゃあ」
ドンは当然のように言った。
「勝手に持って帰っちゃダメじゃん」
「…………」
「旅行先のもの勝手に取ったらダメだぞ」
「暗黒大陸の問題を修学旅行の注意事項みたいに言うな!!」
「でもダメだろ?」
「……まあ」
「石も植物も生き物も、そこにある理由があるんだから」
「研究用の採取まで否定する気か?」
「しないよ」
即答だった。
「写真じゃ分からないものもある。標本が必要なこともある。病気を調べるなら検体も必要だろ」
「じゃあ何が問題なんだ?」
「必要な分だけにしろって話」
ドンは資料を指差した。
「人間って、これが役に立つって分かったらいっぱい欲しがるだろ?」
「…………」
「でも、その植物が何年で育つのか調べた?」
「ものによる」
「何が受粉させてる?」
「…………」
「実を食べて種を運んでる生き物は?」
「…………」
「その植物がなくなったら困る生き物は?」
「…………」
「一本抜いたら来年生えてくるのか、百年かかるのか」
ドンは首を傾げる。
「分からないうちは、あんまり取らない方がいいぞ( ˙ω˙ )」
ジンは腕を組んだ。
「……ド正論だな」
「だろ?」
「お前からド正論が出てくると不安になる」
「失礼だな」
「ミミズ食ってゾバエ病になった奴が言ってんだぞ」
「あれは食べられるか調べただけだ」
「そういうところだよ!!」
◇ ◇ ◇
「じゃあ」
ドンが資料を引き寄せた。
「人間は何をリターンって呼んでるの?」
「いくつかある」
「見たい」
「お前、たぶん全部知ってるだろ」
「人間世界でどう評価されてるかは知らない」
「……それもそうか」
ジンは一枚の資料を取り出した。
「まずはこれだ」
「うん」
「究極の長寿食――ニトロ米」
「あー」
ドンの反応は早かった。
「食った食った( ˙ω˙ )」
「やっぱりか」
「しばらく食ってた」
ジンの目が光った。
「どうだった?」
「死ぬほど不味い」
「…………」
「…………」
「何?」
「究極の長寿食だぞ?」
「うん」
「人類が追い求めてるんだぞ?」
「うん」
「食えば寿命が延びるとされてる」
「そうらしいな」
「なのに不味い?」
「めちゃくちゃ不味い」
ドンは考えた。
「なんて言えばいいかな」
「そこまでか?」
「ゲロで炊いたシャリ飯の上に」
「待て」
「腐った刺身を乗せて」
「待て待て」
「わさびマシマシにした感じ」
「究極の長寿食に取り返しのつかない風評被害を与えるな!!」
「でも本当にそんな感じなんだよ」
「もっと他に表現あるだろ!」
「じゃあジンも食ってみればいいじゃん」
「食えるなら食うよ!!」
「一口目は大丈夫だぞ」
「じゃあいけるだろ」
「噛むとくる」
「何が来るんだよ!?」
「全部」
「何だよ全部って!!」
ドンは遠い目をした。
「あと匂いがなぁ」
「もういい! 人類の夢を守らせろ!!」
「夢ならもっと美味しく品種改良した方がいいぞ」
「そこまで行けてねえんだよ!」
ドンは資料を眺める。
「でも長生きするっていうのは、たぶん本当だと思う」
ジンが顔を上げた。
「根拠は?」
「長く食べてる生き物は寿命が長かった」
「お前自身は?」
「三百年以上生きてるな」
「……やっぱりそれじゃねえのか?」
「分からない」
「なんでだよ」
「変な泉の水も飲んだし」
「…………」
「世界樹の樹液も舐めた」
「…………」
「でかい蜂に刺されたこともある」
「…………」
「変な霧の中で半年くらい暮らした」
「交絡因子が多すぎる!!」
「健康って複合要因だからな( ˙ω˙ )」
「医学者が一番嫌がるサンプルだよお前!!」
