横転した輸送トラックが見つかってから、三日が過ぎていた。
現場に残されていた器具と薬剤、歪んだ荷台、そして道路脇の遺体から、警察は違法に運ばれていた肉食恐竜が逃げたと判断した。荷台の造りから見て五頭。足跡は山へ向かっていたが、その先は追えていない。周辺には警戒が呼びかけられたものの、三日のあいだ、目撃は一件もなかった。
最初の通報は、四日目の午前六時十四分だった。
長野県内の山間部を走る県道で、配送業者の運転手が「道路に恐竜がいる」と一一〇番通報した。それだけなら、今の日本では珍しい事件ではない。山沿いの道路へ野生個体が出てくることはあるし、全長三メートルほどの肉食種であっても、人間や車を避けて山へ戻るなら警察と自治体が周辺を規制し、必要に応じてハンターを呼べば済む。
異常だったのは、その個体が車を避けなかったことだった。
運転手は百メートルほど手前で停車した。灰褐色の肉食恐竜が道路の中央に立ち、こちらを見ていたため、まずクラクションを短く鳴らした。通常なら人間より大型の肉食種でも、聞き慣れない大きな音と自動車の車体を警戒する。ところが恐竜は逃げず、もう一度鳴らすと、今度は近づいてきた。
運転手は危険を感じて車を後退させた。十分に距離を取れば興味を失うと思ったのだが、恐竜は道路上で速度を上げ、そのまま配送車を追い始めた。
「まだ来てる、まだ来てる! 何だこいつ、なんで逃げないんだよ!」
後に確認された通話記録には、エンジン音と荒い呼吸、それから何度も後方を確認する運転手の声が残っている。
後退したままカーブへ入り、配送車はガードレールへ接触した。恐竜はそこでようやく止まったが、逃げたわけではない。車の周囲を歩き、運転席の中を覗き込んでいた。運転手はドアを開けず、窓も下ろさなかった。恐竜が車体へ噛みついても、身を伏せたまま警察との通話を続けた。
それが彼を助けた。
県警の車両が現場へ到着する直前、恐竜は別の音に反応して山側へ姿を消した。配送車の側面には歯形と爪痕が残ったものの、運転手に怪我はなかった。
午前六時三十八分、そこから南東へおよそ四キロ離れた集落で、二件目の通報が入った。
今度は、人が襲われていた。
◇
集落の防犯カメラには、最初の襲撃がほぼ最初から残っていた。
犬を散歩させていた男性が、畑の向こうから現れた一頭に気づく。男性は犬のリードを短く持ち、恐竜へ背中を向けずに後退した。対応としては間違っていない。それでも恐竜は止まらず、犬が吠えても距離を詰め続けた。
男性が民家へ向かって走り出した瞬間、犬が別方向へ逃げた。小さく、速く動く対象である。普通の捕食者なら、そちらへ反応しても不思議ではない。
恐竜は犬を見なかった。ただ、人間だけを追った。
あと一歩、男性は門まで届かず、それが命運を分けた。
物音を聞いた近隣住民が玄関を開け、すぐに状況を理解して屋内へ戻った。その家から警察への通報が入った時点では、確認されている恐竜は一頭だけだった。ところが数分後、別の住民から「もう一頭いる」と通報が入り、さらに三頭目が続いた。
恐竜たちは統率された群れとして動いているわけではなかった。互いに一定の距離を取り、それぞれ別のものへ興味を示している。しかし一頭が人間や車へ反応すると、その騒音に別の個体が引き寄せられた。
午前六時五十二分、警察は集落全域へ屋内退避を呼びかけた。外へ出ない。車で逃げようとしない。窓と雨戸を閉める。恐竜を見に行かない。学校と保育施設には登校・登園を止める連絡が回り、路線バスは手前で運行を打ち切った。
それでも、すでに外にいる人間までは戻せなかった。畑へ出ていた高齢者、新聞配達員、ゴミを出しに出た住民、早朝勤務へ向かうため駐車場まで歩いていた会社員。恐竜は家を一軒ずつ襲っているわけではない。だからこそ、どこにいるのか分からなかった。そして遭遇すると、逃げても追ってくる。
午前七時の時点で、死者三人、重傷者四人、軽傷者三人。
救急隊は現場へ入れなかった。
◇
御門優子が長野の映像を見始めた頃、県の対策本部ではすでに捕獲を諦める方向で話が進んでいた。
対象は全長三メートル前後。一頭だけなら、決して手に負えない大きさではない。だが五頭いる。そのうち少なくとも三頭が人間への積極的な追跡行動を示し、残る二頭の位置は分からなかった。
「麻酔銃の使用は可能ですか?」
「可能です。ですが、今回は推奨しません」
対策本部の司会者の問いに獣医師が即答した。
「体重の推定に誤差があります。適正量でも効果発現まで時間がかかる。興奮状態ならさらに読めません。撃ってから十分走れる個体が住宅地に五頭いる状況で、麻酔を第一選択にはできません。それに、例の凶暴化個体の可能性が高い。そうなると、麻酔の効き自体にも懸念があります」
