本編も断章も両方投稿すればよぉ~、誰からも文句は出ねぇってことだよなぁ〜!
映像を最初に見つけた警備会社の社員は、三回見直した。
一回目は、見間違いだと思った。
二回目は、合成か何かではないかと疑った。
三回目になって、ようやく自分一人で判断するのを諦めた。
「主任、ちょっといいですか」
「何だ?」
「これ、見てもらえます?」
栃木県北部にある小さな休憩所だった。山間部を通る道路の脇に駐車スペースとトイレ、自動販売機が二台置かれており、夜間も利用できる。大きな施設ではないが、設備の破損や不法投棄が何度かあったため、軒下に防犯カメラが設置されていた。
映像は数日前の午後だった。誰もいない駐車場で風に木の枝だけが揺れているところへ、画面の左側から黒いものが現れる。
「これは……恐竜?」
「ですよね」
「でかくない?」
「四メートルくらいあります」
黒い恐竜は、すぐには自動販売機へ近づかなかった。木立の近くで一度止まり、道路と駐車場へ順番に顔を向ける。しばらくしてから自動販売機へ近づいてきたところで、肩から提げている大きなスポーツバッグまで見えるようになった。
主任の顔つきが変わった。
「おい、こいつもしかして、温泉恐竜じゃないか」
「ですよね、カバンもってる恐竜なんてほかにいないし」
二人とも、名前くらいは知っていた。
青森から始まり、宮城、山形、福島と目撃情報が続いている黒い大型肉食恐竜。山形では温泉に入っているところを撮影され、福島では大型肉食恐竜との戦闘に割って入り、逃げ遅れた母子を守ったことで全国的に知られるようになった個体である。
映像の中の恐竜が、自動販売機の前で止まった。
「何してるんですかね、自販機の光が気になっているのかな」
「知らん、が自販機や光に反応したって話は聞かないが……」
黒い頭が商品の並んだ部分へ向く。しばらくして、恐竜はスポーツバッグへ前肢を入れた。
主任が画面へ顔を近づける。
「ちょっと待って、あいつ今何出した?」
「え? なんか持ってますか。見えなかったな」
社員が巻き戻した。再生すると、恐竜の前肢になにかある。小さなものを挟んでいるようだ。一時停止し拡大する。それを見て二人は黙った。
「……どこで使い方を習った?」
「説明書でも読んだんですかね」
再生を続ける。恐竜は前肢の指に挟んだ硬貨を、投入口へ近づけた。一枚目は少し手間取ったものの、落とさずに入れる。続けてもう一枚、その次も同じように投入口へ運んでいった。
社員が唖然としつつ映像を止めた。
「主任、これ、通報したほうがいいですよね」
「恐竜が勝手に人間様のための自販機を使ってます、って?」
二人で画面を見る。黒い恐竜は、まだ硬貨を入れている。
「するとして、どこに?」
「警察……ですかね」
「事件か、これ? 恐竜はルール無用だろ」
そこで二人とも黙った。
映像を最初から確認する。休憩所へ入ってきたものの、何かを壊したわけではない。自動販売機へ近づいてはいるが、商品を奪ったわけでもなく、むしろ今まさに硬貨を入れている。
「……まだ何も盗ったり、壊したりしてないですよね」
「むしろ金入れてるな、普通の客だ。種族以外は」
主任は腕を組んだ。
「とりあえず最後まで見よう、あの美人も言ってただろ、事実を妄想と混ぜるなって」
再生する。
硬貨を入れ終えた黒い恐竜は、商品の表示部分へ顔を向けた。それから前肢を持ち上げ、指の腹のような部分を使ってボタンを押す。
数秒後。
映像には音声が入っていない。
それでも二人には、自動販売機の中で何が起きたのか分かった。
恐竜が反射的に頭を下げたからだ。
取り出し口を確認し、前肢を差し入れる。出てきたのは、赤いラベルのペットボトルだった。
「……コーラ買ったぞ」
「コーラですね、炭酸好きなのかな。すごい知性と手先の器用さだ、恐竜を超えた恐竜だ」
