先頭の白い子 作:Lagavulin
ウイニングライブの準備で、ハナビは立つ場所を確かめた。
中央に、自分の名前があった。隣はオグリ、その反対側はタマモだった。
「そこ、合うてるで」
タマモが声をかけた。
ハナビは足元から顔を上げた。
「分かってるんですけど、見ておきたくて」
「そんな何回も変わらへんて」
タマモが笑った。ハナビも笑ってから、もう一度だけ、足元の目印を見た。
七夕賞の時も真ん中に立った。けれど、G1のライブでは、ずっと隣の場所だった。
3人で並ぶと、オグリの高さがよく分かった。
ハナビが横を見ると、向こうもこちらへ顔を向ける。
「まだ、信じられないか?」
「少し。でも、うれしいです」
「そうか」
オグリはうなずいた。
「今日のハナビは、強かった」
ハナビは相手を見上げた。
うまく返す言葉を考えてから、やめた。
「ありがとうございます」
タマモが隣で、肩を回した。
「次のレースは、場所を替えてもらうけどな」
「次も、ここに立ちたいです」
「ほな、また勝負や」
スタッフから声がかかり、3人とも前を向いた。
照明がつくと、客席から大きな声が上がった。
ハナビは顔を上げた。白いペンライトの光が、客席の奥まで広がっている。レースでは見る余裕のなかった場所まで、今日はよく見えた。
音楽が始まった。
覚えていた動きを確かめるように、最初の1歩を踏み出す。隣にはオグリとタマモがいて、自分の前には誰もいなかった。
歌い始めると、客席も手を振った。
ハナビは笑った。途中で目が熱くなったが、顔を下げたら、せっかくの景色が見えなくなる。正面を向き、最後まで歌った。
曲が終わって頭を下げると、拍手が広がった。
顔を上げても続いていたので、ハナビはもう一度、両手を大きく振った。
*
翌日、学園の食堂でターボに会うと、入口から名前を呼ばれた。
「最後まで前だった!」
「はい」
「見た! オグリが来ても、前だった!」
ターボは両手を動かして、2人の位置を示した。前に出した手を、もう片方の手が追いかける。追いつく前に、前の手が机の端まで着いた。
「こう!」
ハナビはうなずいた。
ネイチャが隣で笑っていた。
「ターボ、昨日からそれ、何回目?」
「ハナビには初めて!」
「そうだね。おめでとう、ハナビ」
ハナビは頭を下げた。
席へ座ろうとすると、ネイチャが少し椅子を引いて、通りやすくしてくれた。トレーを置き、特盛りのご飯を手前へ寄せる。
「最後、声が出たわ。追いつかれるかと思って」
ネイチャが言った。
「私も思いました。すぐ近くにいたので」
「あそこからもう1回上げたかったんだが、届かなかった」
あとから来たオグリが話へ入った。
ターボはもう一度、机の上で手を動かした。今度はオグリも、それを真剣に見ていた。
「もっと近かったと思う」
「このくらい?」
「ああ」
2人が手の位置を直し始めたので、ネイチャが吹き出した。
ハナビも笑い、箸を取った。ご飯を食べ始めてからも、ターボはどこで差が縮まったかを話していた。
*
地元でお祝いをする話は、ハナビが帰る日を決めるより先に大きくなっていた。
最初に電話をくれた店主は、食堂でやろうと言った。次に三木から連絡が来た時には、見に来たい人が多いので、地元のレース場で小さな催しを開くことになっていた。
「小さな、ですか」
届いた案内を見て、ハナビは聞き返した。
自分の写真が大きく載り、会場と開始時刻が書かれていた。いつもの食堂で食事をする時には、こういう案内はなかった。
『食堂には、入りきらないから』
三木が答えた。
ハナビは松浦へ案内を見せた。松浦も同じものを受け取っていたが、改めて日時を確かめた。
「トレーナーさんも、来られますか」
「行くよ。三木先生にも、そう返事をした」
ハナビはうなずいた。
次の予定を相談し、身体の状態を確かめながら、帰る準備をした。レースの映像を見る時間もあったが、今回は、最後まで流したくなった。
ゴールで止める。
少し戻す。
