先頭の白い子 作:Lagavulin
ハナビのぬいぐるみを、もう一度作るらしかった。
秋になったある日、松浦が届いた案内を見せてくれた。春に発売されたものと同じで、白い髪をすみれ色のゴムで結び、勝負服を着て座っている。裾の銀の花火も、小さな刺繍で再現されていた。
「前の分、なくなったんですか」
「なくなったそうだ。買えなかった人から、問い合わせが来てるって」
ハナビは机の端を見た。
見本でもらった1体が、記録のファイルとペン立ての間に座っていた。自分の手で髪の向きを直した覚えはあるが、最近はそこにいるのが当たり前で、あまり気にしていなかった。
「レースに出てない間に、ですか」
「そうなるね」
松浦も案内を読み直した。
ハナビの予定にレースはない。春から増えた勝利もない。それでも、今あれが欲しいという人が、追加で作るほどいるらしい。
スマートフォンで発売のお知らせを開くと、もう反応が付いていた。前に売り切れていた店で今度こそ買うという人、友人にも知らせている人。
中には、ハナビの出走をまだ1度も見たことがないという人もいた。
「この人、ぬいぐるみが先だそうです」
「そこからレースも見てくれるかもしれないな」
ハナビは見本を手に取った。
小さなすみれ色の服の裾を直し、元の場所へ戻す。実物より少し大きな目が、松浦の机の方を向いた。
*
発売日の午前、地元で応援する娘とその父親は、レース場の売店にできた列へ並んでいた。
午後のレースを見る前に売店へ寄ったところ、同じ袋を持って出てくる人が続いたので、急いで最後尾へ回った。
「ハナビ、今日は走らないよね」
娘が出走表を見て言った。
「まだお休みだよ」
「みんな、知ってる?」
「知ってると思う」
「知ってる!」
前に並んでいた女性が子どもの様子を見ると、振り返って笑った。
「うちの子が、これがいいって。寝る時に持つんですって」
連れている小さな子は、案内に載ったぬいぐるみを指で押さえていた。父親は、持って寝るにはちょうどよさそうですねと答えた。
娘は自分の腕の中を見て、大きさを確かめるように手を丸めた。
「汚れちゃうかな」
「白いからね」
女性が言うと、子どもが心配そうに顔を上げた。
父親は鞄に入れてきたタオルを思い出した。ハナビの白いタオルも、何度か洗って、端に入ったすみれ色の花火が少し薄くなっている。それでも、娘は新しいものより、最初の旗とそのタオルを持ってきたがった。
順番が来て、父親はぬいぐるみを1体買った。
売り場の棚には、ほかのウマ娘のものも並んでいた。娘はオグリキャップの前で少し止まり、それから自分の袋を抱き直した。
「今度、ハナビと走る時に買おうかな」
「その時は、早めに来よう」
売店を出ても、列はまだ続いていた。
父親は娘の手を取り、今日見るレースの場所へ向かった。
*
ハナビの練習は、少しずつ増えていた。
診察を受け、許された運動から始める。できるようになったことを松浦と確かめ、次の内容を決める。走らない運動でも、終わる頃には汗をかいた。
今日はここまでと言われた時、まだできると思う日があった。
逆に、思っていたより疲れ、言われた回数をこなすだけで精いっぱいの日もあった。レースへ出ていた時なら簡単だったはずだと思うと、余計に悔しくなる。
「今、こんなに疲れるんですね」
ハナビがマットへ座ると、松浦も記録を置いた。
「しばらく、使い方が変わってたからな」
「分かってるんですけど」
伸ばした脚を見た。
日常では、もう気にならない日が増えていた。それと、全力で走れることが別なのは、何度も説明を受けている。身体を動かしてみると、その違いが少しずつ分かった。
帰りに郵便を受け取り、松浦のところで何通か開いた。
秋になっても手紙は来た。季節の挨拶が変わり、封筒に描かれる絵も、花火から紅葉になっていた。
1通は、食事の番組を見た人からだった。
昼休みに短い動画を見つけ、帰宅してから続きを見たこと。ご飯がおいしそうで、翌日、自分も同じ店へ行ったことが書かれていた。
「あの特盛りを頼んだそうです」
ハナビが声に出すと、松浦が手を止めた。
「おかわりは?」
「してないです。最初の分でお腹いっぱいだったって」
ハナビは続きを読んだ。その人は休日も仕事で、レースは録画で見ているらしい。最後のページには、また食事の紹介もしてほしいとあった。