「東都大学の恐竜生物学研究科からは、生け捕りにして調べたいという要請が来ています」
「それで住民を死なせるんですか」
会議室が静かになった。獣医師は感情的に言ったわけではない。
「研究価値があることは理解しています。ただし、それは安全を確保した後の話です。駆除した個体からでも検体は取れます」
県警側も同意した。
「警察は避難と封鎖を優先します。現場の警察官に、中型以上の肉食恐竜との積極的な交戦をさせるのは避けたい」
「登録ハンターは?」
「県内で即応できる者を招集中です。近県にも応援要請を出しました」
責任者が地図を見た。赤い印が増えている。五頭が一か所にいるのなら、まだ封じ込めやすかった。問題は、それらが無軌道に散っていることだった。
「対象の中型肉食恐竜へ、実弾の発砲を含めた駆除許可を出します」
午前七時十一分、長野県は五頭すべてを緊急駆除対象に指定した。
◇
最終的に現場へ集まった登録ハンターは九人だった。県内を中心に活動する者が六人、近県から応援に入った者が三人。最年長は五十八歳で、最年少は二十六歳。大型種の駆除経験者もいたが、今回必要なのは単純な火力だけではなかった。
「全長三メートルの中型だからって舐めるな」
現場指揮を任された五十代のハンターが、車のボンネットに広げた地図を指した。
「福島の赤いやつより小さい。それは間違いない。だが、あっちは一頭だった。今回は五頭だ。しかもすばしっこい。不意打ちを食らう危険は、こっちのほうが上だ」
若いハンターが地図を覗き込む。
「まとまって動いてないんですよね」
「そこが一番面倒だ。三頭はこの集落周辺。残り二頭は北と東で痕跡が出てる。一頭を見てる間に、別の一頭が来ると思え」
地図には警察の封鎖線、住民が残っている可能性のある家、避難済みの区域、救急隊の待機地点が書き込まれていた。
ハンターの仕事は、恐竜を撃つことだけではない。どこなら撃てるのか。外した弾がどこへ行くのか。恐竜がこちらへ走った場合、どこへ逃がしてはいけないのか。仲間がどこにいるのか。それを先に決める。
「原則をもう一度言っておく。単独で追うな。単独なら、見つけても撃つな。位置を共有して、二人以上で射線を作る」
「住民を見つけたら?」
「恐竜より先に住民だ。撃てる個体を逃がしてもいい。人を置いて追うな」
「倒した場合でも、すぐ死亡確認はしないほうがいいですか?」
「そうだ、近づくな。まず周囲を確認しろ。銃声を聞いて、他のやつが寄ってくるかもしれん。普通なら銃声や同族の死体は避けるもんだが、今回の連中はそうじゃない」
一人が小さく息を吐いた。
「野生動物とは思えませんね。逃げるんじゃなくて、寄ってくるかもしれないんですよね」
「そういう報告が出てる。身を守るでもねえ、腹を満たすでもねえ。脳みそから後退のネジでも外れているみてぇに、刺激に反応して動いてる」
誰も冗談を言わなかった。通常の肉食恐竜なら、銃声や仲間の負傷は危険を知らせる情報になる。今回の五頭には、それを期待できない。セオリーが通じない相手の駆除は、想像以上に重い仕事になりそうだった。
午前八時十二分、最初の班が集落へ入った。
◇
一頭目は、空き家の庭にいた。
倒れた自転車へ鼻先を寄せ、前肢で動かしている。周囲には人の姿がなく、ハンターたちは道路の曲がり角と民家の塀を利用しながら、百メートル近く離れた場所から個体を確認した。
「一頭確認。以後、この個体をアルファと呼称する」
「了解。以降の発見個体は、順にブラボー、チャーリー、デルタ、エコーとする」
「撃てる位置にいる。ただ、後ろに住宅がある。住民の退避状況を送れ」
「退避状況を確認中。待機しろ」
銃を構えたまま待つ。恐竜はこちらに気づいていない。二十秒、三十秒と、普段なら短い時間が妙に長かった。
「アルファ後方の三軒、避難済みを確認。右奥の一軒は未確認、射線に注意しろ。発砲準備のまま待機」
「アルファが右へ抜けたら撃てないな」
「こっちから左へ出せます。射線維持、お願いします」
若いハンターが答えた。
「俺があっちから回ります」
「走るな。気づかせるなよ」
若いハンターが別方向へ回り込んでいくあいだに、恐竜が顔を上げた。人間の気配を拾ったらしく、身体の向きが変わる。
「来ます。いつでも撃てます」
「了解、まだ撃つな」
恐竜が歩き出し、十メートル、二十メートルと近づいてきたところで、横から物音がした。回り込んだハンターが、わざと金属製の門扉を叩いたのだった。恐竜がそちらを見る。住宅を背にしていた身体が回転し、その先は畑になった。
「射線出た。発砲許可を請う」
「射線確認。発砲許可」
一発目が胴へ入った。恐竜は大きく身体を揺らし、発砲地点へ顔を向ける。二発目が当たっても逃げなかった。
鮮血を噴き出しながら、恐竜が走った。逃走ではなく、視界に入った獲物を狩るために。
