あの魔法少女に恋はしない 作:毎日残業
休日の午後、紗寿叶は心寿と並んで駅から少し離れた公園へ向かっていた。
前回の河川敷とは違い、遊歩道の両脇には木々が並び、その奥には小さな池や芝生の広場もある。同じ場所ばかり撮るより変えた方がいいのではないかと心寿が提案し、玲央も特に反対しなかったため、今日はここで会うことになった。
約束した場所へ着くと、玲央はベンチの近くでカメラを操作していた。
二人に気づくとすぐ顔を上げ、軽く手を振る。
「こんにちは」
「こんにちは、朝比奈さん」
「……どうも」
心寿が丁寧に頭を下げ、その横で紗寿叶も短く返した。
初めて会ったときのように、相手がどういう人間なのか探るつもりで様子を見ることはもうない。だからといって親しい友人というわけでもなかったが、少なくとも心寿と二人きりにさせないためだけについてきた、という気持ちは薄れていた。
「今日はもう撮ったの?」
「ちょっとだけ。心寿さんに見てもらおうと思って」
玲央がカメラを持ち上げると、心寿はすぐ隣まで近づいた。
「見てもいいですか?」
「もちろん」
二人で液晶を覗き込み、紗寿叶も少し遅れて横から見る。
池の水面や木漏れ日の落ちる遊歩道、ベンチに置かれた紙袋、芝生を走る犬と、撮っているもの自体は以前とそれほど変わらない。
ただ、最初の頃のように何でも一枚へ入れようとはしていなかった。
一枚目では池に浮かぶ落ち葉へ寄り、別の写真では手前のベンチをぼかして、その奥を歩く人へ目が向くようになっている。
何枚か見比べた心寿が頷いた。
「前より分かりやすいです」
「何が?」
「朝比奈さんが何を撮りたかったのかです。前は景色を全部入れてる写真が多かったですけど、今日は一つに絞ってる感じがします」
「一応、撮る前に決めるようにしてる」
「すごくいいと思います」
心寿に褒められ、玲央は少し安心したように息を吐いた。
「よかった。前よりマシになってるなら」
「はい。このまま色々撮ってみたら、もっと分かってくると思います」
「じゃあ、もう少し続けてみる」
そう言って、玲央は自分が撮った写真をもう一度見返した。
心寿に教えてもらうことにも慣れたらしく、以前のように一つ聞くたび何度も確認することはなくなっている。分からないところだけ質問して、教わったことを一度自分で試してから持ってくるようになっていた。
紗寿叶も画面を覗きながら、少なくともカメラを買ったばかりの頃よりは写真らしくなったと思う。
「そういえば」
何枚か確認したところで、玲央が顔を上げて紗寿叶を見る。
「この前言ってた写真、見せてもらってもいい?」
「何の?」
「コスプレ」
「ああ」
昨日の電話でそんな話をしたことを思い出し、紗寿叶はスマートフォンを取り出した。
「ジュジュって名前でやってるから。これ」
コスプレ用のアカウントを開き、プロフィール画面を玲央へ向ける。
「これが紗寿叶さん?」
「そうよ」
「じゃあ自分のスマホで見てもいい?」
「公開してるんだから好きに見ればいいでしょ」
玲央もスマートフォンを取り出し、教えられた名前を検索する。
すぐに同じアカウントを見つけると、上から順に投稿を眺め始めた。
鮮やかな衣装を着た魔法少女に、黒を基調としたドレス姿の少女、ほとんど表情を変えずカメラを見つめるキャラクターまで、並んでいる写真はどれも印象が違う。
ウィッグやメイクが違うのだから当然ではあるのだが、玲央はそこではないところが気になったらしい。
「……これ全部紗寿叶さん?」
「そうよ」
「同じ人に見えないな」
「キャラが違うんだから当たり前でしょ」
玲央は少し前まで戻り、二枚の写真を交互に見る。
一枚は尊大で自信に満ちた少女で、もう一枚は人と目を合わせることさえ苦手な内向的な少女だった。
「こっち、ちょっと顎上げてるよね。カメラも真正面から見てないし」
「人を見下すタイプの子だから」
「で、こっちは肩が内側に入ってる」
「その子は逆。人前に出るの苦手なの」
「やっぱりわざとなんだ」
玲央が写真から顔を上げ、紗寿叶本人を見る。
「何よ」
「昨日聞いたときも思ったけど、実際見ると結構違うなって」
「昨日も言ったでしょ。キャラによって立ち方くらい変えるって」
「聞くのと見るのは違うだろ」
また画面へ目を落とし、指を滑らせる。
最初のうちは衣装や撮影場所も見ていたが、何枚か進む頃には紗寿叶の表情や顔の角度ばかり追うようになっていた。
「この二枚、両方笑ってるけど全然違うな」
「そりゃ違うわよ」
「こっちは歯見せてるけど、こっちはほとんど笑ってない」
「後の子がそんな大笑いするキャラじゃないもの」
「撮るとき、ずっとそこまで考えてる?」