恐竜はペットボトルをスポーツバッグへしまうと、その場に長居することもなく、足早に木立へ戻っていった。
映像から姿が消える。
社員と主任はしばらく画面を見ていた。
「……終わりか? 恐竜が普通に金入れて、コーラ買って帰ったと」
「ですね、僕もよくやりますよ」
主任は額に手を当てて汗を拭きながら、気の抜けたように椅子へ座った。
「何なんだよ、これ」
◇
その日の午後、警備会社では予定になかった会議が開かれた。
出席者は五人。発見した監視担当者とその先輩である担当主任。上長である施設管理部門の責任者。念のため法務担当。そして、なぜ呼ばれたのか最後までよく分かっていない営業部長だった。ほんとになんでかわからない、管理部門責任者に雑談で捕まったのが運の尽きだった。会議にとりあえず呼ぶのはやめろ、JTCの悪い文明。
会議室の大型モニターで例の映像が再生されたが、すでに全員が一度は内容を確認している。問題は映像そのものより、これをどう扱えばいいのかだった。
巻き込まれた営業部長が腕を組んだ。
「……それで? 私はこれを見て職責に基づいて、何をどうすることを期待されているのか説明してもらえるか」
いやな空気を感じながらも、施設管理の責任者が答えた。
「やだなぁ、恐竜好きでしょう。好意でお伝えしたんですよ、知見は多いほうがいい。この世界初の事態についてどうするか話し合うための会議なんですから」
「人や器物への被害は?」
「ありません」
「商品が盗られた?」
「買ってます」
「買ってるんだよなあ……」
会議室に何とも言えない空気が流れた。
自動販売機の管理会社にも確認していた。該当時刻に硬貨による入金があり、炭酸飲料が一本販売されている。投入金額と商品の販売価格に齟齬はなく、在庫数も一致した。
つまり、映像に映っている恐竜は正規の手続きを踏んで商品を購入していた。
「器物損壊なし。窃盗もなしということか」
「はい、その通りです」
「敷地への不法侵入は?」
「道路利用者向けの休憩所ですので。夜間も含めて立ち入り自由です」
「恐竜でも?」
誰もすぐには答えなかった。法務担当が資料をめくった。
「少なくとも、利用者を人間に限定する規定は確認できませんでした。商品購入の意思がなく商店への立ち入りは、場合によっては違法ですが、今回は適正な料金を正規の手順で購入しています。違法性を問えるような状況ではないかと」
「それでは何の問題もない、ということか」
「相手は肉食恐竜です」
「ああ、そうだった。それだよ、それ」
営業部長が改めて画面を見る。ちょうど恐竜が十円玉を投入口へ入れているところだった。
「自分の財布から入れているんだよな?」
「はい、投入したのはコーラを買うために必要な金額分です」
「つまり、あの恐竜はコーラの値段と自分のこづかいを比較して、これは買えると判断して買っている?」
そこで会話が止まる。
問題の本質が、少しずつ変わってきていた。
大型肉食恐竜が休憩所へ現れたこと自体も無視はできない。だが映像には、もっと説明しにくい行動が残っている。恐竜は硬貨を持参し、それを投入口へ一枚ずつ入れ、必要なところで止めた。そのうえで複数の商品から一つを選び、ボタンを押し、取り出し口から商品を回収している。偶然で片づけるには、成立している手順が多すぎた。
主任が言った。
「ところでこれ、うちだけで持ってていい映像じゃないですよね」
「問題があるかも不明だから、映像の保有の可否を問うことではないが、情報提供として恐竜対策の窓口あたりに提供しておくのはありだろう」
「窓口ってどこでしたっけ? 緊急通報用じゃないですよね」
「国のがあるだろ。福島のあと、緊急の回線増やして、一般情報提供と窓口を分けて整備したってニュースでやってたぞ」
法務担当が手を上げた。
「映像の外部提供については、いくつか事前の確認が必要です」
「何の確認? 社内申請とかか?」
