あの魔法少女に恋はしない 作:毎日残業
夕食を終えたあと、紗寿叶はリビングのソファへ腰を下ろし、特に見たい番組があるわけでもないままテレビのリモコンを手に取った。
心寿は自室で明日の準備をしているらしく、家の中は普段より静かだった。今日は昼間に買った雑誌を読むつもりだったため、何となく音が欲しくなってテレビをつける。
ちょうど番組が始まったばかりなのか、画面には高校の校門が映し出されていた。制服姿の生徒たちが次々と登校していく中、画面の隅にドラマのタイトルが表示される。
『青すぎる僕ら』
名前くらいなら聞いたことがあった。最近始まった学園ドラマで、毎回一人の生徒へ焦点を当てる群像劇だったはずだが、紗寿叶は特に興味を持っていない。
わざわざチャンネルを変えるほどでもなく、音量だけ少し下げて膝の上へ雑誌を広げた。
ドラマはクラスの進路希望調査を巡る話から始まった。
主人公らしい男子生徒が友人と話しながら教室へ入り、教師から配られた用紙を前にして、周囲では大学や専門学校、就職について好き勝手な声が飛び交っている。
紗寿叶はページを捲りながら片耳で聞いていたが、内容まではほとんど頭に入ってこなかった。
『榊原、お前もう書いたの?』
『昨日出したよ』
テレビから聞こえた声に、次のページへ伸ばしかけていた指が止まる。
つい最近、どこかで聞いた声だった。
顔を上げると、画面の中央には眼鏡を掛けた男子生徒が立っていた。制服はきっちり着込まれ、髪にも乱れがない。机へ片手を置きながら、話しかけてきた友人へ穏やかに返事をしている。
「……朝比奈?」
思わず名前が漏れた。
昨日、河川敷でカメラを構えていた少年と顔は間違いなく同じなのに、どうにも印象が違う。
昨日会った玲央より姿勢がよく、笑うときも口元を僅かに緩める程度で、相手の反応に合わせて目元まで笑うことがほとんどない。声も少し低く抑えられていて、落ち着いているというより、自分の中ではもう答えが決まっているような話し方だった。
紗寿叶は膝の上の雑誌を閉じ、テーブルへ置いた。
『榊原は第一志望どこ?』
『東央。滑り止めで二校』
『うわ、もう決めてんのかよ』
『決めるだけなら誰でもできるだろ。受かるかは別だけど』
画面の中の男子生徒――榊原湊はそう答えると、自分の席へ腰を下ろした。
嫌味を言っているようには見えない。本人は何もおかしなことを言ったつもりがないらしく、話しかけた友人の方が苦笑しながら離れていく。
紗寿叶は昨日の玲央を思い出した。
心寿から写真について教われば素直に聞き返し、自分から警戒されていると分かっても反発することなく受け入れていた。少なくとも、今画面の中にいる榊原ほど他人の気持ちに鈍いようには見えない。
演技なのだから違って見えて当然なのだろうが、顔も声も同じ人間が立ち方や話し方だけでここまで変わるものなのかと、紗寿叶はそのままドラマへ目を向けた。
今回の中心人物は、進路について両親と意見が合わず悩んでいる女子生徒だった。
本人は服飾系の専門学校へ進みたいが、両親は大学への進学を望んでいる。教師へ相談すれば家庭へ連絡されるかもしれないと考え、誰にも話せないまま進路希望調査も提出できずにいた。
その事情を偶然知ったのが榊原だった。
『お願い。先生にはまだ言わないで』
放課後の教室で女子生徒がそう頼むと、榊原は机へ腰を預けたまま彼女を見る。
『親とちゃんと話してから、自分で先生に言うから』
『分かった』
『本当に?』
『うん』
榊原はそれ以上何も言わなかった。
意外とまともな奴なのかもしれないと紗寿叶が思ったのは、その場面までだった。
次の場面では、榊原が職員室にいた。
『先生、田所さんの進路希望なんですけど』
「は?」
思わず声が出る。
榊原は女子生徒から聞いた内容を教師へ淡々と説明し、進路希望調査を出せずにいる理由まで伝えていた。