「あとニトロ米、途中で食べるのやめたし」
「なんで?」
「不味いから」
「長寿より味を取ったのか!?」
「毎日食べるんだぞ?」
ドンは真顔だった。
「長生きして何するんだよ」
「……旅?」
「不味い飯食うために旅してるわけじゃないぞ」
「妙なところで人生観がまともだな……」
ドンは紙の端に何かを書いた。
「何だそれ?」
「評価」
そこには。
ニトロ米 ★☆☆☆☆
効能 ★★★★★
希少性 ★★★★★
味 ☆☆☆☆☆
食感 ★☆☆☆☆
また食べたい ☆☆☆☆☆
そして。
長生きしてまでこれを食べ続けたいかは、よく考えた方がいい。( ˙ω˙ )
「人類の夢を食べログみたいに評価するな!!」
◇ ◇ ◇
それからしばらく。
人類が「希望」と呼ぶものを、ドンは次々に見ていった。
あるものには。
「便利そうだな」
と言った。
あるものには。
「これ、採りすぎたらまずいぞ」
と言った。
あるものには。
「知らない」
と言った。
そして。
ある巨大な植物の資料を見た時には。
「これの花、綺麗だぞ」
と言った。
ジンが食いついた。
「何か効能があるのか?」
「知らない」
「薬効は?」
「知らない」
「食える?」
「知らない」
「念に作用する可能性は?」
「知らない」
「……何を調べたんだ?」
「花見てた」
「…………」
「白っぽい花が咲くんだよ。すげえでかいんだけど、遠くから見ると普通の花みたいに見える」
「それだけ?」
「匂いもいいぞ」
「それだけ?」
「綺麗だぞ?」
「…………」
ドンは不思議そうだった。
「何でも役に立つか調べなくてもいいだろ( ˙ω˙ )」
「…………」
「花だぞ?」
「……花だな」
「綺麗だったぞ」
「それは三回聞いた」
「じゃあ充分じゃん」
ジンは黙った。
しばらくして。
「……まあな」
とだけ答えた。
◇ ◇ ◇
「リターンって言葉そのものが嫌なのか?」
ジンが訊いた。
「嫌いじゃないよ」
「じゃあ何が気になる?」
ドンは少し考えた。
「見つける前から」
「うん」
「自分たちの取り分みたいに聞こえるところかな」
ジンは黙って聞いていた。
「ニトロ米だって、人間から見れば長寿食だけど」
「現地じゃ?」
「普通に何かが食ってる」
「……あれを?」
「うん」
「美味そうに?」
「それは分からない」
「現地生物も我慢して食ってんじゃねえの?」
「それはちょっと気になってる( ˙ω˙ )」
「お前が言うと本当に不味いんだろうな……」
「人間にとって価値があるものでも、向こうじゃただの飯かもしれない」
「…………」
「巣かもしれない。繁殖に必要かもしれない。毒かもしれない」
「…………」
「だから調べるのはいいと思う」
ドンは言った。
「欲しいと思うのも普通だと思う」
「なら」
「でも」
ドンは指を立てた。
「欲しいから持って帰っていい、にはならないぞ」
「…………」
「そこは別の話」
ジンは少し笑った。
「お前、暗黒大陸に三百年いた割には旅行者なんだな」
「旅行者だよ」
「征服者でも研究者でもなく?」
「研究はするけど」
「ハンターでもなく?」
「ライセンス持ってないし」
「そういう意味じゃねえ」
ドンは笑った。
「旅行先なんだから、お行儀よくしないとな」
◇ ◇ ◇
「じゃあ聞くが」
ジンが言った。
「三百年だ」
「うん」
「それだけ暗黒大陸を歩いて、お前が持ち帰った一番のリターンは何だ?」
「リターン?」
「ああ」
「うーん」
ドンは考えた。
一分。
二分。
「そんなに難しいか?」
「いっぱい見たからなぁ」
そして。