「防犯カメラ映像なので、社内規程上、第三者提供に関する手続きがあります。ISMSとPマークの観点からも、受け渡しに関する書面を電子でいいので提供先と事前に取り交わす必要があります」
「公共安全上の免除的な例外措置はないの?」
「あります。火災や事故などの場合はそれにあたります。ただ、今回それに該当するかどうか」
営業部長が画面を見る。恐竜がコーラを買っている。
「肉食恐竜が人間の生活圏に出てきているんだ、安全上の脅威ではあるだろ」
「映像上では何もしていません」
「コーラは買ってるぞ……安全上の脅威なのか、これ」
「対象が大型に近いサイズの肉食恐竜ではあります、社会通念上これは十分な驚異と言えますよ」
「でもコーラ買って帰っただけだぞ」
「はい、まあ、そうなんですが……」
話が戻った。法務担当はさらに規程を確認した。
「通常の外部提供の場合、先ほどの通り個人情報保護の観点から、映り込んだ人物のプライバシーにも配慮する必要があります」
主任が顔を上げた。
「人物? っていうのは、あの恐竜か?」
「一般論です、規定上の表記はそうなります」
「人はいないですよね」
「そうですね、どうしたものかと……」
設備担当者の素朴な疑問に答えつつ、法務担当も画面を見た。
一頭の黒い恐竜がコーラを買っている。心なしか達成感を表情ににじませているような。
「……本人の同意をとる?」
営業部長が聞いた。数秒、誰も答えなかった。
「どうやって?」
主任が言った。
会議はそこで一度中断された。
◇
結局、映像は県を経由して政府の恐竜対策部門へ送られた。
理由は単純だった。
温泉恐竜とみられる大型肉食個体が、栃木県内の人間利用施設へ接近した事実そのものは、周辺住民の安全を考えれば共有する必要がある。ただし福島事件の直後でもあり、あの黒い個体を危険視する声と、人間を救った個体として保護を求める声の両方があるため、映像の扱いについては慎重な確認が必要だった。
その作業に呼ばれた御門優子は、再生が始まってしばらくのあいだ、研究者らしい顔で画面を見ていた。
黒い個体が休憩所へ入り、周囲を念入りに確認する。
おそらく人間の不在を確認したうえで、ゆっくりと自動販売機へ近づく。
自販機の前で携行しているバッグへ前肢を入れ、何かを探している。
そこまではよかった。いや、よくはないが、まだよかった。
硬貨が出てきたところで、御門の姿勢が変わった。心なしか瞳孔も開いているように見える、それこそ狩の瞬間の肉食恐竜がする瞳だった。
「そこで止めてください。画面の拡大。前肢をお願いします。できるだけ解像度を落とさないで、何を持っているかを確認します」
画面に十円硬貨を挟んだ前肢が大きく映る。御門が椅子からさらに身を乗り出した。
「十円玉……十円玉ですよね。これ、偶然バッグの中に入っていたとかじゃない。保持しています。しかも爪先じゃなくて指の内側を使ってる。再生してください」
肉食恐竜の鋭い爪と強靭な前肢により捕まれた硬貨が一枚入る。
「一枚、二枚、三枚。ちゃんと一枚ずつ入れてる……」
声が少しずつ速くなる。
担当者が確信に近い嫌な予感があり横を見ると、御門の目は明らかに輝いていた。
「あの……」
「待って、今話しかけないでください」
「はい」
「ここです。今、投入後に表示を見ていますよね。たぶん見てる。断定はできないけど頭部方向は合ってる。で、次に商品側へ移って――あ、ボタン。そこ爪じゃなくて腹で押すんだ。そう、それなら壊さない。いや待って、これ前に練習してる可能性ない? 一回でこんな細かい操作できる? 前肢の把持能力が想定よりずっと高いのか、それとも経験で――」
「先生、あの、鼻が」
「鼻?」
担当者が気まずそうな表情で自分の鼻の下を指した。
御門も自分の鼻に触れる。すると指先に赤いものがついていた。
「…………おや」