悪意があるようには見えない。
教師も事情を知ったからといってすぐ家庭へ連絡するわけではなく、まず本人と話す機会を作ろうとしている。結果だけ見れば、悪い方向へ進んでいるわけでもなかった。
それでも紗寿叶としては納得できない。
「言わないでって頼まれたでしょ」
テレビへ文句を言ったところで、当然ながら榊原には届かない。
やがて事情を知った女子生徒が、廊下で榊原を呼び止めた。
『何で先生に言ったの?』
『言った方が早いと思ったから』
『言わないでって頼んだでしょ!』
声を荒らげられても、榊原はほとんど表情を変えない。
怯むわけでも、腹を立てるわけでもなく、本当に何を責められているのか分かっていないような顔で相手を見返している。
『俺、言わないとは言ってないよ』
『は?』
『先生にはまだ言わないでって言われて、分かったって答えただけ』
「最悪」
紗寿叶は反射的に呟いた。
画面の向こうの女子生徒も、ほとんど同じ顔をしている。
『同じことでしょ!』
『違うだろ』
『何が違うのよ!』
『田所が先生に知られたくないと思ってるのは分かった。でも先生が知らないと話進まないし、実際ちゃんと相談できたじゃん』
榊原は相手の感情より、起きたことだけを順番に並べるように話す。
『結果的に良くなったなら、それでよくない?』
『そういう話してるんじゃない!』
『じゃあ何の話?』
そこで女子生徒は言葉を失い、悔しそうに榊原を睨んで去っていった。
榊原は追いかけることもなく、その背中を見ながら僅かに眉を寄せる。
本気で分かっていないらしいのが、余計に腹立たしい。
「何なのよ、こいつ……」
紗寿叶は腕を組んだ。
どうやら単純に嫌な奴というわけではないらしい。榊原が教師へ話したことで女子生徒は相談するきっかけを得て、最終的には教師が間へ入り、両親とも話すことになる。
それでも、本人の意思を無視したことには変わりない。
ドラマの中でも主人公からそこを指摘されていたが、榊原は最後まで完全には納得していなかった。
『でも解決したんだろ?』
『そういうところだよ、お前』
『何が?』
主人公が呆れて去っていき、榊原だけがその場に残される。
そこで紗寿叶は、自分がいつの間にか雑誌の存在を忘れていることに気づいた。
最初は玲央が出ているから見ていただけだったはずなのに、途中からは榊原の言動そのものに腹を立てている。玲央が映っていない場面でも、田所がどうなるのか気になっていた。
「……ちゃんと役者なのね」
口に出してから、かなり失礼な感想だと思った。
本人が聞けば、最初からそう言っていると返されそうだった。
ドラマはその後、女子生徒が両親へ自分の希望を伝えるところまで描かれ、完全に理解してもらえたわけではないものの、一緒に専門学校について調べてもらうところで終わった。
エンディングが流れ始めても、紗寿叶はすぐにはテレビを消さなかった。
出演者の名前が順番に表示され、その中に『久世レオ』の文字を見つける。
白咲リリアを演じていた子役としてではなく、先ほどまで榊原湊を演じていた俳優の名前として見ると、昨日とは少し違って見えた。
それでも頭へ残っているのは名前より、田所から怒鳴られたときの榊原の目だった。
昨日会った玲央なら、あんなふうには相手を見ない気がする。
心寿と会うことを警戒した自分に対しても、玲央は言い返すより先に「それはそうだな」と受け入れた。心寿から写真について説明を受けているときも相手の顔をよく見ていたし、返事をする前に反応を確かめることも多かった。
榊原にはそれがほとんどない。
話は聞いているのに、相手がどう感じているかまでは見ようとしていないように思えた。
そこまで考えたところで、紗寿叶はふと自分がコスプレするときのことを思い出した。