「ずっとじゃないけど、少なくともポーズとか表情を決めるときは考えるわよ」
玲央は小さく頷いた。
「役やるときと、ちょっと似てるな」
「一緒にしないでよ」
「一緒だとは言ってない」
すぐ返され、紗寿叶は口を閉じる。
「俺は仕事で役をやるし、紗寿叶さんは好きなキャラを選んでやってる。そこは全然違うけど、そのキャラならどう立つかとか、どういう顔するか考えるところは似てるって話」
「……まあ、それくらいなら」
昨日、自分でも似たようなことを考えたばかりだった。
榊原ならどのくらい相手の顔を見るのか、怒鳴られたとき何を感じるのかを玲央が考えるように、紗寿叶もキャラクターならどんな表情をするかを考える。
やっていることそのものは違っていても、衣装を着ればそれで終わりでも、台詞を読めばそれで終わりでもないらしい。
「朝比奈さん、どれが一番好きですか?」
隣から一緒に画面を見ていた心寿が、何気なく尋ねる。
「一番?」
「はい」
玲央は少し前まで投稿を戻し、さっき見た写真をもう一度眺め始めた。
紗寿叶も興味がないふりをしながら、その指先を横目で追う。
華やかな衣装のものなら何枚か心当たりがあるし、投稿したとき反応が多かった写真も覚えている。
しかし玲央が止めたのは、そのどれでもなかった。
「これかな」
古びた洋館で撮影した一枚だった。
淡い髪の少女が窓際に立ち、身体は横を向けたまま視線だけをカメラへ寄越している。派手なポーズを取っているわけでもなければ、笑ってもいない。
「それ?」
「うん」
「何で?」
玲央は一度写真を見てから、紗寿叶へ目を向けた。
「一番、紗寿叶さんに見えないから」
「…………」
一瞬、意味が分からなかった。
「それ褒めてる?」
「かなり」
即答される。
「普通、可愛いとか綺麗とか言わない?」
「それもあるよ」
「取って付けたみたいに言わないで」
「違うって」
玲央は困ったように眉を寄せた。
「昨日、榊原見てる途中から俺のこと気にならなくなったって言ってただろ」
「そこまでは言ってないけど」
「似たようなこと言ってた」
細かいところを気にするつもりはないらしい。
「多分それと同じ。この写真見たあとに普段の紗寿叶さん見せられても、すぐ同じ人だって思わない」
「メイクもウィッグも違うもの」
「だから、それだけじゃないって話してたんだけど」
玲央はもう一度写真を見る。
「俺、このキャラ知らないけどさ。他の写真とも違う人に見えるし、普段の紗寿叶さんにも見えない。キャラ知ってる人が見たら、もっとそう感じるんじゃない?」
話し方こそ軽いが、写真を見る目は真剣だった。
玲央はこのキャラクターを知らない。
紗寿叶のコスプレをまともに見るのも今日が初めてなのに、衣装が似合っているかではなく、その中から普段の紗寿叶がどれだけ消えているかを見ていた。
可愛いだとか綺麗だとか、そういう言葉なら何度も言われてきた。
けれど「紗寿叶に見えない」と言われたことは、妙に耳へ残った。
「……そう」
「反応薄くない?」
「そういうことを目的にしてコスプレしてないのよ」
「はいはい」
「何よ、その返事」
「別に」
あからさまに面倒そうな声が返ってきて、紗寿叶は眉を寄せた。
その横では、心寿が少し楽しそうに二人を見比べている。
「じゃあ朝比奈さん、今度はお姉ちゃん撮ってみますか?」
「え?」
「は?」
二人の声がほとんど重なった。
心寿は特に気にせず続ける。
「さっき人物写真も撮ってみたいって言ってましたよね」
「言ったけど」
「お姉ちゃん、前にも撮らせてくれたし」
「勝手に決めないでくれる?」
「嫌だった……?」
妹からまっすぐ見られ、紗寿叶は言葉に詰まった。
前回のように、会ったばかりの相手からいきなり写真を撮られるわけでもない。一度撮らせている以上、どうしても嫌だと断るほどの理由もなかった。
「……一枚だけよ」
「また一枚?」
「何よ」
「いや、なんでも」
紗寿叶が少し離れた遊歩道へ歩いていくと、玲央もカメラを持って後を追う。
前回のようにいきなり撮られる前に、紗寿叶は先に尋ねた。
「どうすればいいの?」
「ちょっと待って」
玲央はすぐカメラを構えず、周囲を見渡した。
右手には並木道が続き、反対側には池がある。木々の隙間から落ちる光は風が吹くたびに位置を変え、地面の上で細かく揺れていた。
玲央はしばらく紗寿叶と周囲を見比べてから指を差す。
「そこの木の近く行って」
「ここ?」
「もうちょっと右」
「細かいわね」
「光が当たる場所探してるから」
言われた通りに少し動くと、玲央が一度ファインダーを覗いた。
紗寿叶も余計に動かず待つ。
さっきまでジュジュの写真を何枚も見られていたせいか、妙にカメラが気になった。だからといってコスプレの撮影のように誰かになりきる理由もなく、どうしていいか分からないまま玲央を見る。
