ちょっと前の話
福島県で大型肉食恐竜による襲撃事件が起きる、五日前のことである。
「はいどうもー、D竜崎です。DはディノのD。今日はですね、ちょっと寒いんですけど、外から配信してます」
秋も終わりかけの河原は、昼を過ぎても風が冷たかった。竜崎はスマートフォンを三脚に固定し直し、炭の上で脂を落とし始めた肉へ画面を向けた。
チャンネル登録者数は三十二万人。恐竜の解説動画を上げ始めて四年になる。研究者でもハンターでもない。論文を拾い読みし、ニュースを追い、他人の動画を見て、それを分かりやすく喋る。それが仕事だった。分かりやすく喋ると、ときどき間違える。間違えると、コメント欄が伸びる。伸びると、次の動画の再生数も伸びる。
竜崎はそのことを、あまり悪いとは思っていなかった。
「で、今日はスペシャルゲストが来てます。現役のハンターさんです。はい拍手」
画面の端から、背の高い青年が入ってきた。新品らしいダウンジャケットに、山用のブーツ。髪は風に乱れているのに、それすら計算したように見える顔だった。
「ふはは。待たせたな、諸君」
コメント欄が一気に流れた。
《会長!!》
《山馬会長きたああ》
《顔と声がうるせえ》
《若手トップ! 養って!》
「紹介します。若手ハンター期待のホープ、山馬会長です」
「うむ。山馬だ。会長と呼びたまえ」
「何の会長なんですか。毎回聞いてますけど」
「ふはは、それは秘密だ」
本当に毎回、答えない。竜崎の知る限り、山馬はどこの会の会長でもなかった。芸名である。
ハンター向けの業界誌が若手の特集を組んだとき、表紙を飾ったのがこの青年だった。偉そうな喋り方のせいで同業者には敵も多いらしいが、腕がいいことだけは誰も否定しないという。竜崎のチャンネルに出るのは三度目で、出るたびに同時接続が倍になる。
「今日はですね、肉を焼きながら、最近の恐竜の話をしていこうと思います。凶暴化のこととか、ハンターのお仕事のこととか。あと、皆さんお待ちかねの――」
《温泉恐竜だろ》
《温泉恐竜の話して》
《黒いのは?》
「はい、温泉恐竜の話も、あとでちゃんとします。引っ張ります。最後まで見てね」
「ふはは。商売上手め」
山馬は折りたたみ椅子に腰を下ろしかけ、途中でやめた。
椅子を持ち上げ、焼き台の反対側へ回る。河原の上流、葦の茂みが風に揺れているほうへ顔を向ける位置に置き直してから、ようやく座った。
「え、なんで今移動したの」
「藪に背中を向けて肉を焼く奴があるか」
「ここ多摩川の河原だよ?」
「出ないと思っている場所に出るのだ。ふはは、覚えておきたまえ」
《ガチ勢の動き》
《今のちょっとかっこよかった》
《顔がいいから全部かっこいい》
竜崎はトングで肉を裏返した。最初の一枚は、もう少し焦げていた。
◇
「じゃあまず、ハンターのお仕事から。会長、今まで何頭くらい倒したんですか」
竜崎が訊くと、山馬は紙皿に取った肉を、ふんぞり返って眺めた。
「少ないぞ」
「えっ」
「ふはは。意外かね。俺の班では、九割方撃たずに終わるのだ。音を出す。車を寄せる。山のほうへ向きを変えさせる。あとは山へ帰るまで、距離を取って見ておる」
「地味」
《地味》
《撃てよ、そのための免許だろ》
《九割は盛ってるだろ》
「盛っておらん。それにだな、一頭撃つと報告書が山ほど増える。何時何分、どの距離、どの角度、なぜ追い払いでは済まなかったのか。あとはそれを書いておるよ、俺は」
「そこは会長でも書くんだ」
「書くとも。字も綺麗だぞ」
竜崎は笑って、スマートフォンの画面にまとめサイトのページを出した。ハンターの出動実績を集計した順位表だ。若手の欄の一番上に、山馬の名前がある。
「でも会長、若手で一位じゃないですか。倒した数じゃないなら、これ何の順位なの」
「出動の点数だ。追い払いでも点はつく。撃った数で並べたら、俺はもっと下だ」
「へー。じゃあ班でもエースだ。班長とかやってるんですか」
「班では一番下だとも」
「えっ」
「ふはは。なんだその顔は。一番下だから一番点を稼ぐのだ。班長は撃つかどうか決めるのが仕事で、俺は走るのが仕事だ」
《会長なのに一番下》
《会長(ではない)》
《じゃあ何の会長なんだよ》
「それは秘密だ」
竜崎は少し考えてから、訊いた。
「一人で山に入って、体調6mくらいの恐竜をバーンと倒すみたいなことはないんですか。映画みたいに」
「ない」