衣装とウィッグを揃えてメイクを変えれば、見た目はキャラクターへ近づけられる。それでも、それだけで写真の中の人物がそのキャラクターになるわけではない。
強気なキャラクターならどんな目で相手を見るのか、大人しいキャラクターなら肩をどこまで縮めるのか、笑うにしてもその人物ならどう笑うのか。紗寿叶自身、撮影のときには自然とそういうことを考えている。
なら、さっき見ていた榊原の視線や間も同じなのだろうか。
「あれも、わざとなのかしら……」
一度気になってしまうと、先ほどの場面がまた頭に浮かんだ。
本人へ聞けば分かる。
そう考え、テーブルの上に置いたスマートフォンへ目を向ける。
昨日交換したばかりの連絡先を開けば、『朝比奈玲央』という名前が表示された。
そこまでしてから、わざわざ本人へ聞くほどのことなのかという疑問が浮かび、発信ボタンへ伸ばしかけた指が止まる。
まだまともに会ったのは一度だけで、連絡先だって心寿を一人で会わせないために交換したようなものだ。たまたま出演しているドラマを見ただけで、感想を言い合うような仲になった覚えもない。
それでも、文章で何往復もするより聞いてしまった方が早い。
紗寿叶は少し迷った末に発信ボタンを押すと、呼び出し音が二度鳴ったところで通話が繋がる。
『もしもし?』
「……今、大丈夫?」
『大丈夫だけど。どうした?』
昨日と変わらない声が返ってきて、つい数分前までテレビの中にいた榊原との差が余計にはっきりした。
「さっき、あんたが出てるドラマ見たのよ」
『青すぎる僕ら?』
「それ」
『見てくれたのか。ありがとう』
「たまたまついてただけだから」
反射的に訂正してから、わざわざそんなことを言う必要もなかったかと思う。
玲央は気にした様子もなく、電話の向こうで小さく笑った。
『それで? ドラマ見た報告だけするために電話を?』
「違うわよ。一つ気になったことがあったの」
『何?』
紗寿叶は先ほどの場面を思い返す。
「榊原って、人と喋ってるときあんまり相手の顔見ないじゃない。あれってわざとなの?」
『わざとだよ』
あまりにもあっさり答えが返ってきたため、紗寿叶はソファへ座り直した。
『榊原って、相手がどう感じてるかより、言われた内容を先に考える奴なんだよ。話はちゃんと聞いてるけど、相手の顔見て反応を確かめたりはあんまりしない』
「じゃあ田所に怒鳴られてるとき、全然焦ってなかったのも?」
『それも。榊原は自分が悪いことしたと思ってないから、焦って謝る理由がないし』
「……意外と考えてるのね」
『ディレクションと台本読んだ結果ってだけ』
少しだけ雑になった返事に、紗寿叶は眉を上げる。
『全部俺が一から決めてるわけじゃないよ。台本と監督から言われたことがあって、その上で榊原ならどうするか考えてるだけ』
「ふうん……」
本人にとっては、それほど特別なことでもないらしい。
『紗寿叶さんもコスプレするとき、そういうの考える?』
急に話を振られ、紗寿叶は一度瞬きをした。
「考えるわよ」
『やっぱり?』
「キャラによって立ち方も表情も違うでしょ。強気な子なのに縮こまって立ってたらおかしいし、いつも無表情なキャラで満面の笑顔作っても別人になるじゃない」
『なるほど』
「何よ」
『いや、実際の写真見てみたいなと思って』
「何でよ」
『今の話聞いたら気になるだろ』
予想していなかった返しに、紗寿叶は少しだけ目を細めた。
玲央が自分のコスプレを知っていること自体は、すでに分かっている。ただ、実際の写真まではまだ見せていない。
「……気が向いたらね」
『はいはい』
「何よ、その返事」
『見せたくなったら見せてってこと』
昨日ならもう少し丁寧に言葉を選びそうな気もしたが、電話だからなのか、それとも多少遠慮がなくなっただけなのかは分からない。
もっとも、紗寿叶にはまだ言いたいことが残っていた。
「それはそれとして、榊原って奴、性格最悪ね」
『よかった』
「何がよ」
