ジン「現在も、書いてる途中か、だ!」ドン「書き終わったから帰ってきたぞ」 作:笑嘲嗤
「……ちょっと長い話になるな( ˙ω˙ )」
ドンはそう言った。
だが。
野帳を開こうとはしなかった。
ジンはそれを見逃さなかった。
三百年間。
暗黒大陸を歩き続けた男。
ブリオンを蹴り。
パプに食われかけ。
ゾバエ病になり。
ヘルベルにつきまとわれ。
未知の生物を見つければ近づき。
知らない植物を見つければ観察し。
食えるか分からないミミズを見つければ焼いて食う。
その男が。
今。
続きを話すことを躊躇している。
「ドン」
ジンが言った。
「その道は使うなって言ったな」
「うん」
「理由を聞かせろ」
ドンは少し考えた。
ビヨンドも黙って待っている。
やがて。
「先に確認していい?」
「何だ」
ドンはビヨンドを見る。
「君たち、今度はちゃんと正規の手続きで行くんだよな?」
ビヨンドが眉を上げた。
「そのつもりだ」
「門番っていうのも通る?」
「ああ」
「案内人も?」
「ああ」
「許可も取る?」
「当然だ」
ドンは頷いた。
「じゃあ、それで行った方がいい」
「だからなぜだ」
「安全だから」
ビヨンドが笑った。
「暗黒大陸への渡航に安全を求めろと?」
「違うよ」
ドンは即答した。
「暗黒大陸は危ない」
「なら同じだろう」
「違う」
ドンは地図を指差した。
「暗黒大陸で死ぬ危険と」
次に。
昨日の野帳を指差した。
「人間に殺される危険は別だよ」
部屋が静かになった。
◇ ◇ ◇
「……説明しろ」
ビヨンドの声が低くなる。
ドンは野帳を開いた。
昨日。
ジンが読んだページ。
約五十年前。
メビウス湖西方。
サヘルタの軍用規格と思われる装備を身につけた六名。
長期行動用装備。
南西へ移動。
缶詰を一つもらった。
美味しかった。
そこから。
さらにページをめくる。
「この人たちは普通だったよ」
ドンが言った。
「普通?」
「うん」
「軍人だったんだろ?」
「たぶん」
「何をしていた?」
「知らない」
「聞かなかったのか?」
「聞いたぞ」
「答えは?」
「教えてくれなかった」
「それで?」
「じゃあ仕方ないなって」
「諦めが早えよ!!」
「秘密なら聞いても仕方ないだろ」
「お前、未知への好奇心どこ行った!?」
「嫌がってる人に聞くのは違うじゃん( ˙ω˙ )」
「妙なところで常識的だな……!」
ドンはページを指差す。
「三日くらい一緒にいた」
「三日?」
「俺の食料が減ってたから」
「また他人の隊について行ったのか」
「缶詰くれた」
「そこは昨日から一貫してるな」
「美味かったぞ」
「味の話はいい!」
ドンは笑った。
「いい人たちだったよ」
ジンが訊く。
「具体的には?」
「怪我した人を背負ってた」
「…………」
「水はちゃんと分けてた。飯も平等だった。野営地のゴミも片付けてた」
「…………」
「一人が足を怪我した時は、予定を変えて休んでた」
「……ずいぶんまともな部隊だな」
「うん」
「お前には何を?」
「缶詰」
「それは聞いた」
「あと沼から引っ張ってくれた」
「お前、何してたんだよ」
「泥の温度測ってたら沈んだ( ˙ω˙ )」
「観察しながら遭難すんな!!」
「腰くらいまでだったぞ」
「十分だ!」
ビヨンドが腕を組んでいる。
「それで?」
「ん?」
「そんな連中が、なぜ危険なんだ?」
ドンはビヨンドを見る。
「その人たちが危険だとは言ってないよ」
「何?」
「むしろ逆」
ドンは答えた。
「ちゃんとした人たちだったから、気になったんだ」
◇ ◇ ◇
「その後」
ドンは言った。
「似たような人たちを何度か見た」
ジンの目が細くなる。
「サヘルタ?」
「分からない」
「軍人?」
「たぶん」
「どこで?」
ドンは地図に印をつけていく。
一つ。
二つ。
三つ。
どれも。
人類が公式に残している渡航記録とは、綺麗には重ならない。
「これだけか?」
「覚えてる範囲なら」
「野帳には?」
「もっとあると思う」
「あとで全部出せ」
「いいぞ」
ビヨンドが地図を見る。
「こいつらが同じ経路を使ったとは限らんな」
「そうだな」
ジンが答える。
「だが」
一つの地点を指す。
「おかしい」
「ああ」
「門番を通った記録がない」
「ああ」