山馬は即答した。ふはは、が付かなかった。
「出動は班で出る。必ずだ。一人で入るのは素人か、もう仕事で入っておらん奴だ」
「仕事で入ってないって、どういうこと」
「……ふはは。肉が冷めるぞ」
竜崎はそれ以上訊かなかった。訊いても答えないときの山馬の顔は、何度か見たことがある。
「じゃあ気を取り直して、待ちに待った愛銃コーナーです。会長、今日は持ってきてるんですよね」
「持ってくるわけがなかろう」
「えーっ」
「許可のない場所で出したら免許が飛ぶ。配信で映したら、班長に俺が飛ばされる。ふはは」
代わりに山馬は、自分のスマートフォンをカメラへ向けた。ガンケースに収まった一丁の写真が映っている。暗い緑の銃床に、細い線の刻印。
「グリーンアイズ社、最高傑作の喜びのベストストリームだ。すごいぞー、かっこいいぞー!」
「うわ、本物だ。これ国内で持ってる人、何人いるんですか」
「知らん。だが、俺ほど磨いておる奴はおらんだろう」
そこから三分、山馬は喋り続けた。重心が少し前にあること。反動が肩ではなく腰に来ること。雨の日にも引き金の重さが変わらないこと。竜崎には半分も分からなかったが、山馬の声がいつもより一段低く、早口になっていることだけは分かった。
《幾らするんですか》
「君の年収くらいだな。ふはは」
《ハンターって儲かるんだな》
《金持ちハンター、むしろハンターやる必要ある?》
《そこまで高い銃いる?》
最後のコメントを、竜崎は読み上げた。山馬はスマートフォンをしまいながら、少しだけ考える顔をした。
「一発で止まらんと、二発目が要る。二発目はだいたい外れる。狙う時間は無くなり、相手は撃たれて不規則に動いておるからな。……そういうことだ」
「どういうこと?」
「仕事をこなすために高い銃はいる、ということだ。ふはは」
◇
「はい、じゃあ本題いきます。最近の恐竜の凶暴化です」
竜崎は、用意しておいたフリップをカメラの前に立てた。太い赤い文字で、【緊急】恐竜凶暴化の真相、と書いてある。
「真相と書いてあるぞ、誰とは言わんがあの残念美人異常恐竜愛者研究者に怒られるぞ」
「書いとくと回るんで。あ、今の切り抜かないでね」
《もう遅い》
《真相(考察)(想像)(真相とは言っていない)》
「まず前提から。ここ半年くらい、人を襲う恐竜の報告が増えてます。体長1mくらいの小型から始まって、最近は3mくらいの中型も。で、なんでか。僕は三つ説があると思ってて」
竜崎は指を一本立てた。
「一つ目、餌不足説。山に食べるものがなくて、お腹すいて気が立ってる」
「違うな」
「早いよ」
「腹が減った奴は、嫌がるのだ。車を寄せれば下がるし、音を出せば逃げる。ツキノワグマと同じだ。腹が減っておるからこそ、怪我をしたくない」
「じゃあ二つ目。ストレス説。人間が山を切り開いたり、ハンターに追い回されたりして、イライラしてる」
「それは俺たちのせいだと言いたいのかね」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「ふはは。半分は当たっておるかもしれんぞ」
「え、そうなの」
「半分はな。残りの半分は知らん」
竜崎は三本目の指を立てた。ここからが自分の考察だった。
「で、三つ目。これ僕の独自の説なんですけど、地震説」
「地震」
「最近、揺れるじゃないですか。小さいのがちょこちょこ。恐竜って足の裏で地面の振動を拾うって言われてるんですよ。だから地面がずっとザワザワしてると、落ち着かないんじゃないかって」
山馬は紙皿を膝に置いた。
「ふははは。ならば俺もとっくに凶暴化しておるわ。昨日の夜も揺れたぞ」
《草》
《会長は元から凶暴》
《地震説はさすがに無理ある、地震のない国でも狂暴化してるし》
「……まあ、これは半分ネタです」
竜崎はあっさり指を下ろした。地震説は、動画を一本作れるほどの材料もなかった。コメントが伸びればそれでよかった。
そこへ、一つのコメントが流れてきた。
《M:半分ネタということは、半分は本気なんですか》
「えー、Mさん。半分は本気なんですか。……どうだろうね。三割くらいかな」
《M:それと、さっきから体長と言っていますが、尾まで入れるなら全長です》
「言ってた?」
「言っておったな」
《M:あと、餌不足説を否定するなら、ここ半年の食痕調査も併せて出してください。否定の理由が体感だけです》
「……会長、怒られてるよ」
