ジン「現在も、書いてる途中か、だ!」ドン「書き終わったから帰ってきたぞ」 作:笑嘲嗤
ジンは野帳を読んでいた。
机の上には、すでに十冊以上が積み上がっている。
三百年間。
メビウス湖沿岸。
暗黒大陸東西。
動植物。
気象。
遺跡。
人間との遭遇記録。
どうでもいい食事の感想。
腹を壊した記録。
たまに挟まる落書き。
情報量が多すぎる。
「……これ、一人で読む量じゃねえな」
「俺は一人で書いたぞ( ˙ω˙ )」
「三百年かけてな」
「うん」
「だったら読む方にも三百年寄越せ」
返事がない。
ジンが顔を上げる。
ドンはスマートフォンを弄っていた。
「おい」
「ん?」
「手伝え」
「今忙しい」
「何してる」
「音楽探してる( ˙ω˙ )」
「俺がお前の三百年分の記録と格闘してる横で?」
「最近の音楽ってすごいな。これ一個で聴けるんだな」
「後にしろ」
「でも俺、サブスク入ってないんだけど」
「知らねえよ」
「無料じゃないの?」
「曲による」
「広告見たら聴ける?」
「サービスによる」
「難しいな……」
「暗黒大陸より簡単だ!!」
ドンはスマートフォンへ視線を戻した。
しばらく操作する。
「ないな」
「何が」
「聴きたい曲」
「三百年前の曲なら残ってねえんじゃねえか?」
「楽譜は残ってると思うぞ」
「曲名は?」
ドンはスマートフォンを見ながら答えた。
「闇のソナタ」
ジンの指が止まった。
「…………」
「検索しても演奏が出てこないんだよ」
「…………」
「サブスク限定?」
「待て」
「ん?」
「今なんつった?」
「サブスク限定?」
「その前だ!!」
ドンが首を傾げる。
「闇のソナタ?」
「なんでお前がそれを知ってる」
「知ってるよ」
「どこで知った」
「昔」
「どこで聴いた」
「聴いたこともあるぞ」
ジンがゆっくり野帳を閉じた。
「……お前」
「うん?」
「今すぐスマホ置け」
「なんで?」
「いいから置け」
ドンは素直に置いた。
「楽譜は?」
「覚えてる」
「どこまで」
「全部」
「…………全部?」
「うん」
「一曲?」
「全部だぞ( ˙ω˙ )」
ジンは数秒黙った。
「なんで?」
「俺が書いたから」
「…………」
「…………」
「お前が作曲者なのか!?」
「違うよ」
「じゃあどういう意味だ!!」
「口述筆記」
ジンの表情が消えた。
「作った人が言うから、俺が書いた」
「待て待て待て」
「待ってるぞ」
「紙」
「ん?」
「書け」
「何を?」
「覚えてるんだろ」
「うん」
「闇のソナタだ」
ドンは少し考えた。
「長いぞ?」
「いいから書け!!」
◇
ドンが五線紙へ音符を書いていく。
ジンは黙って見ていた。
十小節。
二十小節。
迷わない。
時々手を止める。
だが思い出せないのではない。
次の瞬間にはまた書き始める。
「……ここ」
「ん?」
「なんで休符が入る」
「そういう曲だから」
「本当に?」
「そこはよく覚えてる。俺、一回間違えたんだよ」
「何?」
「長く書いたら怒られた」
「誰に」
「作った人」
ドンは笑った。
「『そこじゃない』って( ˙ω˙ )」
ジンは端末を開いた。
「何してる?」
「裏取り」
「俺、嘘ついてないぞ」
「お前が嘘つきかどうかは関係ねえ」
ハンター専用サイトへ接続する。
通常の検索では、大した情報は出てこない。
伝承。
被害記録。
魔王が作曲したとされる禁断の楽曲。
ピアノ。
ヴァイオリン。
ハープ。
フルート。
演奏した者、そして聴いた者に災いをもたらすとされる曲。
「魔王?」
後ろからドンが覗き込んだ。
「誰これ( ˙ω˙ )」
「お前の知ってる作曲者じゃねえのか?」
「人間だぞ」
「…………」
「魔王じゃない」
「書け。とにかく続けろ」
ジンはさらに深い記録へ潜る。
過去の被害調査。
回収された楽譜の断片。
完全な楽譜ではない。
それでも照合には使える。
ドンが書いた五線紙。
画面。
また紙。
「…………」
「どうした?」
「続けろ」
「うん」
別の断片。
一致。
さらに別の部分。
一致。
三つ目。
また一致。
「おい、ドン」
「ん?」
「ここ」
ジンが指差す。
「この休符」
「ああ」
「協会側に残ってる断片にもある」
「だから言ったじゃん」
「こっちの情報は一般公開されてねえ」
「へえ」
「『へえ』じゃねえよ」
ジンは椅子へ深く座った。
目の前の紙を見る。
「……本物だ」
「そうだぞ」
「少なくとも、お前は現在《闇のソナタ》と呼ばれてる曲の、既知の資料じゃ説明できねえ情報を持ってる」
「俺が書いたからな」
「だから」
ジンが顔を上げた。
「なんでお前が書いた?」
「頼まれたから」
「誰に」
「作った人」
「なんで自分で書かなかった」
ドンの鉛筆が止まった。
「書けなかったんだよ」
「なぜ」
「もう手が動かなかった」
「…………」
「だから俺が書いた」
ジンの目が細くなる。
「どこで?」
「病院」
「お前も?」
「うん」
「何の病気だ」
「病気じゃない」
「怪我?」
「それもあったけど」
ドンは少し考えた。
「毒、だったんだろうな。今ならそう思う」
「何の毒だ」
返事がない。
「ドン」
「当時は名前がなかったんだよ」
「何に?」
ドンは窓の外を見た。
三百年以上前。
まだハンターでもなかった。
暗黒大陸を知らなかった。
ただ銃を持たされて戦場にいた、一兵卒だった頃。
「あの日さ」
ドンが言った。
「空に、すごく大きな黒いものが咲いたんだ」
ジンの表情が変わる。
「……おい」
「みんな薔薇みたいだって言ってた」
「待て」
「綺麗だったぞ」
ドンは笑わなかった。
「すごく、嫌な綺麗さだった」
「ドン」
「それで俺、あの人を見つけたんだ」
ジンは何も言わない。
ドンは三百年以上前を思い出すように、目を細めた。
「あれがたぶん――」
ほんの少し間を置いた。
「世界で初めて、薔薇が咲いた日だったんだよ( ˙ω˙ )」