「案内人の記録もない」
「ああ」
「それでも」
ジンは野帳を見る。
「人間はいた」
「うん」
ドンが頷く。
ビヨンドが口元を上げた。
「面白い」
「またそれか」
「当然だ!」
ビヨンドは地図を叩く。
「正規の経路とは別に、暗黒大陸へ至る道が存在する!」
「可能性は高いな」
「国家がそれを知っているなら、なおさら面白い!」
ジンがビヨンドを見る。
「……待て」
「何だ?」
「国家が知ってる、だけじゃねえかもしれない」
「?」
ジンはしばらく黙った。
そして。
「門番と案内人が知らない可能性がある」
ビヨンドの表情が変わった。
「なぜそう思う?」
「知ってるなら記録が残るはずだ」
「隠している可能性は?」
「ある」
「なら――」
「でも」
ドンが口を挟んだ。
「たぶん知らないと思うぞ」
二人が見る。
「根拠は?」
「一度だけ」
ドンはページをめくった。
「案内人みたいなのに会ったことがある」
「みたいなの?」
「今の案内人と同じか分からないから」
「何を話した?」
「人間を見なかったかって聞かれた」
「いつだ?」
「百年くらい前かな」
「それで?」
「見たって答えた」
「どこで?」
「今の地図だと……」
ドンが場所を示す。
ジンが黙った。
ビヨンドも。
正規経路から大きく外れている。
「案内人の反応は?」
「驚いてた」
「…………」
「何人か聞かれたから答えた」
「それだけ?」
「うん」
「所属は?」
「分からないって言った」
「その後は?」
「別れた」
ジンは地図を見つめる。
「……知らなかった」
「たぶんな」
ドンが言った。
「だから」
少し考える。
「門番と案内人とやらは、大国がハンターたちを管理する仕組みに利用してるんじゃない?」
「…………」
「でも、大国自身が使う道まで全部知ってるとは限らない」
ジンは何も言わなかった。
「表から行く人には首輪をつける」
ドンは自分の首を指差した。
「勝手なことしないように」
「…………」
「でも首輪をつける側まで、同じ道を通る必要はないだろ?」
ジンが小さく息を吐いた。
「……あり得る」
ビヨンドは笑っていた。
「ますます面白い」
「だから」
ドンが言った。
「使うなって言ってるんだよ」
◇ ◇ ◇
「分からんな」
ビヨンドが言った。
「国家が使える道なら、それだけ価値がある」
「うん」
「正規ルートより安全かもしれん」
「そうかもな」
「補給拠点がある可能性もある」
「あるかも」
「なら探す価値が――」
「あるよ」
ドンは認めた。
「ある」
「なら!」
「でも君たちは使わない方がいい」
「なぜだ!」
ドンは。
しばらくビヨンドを見ていた。
そして訊いた。
「今度の探検隊って、世界中に知られてるんだよな?」
「当然だ」
「君が暗黒大陸へ行くことも?」
「ああ」
「誰と行くかも?」
「完全ではないが、隠してはいない」
「船も?」
「ああ」
「出発も?」
「ああ」
「到着したら記録も残る?」
ジンが先に気づいた。
「……そういうことか」
ビヨンドが見る。
「何だ?」
ジンは答えない。
ドンが言った。
「それ、捨てるのもったいないぞ」
「何をだ?」
「君たちがそこにいるって、みんなが知ってること」
沈黙。
「正規の探検隊なら」
ドンは続ける。
「君たちが出発した記録がある」
「…………」
「どこへ行くか知ってる人がいる」
「…………」
「帰ってこなかったら、誰かが気にする」
「…………」
「何かあったら調べる人もいる」
ビヨンドの目から笑みが消えていく。
「でも」
ドンは。
地図の西側を指差した。
「誰も知らない道から入ったら?」
「…………」
「どこにいる?」
「…………」
「誰といる?」
「…………」
「いつ入った?」
「…………」
「そもそも」
ドンは言った。
「入ったことを誰が知ってる?」
静かだった。
「……国家が」
ビヨンドが言う。
「俺たちを消すとでも?」
「知らない」
ドンは即答した。
「そこは知らない」
「なら――」
「でも」
ドンの声は変わらない。
「消そうと思った時、どっちが消しやすい?」
誰も答えなかった。
「世界中が知ってる探検隊と」
「…………」
「誰にも知られてない場所を歩いてる人間」
ジンが目を閉じた。
「……後者だ」
