先頭の白い子 作:Lagavulin
中山記念の映像を見終えると、ハナビは松浦に、次は大阪杯へ出たいと言った。
去年は3着だった。今年は、もう少し前へ行きたい。
「まず、今週の練習が終わってから決めよう」
「はい」
松浦は予定表の大阪杯のところへ、候補と書き込んだ。
ハナビはその文字を見た。秋には、レース名を残しておくこともできなかった。今日は名前の横に、これから決めるという印が付いた。
練習を再開すると、レースで困ったところが分かりやすかった。
コーナーを抜ける時に速度を上げる。前半と中盤は予定どおりでも、そこから先が日によって違った。気持ちよく上がった日は、最後に苦しくなる。慎重に入りすぎると、最後まで余力はあっても遅かった。
「楽に走り終わればいいわけでも、ないんですね」
ハナビが時計を見て言うと、松浦はうなずいた。
「最後まで使えるようにしたいからね。今日は、もう少し使えた」
ハナビはコースを振り返った。
中山でネイチャに並ばれた瞬間はよく覚えている。その時には、もうできることが少なかった。そこまでの走り方を変えてみると、ゴール前の脚の重さも変わった。
何度か練習を重ね、身体の状態を確かめたあとで、大阪杯への出走が決まった。
ハナビは予定表を開き、自分で候補の文字を消した。
*
食事の取材で行った店へ、ネイチャと昼食に出かけた。
注文を待つ間、店の人が中山記念を見たと話しかけてきた。ハナビへ復帰のお祝いを言い、ネイチャへは勝利のお祝いを言う。
「ありがとうございます。今日はこっちが勝った方です」
ネイチャが自分を指さした。
店の人が笑い、今度はオグリキャップも連れてきてほしいと言った。
「ご飯が足りる日にお願いしますね」
ネイチャが返すと、ハナビはメニューから顔を上げた。
「前、足りなかったですか」
「足りてたよ。ただ、あの量は先に知っておいた方がいいかなって」
ハナビは特盛りを頼んだ。
ネイチャは普通の量を頼んだ。注文を伝えて戻ってきた店の人が、ハナビへ、大阪杯にも出るのかと聞いた。
「私は出ます」
ハナビが答えると、店の人は厨房へ顔を向けた。
「ほら、次も見るって言ってたでしょう」
奥から返事があった。ハナビは軽く頭を下げた。
運ばれてきた丼を両手で受け取る。器の向こうへ置かれた小鉢に手を伸ばすと、肘まで浮いてしまったので、先に小鉢を自分の横へ寄せた。
「復帰戦だけ、じゃないんですね」
店の人が離れてから、ハナビは言った。
ネイチャが箸を割りながら、こちらを見る。
「何が?」
「見てもらえるの。久しぶりだから、いつもより多いのかと思ってました」
「今日見たら、次も気になるんじゃない?」
ネイチャは味噌汁を持ち上げた。
「アタシも、次はどれくらい走るか気になるし」
「ネイチャさんが気になるのは、ちょっと困ります」
「なんでよ」
「また、早く来そうなので」
ネイチャが笑った。ハナビも笑ってから、ご飯をひと口食べた。
厨房から、今度の日曜は何時に始まるのかと聞かれたので、松浦からもらった案内をスマートフォンで開いた。
*
大阪杯の朝、ハナビはタマモと顔を合わせた。
タマモが昨秋の天皇賞を勝ってから、2人が同じG1を走るのは初めてだった。タマモはハナビの足元を見て、それから顔へ目を戻した。
「今度は、そこにおるんやな」
「はい。テレビの前じゃないです」
「えらい前まで行くつもりやろ」
「できれば」
タマモは笑った。
「ウチも追うで。戻ってきたからって、好きにはさせへん」
「分かってます」
オグリも来た。
ハナビとタマモが同時に顔を上げる。横に並ぶとタマモとはあまり高さが違わないのに、オグリを見る時は、2人とも顎が上がった。
「タマ、ハナビ。今日はよろしく」
「よろしくお願いします」
「こっちも負けへんで」
オグリはうなずいた。
ハナビは2人を見た。昨秋はテレビで聞いた言葉を、今日は同じ場所で聞いている。
ゲートが開いた。
ハナビは前へ出た。
コーナーへ入る頃には後ろとの差ができていたが、さらに離そうとはしなかった。向こう正面へ入っても、呼吸を崩さずに進む。
後ろの足音が遠くなり、やがて戻ってきた。
今回は、聞こえ始めた時にもまだ脚が軽かった。最後のコーナーへ入り、曲がる動きに合わせて少しずつ速さを上げる。
『シロハナビが先頭! タマモクロスが追う、オグリキャップも来た!』
直線へ出た時、タマモはすでに近かった。
ハナビは残っていた力を使い始めた。視界の端に白い稲妻のような髪が見え、次の瞬間には肩が並んだ。そこからもう一段、タマモが速くなる。