また、最後まで見る。
「そこ、気に入ったな」
松浦に言われ、ハナビは画面から顔を上げた。
「何回見ても、勝ってるので」
松浦が笑った。
ハナビも笑って、もう1度だけと頼んだ。
*
地元のレース場へ着くと、写真係の職員が迎えてくれた。
デビュー前に紹介用の写真を撮った人だった。カメラを持ち、以前と同じように、まずハナビの立つ場所を確かめている。
「お帰り。ちょっとここで1枚いい?」
「はい」
ハナビが立つと、職員は膝を折ってカメラを構えた。
今度は袖を折ったジャージではなく、すみれ色の勝負服を着ている。白い髪が風に揺れたので、ハナビは片手で押さえた。
「あ、またいいのが撮れた」
「今、撮ったんですか」
「撮ったよ」
見せてもらうと、白い耳が少し横へ倒れていた。
ハナビは写真を見て笑った。職員はその顔も撮りたそうだったが、係の人に呼ばれたので、先に会場へ向かった。
用意されていた椅子は、ほとんど埋まっていた。
見知った顔もある。知らない人もいた。前の方に母親と三木がいて、少し離れたところですみれ色の旗が動いた。
松浦が横へ来た。
「思ってたより、いるな」
「私も思いました」
ハナビは会場を見渡した。
地方で走っていた頃より大きな拍手を受け、前へ出る。話すための台にマイクが置かれていたが、顔に近すぎたので、係の人が台から外して渡してくれた。
ハナビは両手で受け取った。
「応援、ありがとうございました。宝塚記念で、1着になりました」
言い終わる前から、拍手が来た。
ハナビは少し待って、それから続けた。
「中央へ行く前から見てくださった方も、向こうで知ってくださった方も、ありがとうございます」
最初から知っている人だけの会ではなかった。
始まる前にスタッフから、県外から来た人もいると聞いていた。休養中にもらった手紙にも、知らない土地の住所がいくつもあった。
司会の人から、最後の直線について聞かれた。
ハナビはオグリがすぐ近くまで来ていたことと、ゴールまで脚を動かせたことを話した。言葉にすると短かったので、会場の画面でレースを見てもらうことになった。
もう結果を知っている人ばかりなのに、最後のところで声が上がった。
ハナビも画面を見た。小さな自分が前を走っている。何度見ても、オグリは近かった。
ゴールのあと、また拍手が来た。
ハナビはマイクを握り直した。
「今なら、好きなレースは宝塚記念です」
松浦が隣で笑った。
司会の人が、それまでは何だったのかと聞いたので、七夕賞ですと答えた。会場から、そっちも好きだという声が返ってきた。
*
催しのあと、ハナビはすみれ色の旗を持った親子と話した。
女の子は、以前より目線が近くなっていた。ハナビが大きくなったねと言うと、うれしそうにうなずいた。
「お姉ちゃんは?」
「私は、あんまり変わってないかな」
女の子がハナビの頭の高さを見た。
父親は笑いながら、持っていた写真を取り出した。デビュー前の公開紹介で会った時のものだった。
「写真、一緒に撮っていただいてもいいですか」
「はい」
2人で並ぶと、女の子は旗を胸の前へ持った。
縫い直したところのある、あの旗だった。
「ずっと、これを使ってくれてるんですね」
「見つけてくれた?」
ハナビはうなずいた。
「何度か。走ってる時は、あんまり見られないけど」
「ゴールしたあと、振った」
「うん。私も振ったよ」
父親がスマートフォンを構えた。
女の子がハナビへ少し寄り、2人でカメラを見た。
写真を撮ったあとも、何人かが話しかけてくれた。
中央での初勝利を見た人。食事の番組を見て、地元の米を買った人。休養中に手紙を送ってくれた人。
「この次も、前へ行きますか」
最後に声をかけてくれた男性が聞いた。
ハナビはうなずいた。
「そのつもりです」
「じゃあ、また見つけます」
ハナビはありがとうございますと答えた。
会場を出る前に、もう一度客席の方へ頭を下げた。
*
夕食は、いつもの食堂だった。