「うん」
「正規の探検隊を攻撃すれば、記録が残る」
「うん」
「消えれば問題になる」
「うん」
「裏から入った人間なら」
ジンは続けなかった。
ドンが代わりに言った。
「最初からいなかったことにできる」
◇ ◇ ◇
ビヨンドはしばらく黙っていた。
そして。
「お前は?」
「ん?」
「お前自身は三百年間、正規の探検隊ではなかった」
「制度なかったからな」
「国家の人間に見つかったことは?」
「あるぞ」
「どうした?」
「逃げた」
即答だった。
「戦わなかったのか?」
「なんで?」
「捕まえようとされたんだろう?」
「一回は」
「なら」
「逃げた方が早いじゃん」
「倒せた可能性は?」
「知らない」
「お前なら――」
「ビヨンド」
ドンが遮った。
初めて。
名前を呼び捨てにした。
「人間と戦う時に」
ドンは言った。
「相手が目の前にいる奴だけだと思わない方がいいぞ」
「…………」
「兵士を倒して終わるなら簡単だ」
「…………」
「でも、その人たちには帰る場所がある」
「…………」
「上司がいる」
「…………」
「命令した人がいる」
「…………」
「予算を出した人がいる」
ジンがドンを見る。
「次の人たちも来る」
「…………」
「百人を倒したら?」
ドンが訊いた。
ビヨンドは答えない。
「千人来るかもしれない」
「…………」
「千人倒したら?」
「もっと来ると?」
「来ないかもしれない」
「なら」
「もっと遠くから何かするかもしれない」
沈黙。
ドンは。
その先を言わなかった。
ジンには。
なぜか。
その沈黙の方が気になった。
◇ ◇ ◇
「俺は」
ビヨンドが言った。
「危険を承知で暗黒大陸へ行く」
「知ってる」
「命を惜しんでいるわけではない」
「それも分かる」
「なら止めるな」
「止めてないよ」
「裏道を使うなと言った」
「うん」
「同じだろう!」
「違う」
ドンは首を振った。
「暗黒大陸で」
「…………」
「誰も見たことのない生き物を見るために命を賭ける」
「…………」
「誰も歩いたことのない場所へ行くために命を賭ける」
「…………」
「知らないものを知るために命を賭ける」
ドンは笑った。
「俺は好きだよ。そういうの」
ビヨンドも。
ほんの少し笑った。
「だろうな」
「でも」
笑みが消えた。
「誰かが昔作った秘密の道を探して」
「…………」
「そこで国家の秘密を見つけて」
「…………」
「見つけたから消される」
ドンは言った。
「それ」
一拍。
「君が賭けたかった命なの?」
ビヨンドは答えなかった。
「危険を恐れるなとは言わない」
「…………」
「死ぬなとも言わない」
「…………」
「俺だって何回も死にかけた」
「知っている」
「でも」
ドンは。
静かに言った。
「命の賭けどころを間違えるな」
◇ ◇ ◇
長い沈黙だった。
やがて。
ビヨンドが息を吐いた。
「……分かった」
ジンが驚いた。
「ずいぶん素直だな」
「勘違いするな」
ビヨンドは腕を組む。
「裏道を諦めたわけではない」
「おい」
「ただ」
ドンを見る。
「俺が求めているものではない」
「うん」
「俺は国家の秘密を暴きたいわけではない」
「ああ」
「誰かが使った道を歩きたいわけでもない」
「ああ」
ビヨンドの顔に。
再び。
あの笑みが戻る。
「俺が欲しいのは、本当に誰も見たことのない場所だ」
ドンも笑った。
「やっぱりそっちか( ˙ω˙ )」
「当然だ!」
「なら、もっと遠く行けばいいじゃん」
「それができれば苦労せん!」
「できるぞ?」
「…………」
「…………」
ジンとビヨンドが同時にドンを見る。
「何?」
ジンが嫌な予感しかしない顔で訊いた。
「今」
「うん」
「何て言った?」
「もっと遠く行けばいいって」
「どこへ?」
ドンは地図を見る。
メビウス湖。
その周辺。
人類が暗黒大陸と呼ぶ土地。
「この辺、人間が結構来てるから」
「それは今聞いた」
「もっと西」
「どのくらい?」
「かなり」
「何がある?」
「世界樹」
ジンの眉が動く。
「世界樹?」
「でかいやつ」
「やっぱりこっちの世界樹とは違うのか?」
「あれ若木だろ?暗黒大陸の方はデカいだけじゃないんだ」
「その話もあとで聞く!!」
ドンは地図の外側を指でなぞった。