「ふはは。俺の人徳と体感は高いぞ」
「なんか詳しい人きたなあ。こういう人いると伸びるんですよ。ありがとうございます」
《M:伸ばすために間違えているなら悪質です、意図的な公共性を損なう風説の流布は有罪ですよ》
竜崎は一秒黙ってから、焼き台へ向き直った。
「さーて、肉焼けたかなー」
《逃げた》
《図星で草》
《まあ、配信者はほぼ素人だからね、仕方ないね》
山馬は声を立てて笑い、それから、竜崎が肉を返し終わるのを待って口を開いた。
「俺も一つだけ言っておこう。体験談だがな」
「お、現場の声。お願いします」
「先月、中型を一頭追い払いに行った。いつもどおり、車を寄せて音を出した。普通はここで下がる」
山馬は椅子の上で少しだけ前に屈んだ。
「下がらんかった。腹が減っておる様子でもない。近くに巣があるわけでもない。怪我もしておらん。それでも、こっちへ来るのをやめんのだ」
「……それで?」
「班長が撃てと言った。だから撃った。それだけだ」
山馬は紙コップの炭酸を一口飲んだ。
「理由が何もない。あれが一番気持ち悪い」
コメント欄が、少しのあいだだけ遅くなった。
「え、会長、それ動画にしていいやつ?」
「……ふはは。今のは聞かなかったことにしたまえ」
《会長の上の口はガバガバ》
《守秘義務どこ行った》
《班長にシベリアまで飛ばされるやつ》
◇
「はい、お待たせしました。温泉恐竜です」
《温泉恐竜》
《新しい日本の巨大IP》
《ポケットに入らないタイプのモンスター》
竜崎はスマートフォンの画面をカメラへ向けた。山あいの露天風呂で、黒い大きな背中が湯に浸かっている。誰かが遠くから撮った、揺れた短い映像だ。再生回数は、竜崎のチャンネルの全動画を足した数より多かった。
「これです。会長、もう見ました?」
「班の全員が見た。さ……班長は三回見た」
「班長さんも好きじゃん」
「そうではない。仕事だ」
「三回も?」
「三回目は、俺も横で一緒に見た」
《トップクラスのハンターでも温泉恐竜にハマる》
《会長も好きじゃん》
「で、全長は四メートル近い。……全長で合ってますよね、Mさん」
《M:合っています》
「よし」
竜崎は小さく拳を握った。
「ですね、この温泉恐竜。僕はこれ、凶暴化のちょうど反対の個体じゃないかと思ってて。温泉の成分で、穏やかになってるんじゃないか。名付けて、温泉効能説」
「ふはは。ならば凶暴化した奴は、全部温泉に放り込めばよいな」
「それだ」
《それだじゃない》
《誰が放り込むんだよ》
「俺だ。班長経由で御門女史にでも申請しておこう」
「通るのそれ」
「通らん。ふはは。俺が冷水にぶっ飛ばされるわ」
《M:温泉の成分で性格は変わりません。申請されても受理しませんよ》
《M:ただ、温泉に入っているときはかわいいです》
「……Mさん、そこは認めるんだ」
《かわいい派の権威》
《M博士はもうちょい隠してもろて》
「じゃあ、もう一つ。これは僕の説じゃなくて、ネットで今一番有力なやつです」
竜崎は動画を巻き戻し、一箇所で止めた。黒い恐竜が、湯の縁に前肢を掛けて、首までゆっくり沈んでいくところだった。
「温泉恐竜、中におっさんが入ってる説」
山馬が椅子の上で身を折った。
「ふはははは。四メートル近い着ぐるみか。中のおっさんも大変だな」
「いや、でも見てくださいよ。この入り方。一回縁に手をついて、ゆっくり浸かる。で、肩まで入ったとこで一回止まる。そんでああーって感じで口開ける。これ、おっさんの入り方なんですよ」
《わかる、俺もやる》
《あれは完全におっさん》
《あとであーっちくしょうめ、って言ってそう》
《頭にタオル乗せてないだけ》
「そう、タオルさえ乗ってたら確定だったんですよ」
《M:着ぐるみであの尾の動きは出せません》
「わかってますよ! ネタですよ!」
《M:全部ネタにすれば許されると思っていませんか》
「思ってます」
《また怒られそうなことを》
《人間には厳しいM、最早Sでは?》
竜崎はトングを振って話題を変えた。
「で、会長。現役のハンターとして。もしこの温泉恐竜に山で会ったら、どうします」
「人を襲っておらんなら、俺たちの出る幕ではない」
「え、普通。もっとこう、あるでしょう」
「ふむ」
山馬は腕を組み、もったいぶって考えた。
「……背中くらいは流してやろう」
《流すな》
《会長の太い腕で》
《背中広すぎて草超えて大草原の草食恐竜》