松浦と三木、母親も一緒に入り、親子と写真係の職員も席へ着いた。店主の奥さんが、大きな皿をいくつも運んでくる。
壁には、宝塚記念の写真が増えていた。
去年の2着のものもあったが、その隣に今年の写真がある。さらに脇には、地方のデビュー戦で先頭を走っていた写真も残っていた。
ハナビは、少し見上げて3枚を順に見た。
デビューの日は栗色の髪のウマ娘が後ろから来ている。去年はオグリが迫り、今年もオグリが追っている。
「今年のは、このあとも前です」
ハナビが指さすと、店主が笑った。
「知ってるよ。何回も見た」
ハナビも笑った。
店主は写真を見上げ、額が少し傾いていたので直した。古い写真は外さず、新しいものの方を少し横へずらす。
「トロフィー、ここへ置いてもいいかい」
用意されていた場所を見せられ、ハナビはうなずいた。
松浦と一緒に持ってきたカップを出し、両手で運ぶ。胸の前に抱えると、勝負服がほとんど隠れてしまった。
「大きいねえ」
母親が言った。
ハナビはカップを置き、向きを直した。
「はい。私のです」
言うと、母親が笑った。
「分かってるわよ」
席へ戻る途中で、松浦と三木が話しているのが聞こえた。
中央へ移る前、芝で走った時のことらしかった。最初は曲がる時に力が入っていたと松浦が言い、三木が覚えているとうなずいていた。
「今日は、そのあとも、ちゃんと走れました」
ハナビが言うと、2人がこちらを向いた。
「見てました」
松浦が答えた。
ハナビは笑って、自分の椅子へ座った。
目の前に、ご飯が置かれた。
特盛りだった。おかずの大皿は離れたところにもあったので、ハナビが手を伸ばす前に、三木が1枚を寄せてくれた。
「届かないでしょ」
「ありがとうございます」
店主が、まだ温かい料理を持ってきた。
ハナビの皿の前で立ち止まり、今度は食べている写真も欲しいと言う。写真係がカメラを持ち上げたので、ハナビは先に全員で撮らないかと頼んだ。
「食べ始める前に?」
「はい。みんな、いるので」
椅子を引き、店の前で並んだ。
カップも持つことになり、ハナビは両手で抱え直した。大人が後ろへ回り、女の子が旗を持って前へ出る。写真係は全員が入るよう、少しずつ下がって三脚を据えた。
ハナビは左右を見た。
三木は母親の隣にいて、松浦は一番端へ行こうとしていた。
「先生。トレーナーさんも、こっちに来てください」
カップを抱えたまま、隣を空けた。
三木が来て、松浦も反対側へ並んだ。2人を見上げてから、ハナビはカメラへ顔を戻した。
「ハナビちゃん、カップをもう少し下げてもらえる?」
「こうですか」
「そう。顔がよく見える」
白い耳の横で、すみれ色の旗が揺れていた。
ハナビが笑うと、三木も笑った。松浦が少し屈み、写真係がタイマーをかけて列へ加わる。
「撮りますよ」
ハナビはカップをしっかり持ち、2人の間で顔を上げた。シャッターが切られたあとも、笑っていた。
「さあ、ご飯が冷めちゃうよ」
店主の奥さんに呼ばれ、みんなで店へ戻った。カップを飾った台の横に、女の子が小さな旗を立てかける。
ハナビが席へ着くと、女の子は隣の椅子を引いた。
「次は、いつ走るの?」
「まだ決まってないけど、決まったら知らせるね」
「また見に行く!」
父親が笑い、店主も、うちにも知らせてくれと声をかけた。ハナビがうなずくと、離れた席からも次のレースを楽しみにしていると言われた。
両手を合わせ、ご飯を食べ始めた。
誰かが宝塚記念の最後の直線の話をすると、別の人が、自分はここで勝ったと思ったと続けた。松浦がいや、まだオグリが来ていたと口を挟み、三木も、あそこでは分からなかったと笑った。
ハナビは2人の話を聞きながら、おかずを取った。食べて、笑って、またご飯を食べた。
空になった丼を見て、店主が手を差し出した。
「おかわり、いくかい」
「お願いします。特盛りで」
隣で女の子が笑い、母親が、いつもどおりねと言った。
ハナビも笑って丼を渡した。新しい写真の下で、祝勝会はまだまだ続いていた。