「そこの世界樹から見えるんだ」
「何が?」
「湖」
「メビウス湖が?」
「それも見える」
「それも?」
ジンが止まる。
ビヨンドも。
ドンは。
当たり前のように言った。
「隣にも湖あるぞ( ˙ω˙ )」
「…………」
「…………」
「…………」
ジンが立ち上がった。
「隣の湖!?!?」
ビヨンドの目が輝いた。
「どれほどの大きさだ!?」
「メビウス湖と同じくらいかな」
「同じくらい!?」
「ちゃんと測ってないぞ」
「そこに人間は!?」
「分からない」
「行ったのか!?」
「行ってない」
ビヨンドが。
完全に停止した。
「…………」
ドンは首を傾げる。
「だから言ったじゃん」
「何を」
「俺が行ってない場所、いっぱいあるって」
ビヨンドが地図へ飛びついた。
「どこだ!!」
「この地図には載ってないよ」
「描け!!」
「だいたいなら」
「今すぐ描け!!」
ジンが頭を抱える。
「待て待て待て!! サヘルタの話がまだ終わってねえ!!」
「ジン!」
「なんだよ!」
「湖だぞ!!」
「俺だって気になってるよ!!」
ドンが鉛筆を取った。
「あとな」
二人が止まる。
「まだあんのかよ……」
ジンの声が震えた。
「その湖からかな。正確には分からないけど」
ドンは紙に。
一本の長い線を描いた。
「でかい川がある」
「川?」
「うん」
「どこまで続いてる?」
「分からない」
「見えなかったのか?」
「世界樹の上から見た」
「なら相当遠くまで――」
「水平線の向こうまで続いてた」
ジンが黙った。
ビヨンドも。
「……水平線?」
「ああ」
ドンは鉛筆を置いた。
「水だった」
「…………」
「陸が見えなかった」
「…………」
「一瞬だけ」
ドンは目を細めた。
三百年前から変わらない。
未知を語る時の。
あの顔だった。
「ずっと向こうで、何か光ったんだ」
「何が?」
「知らない」
「海なのか?」
ドンは首を振った。
「分からない」
「…………」
「ものすごく大きい湖かもしれない」
「…………」
「でも」
ドンは笑った。
「もしかしたら、本物の海かもしれない( ˙ω˙ )」
ビヨンドが。
笑った。
ジンも。
とうとう。
笑った。
「……クソ」
「何だジン?」
「世界が広くなりやがった」
ドンは不思議そうに二人を見る。
「最初から広いぞ?」
「お前が言うな!!」
ビヨンドが地図を丸める。
「決めた!」
「何を?」
「そこだ!」
「どこ?」
「湖の向こう!」
「場所分かってないだろ」
「なら探す!」
「いいなぁ( ˙ω˙ )」
「お前も来い!」
「考えとく」
「ジン!」
「俺を巻き込むな!」
「お前も来るだろう!」
「…………」
「来ないのか?」
「…………」
ジンは。
ドンが描いた一本の線を見る。
メビウス湖の外。
さらに別の湖。
その先。
水平線まで続く水。
「……行く」
「だろう!」
「ただし!」
ジンはドンを指差した。
「その前にサヘルタの記録を全部洗う!」
「いいぞ」
次にビヨンド。
「お前は正規の手続きを最後までやれ!」
「分かっている!」
ドンもビヨンドを指差した。
「あとゴミ」
「何?」
「持って帰れよ」
「…………」
「現地に捨てるなよ」
「分かっている!」
「植物も勝手に抜くな」
「分かった!」
「動物に餌やるな」
「分かったと言っている!」
「落ちてる変な枝も持って帰るなよ」
「なぜ枝まで!?」
「君、修学旅行で木刀買うタイプだろ( ˙ω˙ )」
「なぜ分かる!?」
「俺も買った」
「お前もかよ!!」
ジンが叫んだ。
ドンは満足そうに頷いた。
「よし」
「何がだ!」
「暗黒大陸二年生くらいにはなれそうだな」
ビヨンドの顔が引きつる。
「俺はすでに暗黒大陸へ行っている!」
「でも知らない湖は初めてだろ?」
「…………」
「未知の土地では全員一年生だぞ( ˙ω˙ )」
ジンが吹き出した。
「ハハハハハハ!」
「笑うなジン!!」
ドンがジンを見る。
「ジンも一年生だぞ」
「俺も!?」
「当たり前じゃん」
「…………」
「俺も」
「お前もかよ!」
「行ったことないからな( ˙ω˙ )」
三人は。
地図を見る。
そこにはまだ。
何も描かれていなかった。
だからこそ。
三人とも。
しばらく目を離せなかった。