前へ出られた。
ハナビはその背中を追った。中山では、ここからさらに何人も来た。今日も外から足音が近づいていたが、脚はまだ動いた。
ゴールまで、タマモの背中には近づけなかった。
それでも、オグリに並ばれるより先に、ハナビはゴールを通り過ぎた。
2着だった。
息を整えてから、先に歩いていたタマモへ追いついた。
おめでとうと伝えると、タマモは大きく息を吐き、笑って返してくれた。
「あんた、最後もしぶとかったなあ」
「でも、届きませんでした」
「届かんように走ったんや」
ハナビはうなずいた。その後ろから、オグリが来た。
「2人に、追いつけなかった」
ハナビは顔を上げた。
自分より後ろにオグリがいた。それは掲示板で確かめていたのに、本人から言われると、もう一度結果を見たくなった。
「オグリさんより、先でしたね」
「ああ。でも、次は勝つ」
「ウチも、もう1回勝つで」
タマモが言った。
ハナビは2人を見てから、掲示板の一番上を見た。
「私も、そこがいいです」
*
大阪杯のあと、ハナビの紹介番組を作りたいと連絡が来た。
取材する時間を松浦と相談し、練習のない午後に来てもらうことになった。先に届いた資料には、これまでのレースや、食事の番組で撮った写真が並んでいた。
「紹介するレース、1つ選ぶんですか」
ハナビが聞くと、担当者は、まず本人の好きなものを教えてほしいと言った。
「七夕賞です。勝ったので」
すぐに答えると、隣で松浦が笑った。
担当者が資料をめくった。視聴者にも同じ質問をしていて、回答はばらばらなのだという。
「先日の大阪杯を挙げる方も多いですね。復帰して、またG1で2着まで来たからと」
「ありがとうございます」
「初めて見たレースだから、中山記念という方もいました」
それも分かる気がした。
次のページを見ると、金鯱賞の写真があった。青い髪と白い髪が、ずっと離れた場所で並んでいる。
「これも?」
「はい。ツインターボさんとのレースです」
「12着なんですけど」
担当者は分かっていますとうなずいた。
ハナビは松浦を見た。松浦は写真を見てから、あの出走表を見た時は自分も気になったと答えた。
「走ってからも、気にはなってましたよね」
「かなりね」
担当者が笑い、さらに資料をめくった。
そこには、特盛りのご飯を持ったハナビがいた。
「レース以外だと、この放送を挙げる方も多くて」
「お昼ご飯ですね」
ハナビが答えると、担当者はまたうなずいた。
どうやら、本人の好きな1本と、見ている人の好きな1本をそろえる必要はないらしかった。ハナビは七夕賞のページへ戻し、この時の最後の直線も流してほしいと頼んだ。
*
次の目標を宝塚記念に決めると、松浦は去年の映像を出した。
オグリに並ばれる直前の、まだハナビが先頭にいるところで止める。
「あの時、ここまでなら勝てると思ってました」
「今、見ても惜しいよ」
松浦が映像を少し戻した。最後のコーナーへ入る時は落ち着いているが、直線へ向くところで、腕の振りが大きく変わっていた。
「ここで、少し急に上げてる」
「誰か来る前に、離したかったです」
「今年の大阪杯の入り方も、比べよう」
2つの映像を見た。
大阪杯では、コーナーから少しずつ速くしていた。最後の苦しさはあったが、オグリが来た時にも脚を動かせた。
「宝塚は、あと200mあります」
「うん。大阪杯のまま走ればいいわけじゃない」
ハナビはペンを取り、コースの図へ印を付けた。
前半を遅くしすぎれば、先に作れる差までなくなる。最後だけ速く走ろうとしても、タマモやオグリと同じようには上げられない。
「前で走る分は、減らしたくないです」
「そこは使おう。曲がり終わる前後を、もう少し滑らかにできるか試したい」
別の日、ハナビはその走り方で練習した。
急に上げないように意識しすぎ、1度目は遅くなった。次の練習で変えてみると、最後の区間の落ち方が小さくなった。全部がうまくいくわけではなかったが、松浦と時計を見て直せるところはあった。
練習を終えた夕方、ハナビは三木先生へ連絡した。
宝塚記念を目指すと伝えると、三木はもう松浦から聞いていた。
『今度は、こっちから見に行けそうよ』
「本当ですか」
『担当の子の予定を見てからになるけど。都合がついたら、現地で見る』
ハナビは、手元にあった去年の出走表を見た。
「以前2着でお祝いしてくれたときの、1着のお祝いの話、まだ覚えてますか」
『覚えてる。店の人も忘れてないよ』
電話の向こうで、紙をめくる音がした。
三木に開催日を確認され、ハナビも自分のカレンダーを開いた。