机の端からティッシュ箱が差し出された。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
担当者は慣れた手つきで箱ごと置いた。御門がティッシュを鼻へ当てても映像から目を離さないことまで予想していたらしく、そのまま再生を続ける。
「よくあるんですか?」
同席していた別部署の職員が、こっそりと小声で聞いた。
「恐竜関係で興奮すると、たまに鼻血が出ますね。寝不足も重なると確率があがります」
「興奮して鼻血出す大人は初めて見ましたが、止めなくていいんですか」
「十分くらいすると多少は血の気が収まって研究者に戻ります」
当人には聞こえていたらしい。
「最初からずっと研究者です」
「はい、そうでしたね」
返事だけは妙に手慣れていた。
その間にも映像の黒い個体は商品を選び、ボタンを押した。取り出し口へペットボトルが落ちたらしく、頭が反射的に下がる。御門は鼻にティッシュを当てたまま、その動きを食い入るように見ていた。
「取り出し口も分かってる……!」
「先生、血が増えるので落ち着いてください」
「これで落ち着けって無理でしょう。硬貨ですよ? 人間の赤ちゃんがやるような、形のあった石をそれらしき穴へ入れたんじゃないんですよ。貨幣を、商品を得るための媒体として――いや、そこまでは言えない。言えないけど、少なくとも硬貨を入れれば商品が出るという対応関係は――」
鼻血が口まで垂れてきたので、御門はティッシュを交換した。研究員は今夜は帰れないことを覚悟していた。
◇
「で、人工恐竜の行動生理学専門家としては、この行動をどう考えるんだ」
少し離れた席で一部始終を見ていた榊原宗一が、呆れた顔で尋ねた。
現場側の意見も必要だということで呼ばれていたが、御門の鼻血を見るために来たわけではない。
「今のが専門家としての反応なら、俺は帰るぞ」
「違います、今のは半分趣味です」
「いいや、九割くらい趣味だったろ」
「まさか、まけて六割です」
「どう見ても八割だよ、研究するたびに鼻血だす研究者なんかいねぇだろ」
御門が反論しようとしたところで、担当者が新しいティッシュを差し出した。
「先生、ここは引きましょう。何割でもいいじゃないですか」
御門はティッシュを受け取り、不服そうに鼻の下をぬぐった。
榊原はため息をつき、もう一度画面を見る。
「冗談抜きで聞く。どこまで分かってる?」
その声で、御門の表情が変わった。鼻にティッシュを当てていることだけはどうしようもないが、先ほどまでの勢いは消えている。
「硬貨を投入口へ入れ、必要なところで投入を止め、商品を選択し、ボタンを押して、取り出し口から飲料を回収した。この一連の手順を実行したことは確認できます」
「意味を理解してるかは?」
「断定できません。貨幣の概念を理解している、とまで言えば飛躍です。特定の物体を一定数入れると欲しいものが出てくる、と学習しているだけでも、この行動自体は成立します」
「それでも十分おかしいだろ」
「はい。十分おかしいです、貨幣の価値や役割を把握する必要はないんです。単純に目的に対して手段を学ぶ能力が高い、高すぎる可能性があります。恐竜の知能では今まで例のなかったことです」
榊原は腕を組んだ。
画面では黒い恐竜が自動販売機の前にいる。福島で赤い大型肉食恐竜と戦った個体であり、人間の動きを見て戦い方を変え、最後には生き残ったハンターが撃てる位置へ相手の頭を押さえ込んだように見えた個体でもある。
それが今度は、硬貨を使って自動販売機から飲み物を買っている。
「俺には、そっちのほうが怖いな」
榊原が渋面をつくって言った。
「怖い?」
「赤いやつと殴り合ってる映像よりな。でかくて強いやつなら、今までもいた。人間より速いやつも、銃がなきゃどうにもならんやつもいる。そいつら相手にどう仕事するかは、俺たちなりに積み上げてきた」
榊原は映像を指した。