即答され、思わず声が強くなる。
『ちゃんと榊原に腹立ったんでしょ?』
「腹立ったわよ。あれだけ言わないでって頼まれたのに、次の場面でもう先生に喋ってるし」
『じゃあ成功したな』
「嫌な奴に見られて喜ぶものなの?」
『俺が嫌な奴に見えたなら困るけど、榊原が嫌な奴に見えたなら脚本の意図通りだからな』
言われてみれば、その通りだった。
嫌な人物として描かれているのに、視聴者からいい人だと思われてしまえば、その方が困るのだろう。
「でも最後まで自分が悪いと思ってなかったじゃない」
『榊原はそういう奴だから』
「普通、あそこまで言われたら少しくらい反省するでしょ」
『俺に言われても』
「演じてたのあんたでしょ」
『榊原に言ってよ』
呆れた声が返ってきて、紗寿叶は少しだけ口元を緩めた。
ついさっきまで本気で腹を立てていた男と、今こうして電話越しに文句を言っている相手が同じ顔をしていると思うと、急におかしくなってくる。
「あいつ嫌いだわ」
『ありがとう』
「褒めてない」
『俺は褒められたと思ってる』
冗談なのか本気なのか分からない言い方に、紗寿叶は少し黙った。
昨日、河川敷でカメラに苦戦していた姿だけを見ていたときは、玲央が役者だという話も、どこか肩書きのように聞こえていた。
白咲リリアを演じていたという過去の印象が強すぎて、今も演技を仕事にしていると言われても、実感がなかったのかもしれない。
けれど今日見た榊原は、昨日会った玲央とは明らかに違った。
「……あんた、本当に役者なのね」
『え?』
考えていたことがそのまま口から出て、紗寿叶は一瞬しまったと思った。
電話の向こうで少し間が空く。
『今まで何だと思ってたの?』
紗寿叶は少しだけ考えたあと、取り繕うのも面倒になってそのまま答えた。
「元魔法少女」
『……』
短い沈黙のあと、深いため息が聞こえる。
『紗寿叶さんの中で俺、一生そこから進まないの?』
「今日ちょっと進んだわよ」
『本当に?』
「元魔法少女兼、性格悪い奴を演じる役者」
『戻していい?』
思わず笑いそうになり、紗寿叶は口元を手で隠した。
ちょうどそのとき、リビングの扉が開く。
飲み物でも取りに来たのか、心寿が入ってきて、電話をしながら笑いを堪えている姉を見て不思議そうに足を止めた。
「お姉ちゃん、誰と話してるの?」
「朝比奈」
「あ、朝比奈さん?」
心寿の声が電話にも届いたらしい。
『心寿さんいるの?』
「今来たところ」
紗寿叶が答えると、心寿は向こうには見えないというのにスマートフォンへ向かって小さく頭を下げる。
「こんばんは」
『こんばんは』
「何で電話してるの?」
「ドラマ見てて、ちょっと聞きたいことがあっただけよ」
そう説明すると、心寿は納得したように冷蔵庫へ向かった。
その背中を見送りながら、紗寿叶は時計へ目を向ける。
聞きたかったことはもう聞いたはずなのに、思っていたより長く話していた。
「じゃあ、もう切るわよ」
『うん。見てくれてありがとう』
「だから、たまたま見ただけだって言ってるでしょ」
『それでも見たことには変わらないだろ』
「……そうね」
そこまで否定する必要もなく、紗寿叶は素直に認めた。
『じゃあ、おやすみ』
「おやすみ」
通話を切る。
静かになった画面には、ついさっきまで話していた『朝比奈玲央』という名前が残っている。
昨日までは、昔白咲リリアを演じていた少年という印象の方が強かった。けれど今日、榊原湊を見て、河川敷でカメラを抱えていた玲央とも話したことで、その二つが少しだけ同じ人間の中へ収まった気がする。
昔、女の子にしか見えない魔法少女を演じていた少年は、今も別の誰かになることを仕事にしている。
本人にとっては、きっとそれが昔から続けている普通の仕事なのだろう。
「……変な奴」
誰にも聞こえない程度の声で呟き、紗寿叶はスマートフォンを伏せた。