「日が暮れたら、班で交代して流す」
「班で流すんだ」
「出動は班で出ると言っただろう。ふはは」
そこで、笑いの流れに混ざって一つのコメントが流れた。
《でも黒いのって要注意個体になってないの? 出動かかったら撃つの?》
竜崎はそれを読み上げた。読み上げてから、少しだけ後悔した。
山馬はすぐには答えなかった。焼き台の上で、ほとんど炭になっている肉から脂が一つ弾けた。
「出動がかかれば、行く」
「……撃つの?」
「行ってから考える。九割は撃たんと言っただろう」
山馬はそれだけ言って、唯一焦げていない肉を口に入れた。それから、噛みながら付け足した。
「……それにだ。あの風呂の入り方をする奴に、銃を向けるのは気が進まん。ふはは」
《M:同意します》
《今日初めてMさんが同意した》
《恐竜に詳しい人ほど温泉恐竜のこと好きだよね》
◇
《M:肉、焦げています》
竜崎は焼き台を見た。
網の上の牛カルビが三枚、炭とほとんど見分けがつかなくなっていた。
「あああっ」
「ふはははは」
「会長、気づいてたでしょう」
「気づいておったとも。温泉恐竜を語っておるあたりからな。焦げていない分は食べたぞ」
「言ってよ!」
「追い払いは俺の仕事だが、肉の管理は君の仕事だ」
《現場判断してね》
《班長が食えと言わなかったから》
《M:焦げた部分は食べないでください》
《まさかの最後に優しい、DV彼氏かな?》
《【悲報?】Mさん人間に優しくする【朗報?】》
竜崎は焦げた肉を紙皿に避け、時計を見た。配信を始めて一時間半が経っていた。同時接続は、過去二番目の数字だった。
「はい、じゃあ今日はこのへんで。山馬会長、ありがとうございました」
「うむ。また呼ぶがよい。ふはは」
「高評価、チャンネル登録よろしくお願いします。今日の考察は全部、概要欄にも書いときますけど――」
竜崎は、いつもの決まり文句を付け足した。
「※個人の見解です。じゃあまたねー」
《M:それは免罪符ではないですよ》
あわてて配信終了のボタンを押した。
◇
カメラが止まると、河原は急に静かになった。
山馬は、ふははとも言わずに立ち上がり、焦げた肉を黙ってゴミ袋へ入れた。それから炭を火ばさみで崩し、バケツの水を少しずつかけ始める。手つきが、始めたときに椅子を動かしたときと同じだった。
「会長さあ、カメラ止めると静かだよね」
「疲れるんだよ、あれ。素でふははって笑わないだろ普通」
普通の声だった。竜崎は、この声を知っている人間がどれくらいいるのか、少しだけ気になった。
「じゃあ、なんでやってるの。お金には困ってないでしょう」
「困ってない、でもな」
山馬は水をかけ終えた炭に手をかざし、熱が残っていないか確かめた。
「人が足りないんだよ。うちの班だけじゃなくて、ハンター全体で。……羽振りがよくてかっこよさそうに見えりゃ、一人くらい来るだろ」
「……会長の会って、もしかしてリクルート会とか」
「ふはは。それは秘密だ」
山馬はもう、いつもの声に戻っていた。
帰りの車の中で、竜崎はコメント欄を遡った。Mのコメントは全部で十七件あった。そのうち十四件が訂正で、二件が温泉恐竜はかわいいという話で、一件が肉の心配だった。
竜崎は、地震説のところをもう一度見た。半分は本気なんですか。三割くらいかな。自分の声が、いかにも適当に答えていた。
次の動画では、体長と言わないようにしようと思った。それくらいのことだった。
◇
この配信のアーカイブの再生回数が、一夜で十倍に跳ね上がるのは、五日後のことである。
切り抜かれて拡散されたのは、温泉恐竜の場面でも、地震説でもなかった。
若いハンターが、一度だけ笑わずに言った一言だけだった。
理由が何もない。あれが一番気持ち悪い。
概要欄には、いつもの一行がそのまま残っていた。
断章4 ※個人の見解です 了
重い回の前書きに一言あった方がいいかアンケート調査です
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新鮮な気持ちで読みたいから不要
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重い話は読みたくないから必要
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これはお前の作品だろ(どっちでもいい)