ドンは部屋の隅に積まれた野帳を指差した。
「これかな」
「…………」
「野帳?」
「うん」
「金になるものじゃなく?」
「紙だって金になるぞ」
「そういう意味じゃねえよ」
「見たものが書いてある」
ドンは一冊を手に取った。
使い込まれた表紙。
角は丸くなり。
紙は変色していた。
「知らない生き物」
ページをめくる。
「知らない花」
めくる。
「知らない川」
めくる。
「知らない人」
めくる。
「失敗したこと」
めくる。
「分からなかったこと」
めくる。
「間違えてたこと」
ドンは笑った。
「三百年分あるぞ」
「……それがリターンか」
「俺にとってはな」
「持ち帰ってるじゃねえか」
「記録はいいだろ?」
「まあな」
「写真みたいなもんだ」
「三百年分の一次資料を写真扱いするな」
ドンは野帳をジンへ放った。
「読む?」
「読む」
即答だった。
「いっぱいあるぞ」
「全部読む」
「三百年分だぞ?」
「だから読むんだよ」
ドンは肩をすくめた。
「好きだなぁ」
「お前に言われたくねえ」
◇ ◇ ◇
その夜。
ドンは寝た。
ジンは読んでいた。
ページをめくる。
まためくる。
地形。
気温。
天候。
動物。
植物。
食える。
食えない。
たぶん食える。
不味い。
二度と食わない。
「……食い物の記録多いな」
ページをめくる。
巨大な獣。
見たことのない昆虫。
奇妙な遺跡。
知らない文字。
遠くに見えた巨大な木。
川。
湖。
人。
「…………」
ジンの指が止まった。
戻る。
もう一度読む。
古い記録だった。
およそ五十年前。
場所は。
メビウス湖西方。
かなり西だ。
そこにドンの字で記されている。
人間六名を確認。
全員、統一された装備。
装備の一部にサヘルタの軍用規格と思われる刻印あり。
ジンの目が細くなった。
次の行。
長期行動用の装備と思われる。
南西方向へ移動。
さらに。
缶詰を一つもらった。
美味しかった。( ˙ω˙ )
「…………」
ジンは顔を上げた。
寝ているドンを見る。
「おい」
反応がない。
「ドン」
「んー……」
「起きろ」
「明日……」
「今だ」
「何……」
ドンが眠そうに顔を上げた。
ジンは野帳を見せた。
「これ」
「ん?」
「覚えてるか?」
ドンが目を細める。
「あー」
そして。
「その缶詰、美味かったぞ( ˙ω˙ )」
「缶詰の話じゃねえ」
「?」
ジンはページを指で叩いた。
「五十年前」
「うん」
「メビウス湖の真西」
「うん」
「サヘルタの軍用装備」
「たぶんな」
「…………」
ジンの声が低くなった。
「ドン」
「ん?」
「この頃――」
ページを見る。
年代を確認する。
間違いない。
「ビヨンド=ネテロは東側にいた」
「ビヨンド=ネテロ?あーハンター協会の前の会長さんの息子さんだっけ?テレビで見たよ。彼も暗黒大陸に渡航してたんだ?」
「ああ」
ドンは欠伸をした。
「じゃあ別の人たちだな」
「…………」
ジンは答えなかった。
公式の記録。
渡航経路。
門番。
案内人。
許可。
資格。
契約。
頭の中で。
いくつもの情報が繋がり始める。
そして。
一つだけ。
どうしても説明できないものが残った。
ジンはもう一度、野帳を見る。
メビウス湖西方。
サヘルタの軍用規格と思われる装備。
約五十年前。
「…………」
ジンは呟いた。
「なんで、ここにサヘルタ軍がいる?」
ドンは。
もう寝ていた。
新世界紀行に基づいて「東」に行ったはずのビヨンドを含む「公式」渡航
だが、ドンは確かに西でサヘルタ軍の部隊を見たのだった。
それが意味することは、その真実は?