「やっぱ逃げねぇよな、来るぞ!」
六十、五十メートル。傷を負っているはずなのに、速度が落ちない。撃ったハンターは後退しなかった。後ろには仲間がいる。四十メートルで、別角度のハンターが撃った。恐竜がそちらへ向きを変える。
「まだ、まだ、今、下がれ!」
最初の射手が遮蔽物へ入り、恐竜は新しく撃った相手を追う。さらに一発が肩口へ入って足がもつれたが、それでも起き上がった。
「止まらねえからよ……!」
「頭は狙うな、動いてる! 胴体だ、当てて止めるのを優先!」
確実に当てられる胴へ撃つ。恐竜は二十メートルほど手前で崩れたが、地面へ倒れたあとも後肢が動いていた。誰も近づかない。
「死亡確認は?」
「まだだ。死んだふりの可能性もある。周辺警戒、別個体が来るかもしれん」
一分待ち、双眼鏡で呼吸を確かめ、周囲を確認し、さらに待つ。そこでようやく、一頭目の駆除が確認された。
「アルファ終了。事後処理は任せる。こっちは索敵に戻る」
無線へ報告した直後、別方向から叫び声が入った。
「役場方面、接触! 二頭いる!」
銃声が続いた。一頭目を倒した音に、別の個体が逃げるどころか近づいてきていた。
◇
二頭同時の戦闘は、最初の一頭とはまるで違った。
恐竜同士が意図的に連携している様子はない。互いに合図を送っているわけでも、挟み撃ちを狙っているわけでもなかった。それでも、二頭いる。それだけで人間側の判断は一気に難しくなった。
「ブラボー、道路に出た!」
「チャーリー、家の裏!」
「チャーリー、こちらからは視認できず。ブラボーの警戒を継続」
「撃つな、退避確認ができてない民家が向こうにある!」
一頭が道路を走り、ハンターが軽トラックの陰へ入る。恐竜はそのまま車体へ衝突し、大きく揺れた荷台へ前肢をかけた。
「近い!」
反対側へ回ったハンターが撃つ。肩に当たり、すぐに頭がそちらへ向いた。
「食いついた、下がれ! 引っ張るぞ!」
撃ったハンターが走り、恐竜が追う。そこへ別方向から一発が着弾し、また向きが変わる。恐竜の注意を射撃で奪い合い、一人へ集中させない。狩猟というより、危険な綱引きだった。
問題は、もう一頭だった。
「チャーリーどこだ!」
「こっちからは見えない!」
その直後、住宅の庭から悲鳴が上がった。
「人がいる! 救助優先、近づけるな!」
屋内退避していた住民が、裏口から出てしまっていた。そこに恐竜がいて、住民も気づいた。互いの距離は三十メートルもない。
「あんた、家に戻れ!」
住民が振り返り、恐竜が走る。一人のハンターが飛び出した。
「くそ、こっちだ!」
声だけでは止まらない。住民への跳弾を警戒して空へ一発撃つと、恐竜の頭が動いた。
「こっちを見ろぉ!」
さらに地面を蹴って姿を見せると、恐竜が標的を変えた。
「おい、引きつけすぎだ!」
「住民、屋内に入った! チャーリーへの射撃再開……くそ、狭い!」
ハンターが射線を探しながら走り、恐竜が追う。民家と民家の間は狭く、そうそう撃てない。仲間が足止め用の金属片をばらまきながら並走した。
「足止めしてる、このまま道路まで出せ!」
「分かってる!」
金属片を踏んで足から血を流しても、恐竜は意に介さない。十メートル、八メートルと距離が詰まり、恐竜の頭がすぐ後ろまで迫る。ハンターが角を曲がり、恐竜も続いて道路へ出た。
「射撃体勢よし、撃つぞ、伏せろ!」
ハンターが前へ飛び込むのと同時に、二方向から銃声が重なった。恐竜の身体が横へ流れる。一発、二発と受けても起き上がろうとし、最後の一発でようやく動きが止まった。
救出された住民は玄関の内側で腰を抜かしていた。囮になったハンターは道路へ倒れたまま、しばらく起き上がれなかった。
「いい囮っぷりだったぞ。怪我は無いか?」
「ない……たぶん。もう二度とやんねぇ」
「けつは噛まれてないな?」
「噛まれてたら、こんな返事してねえよ」
そこでようやく笑いが一つ漏れた。だが、すぐに無線が入る。
「ブラボー、南へ抜けた!」
休む時間はなかった。
第25章 五頭の狂える恐竜たち 了
感想が荒れる前に断章の扱いは決めておきます
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情報不足は許容するので本編だけにして
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重要情報だけ断章にして他視点は不要
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いいから持ってる断章全部出すんだよ
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お前の始めた物語だろ