「紗寿叶さん」
「何?」
「今のままでいい」
すぐにシャッター音が鳴った。
「今、何もしてなかったけど」
「だから撮った」
「またそれ?」
前回と似た返事に呆れながら、紗寿叶は玲央へ近づく。
心寿も一緒に液晶を覗き込んだ。
写真の中では、紗寿叶が木のそばに立ち、少し怪訝そうな顔で玲央を見ている。
衣装もウィッグもなく、何かのキャラクターを演じているわけでもない。先ほどまで見ていたジュジュの写真と並べれば、驚くほど普段通りだった。
「どう?」
玲央が心寿へ尋ねる。
心寿は画面と姉を見比べながら少し考えた。
「前より、朝比奈さんが撮りたい写真を撮ってる感じがします」
「本当?」
「はい。前はお姉ちゃんが自然な顔をした瞬間を見つけて撮った感じでしたけど、今回は先に場所も決めてましたし」
「じゃあ進歩してる?」
「してます」
心寿にそう言われ、玲央は素直に嬉しそうな顔をする。
「よかった」
紗寿叶ももう一度画面を見る。
上手いかどうかは分からないし、心寿が撮る写真ほど綺麗にまとまっているとも思わない。
それでも前回の写真よりは、偶然撮れた一枚という感じがしなかった。
「まあ、前よりはいいんじゃない?」
「紗寿叶さんも?」
「前よりは、って言ってるでしょ」
「はいはい」
「その返事やめなさいよ」
玲央が笑いながらカメラを下ろす。
紗寿叶はもう一度だけ、液晶に映った自分へ目を向けた。
つい数分前まで玲央は、ジュジュとして別の誰かになっている写真を見ていた。その直後に撮ったのは、衣装も表情も作っていない自分だった。
その両方を同じ相手に見られたと思うと、少しだけ落ち着かない。けれど嫌ではなかった。
「もう一枚撮っていい?」
玲央が不意に尋ねる。
「一枚だけって言ったでしょ」
「今ので分かったことあるから」
「何が?」
「次試したい」
「……仕方ないわね」
口では面倒そうに返しながらも、紗寿叶はさっき立っていた場所へ戻った。
少し離れたところで心寿が笑ったような気がしたが、紗寿叶は気づかないふりをした。
それからしばらく三人で公園を歩き、玲央が気になった場所で何枚か写真を撮った。
途中で心寿が横から助言をし、紗寿叶が注文の多さへ文句を言えば、玲央も遠慮なく言い返す。
最初に河川敷で会った頃なら、三人でこうして歩いていること自体がもっと居心地悪く感じたはずだった。
日が傾き始めた頃、駅へ戻る途中で玲央がカメラの液晶を確認しながら口を開く。
「今日撮ったやつ、帰ったらちゃんと見直してみる」
「分からないことがあったら、また聞いてください」
心寿がそう答えると、玲央は一度頷き、何かを思い出したように顔を上げた。
「あ、でも、こうやって教えてもらうの、今日で最後になるかもしれない」
「え?」
心寿は意外そうに瞬きをして玲央を見る。ついさっきまで次は何を撮るか話していたばかりだっただけに、ここで急に終わりの話が出てくるとは思っていなかった。
玲央はそんな心寿の反応を気にするでもなく、肩から提げたカメラへ一度目を落としてから続ける。
「来週でドラマの撮影が終わるんだ。予定通りなら、その日で俺もクランクアップ」
寂しがる様子も惜しむ様子もなく、決まっていた予定をそのまま伝えるような口調だった。
「そうなんですね。お疲れ様です」
「まだ終わってないけどね」
玲央はそう言って笑い、肩に掛けたカメラの位置を直した。
紗寿叶は二人の横を歩きながら、そのやり取りを何となく聞いていた。
来週で撮影が終わると言われても、玲央の仕事なのだから自分には直接関係のない話だ。
それでも、ついさっきまで当たり前のように次の話をしていたせいか、その言葉だけが妙に耳に残った。
「じゃあ、写真はもう撮らないの?」
「役作りで始めたから、とりあえずはね。せっかく買ったし、このまますぐ使わなくなるかは分からないけど」
「ふうん」
それ以上返すこともなく、紗寿叶は前へ向き直った。
考えてみれば不思議な話ではない。
玲央がカメラを買ったのは、写真好きの役を演じるためだった。撮影が終われば、今までと同じように休日まで写真の練習を続ける必要もなくなる。
それなのに、さっきまで何となく次もあるものだと思っていたせいか、急にそこで話が終わると言われると妙な感じがした。
来週以降の予定を聞こうとしてやめる。
別に約束していたわけでもないし、写真の練習がなければ会う理由だって特に思いつかない。
紗寿叶は隣を歩く玲央へ一度だけ視線を向けた。
玲央は何も気にした様子もなく、心寿と撮った写真の話をしている。
声を掛ける用事も見つからず、紗寿叶はそのまま前へ向き直って駅まで歩いた。