「でも、こいつは違う。人間が作った道具の使い方を覚える。荷物を持つ。人間の動きを見て対応を変える。どこまで分かってやってるのかは知らんが、少なくとも経験したことを次へ持っていく程度の頭はあるんだろ?」
「そうですね、ここにきて知能の高さについて、程度はともかく否定する材料はありません。恐竜としては異例の高い知能があります」
「そもそも、誰が自販機の使い方を教えたんだ?」
御門の視線が榊原へ向いた。
「山の中で一頭で暮らしてて、自販機に金を入れれば飲み物が出てくるなんて覚えるか? 最初に金を持ってた理由から分からんだろ」
「そこが一番の問題です」
御門は頷いた。
「自動販売機は自然環境にはありません。独力で学習した可能性を完全には否定できませんが、人との接触歴を先に調べるべきです。飼育されていたのか、人間の生活圏にいたのか、誰かから操作を学ぶ機会があったのか」
「何か当てはあるのか」
「青森を洗い直します。周辺で行方が分からなくなった飼育個体や研究施設から移送された個体、それから違法業者が扱っていた個体です。今の段階で温泉恐竜と違法取引を結びつけることはできませんが、確認する理由にはなります」
榊原は短く頷いた。
「それでいい。何もなきゃ、それが分かるだけでも前進だ」
御門もそれ以上は踏み込まなかった。
真相を先に決めてから証拠を探せば、都合のいいものだけを拾うことになる。今あるのは、自動販売機を使えるという新しい事実だけだった。
榊原は再び画面へ目を戻した。
「で、身体のほうは?」
「まだ成長途中と考えています、青森では明らかに幼体でした。それからおよそ四か月しかたっていません」
「そこなんだよ。今でも四メートルを超えてる。福島じゃ六メートル超の肉食恐竜と正面からやり合って、生き残った。あれからさらに育つんだろ」
「骨格の発達具合と筋肉の尽き方、近似種の傾向から見るにそう考えられます」
「もし、あれだけの身体を持ったやつが、人間のやり方まで覚えて、それで人間を敵だと決めたら?」
御門はすぐには答えなかった。
榊原も、答えを急かさない。
「銃を見たら、射線から外れる。車が何に使われてるか覚える。罠を一回見たら、次から避ける。人間がどこから来るか考える。そんな大型肉食恐竜が本気で人間を狙い始めたら、山の中だけじゃない、市街地でも俺たちのほうが狩られるぞ」
「そこまでの能力があるとは確認されていません」
「分かってる。だから「もし」って言った」
榊原は画面の中の黒い個体を見た。
「俺はこいつを駆除しろって言ってるんじゃない。今のところ人を襲ってないどころか、福島じゃ助けてる。こっちから敵に回す理由なんか一つもない」
「同意します」
「だから余計に、そうしてくれてるうちに考えとかないとまずいだろ」
御門の目から、先ほどまでの興奮はほとんど消えていた。
「同程度の認知能力を持つ個体が、別に現れる可能性」
「それもある」
「あるいは、この個体自身が将来、人間との関係を変える可能性」
「それもだ、後は迂闊に刺激しない、人間側の接触制限だな」
榊原は少し考えてから首を振った。
「いや、もっと単純だな。俺たちは今まで、恐竜が人間より強いことを前提に対策してきた。でも、頭のほうまで人間に近づいてきた場合の準備は、ほとんどしてない」
御門は画面を見た。
十円玉を一枚ずつ入れる黒い恐竜。それだけを切り取れば可笑しく、とても興味深い。しかし榊原が見ているものも間違ってはいなかった。
「人間になすすべがない、とまでは言いません。人間の強みは、個体の身体能力ではありませんから。情報を共有して、道具を作って、組織で対応できる。そこは変わりません」
「そうだな」
「ただし、相手がこちらの対策を学習するなら、同じ方法が二度通じるという前提は捨てる必要があります」
「それだよ。俺が嫌なのは」
榊原が頷いた。