別の封筒には、七夕賞の写真が入っていた。
ずっと前へ行くウマ娘が好きで、去年の逃げ切りを見てから、ハナビが出るレースは欠かさず見ているという。金鯱賞にも触れてあり、あの日は驚いたと書かれていた。
「それは、私も驚きました」
12着のことを思い出して、ハナビは小さく息を吐いた。写真は七夕賞のものなのに、頭の中ではターボの青い髪が先へ行った。
次の手紙は、地元の中学生からだった。
地方で走っていた頃は知らず、中央へ移ってから、同じ町の出身だと知ったらしい。今度の校外学習で、ハナビを紹介した食堂へ行きたいと書いてあった。
「地元の人でも、中央からなんですね」
「そういう人もいるだろうね」
ハナビは、机に並んだ3通を見た。
食事の動画を見た人と、七夕賞を見た人と、出身地を知ってから調べた人。3人とも、ハナビがまだ走れないと分かったうえで、次を待つと書いていた。
「どのくらい待ってもらうことになるんでしょう」
松浦はすぐには答えなかった。
「出る日が決まるまでは、決まったとは言えないな」
「はい」
「今できていることは、知らせようか」
ハナビは手紙から顔を上げた。
「練習、少し増えましたって?」
「うん。そういうこと」
ハナビはうなずいた。まだ速く走っていないことも、書いておきたかった。
松浦が案を作る間に、ハナビは手紙の写真を封筒へ戻した。ちゃんと読んだと分かる返事にしたいが、何通分もを短く書こうとすると、言葉を選ぶのが難しかった。
少し考えてから、ハナビは言った。
「食事は、おいしく食べています」
松浦の指が止まった。
「それも書く?」
「心配してくれた人がいたので」
松浦はうなずき、最後に1行足した。
*
秋の天皇賞は、寮のテレビで見た。
タマモが最後の直線で前へ出た時、ハナビは座ったまま膝の上で拳を握った。オグリが追いつき、2人が並ぶ。思わず名前を呼んだが、どちらの名前も口から出た。
勝ったタマモが、オグリと何かを話していた。
去年は自分もそこにいた。白い髪が2つ並んだ画面を見て、ハナビはテレビの音を少し大きくした。
後日、食堂で会ったタマモへお祝いを言うと、うれしそうに笑った。
「やっと、先に行ったったわ」
「最後、ずっと見てました」
「あんたがおったら、もっと早う動かなあかんかったかもな」
ハナビは皿を置き、椅子へ座った。
「出たかったです」
「次は来いや。ウチ、もう1回勝つから」
タマモの返事は早かった。
ハナビも、自分が勝ちたいと答えた。そこへオグリが来て、何の話かと聞いた。
「次もウチが勝つ話や」
「次は負けない」
ハナビが笑うと、タマモが両手を広げた。
「ほら、前と同じこと言うとる」
*
冬に入ってから、ゆっくり走る練習を再開した。
松浦と決めた短い距離を、いつもなら準備運動で通り過ぎる速さで走る。足の裏に地面が返ってきた。白い息が、自分の顔の横へ流れた。
決めた場所で止まり、歩いて戻る。
松浦は時計を見るより先に、脚の具合を聞いた。ハナビは答えながら、走ってきた方を振り返った。
「短いですね」
「今日は、この距離」
「分かってます」
笑うと、松浦も少し笑った。
まだレースの速さではない。それでも、久しぶりに走ったあとは、帰り道の空腹まで懐かしく感じた。
練習を終えて戻る途中、ターボに会った。
ハナビの靴を見て、コースを見て、それから顔を見た。
「走った?」
「少しだけ」
「じゃあ、もうレース出る?」
「まだです。今から、もっと走れるようにします」
ターボは少し考えていたが、やがてうなずいた。
「決まったら教えて!」
そのまま走り出しかけて、また戻ってくる。
「ハナビ、戻っても前に行く?」
「そのつもりです」
「よし!」
何がよかったのかを聞く前に、ターボは自分のトレーナーの方へ駆けていった。
ハナビは後ろ姿を見送り、上着を着た。コース脇で寒くないようにと借りた厚手のものは、裾が膝の近くまで来た。袖の中へ引っ込んだ手を出し、ファスナーを上げる。
「上まで閉めると、顔が埋まるな」
松浦が言った。ハナビは襟から顎を出した。
「これ、一番小さいのでしたよね」
「そう。次は自分のを持ってこよう」
ハナビはうなずき、手をもう一度袖から出した。
鞄の持ち手をつかむ前に、明日も同じ時間かと尋ねた。