御門は鼻に当てていたティッシュを外し、血が止まっていることを確認した。
「現時点では、まずこの個体の行動を正確に知ることです。過大評価も過小評価もしない。人間と同じことを考えていると決めつけない。その一方で、人間のようにはできないだろうと最初から除外もしない」
「じゃあ自販機は?」
「硬貨を入れて飲料を得る、という手順を実行した。そこまでです」
「鼻血出してた人間の台詞とは思えんな」
「それとこれとは別です」
「便利だな、研究者」
御門は答えなかった。手元のティッシュを捨てるためのゴミ箱をちらりと探した。
慣れた手つきで担当者が使用済みのティッシュを捨てるための小さな袋を差し出した。
「……ありがとう」
やはり手慣れていた。
◇
映像は翌日、栃木県内での大型肉食恐竜目撃に関する注意喚起の一部として公開された。
編集は最小限だった。大型肉食恐竜が休憩所へ接近していること、人間への攻撃行動は確認されていないこと、発見しても接近や給餌、撮影目的の追跡をしないこと。通報先と個体識別のための映像も、あわせて公開された。
公開から十分もしないうちに、注意喚起とは別の部分が注目され、コメントは大騒ぎとなった。
「待って、こいつ金入れてない?」
「入れてる、温泉恐竜だよな?」
「バッグあるし多分そう」
「何買った?」
「コーラじゃん」
「コカとペプシのどっち派だろう」
「大事なのはそこじゃねえ」
「金払ってるぞ」
「金払ってる」
「マジだ」
「盗んでないの草」
「恐竜より俺のほうが自販機で小銭落とす」
「ボタン爪で押さないの賢い」
「ガコンってなった瞬間に頭下げてるの好き」
「音ないのにガコンが聞こえる」
「新しい実績が解除されたよ! コーラ買う ←NEW」
「生活満喫してんな」
「こいつ日本旅行してない?」
「温泉恐竜じゃなくてコーラ恐竜だろ」
その呼び名が広がるまで、一時間もかからなかった。
◇
その晩。御門は自宅のテーブルで遅い夕食を済ませたあと、端末を開いた。昼間に見た映像がニュースサイトにも載っている。
見出しの一つに、
「“温泉恐竜”改め“コーラ恐竜”? 栃木で驚きの行動」
とあった。
「……改めなくていいでしょ」
誰に言うでもなく呟くき、記事を閉じる。温泉恐竜のほうがゴロがいいし、かわいくて好きだった。
仕事用の資料はすでに保存してある。硬貨の扱い、商品を選ぶまでの動き、ボタン操作、商品回収までの一連の行動は、人間との接触歴を検討するうえでも十分な価値があった。
それとは別に、御門は端末の中にある個人用のフォルダを開いた。
青森で親子の前へ割って入った黒い個体。宮城で大型肉食恐竜と戦ったあと、置いていた荷物を回収する姿。山形の温泉。福島。猪苗代湖。
そこへ一枚のコレクションが増えた。
自動販売機の前で、十円玉を前肢の指に挟んでいる黒い恐竜。
御門はしばらくその画像を見た。
「……器用すぎるでしょ」
御門はフォルダを閉じた。少しして、もう一度開いた。
新しく保存した一枚を見直す。
「コーラかあ……」
それからようやく端末を置いた。温泉で泥酔したところを温泉恐竜に保護された男の話が届くまで、あと数日のことであった。
断章10 コーラ恐竜 了
感想が荒れる前に断章の扱いは決めておきます
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情報不足は許容するので本編だけにして
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重要情報だけ断章にして他視点は不要
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いいから持ってる断章全部出すんだよ
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お前の始めた物語だろ